音のない理想郷

ネイチャー2004年10月21日号
「Deaf by design」より

 遺伝子診断によって、障害をもつ子供が産まれてくるのを避ける、という行為の是非に関する論議は活発に行われています。
 しかし、聴覚障害者の中には、自分の子供も聴覚障害者であってほしい、と望む者たちがいるのです。




 聴覚障害者(deaf)には、自らを誇りを持って「ろう者(Deaf)」と呼ぶ人々がいます。ろう者たちの間では、こうした考え方は全く奇異なものではありません。ろう者にとって、耳が聴こえないということは障害ではなく、むしろ豊かな文化を育む土台であり、すばらしい才能なのです。
 そして、難聴を引き起こす遺伝子変異に関する研究が進んだこともあり、わざと聴覚障害を持つ子供を選んで産むことも、現在では少なくとも技術的には可能なのです。

 もっとも、聴覚障害を持つ子供を望む親は、聴覚障害者の中でも少数派です。それでも、このような遺伝子診断の適用に対し、新たな議論が勃発しています。障害を避けるのではなく故意に望むという、世の中のほとんどの人々がその意義を理解できない、むしろ人道に反すると批判されるかもしれないような遺伝子診断が承認されることはありうるのでしょうか。




 ろう者の中には、健聴者が自分たちの気持ちを理解することに対し、むしろ絶望を感じる者もいます。ろう者は同じ境遇の者同士、孤独感を共有することで、ろう者としての独自性を構築しているからです。
 聴覚障害者の多くは、健聴者の家庭に生まれ、孤独感に苛まれながら暮らしています。しかしそんな孤独感は、ろう者の文化に触れることで解消されます。初めて自分が「受け入れられる世界を見つけた」という喜びによって、周囲から疎外されつづけてきた「聴覚障害者」は「ろう者」としての生き方を見出すのです。




 手の形、位置、動き、さらに全身の姿勢や顔の表情など、目に見えるあらゆるものを駆使する手話は、独自の文法を持ち、表現力に満ちています。
 手話での「おしゃべりがはずんでいる」様子は、健聴者から見れば奇妙であるかもしれません。例えば他の人の注意を引くのに、床を踏み鳴らしたり手を振り回したり、光を当てたりテーブルを叩いたりするのですが、それらは決して失礼な行為にはあたりません。
 しかし健聴者は、手話を完全に理解できるようになっても、完全にろう者の仲間に入ることはできないといいます。「音のある世界からの完全な隔絶」というものが、所詮は健聴者には理解困難なものであるからです。

 ろう者の世界では、健聴者ではとても不可能なほどに親密な交流が実現することがあります。完全に初対面のろう者二人が、会って5分か10分そこらのうちに、互いのことについて深く知り合うようになっていることも珍しくありません。ろう者からしてみれば、健聴者相手ではそれが不可能であることをつい忘れてしまうほど自然なことだといいます。つまるところ、一部の聴覚障害者が自分と同じ聴覚障害を持つ子供を望むのは、こうしたことが理由になっています。




 聴覚障害者同士で結婚する傾向が高まりつつあることから、遺伝子変異による聴覚障害を持って産まれる子供が増えているともいわれています。4月に発表された報告によれば、アメリカでは19世紀に聴覚障害者同士の結婚が増えたために、コネキシン26及びコネキシン30というタンパク質の生成に関与する遺伝子の変異による難聴が倍増したとされています。コネキシン26とコネキシン30は、音を感知する蝸牛という器官の働きに関与するタンパク質です。
 子供が聴覚障害を持って産まれる割合はおよそ1000人に1人で、その半数が遺伝子的な要因によるものです。中でも最も多いのが、コネキシン26に関する遺伝子変異です。
 とはいえ、両親ともに聴覚障害者であっても、子供は聴覚障害を受け継がない場合がほとんどです。難聴に関与する遺伝子変異は、ほとんどが劣性遺伝であるため、両親から遺伝子変異を受け継がない限り、さらにその遺伝子変異が同じタイプのものでない限り、聴覚障害は表れません。

 ワシントンにある聴覚障害者の大学で、学生に対して「遺伝子診断で結婚相手を選ぶことに関心はあるか」という調査を行った結果、64人中の半数以上が興味を示しました。しかし、子供が健聴者であること、聴覚障害者であること、どちらを望んでのことであるのかに関して、この調査では明らかにされませんでした。




 聴覚障害を持つ子供が欲しいから、同じタイプの遺伝子変異を持つ結婚相手を選びたい、というのは一つの考え方です。しかし、胎児の段階で子供が聴覚障害を持たないことが分かったら中絶したい、というのは全く別問題になります。実際のところ、ほんの一部ながら、ろう者にはそれを考えている人々もいるようなのです。
 1997年にイングランドで開催されたろう者たちの大会で、87人を対象に調査を行ったところ、14人が胎児検診で難聴について調べることに関心があると答えました。さらにその14人中4人は、聴覚障害を持つ子供を望んでいました。
 ただしこの調査は、対象の人数が少なく、さらにろう者の中でも活動家ばかりだったことから、のちにより大規模な再調査が行われました。回答した聴覚障害者たちの3分の2は「ろう者」ではありませんでしたが、5分の1が胎児検診で難聴について知りたいと答えました。その理由のほとんどは、あらかじめどちらなのか分かれば用意をしておけるから、というものでした。
 検診の結果次第で中絶を考えるという回答は少数でしたが、その大半は、聴覚障害を持たない子供を望んでの回答でした。しかしろう者に限定すれば、聴覚障害を持つ胎児を中絶しようとする回答はなく、逆に聴覚障害を持たない胎児の中絶を望む回答は少数ながらありました。




 実際のところ、聴覚障害を持つ子供がほしいがために中絶をも辞さない、という考え方は世間の理解を得がたいのだということは誰にでも分かることですから、たとえ心の中で望んでいたとしても、実行に移される可能性は低いと思われます。
 そもそも、そうした考えを公にすること自体が上策とはいえません。2002年、聴覚障害を持つ子供を望んでいたろう者のレズビアンのカップルが、ろう者である男友達の精子を使って妊娠していたことが報道され、論争を呼びました。彼女らは胎児検診こそ行いませんでしたが、生まれてきた男の子は生まれつきの聴覚障害を持っていました。ニュース記事は、最初は共感的なものでしたが、だんだんと厳しいものに変化してゆきました。子供は生まれながらにして障害を背負わされた被害者だ、とさえ酷評されたのです。




 ろう者のカップルが聴覚障害を持つ子供を望む場合、方法は二つあります。一つは以上に述べたとおり、胎児検診を行い、聴覚が正常であれば中絶するという方法。もう一つは、体外受精と未着床遺伝子診断を組み合わせる方法です。
 2002年12月、子供に4分の1の確率で起きる難聴を防ぐ目的での着床前検査が実施されました。しかしこの検査を承認した当局側は、難聴の子供を選抜する目的では同様の着床前検査を認可することができないとしています。もっとも、多くの関係機関はそのような問題について、まだ明確な方針を打ち出していません。

 遺伝学者らは、聴覚障害を持つ子供を選抜するための着床前検査についてどのような姿勢をとるべきか、いずれ選択をしなければなりません。36か国、2906人の遺伝学者に対して行われた調査によれば、そのような検査を行う可能性があると答えた遺伝学者はノルウェーでは皆無、フランスでも1%しかいませんでしたが、一方で、アメリカ、イタリア、ロシア、キューバ、イスラエルでは、3分の1が検査の実施もありうると答えました。

 実際のところ、着床前の遺伝子診断は、むしろ健聴者のカップルが難聴の子供が産まれるのを避けるために用いる方が一般的です。7月のニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、遺伝病を避けるために何種類もの遺伝子診断を行わせたにもかかわらず、子供が難聴であったという事例がありました。難聴を引き起こすありふれた遺伝子変異についての診断が行われていなかったとして、両親は怒りをあらわにしたそうです。
 しかしその記事を目にした多くの聴覚障害者たちは、とくにろう者たちは、それが聴覚障害を持つ子供の中絶につながるものであり、ナチの優生学と同様の許されざるものであるとして反発しました。
 また、人工内耳を使用して聴覚障害者を「治療」しようとする考え方に対しても、ろう者たちの多くが反対を唱えています。

 同じ聴覚障害者でも、生まれつき難聴であったか、それとも生後に聴力を失ったのか、また、家族に聴覚障害者がいたかどうか、といった要因によって、考え方は大きく異なってきます。ごく少数のろう者たちが、聴覚障害を持たない子供の中絶を考えているからといって、それが聴覚障害者全体の考え方であるとするのは大きな間違いです。それにたとえ心の中で望んでいたとしても、それを実施することはまずないだろうとも考えられています。
 しかし、聴覚障害を持つ子供を避けるための遺伝子診断が広く行われるようになり、そしてろう者たちがそれを自分たちへの侵害であると考えるようになれば、逆にこの診断技術そのものを聴覚障害を持つ子供を選抜するのにあえて使おうとする動きが出てくるかもしれません。

 とはいえ、すでに水面下でこうした選抜が行われていることも考えられます。多くの国では、遺伝子診断を受けることに対しては何ら法的な規制が働きません。子供が聴覚障害を持っていること、あるいは持っていないことを知り、何か別の理由をつけて中絶を行った親が、もうすでに世界のどこかにいるかもしれないのです。



※ 原文中の「deaf」は「聴覚障害者」、頭を大文字にした「Deaf」は「ろう者(聾者)」と訳出しています。文中にあるとおり、Deaf(ろう者)は、耳が聴こえないことを障害ではなく一つの文化だと考え活動している人々を指します。





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