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情熱溢れる教育運動が発展
第33回人民教育全国集会
            教師も生徒も集団主義で成長  2011年8月22日付

 「“みんなのために”で子どもを育てよう!」「戦争に反対し、子どもを勤労人民の後継ぎに!」をテーマにした第33回人民教育全国集会(主催・人民教育同盟)の初日、「子ども、父母、教師のつどい」が21日午後1時から下関市勤労福祉会館で開かれ、教師や父母、小・中・高校生、被爆者、戦争体験者など約250人が参加した。この20年余り政府・文科省が進めてきた「個性重視」「興味関心」の教育改革が完全に破産しているなかで、鉄棒実践や平和教育実践など、子どもへの愛情を基礎に集団的に鍛えていく情熱あふれる教育実践が、教師の集団的なとりくみとして父母や地域の絶大な支持のもとに生き生きと発展している様子が報告された。集会初参加の教師や父母が次次とマイクをにぎり、確信のこもった発言をおこなった。今後の教育運動の展望を示す画期的な教育集会となった。
 
 個人の自由、競争主義と決別

 集会の初めに主催者を代表して人民教育同盟中央本部委員長の黒川謙治氏が挨拶に立ち、リーマン・ショックと東日本大震災まできて日本社会を立て直そうという大きな世論が起こるなかで、労働によって共同で社会を支える働く者のイデオロギーが大きな時代の流れになっており、そのなかで次代を担う子どもを育てる教師集団の役割が大きくなっていると強調。教育集会での活発な論議を呼びかけた。その後、集会の基調報告が提案された。

 学年全体での鉄棒実践 教師集団の結束が力

 集会の口火を切ったのは、昨年から今年と学年の教師集団を中心に「鉄棒実践」にとりくんできた宇部市の小学校教師・佐藤公治氏。全国どこの学校でも、政府・文科省が進めてきた「個性重視」「興味関心第一」の自由主義教育改革により、子どもたちの基礎体力・基礎学力が著しく低下している現状に対して、「体育重視」で子どもたちを鍛えていく実践を教師集団でとりくんできた経験と教訓をのべた。子どもたちは雨にも負けず暑さにも寒さにも負けず、手の皮がむけても泥だらけになりながらも頑張った。そして「重要なのは全員が達成するという目標に向けて団結していく素晴らしさと、できた子はしっかり応援し、友だちの成功をわがことのように喜び合える資質だ」とのべた。
 毎朝、6年生120人、5年生130人の集団が鈴なりになり、教師も10人以上が練習に駆けつけ、「頑張れ」「もうちょっと」などの大合唱と拍手に熱気と感動が広がって、学校全体が「一大鉄棒ブーム」である様子を紹介。またこの実践から、学校の空気が一変し、教師たちは「鍛えてはいけない」「子どもたちを自由に」という抑圧から解放され、子どもたちと一緒に思いきり本来の教育ができるようになったと感動的に語った。そしてこの実践を通じて他の教科、学校生活、家庭生活にも大きく影響し、何事に対しても積極的にとりくみ、困難なことから逃げず頑張る力が培われ、友だち関係も改善され、地域や父母から大きな支持が寄せられていること、教師集団の結束も強まり、子どもたちの成長に責任を持ち、子どもたちの教育に全力を注いでいこうという教師の魂がよみがえっているとのべた。
 最後に佐藤氏は、「一人ではできないことも教師集団が固い絆で共同実践をおこなえば、子どもは必ず成長し、学校全体で子どもの成長を勝ちとることができる。私たち教師は、今発展している子どもたちや人人の意識と切り結び、この社会をどうするかという時代意識を持ち、働く人人が期待する教育の方向を団結して進みたい」と決意をのべた。
 続いて、ともに鉄棒実践をとりくんでいる3人の同僚教師、子どもとその母親が続けて発言した。一人の女性教師は、「6年生の同学年の教師集団で毎日“熱い朝”を送ってきた。教師集団が団結するというのがまさに大事だ。とかく小学校は“学級王国”で生徒指導上も家庭との連携もすべて担任の責任となって、難しい社会状況のなかで一人の力ではくじけそうになったり、子どものなかにどこまで踏み込んでいいのかと不安になることが多いが、“1人じゃなくて4人だ”という気持ちが、一歩踏み出す力になっていることを実感している」と確信をこめて語った。また子ども自身が苦手なことにとりくみ始め、逆上がりがまだできない子どもが、夏休み期間中に母親と2人で練習している姿や、別の子は苦手な水泳にもとりくむようになるなど、子どもの成長によって親の意識も変化している様子を感動をもって語った。
 別の女性教師は、初めは半信半疑で「6年生114人の7割ぐらいができたらいいな」と思っていたが、現時点で112人ができるようになっていることに「あきらめなければできる。子どもたちが集団でできることを喜びあっている。子どもたちみなが同じ目標に向かって頑張り、保護者も協力してくれている」と語った。
 5年生を担任している同僚教師は、5年生も昨年に引き続いて鉄棒をしているが、「手の皮がズルズルむけても保健室に行くことがなくなった、家から絆創膏を持ってきて練習している。子どもたちは一つの目標に向かって頑張るなかで、自分だけでなく隣で頑張っている子にも目が向き、応援したり、コツを教えたりしている。教師集団が同じ志を持ち同じ歩調で進むことが、こんなに子どもを変えるのかと思った」と語った。

 頑張ればできると確信 子供や母親も発言

 小学5年の女子児童は、4年生のとき、学年全員が逆上がりをできるようになるために毎日毎日鉄棒を練習し、友だちや先生に励まされて自分もできるようになったとき、4年生のみんなが喜んだり、拍手してくれたことが「すごくうれしかった」と話した。「逆上がりが頑張ればできたんだから、勉強、体育、縄跳び、マット、苦手な計算なども頑張ればできると思いました。私はこれからもいろいろなことにチャレンジしていきたいと思います」とのべると、会場から大きな拍手がおくられた。
 また女子児童の成長を見守ってきた母親は、「なかなか逆上がりができない娘だったが、一度も弱音を吐かずに、平日の夕方は母親と、土日は父親や親戚や祖父と毎日のように公園に行って練習した」とのべ、「逆上がりのとりくみをきっかけに、2学期の運動会、縄跳びや持久走、音楽合唱と子どもたちが見る見るうちに成長して感動した」「同学年の先生の団結力や熱意に子どもが引き寄せられ、その相乗効果で保護者同士も交流が深まっていった」と語った。また人前で大きな声で話すのが苦手な中一の娘が、宇部の「原爆と戦争展」カンパ活動などを通じて変わっていった経験を生き生きと語った。そして母親自身が宇部市の第6回「原爆と戦争展」にスタッフとして参加した感想ものべた。
 昨年から始まった宇部市の小学校での鉄棒実践をめぐる教師、子ども、親の確信を持った発言に、会場から大きな拍手が寄せられた。

 全園児が竹馬に乗れた 幼稚園の実践も報告

 続いて沖縄市の幼稚園での「竹馬実践」の報告に移った。沖縄市のある幼稚園で118人の園児全員が竹馬に乗れるようになった。その実践が紙芝居となり、この度絵本『みんなみんなたけうまにのれたよ!』となったことが報告され披露された。「竹馬やりたくない」といって最後までできなかった男の子が、一生懸命練習してできるようになったとき、園児たちみんなが喜んだ様子も描かれている。紙芝居や絵本づくりにとりくんだ園児の母親は、「竹馬に乗れるようになることを目標にしていた子どもたちが、いつの間にか友だちの竹馬練習を手伝ったり、励ましの言葉をかけたりと、とても成長した一年だった。子どもたちが団結して親も団結の輪が広がった。今の教育のなかで、心につかえている“できる子どもは優秀に、できない子どもは落ちこぼれ”というのではなく、“一人ではできないことも、みんなと力を合わせれば成し遂げられる”ことを親も実感し、子ども自身も喜び、達成感や充実感を体験したと思う」とのべ、今後絵本を通して多くの人に伝えていきたいと締めくくった。
 防府市の小学校教師・谷村芳宏氏は、音楽教育について発言した。「声づくりは人づくり」という基本的な観点に立って音楽教育を進めてきた実践を報告。発声のトレーニングとして4年生全員に毎朝運動場を走らせて心身を鍛え、運動場で一人ずつ声を出させ、「はい」「お願いします」「ありがとうございます」でしっかりと息と声をそろえる指導をしてきたこと、音楽教育が子どもの心を解放し、自信と力をみなぎらせるものだと語った。宇部市の小学校の音楽教師も続けて発言した。

 難しい計算も目輝かす 農業者に学び成長

 集会前半の最後に、北九州の小学校教師・肥後容子氏が、農業に学んだ実践報告と、農業者から寄せられたメッセージを紹介した。肥後氏はまず、「4年生を担任している。今年の新学期は、東日本大震災、福島原発事故が起きて、子どもたちも家族でよく話題にしていた。“できることはなにかしたい”“放射能はどうなるのだろう”など鋭い問題意識を寄せていた。社会の問題に関心を寄せ、これからの日本がどうなるのかと真剣に考えている子どもたちの気持ちに応えたい」と思い、農業に学ぶ実践をとりくんだと語った。学校のすぐ近くの農業者が喜んで協力してくれ、学年の子ども八八人がしろかきと田植えを見学。目を輝かせながら熱心に質問し、深い交流を持ったこと、「コメを作るとはどういうことなのか」実際に見学するなかで農業を知り、子どもたちの聞く態度の真剣さに同僚教師も驚いていた様子を語った。
 「子どもたちと農家の方の真剣な交流の間、私は子どもの行儀が気になり、質問も“もっといいことを聞けばいいのに。教室に帰ったらげんこつだ”と不満を持っていたが、農家の方は、“子どもの質問がよかった”“子どもがすごかった”と私とまったくちがう子どもの見方だった」と気づかされたことも発言した。
 肥後氏は続けて子どもたちが学んだ農業者(2町5反の田をつくっている)から集会に寄せられたメッセージを紹介した。
 「子どもたちの質問はいい質問でした。それは“稲は水害のとき倒れませんか”“どのぐらいの本数植えますか”“台風がきたらどうなりますか”などだった。先生から見たらしょうもない質問のようでも、子どもはわからないから聞いている。“どうしてこんなことをしているのか”と思って、自分たちが理解しようとしているから、いい質問だった。私は“水をかぶっても、稲は水に強いから大丈夫だよ”といった。それから、稲の本数については、“3・3平米に50株だから、1株が4本として、1反は1000平米だから、計算したらでるよ”といった」
 「あとから先生に聞いてみると、まだこの計算をさせていないといっていたので、“早くさせなさい”といったところだ。先生は算数のとき子どもたちが目を輝かせないと嘆いていた。でも子どもたちが本当に知りたいと思っている稲の本数を出す計算は、むずかしくてもかけ算、わり算を使って、なんとか出すことができる。この問題をすれば、子どもたちは算数はおもしろいんだと思うと思う」
 「参加されている先生たちへ。教育は人づくりです。子どもたちから尊敬される教師にならなければいけないと思う。教師がサラリーマンになり、心の入った教育を捨てたのは日教組のせいだ。子どもたちの学力低下の原因も日教組が一労働者となり、教育をただの労働と考えたからだ。子どもたちが目を輝かせる教育をやることが大事。先生たちはいい人づくりをするために、もう一度教師としての原点をとり戻して、子どもたちの将来を考えた人づくりをやるべきだと思う」という内容を紹介した。
 
 広島に学ぶ平和の旅 小中高生が発表  同じ目標で固い絆 

 休憩をはさんで、後半は「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の子どもたちによる意見発表と、教師や母親の発言と続いた。北九州の小学6年男子は、平和の旅に行く前に下関駅前でカンパ活動をしたとき、初めてマイクで旅の宣伝をしたことや、母親と一緒に知り合いの人にもカンパをお願いして回り「頑張っておいで」と協力してくれたことをのべた。「広島の被爆者末政さんに話を聞き、“平和は求めるだけではなく、努力して手に入れないといけません。みんながすぐできることは、友だちと仲良くすることです。手をとりあい、平和な日本をつくってください”といわれました。来年も行きたいです」と元気よく発表した。
 続いて防府市の小学6年女子は、今年初めて平和の旅に参加した理由として、原爆や戦争のことについて被爆者の方から学びたかったこと、今福島で問題になっている原発事故について被爆者の方の意見が知りたかったからだと語った。平和の旅で2人の被爆者から体験を聞き「2人とも原爆と原発は形は違っても同じ放射能を出しているといわれました」「これからも平和や戦争について学び多くの人に伝えていきたい」と話した。
 平和の旅リーダーを担った高校2年の女子は、「カンパ活動で1昨年、宇部の商店街を回ったが、“あなたたちは、カンパだけもらってあとはなにもない”ときつく断られた経験があり、昨年はお礼のビラと報告集を持っていき、今年もお願いに行くと気持ちよくカンパをいただいた。活動を継続することの大事さを知った。小学3年のときから旅に参加して、リーダーとしての参加は2度目だが、最初は騒がしくしていた小さな子どもたちが、構成詩の練習や本番はやる気が感じられ、市中行進の大きな声に感動した」と語った。また福島の子どもたちが甲状腺の被曝をしているのに政府は「問題ない」という態度であることに怒りを持ち、そういう子と同じ気持ちで平和の会や平和の旅の活動を頑張ると決意をのべた。
 同じくリーダーの高校2年の男子は、昨年の教訓をふまえて先生やリーダー同士で連絡をとりあって準備が進められたこと、「今年は東日本の震災があり、若い世代の活動もどんどん盛り上がっているなかで、パンチのきいた構成詩をしようといろいろ考えた。僕はこれまで、なにかにつけて前のリーダーの真似や決まったことのように活動してきたが、物事はいろいろ変わるし、必要に応じて自分を変え、あわせてやっていかないといけないと学んだ」とのべた。そして「被爆者の方方やまじめに働いて世の中を支えているお父さん、お母さん、たくさんの方方の思いをこれからもっと真剣に受けとめて、平和の会の活動を全力でとりくんでいきたい」と決意をのべた。
 高校3年女子のリーダーは、「今年の旅は原爆のことについてだけではなく、原発について学ぶことも重要な点だった。唯一の被爆国である日本に原発があること、国の不透明な発表に強い怒りを持ち、“核自体を廃絶しなければいけない”と強く感じた」とのべた。小学4年生から平和の旅に参加するなかで少しずつ成長できたこと、卒業してもできることからやっていきたいとのべた。

 子供の力を引出す役割 引率教師も親も感動

 続けて引率した教師の発言に移った。宇部市の小学校教師・田川千里氏は「子どもに対していつも本気で向きあい、思いをぶつければ、子どもは絶対に変わる。その確信が持てたのは、同学年のメンバーとの集団の実践だ」と前置きし、平和の旅での経験を発表した。構成詩の練習のなかで、響く声で気持ちを込めて堂堂と読んでいた子どもたちが、いざ全員での練習に入ると、情けないほど小さい声だったため、初めて教師としての自分の思いを子どもにぶつけ、叱ったことを語った。子どもたちはそれを受けとめ、発声も変わり堂堂とした発表になったこと、その経験を通じて「子どもたちは今の自分をもっと成長させたいという思いを持っており、教師にはそれを引き出し、伸ばす役目がある。口先だけでうまい言葉を並べたり、いい含めたり、優しいふりをしたり、大人の権力で単におどしたりしても子どもは変わらない。子どもを信頼し、そのときの自分の思いを全力でぶつければ、たとえそれが強く叱ることになっても、絶対に子どもの心に届く。私はこれからも、真っ正面から子どもと向きあい、本気でほめる、本気で叱る教師でありたいと思う」と締めくくった。
 次に平和の旅に初めて参加した20代の女性教師が発言。祖母は原爆投下の1カ月前まで広島市内の駅で働き、祖父はシベリアに出兵した経験を持っているが、「戦争や原爆は恐ろしいもの」という恐怖心から自分自身が学ぼう、知ろうという気持ちにならなかったこと、しかし平和の旅に参加して、「被爆者の話は耳を塞ぎたくなるほどの内容だったが、大人になって改めて聞くと、恐ろしさだけでなく怒りや悲しみ悔しさが胸の内にわいてきた」とのべ、教師として自分ができることはなにか考えるようになったと語った。また、教師の子どもたちへのかかわり方について「教育現場では“厳しく”指導するということがためらわれる場面が多い。校長や多くの先生、保護者の目を気にして子どもには優しく、優しく接しなければならない。しかし平和の旅の先生は、子どもたちに対して本当に厳しく指導していた。子どもたちの可能性を信じているからこその指導方法だと感じた」と新鮮な感動を語った。また「平和の旅に参加して一番変わったのは自分だった。もっと知り、子どもたちに伝えなければならないことがあるはずだ。“恐ろしいから知りたくない”ではなく“恐ろしいものだからこそ、学び伝えなければならない”と思うようになった。東日本大震災・原発事故についても同様だ。心の中で思っているだけでなく自分なりに行動すべきだと思う」と力強くのべた。
 小学6年の娘を初めて旅に参加させた母親は、平和の旅の活動と担任の教師の「サラリーマン教師」とは違う熱心さに心をうたれ、知り合いや近所のスーパーの人たちにもカンパを訴えると、「いいことをしているね」と励まされたことを喜びをもって語った。また活動を通じて自分の母親が話していた宇部空襲の体験を思い出し、今後は子どもたちにも伝えていき、来年は親子で平和の旅に参加したいと語った。

 熱のこもる教育に喜び 下関や広島の被爆者

 ここで下関と広島の被爆者が発言に立った。下関原爆被害者の会の大松妙子氏は、未来を担う子どもたちを導く教育に力を注ぐ教師たちの熱意と活動に謝辞をのべ、福島原発事故にふれて「安全ならなぜ避難させるのか、魚や野菜までわけもわからぬ横文字で市民を不安と恐怖に追い込む。私はこの度の原発事故は、神様が地震列島の日本に原発が54基もあることを知らせ、今国民が一致団結し国賊とたたかえと教えていただいたことと思う」とのべ、今の狂った世の中を変える若い世代への強い期待を語った。広島の上田満子氏は13歳のとき被爆し、戦後はひどい差別と貧乏のどん底を生きぬいてきた経験を語り、原爆展を成功させる広島の会への入会をきっかけにして、生かされている限り体験を語り伝えることが自分の務めであり、亡くなった者の供養にもなると積極的に行動していることを語り、「最後まで頑張りたい」とのべた。
 集会の最後に、6年生を担任する20代の女性教師が、地元に住んでいる87歳の引き揚げ体験者を学校に招いて体験を聞き、子どもたちが水をうったように真剣に聞き入った様子を報告した。子どもたちにとって「戦争」という概念があいまいななかで、「戦争は兵隊さんだけがするんじゃない」という体験者の言葉は子どもたちにとって衝撃で、地元にも残酷な戦争の影響が確かにあったという事実が「子どもたちにこれまでにない感情を与えた」と語った。若い教師として、「テクニックでもなんでもなく、人とのつながりが、人の心の温かさや熱い思いが子どもたちに伝わる様子をまのあたりにして、これからも、人とのつながりを大事にし、戦争を知らない世代として、どんな土地にも戦争があったということを子どもたちに伝えていくことの大切さを学んだ」とのべた。
 最後に司会の母親から「この運動を一人でも多くの人に広げよう」と呼びかけられ、感動さめやらぬなかつどいは閉幕した。

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