ワインは有史以前から造られ、人々に愛されてきた飲物である。ワインはアルコールを含むために抗菌作用を持ち、健康にも非常によい飲物だとされてきた。
ブドウがワインに変化する、その不思議な現象は、神々から人類への贈り物であると考えられ、最高級のワインはほんの一握りの上流階級にしか手に入れられない、権力の象徴とも呼べるものだった。しかしそのせいか、ワインが金持ちの飲物だというイメージは未だに根強いようだ。
ワインの取引は、古代、シルクロードを始めとする国際交易路に端を発する。そして現在、ワイン業者としてやってゆくには、市場の需要と供給を的確に把握することが不可欠となっている。
ワインはそれぞれの国の、文化の集大成とも言える。ワインを愛飲する理由は人によって異なり、楽しみのためであったり、健康のためであったりするのだが、ワインとその他多くの食品との魅力には、一つ大きな違いがある。それは、ワインの本質がある特定の「味」というものではなく、ほんのかすかで繊細な数え切れない要素が重なり合うハーモニーの中にあるということだ。その何とも定義しがた感覚が、古来より人類を惹きつけてやまないのである。すなわち、ワインを飲むということは、単なる味だけではなく、総合的な「感覚」を体験すると言うことができるだろう。
先進国において、ワインを飲む人というのはおおよそ富裕層に属していると言えるかもしれない。しかし貧困地域においても、水よりも安心な飲物として、ワインは消費されている。ワインが人々に楽しみを与えてくれる、ということに関して、飲む人の経済状態は問題ではないのだ。
少し前まで、ワインの価値というものはその醸造元に基づいて決められるのが常であった。そして、そうしたやりかたを理解できない者は、教養のない人物だと見なされていた。
しかし世界中の情報をタイムラグなしで入手できる時代になり、消費者は商品の価値を自らの価値観に基づいて見極める力を手に入れた。ワインの価値を決定する権利も、こうして一定の権威から、消費者に移行したのである。そしてそんな時代であるからこそ、ワイン業者は消費者の動向を的確に把握しなければやっていけないのである。
たくさん並んだワインの中からどれを選ぶか、という選択基準に関しても、ワインは他と一線を画していると言える。ワイン自体の味や香りといったものも一つの要素ではあるが、それは現代の価値基準のほんの一部分を占めるに過ぎない。その他の付加価値、例えばボトルやラベルのデザインで消費者が手に取ることもあろうし、醸造元の評価の高さも依然重要な要素である。
そして近年では、いかに健康に良いか、そしていかに環境に優しい方法で造られているか、といったことも重要な要素となりつつある。
ワインに求められる内容は非常に複雑であり、科学、技術、芸術、その他広範にわたる分野で最新の情報を知らなければとうてい把握することができない。今はまだ、ワイン業界もボトルの中のワインにばかり注目しているようであるが、いずれはその他の付加価値により重点を置いていくようになるかもしれない。
ブドウは比較的、生育環境や土壌の質を選ばない作物である。科学的な裏付けはないものの、ストレスの高い環境はブドウ、ひいてはそれから作られるワインの品質を向上させるとも言われている。
フランスでは、ブドウやワインは生産地の環境に大きく影響されると考えられてきた。そうした土地ごとの影響がはっきりと特徴として表れるようにするには、ブドウの生育環境を変化させてはならないのである。すなわちブドウは生産地によってその品質が左右されると同時に、手間ひまをかけたり、近代的な設備を導入したりすれば品質が向上するというものでもないのだ。
同種のブドウから造られたワインであっても、生産地が違えば品質も異なっているはずである。ワインを商品として見る場合、これは非常に特異であるが、実は世界における経済格差を埋める働きを担っている。
「良いワイン」は、地球上のどこででも生産されうる。国際的なワイン貿易の世界に、新規参入してくる国や地域は後を絶たない。耕作可能でさえあれば、ワインの名産地となれる資格はどの国も持っているのだ。
逆にいえば、良質なワインを生産できる地域を見つけ出すこと、それはその国に大きな経済効果をもたらす。多くの国の政府がワイン産業の発展に力を注ぐ所以である。
ワインは、経済的・市場的な視点から、いくつかの階層に分けられる。750mlボトルで7ドルもしないような安価なもの(アメリカでは、市場のおよそ7割がこうした安価なワインで占められているという)から、やや高級なもの、最高級品、そしてヴィンテージとも呼ばれる、もはや芸術の域に達したものまで様々である。最高級品以上となると、市場の2〜3%程度しか存在しないため希少価値が生じ、信じられないような高値がつけられているのは周知のとおりだ。
しかし価格がいくらであろうと、嗜好に個人差があろうと、消費者は飲んで楽しめるだけの高い品質を求めてワインを購入するのだ。
ここ30年ほどのうちに、世界のワイン市場における競争は激化している。アメリカ、オーストラリア、チリといった新興の産地の台頭が目立つ。
その成功の理由は、世界中の人々がどのようなワインを求めているか、ということを的確に理解し、それに対応・順応することができたことである。ヨーロッパの数ある伝統的産地を押しのけて、世界市場に占めるシェアを20年のうちに2%から15%にまで成長させたのである。
従来ワインを生産・消費してきた国々では、国民のワイン離れが進んでいる。例えば2001年のデータを見ると、フランス・イタリア・スペインで世界のワイン生産量の半分以上を占めている。しかしこれら三国におけるワイン消費量は、30年前と比較して半分近くにまで落ち込んでいるのだ。したがって、ヨーロッパ産のワインは供給多過の状態にある。
一方、アメリカにおけるワイン消費量は、30年前と比較して2倍近くになっている。その上、アメリカ人も高級志向に移行しつつあるようで、高価なワインを求めるようになってきている。
アメリカにおいてワインの消費量が増加した理由は、品質の向上や生産量に関することだけではない。「ワインは健康に良い」という説が広まったことが何よりも大きいと言える。
1991年に、Serge Renaudという人物が「フレンチ・パラドックス」なる新語を作った。フランス人は脂っこい料理ばかり食べているくせに、どうして冠状動脈性心臓病の発生率が低いのだろうか、という意味である。この語呂のよいフレーズは、メディア、一般大衆、科学者らの興味を引いた。
フランス人とアメリカ人の食事を比較すると相違点はいくらでも出てくるのだが、その中で特に、ワイン消費量の差がクローズアップされた。適度なアルコールの摂取は身体に良い、という説が古くから唱えられてきたためである。
しかしやがて、Steinbergが唱えた「血液が酸化されることで病気が引き起こされる」という説に一部基づく形で、Kinsellaらが「地中海地域の食事に供されるワイン、果物、野菜類に含まれる天然抗酸化性物質であるポリフェノール化合物が心臓病を防ぐ」という仮説を発表した。
こうして、アルコール、食物性フェノール化合物、フラボノイドなどについての研究が進められることになった。現在では、適度なアルコール、特にワインの摂取が様々な現代病に効果を発揮することが科学的にも立証されている。赤ワインの方がポリフェノールの含有量が多く、より効果的であるとされているが、白ワインに効果がないというわけではない。
ともあれ、「フレンチ・パラドックス」なる言葉と、そこから波及した研究結果が世に知られたことにより、世界のワイン産業界は変わった。消費者は、楽しみのためだけではなく、健康への効果も期待してワインを飲むようになったのである。
古来、ワインは芸術品として捉えられてきた。英国の作家で、『宝島』で知られるロバート・ルイス・スティーブンソンは、ワインを「bottled poetry(ボトルの中の詩)」と呼んだという。これは、ワイン醸造者たちが完璧さを追及する様子が、詩人が詩を作る様子に似ていたために生まれた言葉である。
芸術においてすべからくそうであるように、ワインにおいても、そのクォリティはあくまで主観的なものであり、ある人が魅力的だと感じたものでも、他の人にとっては取るに足りないものであるかもしれない。
好みが普遍的でないということは、ワイン業界にとって幸福なことでもあり、不幸なことでもある。ワインは他のワインと違った特徴を持っていなければならないが、その特徴が必ず飲んだ人に受け入れられるという保証は無いからである。ワインを扱う者は、その事実を肝に銘じておかねばならない。
ワインの品質が様々な要因の影響を受けることは前述のとおりだが、逆にそうした品質の違いが人間の選択や嗜好に左右されるのはなぜなのだろうか。それは人間側の生理活動や遺伝子的要因、生育環境などの複雑な相互作用によるものなのかも知れず、この謎を解明しようとすることは新世紀における科学者の挑戦と言える。
人間の様々な感覚を研究する、「神経生物学」の分野において、嗅覚や味覚に関する情報はまだまだ少ない。しかし、においと感情の間には密接な関係があることや、遺伝子的な要因によって嗜好が変化する場合があること、そして感覚全般に言えることであるが、過去の経験や偏見、予想などによって感覚が影響を受けることなどが明らかにされている。
においや味を確かめる、いわゆる官能検査というものは、製品に欠陥が無いかどうか確かめる目的でもっぱら用いられてきた。消費者のほとんどが好ましくないと思うであろうにおいや味を含んでいる製品は、不良品となる。だが官能検査は人間が自身の口や鼻を使って行うものであり、プロの鑑定人とて、過去の経験や生育環境の影響と無関係ではありえない。
化学分析も、当初はかなり高い濃度で存在する物質でなければ検出することができなかった。しかし分析方法や機器の発達により、微量物質も検出することが可能になっている。現在では、化学分析によってワインの原料となったブドウの品種を割り出すことも不可能ではないだろう。
しかし、化学分析だけでワインの全てを知ることはできず、そのワインが消費者に受け入れられるかどうかといったことももちろん分からない。最近では、化学分析と官能検査を合体させた検査方法の確立が試みられている。例えば、ガスクロマトグラフという化学分析法がある。簡単に言えば、キャピラリーカラムと呼ばれる細い管の一端から混合物(例えばワイン)を入れる、管を通過する間に各成分を分離させる方法である。普段はこうしてもう一端から順次出てくる物質を化学検出器で調べるのだが、この検出器の代わりに人間の鼻を使おうというのが試みの一例である。訓練をつんだ人間の鼻であれば、化学検出器のシグナルと確かに相関が見られるらしい。
ワインに含まれるにおい成分がどのように放出されるか、ということは、糖、エタノール、脂質、ポリフェノールなど、混在する様々な物質との相互作用によって変化するということも分かってきた。ワインのにおいは成分だけでは測れず、他の科学的・物理的な相互作用が複雑に絡み合った結果の産物なのである。
さらに、味覚や嗅覚とは無関係の特性、例えばワインの価格、ボトルやラベルのデザイン、世間の評判なども消費者の嗜好に影響を与える。各人の嗜好の違いを超越した、優れたワインを求める挑戦はまだまだ続くことだろう。
地球環境というのは、思ったよりも傷つきやすいものだ。消費者がその事実に気づき始めたために、農業生産も地球に優しいものであるべきだと考えられるようになってきた。農業生産を行う者自身が率先して環境を守ろうとする姿勢を示せば、それは消費者の選択にプラス効果を与える。
ワイン産業は、生産者と販売者だけでは成立できず、政府や科学者などの協力も不可欠である。各分野の専門家たちが国際的に協力し合うにあたり、世界市場に向けたワイン生産の方法について、世界的なガイドラインが生み出されてきた。野生の動植物を排除したり、土地の侵食を招いたり、貴重な水を使いすぎたりするような、その地方の自然環境に大きな悪影響を及ぼすやり方を制限したブドウ栽培の方法が、各地で指導されている。また病害虫対策に関しては、農薬を無駄なく有効に、環境への影響を最小限にして使用することが奨励されている。
このように、ブドウ栽培法は数年前から世界標準化が進んでいる。そしてこれが、他の農作物の栽培においてもじわじわと影響を及ぼしている。もともとその土地に存在しなかった害虫や病気が持ち込まれることは防がねばならない。そしてもともと存在する病害虫への対策は、従来から存在する方法で対応するべきである。そうした考え方が、世界の農業を変えつつある。
1850年代半ば、北アメリカからヨーロッパに入ってきたブドウネアブラムシは、うっかり持ち込まれた害虫が多大な被害を及ぼした一例である。ヨーロッパで広くワインや生食用に栽培されているブドウ、Vitis vinifera種が、この害虫によって壊滅的な被害にあった。北アメリカで栽培されているブドウの品種はこの害虫に対する抵抗性を持っているが、ヨーロッパの品種にはそれが無かったのである。
当時のヨーロッパ経済は、ワインの生産や販売に多くを頼っていた。そのため、ブドウネアブラムシはヨーロッパ経済にも大きく影響を与えた。
結局、北アメリカの品種のブドウを台木としてヨーロッパ種のブドウを接木することで、この害虫への抵抗性を取り込むという手段がとられた。この方法は、ブドウネアブラムシ対策として未だに続けられている。
ブドウの木を輸送する際には検疫が行われるのが普通であるが、それでも予期せぬところから、ブドウの害虫や病気は持ち込まれてしまう。カリフォルニアでブドウ畑が全滅の危機に直面したことがあったが、それはフロリダから、ピアス氏病という病気を媒介する昆虫が入り込んだためだといわれる。
ピアス氏病はバクテリアによって起こる病気で、木の木質部を食べる昆虫によって伝染する。当時カリフォルニアでは、何百万ドルもの予算と多大な人員を総動員して媒介昆虫対策にあたった。当初は害虫を抑制し、できれば撲滅することが目標であった。しかしどうやら害虫は、南カリフォルニアにすっかり住み着いてしまったらしい。こうなると、アメリカ中にこれが広がってしまうのは時間の問題だとも考えられている。
さらに病気の原因となるバクテリアも、雑草を含めた様々な植物に広がりつつある。病気を起こす能力は媒介昆虫の種類によって異なるようなのだが、こうして一般的になってしまった病原菌が新しい媒介昆虫と組み合わさった場合の危険性は大きい。
ヨーロッパでワイン用、生食用、干しブドウ用にまで用いられるVitis vinifera種に病気への耐性を持たせるには、アメリカのブドウが持つ耐性遺伝子を導入しなければならない。こうした場合に古くから用いられてきたのが、交配である。
Vitis vinifera種の中でも果実が大きく種の無い品種とアメリカ南部原産のブドウをかけ合わせて、ピアス氏病に耐性を持つ新しい生食用品種のブドウを作り出す試みは以前から進められてきた。しかし、同じことがワイン用品種でもできるかというと、実はそう簡単ではない。
原料となったブドウの品種は、ワインを評価する上での重要な要素である。他の品種とかけ合わせてできた品種は、元の品種と等しく扱ってもらえない。ワインにはもっぱら信頼の置けるVitis vinifera種が用いられてきており、いまさら他の品種を受け入れさせるのは難しい。
交配によらずして耐性遺伝子を導入する方法としては、現在であれば遺伝子組換え技術が利用できる。これであれば、Vitis vinifera種の特性を失わぬままに耐性を獲得させることも可能だろう。しかしこれをワイン業界に、そして消費者に受け入れてもらおうとすれば、交配とはまた別の問題が持ち上がってくるに違いない。
現在、害虫や病気への耐性についてより詳しく知るために、ブドウの遺伝子ゲノム地図の作成に力が注がれている。耐性の元となる遺伝子、その発現機構などが解明されれば、農薬や接木を使わずとも栽培できるVitis vinifera種のブドウが作り出されるかもしれない。
だが、こうした研究も急がねばならない。いまや世界旅行も比較的自由になっており、害虫や病気が世界の隅々まで広がる危険性は高まる一方なのである。
二十一世紀のワイン生産は、挑戦的な試みとなるだろう。消費者の嗜好、選択の動機を把握すること。ブドウ栽培、ワイン生産を継続して行える環境の保全。何にせよ、成功するために不可欠なのは情報収集、そして情報を実行に生かすことである。
ワイン生産は、かつては家族や村単位で細々と行われていたが、いまや地球規模ネットワークを形成し、ある意味、科学と化した。「フレンチ・パラドックス」の一件では栄養学や医学にも大きな影響を与え、複雑なアロマは神経生物学者の興味も惹きつけてやまない。
人間の嗜好や選択が遺伝子と関連付けられるようになれば、消費者の遺伝子の違いをそれぞれターゲットにしたワインもいずれ作り出されるかもしれない。ワインと健康の関連性についてもっと研究が進めば、新たな効能が明らかになるかもしれない。消費者がワインの選択基準として、いかに環境に優しい方法で造られたものであるかということを重要視するようになれば、ワイン産業界も環境保護運動を先導する役割を果たすようになるかもしれない。
美味しくて身体にいい。利益を上げるための行動が環境保全に結びつく。そうなれば、ワインの未来は明るいのではないだろうか。