病院に行くか美容院に行くか

ネイチャー2003年8月28日号
「Drug discovery: In the eye of the beholder」より


 「すき間商品」という言葉もありますが、医薬品業界もこれから、医薬品と化粧品の狭間を狙ってゆくことになるのでしょうか。それとも、よく効く「美容医薬品」などという商品は、美しさを求める人々の幻に過ぎないのでしょうか。

 1991年のこと、あるアメリカの皮膚病学者が驚くべきことを発表しました。「人間にとって最も致死性が高い毒物として知られている物質をシワの治療に利用する」というのです。
 その物質とは、ボツリヌス菌から抽出された麻痺性タンパク質、いわゆるボツリヌス毒素です。以前から、筋肉の働きを抑える薬品「ボトックス(Botox)」として、寄り目の治療などに用いられることはありました。
 その皮膚病学者は、眼科医である妻と協力して、ボツリヌス毒素には額にシワをつくる筋肉を固定する作用もあることを確認しました。このシワ治療法がFDA(米国食品医薬品局)の正式な承認を得たのは2002年4月のことでしたが、それ以前から、ボツリヌス毒素によるお手軽な美容整形は一部で流行していました。

 医薬品と化粧品の狭間の、あいまいな部分に位置する薬品は、このボツリヌス毒素だけではありません。ここ10年ほど、シワのばし、ハゲ防止、ムダ毛脱毛などの作用を持つ薬品がいくつか開発されています。美を追求する世間の要望を考えれば、医薬品会社も化粧品会社もきっと、こうした新時代の美容医薬品の開発に躍起になっているはずだ、と思うかもしれません。しかし実際のところ、企業は美容医薬品の開発にさほど熱心ではないのです。それは、医薬品会社が「やはり大きな利益が見込めるのは病気治療の分野だ」と今でも信じていることが大きな理由です。
 2002年、アメリカでの美容医薬品の売上は34億ドルに達したといわれますが、1852億ドルといわれる医薬品市場の中に占める割合は微々たるものです。10年後には、美容医薬品の売上は現在の二倍になると予測する専門家もいますが、その程度では大手医薬品会社が関心を向けるようにはならないと考えられます。

 なかなか化粧品には手を出そうとしない医薬品会社が多い状況ですが、もしもどこかの会社が、大ヒット美容医薬品を売り出すことに成功したら……例えばそう、副作用も無く、どんなハゲ頭もたちまちフサフサになるような薬が開発されたりしたら、たちまちどこの医薬品会社も美容医薬品の開発に着手することになるのではないでしょうか。
 一方、化粧品会社はどうかといえば、何かと規制の多い医薬品に手を出すのは荷が重いようです。

 FDAの定義によれば、医薬品とは、「疾病の診断、治療、緩和、処置もしくは予防の目的で用いられる薬剤、または身体の構造または機能に影響を与える目的で用いられる薬剤」となっており、発売にこぎつけるまでには厳しい審査を受けなければなりません。
 化粧品は、単に身体の外見を変化させるだけのものなので、医薬品のようにFDAの厳しい審査を受けずとも発売することができます。
 美容医薬品は、身体の外見に作用する医薬品と見なされることになるのでしょうか、それとも、身体の構造や機能に影響を与える化粧品と見なされるのでしょうか。

 最初の美容医薬品といえる薬品は、オールトランス・レチノイン酸(all-trans retinoic acid)でした。これは生物学的に活性なビタミンAで、皮膚に含まれるコラーゲン量を増やす作用があることが知られています。1980年代、女性のニキビ治療にオールトランス・レチン酸を使用する試験を行っていたときに、日焼けによるシワを治す働きが見出されました。その後、オールトランス・レチン酸は「レノバ(Renova)」という商品名をつけられ、肌の老化防止薬としてFDAの承認も受けました。Renovaという名称は、renovate(元通りの良い状態に戻す、というような意味)からとったものと思われます。
 低濃度のオールトランス・レチン酸を配合したフェイスクリームはいくつも発売されており、医師の処方箋が無くても購入することができます。

 よく知られている美容医薬品の多くは、もともと医薬品であったものの副作用を美容目的に利用したものです。例えば「プロペシア(Propecia)」と「ロゲイン(Rogaine)」はいずれも抜け毛予防効果を持ちますが、前者は良性前立腺腫瘍、後者は高血圧の治療薬として開発されたものです。
 最近でてきた、購入に医師の処方箋が必要な「ヴァニカ(Vaniqa)」は毛の発育を抑える作用があり、女性の顔のウブ毛対策に使われますが、本来はアフリカ睡眠病の治療薬として開発されたものです。

 医薬品会社は、その企業戦略や研究計画に関してはほとんど公開しないので、どれほど美容医薬品に興味を持っているのか、推し測るのは困難です。
 しかし、超大手医薬品会社、ファイザー社は、美容目的の新たな薬品開発に意欲的に取り組んでいることを認めました。同社は2002年に、美容に関する五つの問題に向けた医薬品開発を行う企業を吸収しています。その五つの問題とは、シミ、油性肌、抜け毛、多毛症、日焼けによるダメージです。今年中に二種類の薬品の臨床試験が開始される見込みだということですが、それ以上のことは明らかにされていません。

 しかし、ファイザー社が美容医薬品に対する興味を隠さないのは、むしろ例外的なケースのようです。前述の「プロペシア」の販売元であるメルク社は、この製品をまともな自社商品とは見なしていないようで、あくまでこれからも糖尿病などの病気に対する治療薬に絞った戦略をとりつづけるものとしています。確かに、病気治療のためなら許容される副作用も、美容目的ではその責任がメーカー側に押し付けられてしまうかもしれないことを考えれば、リスクが大きすぎて割に合わない、ということかもしれません。
 また、単に外見を飾り立てるようなことよりも、病気という深刻な問題に取り組みつづけたい、という、一種の誇りのような意識も働いているようです。

 一方、肥満治療薬というのは、ほとんどの大手医薬品会社が強い関心を寄せている分野です。そうした医薬品は、美容医薬品と呼ばれていなくても、用途は医学的治療と美容目的の間のあいまいな領域にあると言えます。
 医師の処方箋があれば購入できる、病的肥満の治療薬としては、ホフマン・ラ・ロシュ社の「ゼニカル(Xenical)」と、アボット・ラボラトリーズ社の「メリディア(Meridia)」が有名です。しかしやはり、単に美容目的でやせたい人々の間で無許可の密売が横行しているようです。
 ロシュ社もアボット社も、この肥満治療薬は美容目的の医薬品ではないと断言しています。実際のところ、医薬品会社が処方箋無しで購入できる肥満治療薬を開発しようとしたところで、FDAやその他の公的組織から販売許可を得ることはできないだろうと考えられます。摂食障害を持つ人々などに濫用される危険性があるからです。

 化粧品会社の方に目を向けると、処方薬開発のために莫大な研究費をつぎ込み臨床試験を行うような余裕があるのは、ほんの一握りの大企業だけです。超大手化粧品会社、ロレアル社は、食品・飲料業界の複合企業体、ネスレ社と共同で、1981年に皮膚科学研究会社を設立しました。この会社は、肌の老化対策やハゲ防止に取り組んでいるようですが、やはり詳細は明らかにされていません。

 概して、化粧品会社は医薬品的な機能を持つ製品に対して、慎重な態度を保っています。それでも、FDAなどの目を盗んで、医薬品的な機能を持つ美容医薬品ともいえるものは開発されています。
 アメリカでは、発見した新物質を「肌の構造や機能を改善する」とうたって販売するとなると、長い年月と高額な費用をかけて臨床試験を受けなくてはなりません。しかし、それをクリームに配合し、「これは肌によく効くクリームだ」ということにすれば、簡単に発売できます。そのようなわけで、化粧品の宣伝文句は、非常に注意深く考えられたものになります。
 ともあれ、化粧品会社は肌に異常を引き起こす危険性が完全に否定できない成分を商品に入れることには非常に慎重な姿勢をとっており、費用の面からも、医薬品に近い成分を化粧品に入れるという危険を冒そうとはあまり考えないようです。

 バイオテクノロジー会社や、あるいは医薬品会社の子会社が、こつこつと美容医薬品の可能性を探っており、大手企業はそれを静観している、というのが現在の状況です。しかし、もしもプロザック(抗鬱剤)やバイアグラのような超ヒット商品が美容医薬品の中から生まれたら、状況はどのように変わることでしょうか。



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