動き出す富士山

ネイチャー2004年3月4日号
「Mount Fuji: A sleeping giant stirs」より

 日本を象徴する山、富士山は、日本人に最も愛されている山と言っていいでしょう。しかし数年前、富士山が鳴動の兆しを見せはじめるまで、火山としての富士山の研究はほとんど行われてこなかったのです。富士山はいつか激しい噴火を起こすのでしょうか、そのとき、日本はどうなるのでしょうか。

 日本一の高さを誇る富士山が前回に噴火し、その山頂が噴き飛んだのは、1707年12月16日のことです。噴火は2週間以上続き、東に100km離れた江戸の町にさえ、火山灰が5cmほど降り積もったと伝えられています。火山灰が河床に降り積もったために、以後数十年にわたって洪水が絶えなかった地域もあったといいます。
 今日では、富士山が原因となってひどい災害が引き起こされることもなく、富士山は火山活動を止めた死火山だと思っている人がほとんどです。はるか昔から神聖な山とされ、伝説の神々の住処とも考えられてきた富士山の山頂を目指す巡礼者(登山客)は、年に数千人に達します。富士山は晴れた冬の日であれば東京の下町からも望むことができ、富士山が見えるアパートやオフィスというのはそれだけで人気があります。
 富士山が本当に噴火するその日まで、日本人は大好きな富士山が火山であることを信じることができないのかもしれません。

 しかしわずか数年前のこと、富士山のずっと奥深くの振動が検出されたことをきっかけとして、人々はこの巨大な火山がただ眠っていただけであることを再認識したのです。近いうちに噴火するのではないか、という危惧から、日本政府は富士山の調査計画を立ち上げ、次の噴火がいつ、どの程度の規模で起こるのかを予測する試みを開始しました。調査の初期においては、謎が解明されるどころか逆に謎を増やすような状況でした。しかし、かつては富士山に科学研究の対象としての興味を抱いていなかった地球科学者たちも、今では火山のしくみを解き明かす鍵が富士山に秘められているのではないかと期待するようになっています。

 富士山の地下約15kmを震源とする低周波地震が観測され、この微弱な揺れはおよそ8ヶ月も続きました。最も激しかった時期には、ひと月の間に100回を越える地震が観測されました。それまで20年ほどの間、地震の観測は平均して年に15回程度だったことと比べると、その回数の多さが分かります。まだ揺れを地表で感じられるほどではないとはいえ、これは富士山の地下でマグマが活動していることを示しているといえます。
 この揺れが本当に噴火の前兆だとすれば、事態は急を要します。何しろ、巨大な火山のすぐ近くに巨大な首都を置いている国など、世界中をみても日本以外には無いのです。火山灰が降るだけでも、東京の首都機能はマヒすることでしょう。交通は乱れ、飛行機の着陸は困難になり、コンピューターすら使えなくなるかもしれません。
 しかも、もし噴火が夏に起こったとすれば、事態はますます悪化します。富士山周辺のゴルフ場、アミューズメント・パーク、避暑地などには、毎年2000万人が押し寄せるのです。その上、富士山はかつてひどい火砕流を噴出したことがあるということが新たに分かりました。ガスと火山灰と火山弾が、時速150kmで噴出されるかもしれないということで、富士山の噴火に対する懸念はますます大きくなっています。

 やがて日本政府も対策に動き始めました。予算5億円、期間3ヶ年の国家計画として、富士山の基礎研究を進めることになったのです。一方で、こちらも数億円を投入し、「ハザードマップ(火山防災マップ)」の作成が進められることになりました。ハザードマップは噴火等火山活動により被害の及ぶ範囲や、避難場所、避難路などの防災情報を示した地図であり、各種防災対策の基礎となるものです。作成のためには、さまざまな噴火のシナリオを想定し、生命や財産への被害を詳しく予測することが必要です。
 富士山は有名な山であるにもかかわらず、研究データはほとんど無いに等しいのです。従って研究は、まるでこの標高3776mの山がつい最近発見されたばかりであるかのように、全くの初歩の段階から開始されることになりました。
 富士山に関する科学情報が不足しているのは、さまざまな制限が設けられていることも一つの理由かもしれません。雪に閉ざされた山頂部は冬には立ち入り禁止になりますし、富士山は国立公園の中にあるため、試料の持ち出しが禁止されているのです。
 しかしそれを除けば、情報不足の理由はやはり科学的なものです。マグマの様子から見て、富士山はあまり研究者の興味を引く火山ではありません。マグマを研究する場合の研究対象としては、たとえば中央海嶺のような、地下のマントルが直接地表に出てくるような火山が望ましいのです。富士山のマグマは、地殻構造プレートが曲がって他のプレートにもぐりこんでいるような複雑な接合点を通っているので、研究対象としての価値が低いのです。

 開始された富士山の研究プロジェクトでは、北東の斜面に深さ100mと600mの穴をあけ、コア試料が採取されました。これを分析すれば、1707年の「宝永噴火」の際の噴出物がどのようなものだったか分かり、噴火した場合にどのようなことが起こるのかを推測する手がかりとなります。未来のことを知るにはまず過去のことを知らねばならないというわけです。
 1707年の噴火は、通常の火山活動モデルとあまり一致していません。記録によれば、1707年(宝永4年)10月4日の宝永地震の被害だけでも、東海道・紀伊半島を中心に家屋倒壊6万戸、流失2万戸、死者およそ2万人というすさまじいものだったと伝えられています。しかし一方で、富士山を構成する岩石はほとんどが玄武岩です。玄武岩の溶岩はスムーズに流れるため、ガスを中に取り込むことがなく、そのため理論的に言えばこのタイプの火山はあまり激しい爆発を起こさないはずなのです。宝永噴火が例外的な噴火だったのかもしれませんが、「溶岩の粘性が低ければ大爆発は起こらない」という定説の方が間違っていることも考えられます。
 300年前の古い日記の記載からも、宝永噴火には奇妙な部分のあることが分かります。あるアマチュア歴史家が30種類以上の日記を研究したところ、噴火は何回も小休止をはさみながら2週間以上続いたらしいとのことでした。しかし不思議なことに、その最後の数日間に噴火が最も激しかったと書かれているというのです。噴火の規模は次第に小さくなると考えられていましたが、本当に最後に激しい噴火が起こったというのであれば、そのメカニズムを解明する必要があります。

 一方で、ハザードマップの作成も進められています。噴出される灰、溶岩、ガスの量はどれくらいか。噴火はどのくらいの期間つづくのか。周辺地域にどのような影響が及ぶのか。そうした条件ごとのシナリオが作成されています。
 ハザードマップの作成には、富士山の噴火による噴出物がどのようなものであるかを知ることが必要なので、過去の噴火の噴出物を研究する作業が進められています。
 しかしその研究結果は、地質学者たちを驚かせました。かつて富士山周辺の2ヶ所で4000年前の火砕流の証拠が発見されていたのですが、それは何かの間違いではないかと考えられていました。玄武岩性の火山は普通、火砕流が発生しないのです。しかし近年、違う場所で火砕物が発見され、それは1400年前のものであると推測されました。火砕流は、かつて考えられていたよりも頻繁に発生するものなのかもしれません。
 ハザードマップ作成には、マグマの位置、動き、活性などの情報を知る必要もあります。しかし富士山のマグマだまりの位置は把握しにくいのです。火山性の振動をソナーのように利用して地下のマグマだまりの大きさ、位置、動きを調べる研究が進められています。センサーの数が多ければそれだけ正確に分かるようになるので、センサーはおよそ倍の80基に増やされ、うち3基は精度を高めるために地中深くに設置されました。
 マグマだまりの配置が明らかになれば、富士山で最近起こっている深部低周波地震のこともよく分かるようになるでしょう。こうした研究が、噴火の予知・対応に役立つことが期待されています。

 過去において、地震などの現象が噴火の警告として役立てられたことは何度もありました。1991年には、フィリピンのピナツボ火山周辺で浅発地震や地殻変動が観測されたことから住民が避難し、その直後に噴火が起こりました。2000年の北海道有珠山噴火の直前にも地震が観測されています。
 しかし深部低周波地震は、噴火の警告としては信頼性が薄いのです。確かに、深部低周波地震はピナツボ火山の噴火前にも観測されました。しかし、深部低周波地震が観測されながら結局噴火しなかった例もたくさんあるのです。つまり、富士山で深部低周波地震が観測されたからといって、それが噴火の前兆であると決めつけるわけにもいかず、しかも富士山の深部低周波地震は波形が複雑なので、モデル的に解析することも容易ではありません。
 コア試料の第1回解析結果報告は5月に行われ、ハザードマップも同時期に公表される予定です。しかしいずれもまだ分かっていないことだらけになりそうです。噴火口はどこになるのか、溶岩の質は、流速はどうなるのか、そういったことは予測が非常に難しいといいます。
 富士山の内部でうごめくマグマは悪魔であるかのように感じられるかもしれませんが、あの富士山の美しさを作り出したのも他ならぬその悪魔なのです。十万年以上昔に富士山から噴出した500立方kmのマグマが表面を均一に流れ落ちたために、あの均一な美しい姿が形成されたのです。
 とはいえ、その美しい山肌の下には災害が潜んでいるかもしれません。今度はマグマの悪魔の気まぐれで、山の一部が醜く陥没してしまうかもしれません。せっかくの山の姿が失われるのは文化的に見て惜しまれることですが、富士山が火山である以上、それは宿命であるのかもしれません。



※ 2004.06.06 誤字を訂正(宝栄→宝永)

関連リンク 富士山の火山防災対策



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