人類を家畜のように支配し、自らが神となろうとするリボンズ・アルマークの野望は打ち砕かれた。しかし、それでトレミーのクルーたちに安寧の日々が訪れたわけではない。
目が回るように忙しい中、フェルトは作業の合間に一人きりで食堂を訪れ、あわただしく食事をかきこんでいた。しかしふと、いつからか、向かいの席に誰かがトレーを置いて座っていたことに気づいた。自分はそんなに食べることに夢中だったのか、との気恥ずかしさで赤らんだ頬は、そこにいた人物を認めてわずかにその熱を増した。
「刹那」
「フェルト、済まない。あの花……エクシアのコクピットには確かに持って行った。だが戦闘で気を失って、目覚めたときにはどこにもなかった。おそらく、装甲の壊れた部分から外にこぼれ落ちたのだと思う。周囲もできるだけ探してはみたが……」
戦場に赴く刹那に、フェルトはカプセルに入った黄色い花を手渡した。リンダ・ヴァスティがラボで開発し、宇宙で咲かせた貴重な花。その理由が淡い恋であるのか親愛の情であるのか、自分でもよく分からないままに。
理由がよく分からないのは刹那のほうも同じだったが、何にせよ花に込められた想いは好ましいものだと思えたから、彼は素直に花を受け取った。そして実際に、その花は、彼女の想いは、自分に力を与えてくれたと感じている。だからこそ、それを失ってしまったことが残念で、フェルトにも申し訳なくてやりきれないのだった。
「いいのよ刹那、あなたが無事に生きて戻ってきてくれただけで、私はうれしいんだから」
「しかし」
「じゃあ……、ひとつお願いをきいてもらえる?」
「何だ?」
フェルトの「お願い」、それは「こんなふうに一緒に食事をしてほしい」だった。そのようなわけで、二人はできるかぎり誘い合わせて一緒に食事をとるようになった。刹那は喜んでいるようにも迷惑がっているようにも見えなかったが、よほどの事情がない限りはひたすら律儀に彼女の望みに応えていた。
周囲の仲間たちは当然ながらすぐにそのことに気づいたが、食堂以外で彼らが不自然に一緒にいることはなかったため、あれは一体何なのだろうかと皆で首をひねっていた。
そんなある日。
食後のコーヒーを飲んでいた二人のところに、めずらしくあわてた様子のリンダが駆け込んできた。
「フェルト! 以前に私があげたお花、まだ持ってる?」
「えっ? お花って……」
「それは、カプセルに入った黄色い花のことか?」
「そうよ! あれ、まだどこかに置いてある?」
「あの、ごめんなさいリンダさん、実は……」
「……そうだったの、あの戦闘のときに。まさかそれが地球に落ちたのかしら……?」
「だとしたら、大気との摩擦で燃え尽きてしまったに違いない……済まない、俺が」
「刹那、気にしないでって言ったでしょ。でもリンダさん、どうして急にあの花のことを?」
「そうそう、この記事を見てちょうだい」
一面の花畑、デートスポットとして人気
アフリカタワーの周辺部に一面の花畑が出現し、観光客やカップルでにぎわっている。
かつての「ブレイクピラー事件」により荒れ野となっていたアフリカタワー近傍部。そこがいつしか、美しい花が咲き誇る広大な花園に変わっていた。しかし誰が植えたのかは不明で、周辺住民も大量の花の出現に首をひねっている。
この黄色い花は、中東原産の花の近縁種とみられるが、新種の可能性が高い。遺伝子操作により人工的に作成された種だとの見方もある。
一時はこの花を根ごと引き抜いて持ち帰り栽培しようとする者が続出したが、植え替えるとすぐに枯れてしまうという。周囲の土ごと掘り取れば数日間は持つこともあるが、やはり枯れてしまう。そうしたこともあって、花の採取は現在では禁止されている。
また、この花園には心を癒すだけでなく体調不良を改善する効果もあるらしいと一部で噂になっており、近くに療養所を建設する計画もあるという。
「……確かにあの花に似ている。しかし状況からして、燃え尽きずに地球に根付くはずは……」
「あのカプセルはガンダムにも使える高品位のEカーボン製よ。でもだからといって、月の近くから落ちて、ねぇ……?」
「で、でも、あれは刹那のすぐそばで大量のGN粒子を浴び続けていたのでしょう? ちょっとした奇跡くらいは、起きてもおかしくないんじゃない?」
三人は互いに顔を見合わせてしばらく黙り込んだ。沈黙を破ったのはリンダだった。
「GN粒子の奇跡であの花が地球に根を下ろして増えたのだとしたら、それは素敵なことなのだけれど……」
「何か問題が?」
「危険な毒性でもあるんですか?」
「毒性はないわ、美味しくはないけど食べても大丈夫なくらいよ。ただ、宇宙での栽培に適するように遺伝子操作したから、環境への影響が未知数なの。地球で植える予定なんて無かったから確かめていなくて……。短期間のうちにあんなに殖えて広がったという話だし、地球の生態系に悪影響が及ばないかと心配なのよ」
刹那はコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。
「俺が調査に行く。必要なデータや機材の用意を頼む」
「ありがとう、さっそく用意するわ。ところでフェルト、あなたも一緒に行ってきたら?」
「えっ、私も? どうして?」
「だってカップルでにぎわうデートスポットよ。男ひとりより、男女ペアのほうが自然で目立たないわ、頑張ってきてね」
リンダはフェルトに向けてぱちんとウインクした。
二人でアフリカタワーに調査に行ってきたいと言うと、スメラギはうなずいて了承し、「何なら、そのまま帰ってこなくてもいいわよ?」と付け足した。刹那が「馬鹿を言うな」と返すとスメラギが大笑いしたので、フェルトは目をぱちくりさせた。
「私があのくらいの年頃には、もうミレイナも産まれていて……後悔はしてないけど、もうちょっと色々と楽しんでもよかったかしら、なんて思うこともあるのよね……」
調査に必要なデータを揃えながら、リンダはそんなことをつぶやいていた。
「まあ、焦らずゆっくりってのもいいわ、まだまだ先は長いんだからね。でも、人生はいつ突然に終わりが来るか分からないのよ?」
データやソフトをアップロードした赤ハロを大きなリュックサックに忍ばせ、二人はアフリカタワーのリニアトレインを利用して地上へと向かった。にぎわう地上ステーションには若いカップルの姿が目立ち、フェルトは急に不安になった。もう何年も前にクリスが「これ絶対に似合う!」と選んでくれた服を着てきたけれど、流行遅れになっていないかしら? 刹那はいつもの私服姿がいちばん似合っていると思うからそれでいいのだけれど、私たちは自然に普通のカップルに見えているかしら? やっぱり、もう少しカップルらしく……。
「あ、あのね……」
「フェルト、これを」
はっとして顔を上げると、刹那が畳んだ服を差し出していた。
「調査にはこの服が適している。ここで着替えてから行こう」
言われるままにトイレで着替えて出てくると、刹那も同じ服を着て待っていた。地味なアースグリーンで飾り気のない服だけれど、お揃いだから良しとしよう。でも、せっかくの可愛い服を着て行けないのはちょっと残念。
見た目は大きいが赤ハロ以外にはほとんど何も入っていないリュックサックに、フェルトの服もきちんと詰め込んでさっさと歩き出した刹那に、フェルトは勇気を振り絞り、さっき言いかけたことを切り出した。
「ねえ刹那、やっぱりね、腕を組んで歩いたほうが自然に見えるんじゃないかと思うの」
「そうなのか? 分かった」
「……あの、そうやって一人で腕組みするんじゃなくてね……」
腕を組んで、人の流れに沿ってぎこちなく歩いてゆくうちに、花園が見えてきた。
「ねえ刹那、もしも違う花だったらどうするの?」
「戻って、無関係だったと報告するまでだ」
「そうよね……」
そのとき突然、聞き覚えのある男の声がした。
「地味な作業服で公的機関の調査員を装う。男女で腕を組んで恋人同士を装う。どちらもそれなりに効果的なカモフラージュではあることは認めよう。しかし!」
「両方いっぺんにやっちゃあダメだね、仕事をサボっていちゃついてる不届きな公務員にしか見えないよ」
「お、おまえたちは!」
「久しいな、少年」
いかめしげな表情のグラハム・エーカーと、困ったような表情をしたビリー・カタギリが、どちらも少々くたびれたブルーグレーの作業服(ユニオン軍時代の支給品)に身を包んで近づいてきた。しかしまともな反応をする暇も与えず、刹那の背中のリュックサックから赤ハロが声を上げる。
「サジ、ヒサシブリ! サジ、ヒサシブリ!」
振り返ると、沙慈・クロスロードとルイス・ハレヴィが自然に腕を組んで立っていた。
「や、やあ、久しぶり。赤ハロも来てるの?」
「あのね、細かいことを言うようだけど、腕の組み方、普通はこうよ。それじゃあ男女が逆。歩きづらいと思わなかった? ……ああっ、あなたはまさか、ミスター・ブシドー?」
「ルイス・ハレヴィ元准尉! 今さらになって、その名で呼ばないでもらいたい!」
「うん、分かってた。違うって分かってたんだけど、せっかく腕を組んでもらえたから、解くのがもったいなくてそのまま……」
おずおずと答えていたフェルトの声は、ルイスと元ブシドーの大声にかき消されて誰の耳にも届かなかった。
ビリーとルイスの強い勧めで、刹那とフェルトは結局また作業服から普通の服に着替えてきた。沙慈は内心で、フェルトの作業服姿は悪くないと思っていたが、ルイスが変なふうにヤキモチをやくと困るので黙っていた。当然ながら、グラハムにはどうでもいいことだった。
その後、自己紹介と他者紹介により、それぞれの現在の立場を簡単に認識しあった。体調が回復してきたルイスは、沙慈とデートがてら療養所建設に向けての下見に。グラハムとビリーは、突然に出現した花園をやはり不審とみた連邦軍の依頼により調査に訪れたのだという。
「しかしビリー・カタギリ、あんたはモビルスーツ技術者ではなかったのか? なぜこんな調査に」
「もちろん植物学なんて専門外だけどね。軍も人手不足だから、科学系の研究者だというだけで、ぼくにこの任務が回ってきてしまったのさ。困ったものだよ」
「まったく、いい迷惑だ」
「一緒に来てくれなんて頼んだ覚えはないんだけどね。そういうわけで君たち、この際は合同調査ということでどうだい?」
「そうですね、そのほうがいいんじゃないかしら、刹那……刹那?」
フェルトはあわてて周囲を見回した。隣にいたはずの刹那が、いつの間にか消えている。
「刹那ならあっちに」
赤ハロを抱えた沙慈が指さすほうを見ると、刹那はなるべく花を踏まないようにしながら花園の中心のほうへと分け入っていた。そしてかがんで何かを拾い上げると、急いで戻ってきた。
彼が手にしていたのは、端が焼け焦げて全体的に傷つき土に汚れた、透明な筒のようなものだった。
フェルトは思わず目を見張った。
「刹那、それはまさか」
「間違いない、あのカプセルだ。無事に、とは言えないが、やはり地上に落ちていたのか」
刹那の手からカプセルを受け取ると、フェルトは指で白っぽく傷ついたような部分に触れた。軽く触れただけなのに、そこはもろくポロポロと砕け落ちた。フェルトが軽く声を上げたので、沙慈とビリーも寄って来た。
「何を拾ってきたんだい、それは? プラスチック?」
「古くなって紫外線で劣化したのかな……いや、むしろ土に埋もれていた部分が弱くなっているようだから、おそらくは」
「セイブンカイ! セイブンカイ!」
「ああ、僕も聞いたことあるよ赤ハロ。微生物の作用で分解される、環境に配慮したプラスチックもあるんだよね」
「そう、おそらくそれは生分解性プラスチック製だね。だからといって、ごみを投げ捨てるのはマナー違反だけど」
フェルトはあわてて言った。
「ちょ、ちょっと待って二人とも。これは生分解性プラスチックなんかじゃないの、Eカーボンよ! ねえ、刹那」
「ああ、モビルスーツにも使える品質のものだと聞いている」
「そんなバカな、Eカーボンが生分解されるなんて話は聞いたことがないよ」
ビリーは筒を手に取り、何度もメガネをかけ直しながら吟味するようにまじまじと見つめた。
「確かに、透明な部分はEカーボンのようだ。しかしこんなことが……」
刹那は地面の花の一本に手を伸ばすと、ビリーが「採取は禁止されているよ」と注意する間もなく根ごと引き抜いた。地上部分の大きさのわりに立派に張った根は、何かの破片のようなものを抱き込んでいた。その少しくすんだ青色には、全員に見覚えがあった。
「まさかそれは、カタロンのモビルスーツの!」
沙慈が声を上げると、赤ハロが「カクニン、カクニン! かたろんからー、かたろんからー!」と報告した。
その青い破片も、軽くつまんだだけで砕けてしまった。
ブレイクピラー事件のとき、はるか上空から無数に落下してきた軌道エレベーターのパネル。周辺都市への直撃を阻止すべく立ち向かったモビルスーツの中には、パネルや破片にぶつかり墜落した機体も少なくなかった。そのまま落ちたパネルやモビルスーツの残骸には長らく放置されたままのものも数多くあったが、ここが観光地化して、ようやくすべて撤去されたらしい。
しかし、細かいEカーボンの破片は回収されることもなく散乱し、生分解されることもなく土に埋もれたままだった。とても農地などに利用できる状態ではなく、大規模な開発が行われることにならない限り、この地は永遠に荒れ野のままだっただろう。しかしそんな不毛地帯にこの花だけは根付き、力強く殖えた……。
「この花は、Eカーボンを分解して養分にしている……と考えていいのかしら?」
フェルトがおずおずと言うと、ビリーがそれに答えた。
「そうだね、まず間違いないかな。あるいは、根にそういう能力を持つバクテリアが寄生している可能性も考えられるけど……どちらにしてもこれは大発見だよ。世界的に問題になっている、Eカーボン廃棄物の処理に役立てられるかもしれない。どうやら、Eカーボンに焼け焦げたような部分がないと分解できないらしいけれどね」
「それだけじゃないわ」
花に囲まれて安らいだように座っていたルイスが静かに言った。
「あのときの光……擬似GN粒子に体を蝕まれ、命を保てなくなりかけていた私を救ってくれた、刹那、あなたの光。この花からは、あの光と同じ力を感じるわ。かすかだけれど、でも私には確かに感じられるの」
「Eカーボンの破片が多く含まれた土地でなければ地球では育たないみたいだから、環境への影響についても心配ないかしら?」
「そうだな、人体にもむしろいい影響を与えているようだ……フェルト、俺たちの調査はこれで終わりだな。あとは地球に住む者たちに任せよう」
「待ちかねたぞ、少年!」
ぎくりとして刹那が振り向くと、いつの間にやら作業服からスーツに着替えたグラハムが仁王立ちしていた。
「用事が済んだのなら、今度は私に付き合ってもらおう。来るがいい!」
グラハムは刹那の肩に手をかけると、彼もろとも、まるでテレポーテーションで消えたかのように姿を消した。
「あ、あのカタギリさん、刹那は大丈夫ですか……あの人、また果し合いとか真剣勝負とか挑むつもりじゃ……?」
ビリーは、沙慈の責めるような目つきを避けるようにしながら答えた。
「……まあ、大丈夫じゃないかな。生身での戦いにはさほど興味がないんじゃないかと思うから大怪我をさせられることはおそらく無いと思うし、男色家だって噂もあるみたいだけど僕の知る限りたぶんそうじゃないと思うからおムコに行けないような身体にされることはそうそう無いと思うし」
「推測ばかりじゃないですか! 大体、どうして止めてくれなかったんです、親友なんでしょう?」
「あの状態のグラハムを止められる人間がいるのなら、僕はその人を神とあがめるね。僕なんかじゃ無理無理」
「ちょっと待って二人とも、この子、様子が変よ」
ルイスの声に振り返ると、フェルトは真っ青な顔で冷や汗を流しながらガタガタと震えていた。
「刹那、刹那、どこ……? 怖い、怖いよ、ここ、広くて壁が無いの、助けて刹那、助けて……」
「うーん、どうも開所恐怖症みたいだね、この様子は」
「確かに、彼女はずっと宇宙船の中に閉じこもっているようなものだったから……刹那がいたから耐えられてたのかな? 大丈夫だよ、僕たちがついてるから、しっかりして」
「ふぇると、ダイジョウブ? ダイジョウブ?」
「赤ハロ、沙慈……ああ、もうこの際、あなたでもいい……」
「ちょっとあんた、他人の彼氏に勝手に抱きつかないでよっ!」
数時間後、ようやく刹那とグラハムは戻ってきた。すでに日は沈んで暗くなっていたが、花園はライトアップされ、周囲はあいかわらずカップルでにぎわっていた。
「フェルト! 済まない、まさかこんなことになるとは」
「刹那……私のほうこそごめんなさい、みんなにも迷惑かけちゃった」
「もう外へ出ても大丈夫か?」
「うん、あなたが帰ってきてくれたんだもの……あっ、ちょっと、そんな」
「無理はするな」
刹那は自動車の座席からフェルトを抱き上げた。
ビリーの機転で急いで借りたレンタカーの中に閉じこもり、フェルトはじっと刹那の帰りを待っていたのである。
実はその前に、沙慈に抱きつかれて怒ったルイスが、中身をぶちまけた自分のバッグをフェルトの頭におっかぶせるという一幕もあったが……、誰も赤ハロもそれを刹那に教えようとはしなかったし、フェルト自身もパニック中のことで定かには覚えていなかった。
「刹那、君のほうは大丈夫だったの?」
かつて刹那とブシドーの真剣勝負に巻き込まれたことのある沙慈は、さすがに心おだやかではいられなかったらしい。
「ああ、俺も一時はどうなることかと思ったが、意外とまともだったというか、訓練に付き合わされただけだった。見たことのないシミュレーションマシンがたくさん置かれた場所に連れて行かれて、肉弾戦から銃撃戦、空中戦から宇宙戦に至るまで、さまざまな模擬戦で対戦した。さすがに奴は慣れているようで、ほとんど勝つことはできなかったが……俺たちの訓練にも役立ちそうなものがいくつかあったから、機種名を控えてきた。戻ったら導入を提案してみるつもりだ」
「あれは『ゲームセンター』と呼ばれる場所だ、少年」
「その後は、テーブルマナー実習だった。ソレスタルビーイングに入ったばかりのころに、いつか必要になる日が来るかもしれないから恥をかかないようにしっかり覚えておけと叩き込まれたことが、ようやく役に立った」
「うむ、教科書どおりの完璧なマナーだった。しかし三ツ星フレンチの味に対する感想は無いのかな」
沙慈はとりあえず安堵したが、おおよそ遊ぶとか楽しむとかいったことを知らないらしい刹那が別な意味で心配でたまらなくなった。
「ところでそこの女、いつまで甘えているつもりだ。いいかげんにしたまえ」
「そ、そんなつもりは……。もう平気だから、刹那、お願いだから下ろして」
「そうか……?」
さっき車から出してからずっと、刹那はしっかりフェルトをお姫様抱っこして、もういいからと言われても下ろそうとしなかったのである。
刹那には分かっていた。グラハム・エーカーが、フェルトに多少は気を遣って、短い時間で自分を解放してくれたことを。そしてそれゆえに、彼がフェルトに対して理不尽な憤りを抱いていることを。
だからこそ、万が一にも今度は彼女が連れ去られて何かされたりしないように、こうしてしっかり抱えていたのだ。ああ、一緒に来てよかった……彼女がいなければ、果たしてグラハムに何日連れまわされたことか分かったものではない。
「もう行くのかい? なら、これを持って行きたまえ。もともと君たちのものだけれど、この花は勝手に採取してはいけないことになっているからね……調査用にもらってきた採取許可証を貼っておいたから、何か言われたらそれを見せれば大丈夫だよ。あと、これを」
ビリーは土ごと掘り上げて試料びんに入れた黄色い花を二株と、何かのチケットのようなものを刹那に手渡した。
「これは?」
「アフリカタワーの高軌道ステーションで、僕の従弟が料亭をやっているんだけど、そこのペア食事券なんだ。二人でそこで食事して帰るといい」
「ビリー・カタギリ、フェルトのことといい、何から何まで世話になった」
「いいってことさ、おかげで調査もうまくいったし……軍には、君たちのことはうまくごまかしておくから安心したまえ。それに、うちのグラハムが迷惑をかけたからね」
「君との逢瀬、堪能したぞ少年! 今度また巡り逢えるときまで息災でいろ」
「……代わりに謝っておくよ。ところで……その……彼女は、元気かい?」
「ああ。戻ったら、あんたに世話になったと伝えておく」
「サジ、マタネ! マタネ!」
「うん、赤ハロも元気でね」
「モウ、サビシクナイ?」
「もちろんさ。……会えて嬉しかったよ、ありがとう赤ハロ、またね」
沙慈から赤ハロを受け取り、刹那の背中のリュックサックに収めていたフェルトに、ルイスが声をかけた。
「あなた、ちゃんと覚えた? 男の子との、腕の組み方」
「ええ、もちろんよ。ありがとう、ルイスさん」
フェルトはすばやく刹那の腕を取って、にっこり笑った。
「行くぞ」
歩きかけた刹那は急に立ち止まり、真摯な表情で沙慈を見た。
「沙慈・クロスロード」
「な、なんだい……刹那……?」
「日本に住んでいたとき、ごみ収集には『Eカーボンの日』が別にあることを知らずに資源プラスチックの日に出してしまった。おまえが管理人に叱られていたが、あれは俺のせいだ……済まなかった」
それだけ言うと、刹那とフェルトはもう振り返ることもなく、ステーションへと歩み去って行った。
「信じらんない、別れ際の最後の言葉があれ?」
「まあまあ、ルイス。ある意味、刹那らしいじゃないか。……ところでカタギリさん、さっき言ってた高軌道ステーションの料亭って、日本料理なんでしょう? どんなお店なんですか?」
興味津々といった沙慈の表情に、微笑みながらビリーは答えた。
「ああ、本場シモノセキ直送のふぐ料理店さ。従弟は日本の伝統の味を世界に知らしめたいと意気込んでいるんだけど、なかなかお客が来ないらしくてね。素材も料理人も一流をそろえているのに、どうしてなんだろう?」
「ええっ、僕、ふぐって食べたことがないんですよ。いつか一度は、って思ってるんですけど、でも高くてなかなか……」
「うん、確かにちょっと値は張るね。でも高軌道ステーションでは安い店なんてハンバーガーショップくらいのものだし、高いからお客が来ないってわけじゃないと思うんだけど……ああそうだ、友達とかにも宣伝してくれるなら、君にもチケットをあげるよ。彼女と一緒に高軌道ステーションに行く機会があったら……」
「イヤよ」
ルイスは憮然とした表情で言い捨てた。
「ママだって言ってたもの、あんな猛毒のある魚を喜んで食べる日本人って本当にわけが分からないって。私は絶対に行かないから」
「ルイス、そんなこと……」
「これだから、日本の文化を解しないガイジンは困る。食、それは命を受け継ぐこと。だからこそこちらも命を賭して挑む、その先にこそ真の美食はある。そんな簡単なことも分からんとは」
「何よ、このエセ武士道! 自分だってガイジンのくせに!」
「日本人の僕にも理解できませんよっ!」
「うーん、あの店が流行らない理由は、どうやらこの辺の意識の国際的な食い違いにあるみたいだねぇ……? 後で従弟に教えてやろう」
刹那とフェルトはリニアトレインに搭乗し、高軌道ステーションに到着した。
「疲れただろう、大丈夫か?」
「うん、乗ってるあいだに休めたし、もう平気。みんな優しかったし、一緒に来てよかった。沙慈も幸せそうだったよね」
「そうだな。……ああ、あの店か、『ふぐ処 かたぎりや』」
店の前面には大きな水槽が設置され、見たこともない奇妙な魚が何匹も泳いでいた。
「あれが『ふぐ』なの?」
フェルトは携帯端末で「ふぐ」のデータを呼び出し、しばらく黙読してから要点の部分を刹那に指し示した。
「フェルト、俺たちは珍味のために命の危険を冒すわけにはいかない」
「うん、分かってる。早くお花を植え替えてあげたいし、トレミーに帰りましょ。 ……あっ、でもその前に、ミレイナにお土産を買ってもいい?」
発想の出どころは、本編でロックオンがアニューに通信で「愛してるよ」って言ったところから思い浮かんだシーン。ティエリアとミレイナも何だかいい感じで通信しているので、自分も何か気の利いたことを言わなければと思った刹那はフェルトに通信をつないでみたものの、口から出たのは「今日のライスは水加減がちょっと硬かった」で、フェルトも「了解、後で調整しておくわ」と答える、という……。
でも、仮に好きな人ができたとして、その人と「一緒にうちに帰ってご飯を食べる」関係になるのってそう簡単なことではないですよね。なので、それって特別な関係だよね、って感じで書いてみました。
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