養殖漁業が盛んに行われている現在、より持続性の高い養殖のあり方が模索されています。その一つの可能性として、肉食性の魚を植物性の飼料で養殖してはどうか、という考え方があります。
ここ10年間、水産物の養殖量は、1年あたり5%以上の上昇率で増加してきました。食料の生産量が増えているのなら、いいことではないか、と感じるかもしれません。しかし、実はそうとも言いきれないのです。
おなじみのサケ、マス、タラをはじめ、多くの養殖魚は、魚を飼料にして育てられています。養殖用の飼料として利用される魚の量は膨大なものです。今日では、(天然の魚の)漁獲量全体の12%にのぼる、およそ1100万トンが養殖用の飼料になっています。サケなどの養殖魚1kgを生産するためには、飼料として2〜5kgの魚が必要です。
ここ数十年にわたり、養殖漁業をより持続的なものに変えていくための研究が進められてきましたが、その一つの方法として、肉食性の魚を草食性に変えて養殖する、というやり方が検討されるようになりました。これは困難な試みではありますが、天然資源の減少や養殖漁業の急成長といった事情から、養殖業者も環境保護論者もこの考え方を支持しています。
世界的に見て、最も多く養殖されている魚はコイとテラピア(淡水産のタイに似た魚で、カワスズメとも呼ばれる)ですが、これらはいずれも草食性なので、植物性の飼料で養殖することが容易です。養殖漁業のおよそ9割が行われているというアジア地域で、コイやテラピアは多く養殖されています。しかし西洋では、骨の多いコイはあまり好まれず、テラピアもあまり馴染みのない魚なので、どうしても肉厚のステーキにできるサケなどの人気には勝てません。
サケやマスがテラピアほど大量に養殖されていない理由は、これらが肉食魚だという点にあります。しかし、数量的にはコイの10分の1程度しか養殖されていないとはいえ、サケやマスの養殖量も増えてきています。また、その他の肉食性の魚、例えばタラ、オヒョウ、ハタ、タイ、マグロなどの養殖も盛んになってきています。
2001年に養殖されたマダラは世界全体でもわずか600トンですが、ノルウェーが商業的な養殖を開始しており、その生産量は2008年には年間30000トンに達するだろうと試算されています。
肉食性の魚の養殖量は、2010年には2倍になっていると予想されます。しかしこれはやがて大きな問題になるはずです。
こうした魚を養殖するための飼料としては、主に魚油や魚粉が利用されます。これらは、イワシなどの安価な魚を原料に製造されています。そして、これから肉食魚の養殖が盛んになれば、魚油や魚粉の生産が遠からず需要に追いつかなくなるのは明らかです。魚油や魚粉の生産量はここ10年でほとんど変わっていません。養殖量が現在の上昇率で増加しつづけ、一方で魚油や魚粉の生産量がこのまま変化しないと仮定すると、魚油は2010年、魚粉は2050年までに需要が供給を上回ってしまう計算になります。
そのような事情から、飼料会社は魚油や魚粉に代わるタンパク源・栄養源の利用を検討しています。とくに魚油に関しては、問題が切迫しています。サバ、ニシンなど、より大型の魚も飼料として利用されるようになってきており、天然資源に及ぼす影響も大きくなっています。南極海に多い小型の甲殻類、オキアミを利用しようとしている会社もあります。
養殖用の飼料として魚粉や魚油以外のものを使おうとする動きには、経済的な理由もあります。養殖業における必要経費の実に4分の3が餌代です。そして魚油が不足してくれば、それだけ価格も上昇することが考えられます。
何か代わりとなるものを飼料として使うことは、理論的には難しいことではないはずです。ある専門家の例えによれば、肉食性の魚を草食性にすることは、人間を極端な菜食主義者にするようなものだといいます。例えば、ゆでたダイズと生のキャベツしか食べないでいると、人間の身体にはやがて異常が生じます。しかし、不足する栄養分を補ってやれば、そのような食事で生きぬくことも不可能ではないでしょう。つまり、植物性の飼料では不足してしまう栄養分を補ってやれば、肉食魚を植物性の飼料で養殖することができそうです。
植物性の飼料としては、ダイズ、トウモロコシ、ナタネ、ヒマワリ種子、亜麻仁、小麦グルテンなどがあります。飼料の半量にこのような植物性たんぱく質や植物油を利用してサケを養殖してみても、健康や成長率に影響は出ません。しかし、半量以上を植物性に切り替えると、肉食魚はひどい消化不良を起こします。腸に炎症が起こり、免疫力が低下し、亜鉛や鉄などのミネラル分を吸収できなくなります。
肉食魚が植物性の飼料だけでも健康に成長できるように、栄養素や薬品を添加することは、不可能ではないかもしれませんが、莫大な費用が必要となるはずです。
例えば、ダイズだけを飼料としてサケを養殖するとすれば、まずはダイズに不足している栄養素、例えば必須アミノ酸であるメチオニンなどを飼料に添加する必要があります。
そしてもっと重要なのが、フィチン酸を分解する手段を見つけることです。フィチン酸はリンを貯蔵する分子で、穀類の種子に含まれています。草食動物は体内でフィターゼという酵素を作り、これでフィチン酸を分解して植物から栄養分を摂取しているのですが、サケなどはこのフィターゼを作る能力を持っていません。もちろん、飼料にフィターゼを添加すればよいことなのですが、ダイズを飼料として加工する際にその働きが失われないように、熱に強い特殊なフィターゼを使用する必要があります。
このようにしてダイズをサケの飼料に加工することが、果たして採算の取れるものであるかどうかは疑わしいところです。
魚に大量に摂取させると障害が発生する物質、あるいはミネラルなどの栄養分の吸収を阻害する物質も植物には含まれています。このような物質は、植物ごとに種類が異なりますし、魚の種類によっても障害の現れ方が異なります。ですから、植物性の飼料は、魚の種類によっても細心の注意を払って成分を調整する必要があります。養殖の対象となる魚は200種ほどにも及んでおり、それぞれに合った飼料を開発することは、費用のことだけを考えても大変なことです。
とりあえず、植物性の飼料だけで魚を養殖することが可能になったとしても、動物性の飼料で育った魚との味の違いが問題として残ります。植物性の飼料だけでは、良いか悪いかは別として、匂いや油分の少ない魚になります。しかし、その違いは消費者が気付くほど大きいものではないとも言われています。
植物性の飼料で育った魚は、心臓病のリスクを減らすと言われるオメガ三系列脂肪酸(いわゆるDHAやEPAのこと)の含有量が低くなる傾向があります。こちらの方が、風味の違いよりも大きな問題かもしれません。しかし、飼料の配合を変えることで、魚に含まれる栄養分を変化させることができる可能性の方を重視する向きもあるようです。まだ実験段階ではありますが、脂肪を分解する酵素であるリパーゼを飼料に添加したところ、魚に含まれるオメガ三系脂肪酸の量が増加したとの研究結果もあります。
植物性の飼料で養殖した魚に、出荷前だけ動物性の飼料を与える、というやり方も考えられます。植物性飼料で18〜24ヶ月育てたサケに、動物性の飼料を3週間与えると、本来の風味を持つサケになる、という報告もあります。オメガ三系脂肪酸の含有量を本来の値に戻すには、2〜3ヶ月必要だとする専門家もいますが、それでも従来に比べれば必要な魚油の量をおよそ85%削減できます。
これから5〜10年後には、飼料のほぼ全てを植物性のものに切り替えられるだろう、と多くの専門家が考えています。大きな飼料会社は、飼料として利用される魚粉の50%を2010年までに代替タンパク源に切り替え、同時に魚油の代替品の研究も進めてゆくという方針を決定しています。
植物性の飼料には、もう一つ有利な点があります。植物性の飼料を多く食べている魚は、フンとして排出するリンや窒素が少なくなることが発見されました。
リンと窒素は、養殖場で水質汚染を引き起こす主な原因となる物質です。リンと窒素が増えすぎると、藻類が大発生して、水中の酸素が足りなくなり、魚が窒息死するなどの被害が発生します。飼料を植物性に切り替えることで、こうした富栄養化を防ぐこともできるのではないかと期待されています。
大規模な養殖を行う際の問題点として、養殖場から逃げ出した魚と周辺の自然魚との交配や、閉鎖的な環境における病気の大発生などもまだ残っています。しかし、魚の飼料に魚を使用することを避けられれば、養殖業は持続的なものに一段階近づいたものとなるでしょう。
養殖用の飼料を植物性のものに切り替えられれば、養殖業が天然の漁業資源を枯渇させることを避けられるでしょう。同時に、水質汚染を防止し、養殖のコストを引き下げることもできるかもしれません。そして、ひいては世界の食糧不足を解消することにつながってくれるかもしれません。