年少者や力の弱い者が、困難や苦難などに立ち向かって、かいがいしく立派に振るまっており、それが立派でほめるべきさまであること(小学館類語例解辞典より)。他に、勇ましい、健康だ、などの意味もあるらしいが、現在はほとんど使われていないと思われる。
なぜ今回こんな普通の語を取り上げたかといいますと、ずっきの本棚の日記で、英語に「健気」を表す言葉は無いようだ、少なくとも普通サイズの辞書には無い、と書かれていたからです。
早速私は愛用の辞書を開いてみました。本来なら厚さ10cmくらいあって片手で持つのはひと苦労な辞書なのに、CD-ROMだから検索もあっという間です。さてさて……
! 無いよ? ランダムハウス(小学館)にもリーダーズ(研究社)にも! どちらも代表的な英和大辞典ですよ、特殊な専門用語でもなければ、この二冊で大体の用は足りるのに。うそー。
では気を取り直して、別の観点から攻めてみましょう。
まずは日本語で「健気」の類語。 「殊勝」がとりあえず近いらしいですが、こちらには「弱い者が」といったニュアンスは入らないようです。他には「神妙」「奇特」あたりが挙げられていましたが、ちょっと違う気がしますね。共通しているのは、立派だからほめたい、という気持ちなのだそうです。
ではこの辺の語に相当する英単語はというと、「admirable」「applaudable」「commendable」「honorable」「laudable」「praiseworthy」あたりでしょうか。和英辞典にあった単語から、勇ましい意味の語を除くとこんなところが残りました。
さて、英英辞典(OXFORD現代英英辞典を使用)で、どれがより「健気」に近いか検証してみます。
admirable: 高く評価し、尊敬できるだけの価値を持っている。
applaudable: 好意的な意見を持って、賞賛の意を表することができる。
commendable: 賞賛や賛同を受けるに値する。
honorable: 尊敬や賞賛を受けるに値する、高い道徳基準を持つ、名声や周囲の尊敬を保つ。
laudable: 成功したかどうかに拠らず、賞賛や賛美を受けるに値する。
praiseworthy: 賞賛に値する。
……さあ、どれでしょう? 強いて言えば、「laudable」かな、と思うのですが。例えその行動が失敗に終わったとしても、その精神を称えたい、というニュアンスが「健気」に通じるような気がします。ただ、どれもかなりフォーマルな単語なのですが、特に「laudable」は英和辞典に((文語))との表記がありましたので、ちょっと気軽には使いにくそうです。
結局、こうした語が「poor boy」「little girl」などを対象として使われている英文を日本語に訳す場合に「健気」を使えれば、ハイレベルな訳文が作れるというわけですね。逆に「健気」が使われた日本文を英語に訳す場合には、語の選択に注意が必要になりそうです。
もうちょっと余談を。
「健気」といえば、高校の漢文の授業で習った、杜甫の「兵車行」を思い出します。戦役に駆り出されて虚しく死んでゆく無名の兵士たちの苦しみと恨みを訴える反戦の詩ですが、その中にこんな部分がありました。
縦い健婦の鋤犂を把る有るも/禾は隴畝に生じて東西無し
(たとえ残された健気な女たちが鋤や鍬をとって働いたとしても/まともに畝もできず、作物が田畑のあちこちに勝手に生えるばかりで、とてもまともな野良仕事になりはしない)
働き手である夫がいなくなり、自分たちの手で畑仕事をしようという女性たちを「健気」と称しているわけで、少々失礼な気がしなくもありませんが、とりあえず中国にも「健気」という概念はあるようです。
さらに蛇足。
同じ「兵車行」の中に次のような部分がありました。
耶嬢妻子走りて相い送る
(父も母も妻も、追いすがるようにしてそれを送る)
「妻子」は「妻と子」ではなく、実は単に「妻」のことなのだそうです(授業では「妻と子」だったような気がしますが)。なぜかというと中国の反戦詩では、出征する兵士を見送る家族として父母、妻、兄弟までは登場させても、子供、特に息子は決して登場させないという伝統があるからなのだそうです。中国では、「子供のいない男」が死地へ赴くことはすなわち一族の断絶を意味することであり、そうして血統が絶え、祖先を祭る者がいなくなることが最大の不幸だと考えられているからです。
逆に中国の督戦詩(戦争を肯定する詩)や日本の反戦詩(例えば万葉集の防人歌)には、幼い子供を残して出征する兵士の描写がよく出てきます。前者では「君が死んでも血筋は続く、だから存分に戦ってくるがいい」という意図が込められており、後者では家族や肉親の悲哀を強調するために「いたいけな我が子との別れ」が詠われるわけです。
子供との別れと一家断絶、どちらが悲惨かというのは一概にいえるものではありませんが、国民性に根ざした捉え方の違いというのはやはりあるものですね。
(『漢詩 美の在りか』松浦友久 2002年 岩波新書(新赤版)を参考にしました。)