第11回 川の絵画大賞展2008 授賞式

 朝東京を出発し、加古川の授賞式会場へ。受付の人は、私の顔は知らないのに「新井さんですか?」だって。

 会場は、ちょっと暗い。私の墨絵は、そんなにコントラストをつけている絵ではないので、これでいいのかちょっと心配。でも予想通り、私の絵の前では、会話が弾んでいる。

 誰を写したか知らなかったけど。審査員の二人だった。何やら選んだこの作品を、実際に会場でみて、自分たちの審美眼を検証しているようだ。

 展示会場から、授賞式会場へ移り、一番前の席に座らされた。受賞のとき、市長から表彰状が渡されるんだけど、あまりに私の絵のタイトル長いもんだから、かんじゃった。受賞者挨拶のとき、謝った。
 授賞式の光景は、あまりに目立つ場所なんで、写真撮れず残念。ただ、もしかすると、加古川の文化センターの方が、写真送ってくれるかも知れない。そしたらここにup。

 交流会会場では、市長の横、審査委員長の横に座った。京都国立近代美術館長、姫路市立美術館長、前伊丹美術館長の3名の方とは、交流しやすかった。なんせ自分たちが選んだ作品の作者だから、自分たちも審査を受けているようだったと。私の絵に対して、細かく感想を述べてくれた。帰りも審査員の方のタクシーに便乗。

 今回の絵は、ちょっといつもと違う。
私の絵の方向が、どう進むのか、私自身楽しみになった。

 失敗が一つ。ロッカーに入れて荷物を預けていたんだけど、レセプションが終わって、鍵を開けてみると、荷物がない。事務局の方に伝えて大慌て、何気にとなりのロッカー開けると私の荷物が。私は、空っぽな場所に鍵をかけていたことになる。荷物があって、もっと慌てた。その日のうちに京都へ。


 川の絵画大賞展の東京巡回展、あっという間に終わってしまいました。いって来たよと連絡くれた方も居ますが、行っていただいた方、ありがとうございます。
 0美術館、狭く暗かったと思います。 来年は、主催者頑張って、上野の森美術館へ復帰を。(主催者には、何度も言わせてもらいました)



図録の中の審査員の講評。長いけど、時間がある人はどうぞ。
講評コメントに合わせて、作品を見たい方は下記アドレスに。
http://www.kakogawa-bunka.jp/11kekka.htm
岩城 見一 (京都国立近代美術館館長)
山脇 佐江子 (姫路市立美術館館長)
坂上 義太郎 (前伊丹市立美術館館長)
講 評
総評と寸評
 今回は、出品者386名(応募総数414名)、出品点数457点であった。昨年に比較すればやや減少したことになるが、今回を含む過去11回の出品点数を見ると平均出品数を上回り、また応募者の所在地も全国に及んでおり、この展覧会が全国的に認知されていることが知られる。
 審査は例年通り、審査員三人が人選にふさわしいと判断した作品を挙手によって選ぶ方法が取られ、最終的におよそ50点を人選作品として選び出すことになった。私たちはこれで三回審査に関わったが、これまでと異なったのは、今年は全体的には質的にやや低調だったという点だろう。これは、挙手によって選ばれた作品数が、最終的に選ばれる50点に近い数にとどまったということにも現われている。過去二回の審査では、第一次審査で少なくとも100点近くは残り、そこから50点に絞られたからである。
 ただ入選作のみを見ると、作品のできは過去の人選作と比べて遜色のないものであり、中でも受賞作品は過去の受賞作に劣らない優れたものが残った。これは喜ばしいことである。たた昨年も書いたが、この展覧会が認知されたこととともに、「常連」も定着した。このとき、川についての代わり映えのしない安易な観念と、マンネリ化した描き方も蔓延してくる。この展覧会は、もう一度川の意味をより深く広く考え直し、同時にそれにふさわしい技法を一層研究する姿勢が必要な時期に来ていると思われる。
 私たちは、近代芸術を学んできたが、同時にその「病」にも感染している。それは「独創性」という「病」である。この病は、人とは異なるものを目指し、それが得られ認められたらそれにしがみつき、他は何も見えなくなるという、ややこしい兆候を示す。これは近代以後の人間の患う特有の難病なのだ。これの治療法は一つしかない。もう一度目を開いて古今東西を問わず卓越した芸術に触れ、楽しく真似てみる
ということだ。この「遊びつつ学ぶ術」をもう一度私たちは取り戻す必要があるし、その時期に来ている。これは芸術だけでなく、今日の教育全体、そして日常生活全体に言えることであろう。
 「大賞」作品は、今回も何点か出品されていたいわゆるハイパーレアリズムの絵画に属すもののうちで、最も優れた作品として審査員全員が評価したものである。実際「佳作賞」にもこの種の作品から優れたものが二点選ばれた。どの絵画展を見てもハイパーレアリズムは日本に定着したと言えるだろう。その中でこの「大賞」作品は、写真らしい見え方を超えて、絵画ならではの実在性を実現している。これによって作品は圧倒的な存在感を示すものになっている。「写真」を絵の具で写して「写真」であるかのように見せても、必ずしも優れた絵画にはならない。それを絵画世界に変換することで、絵画は独自の力を手に入れる。これをこの作品は教えてくれるだろう。
 
「優秀賞」作品は、線の美しさによって組み上げられた作品である。タイトルも機知に富み、飄々とした線によって描き出された作品世界と共鳴している。私たちの生活自体も、この作品のようにゆったりした気分を取り戻したいものだ。こういった感慨が生じるのも、作品を作り出す技法が確かだからである。この作品はこのことを教えてくれる。「飄々とした線」は決して偶然出てきたものでもなければ、簡単な練習で得られるものでもない。ユーモアを含む笑いの世界は、それを生み出そうと思ったら、実は最も技術の要る世界なのだ。下手な笑いの演出ほど見るに耐えない、聞くに耐えないものはない。
 「佳作賞」作品もよい。紙幅の関係上、特に私が注目した二点だけ触れておきたい。《イキモノ》、これも丁寧な描法と、訓練を積んだ形態感覚によって生み出された作品である。平素は仲のよくない関係にあると見られてきた蛇と蛙が親愛関係に置かれている。作者は、蛇と蛙のかたちを、この「親愛関係」にふさわしいものに仕上げている。かたちの生み出し方が憎いほど「上手い]のである。だからここにも微笑ましいユーモアの世界が生まれたのだ。
 《ひかりのゆくえ−カワマス》、これは染めの作品である。このような染織の分野からの出品作で受賞作は珍しいように思う。この作品は、絞り染めによって、水中の輝きが際立ち、型染めによってこの光の中を泳ぐカワマスが美しく表現されている。絞り染めを取り入れることで、万華鏡の世界が実現されているのである。光のこの微妙な輝きは、布地のきめと白さを前提とすることで成り立つ、染めの技法でしかできないものであろう。ここでも、表現したいもの(内容)と、それを実現する技法とがうまく一つになっている。恐らく長年の経験を積んだ作者ならではの作品であろう。染めや織りで、絵画を目指すのでなく、染織でしかできない平面を作り上げること、これが染織の仕事であろう。この作品はこのことを眼に見えるかたちで示してくれたと言えよう。
 他の受賞者、そして入選者、さらには応募者の方々にも心から敬意を表したい。                 
岩城 見一 (京都国立近代美術館館長)
審査を終えて
 審査員が現在のメンバーになって3年目の審査である。2年前の初めての審査の時には、どの作品も本展の出品作としては始めて目にしたわけであったから、新鮮でもあり、余り連うことなく審査にあたることができた。しかし、3回目となると少し事情が異なってきた。毎年のように目にする同じ作者と思われる作品が目に留まるのだ。過去の記録に潮ってみると、かなりの割合で常連の応募者があることもわかった。そうなると、必然的に応募作品単体としての善し悪しだけでなく、作者がどのようにテーマと向き合い、精進されているのかという変遷のあとをたどることになる。応募者によっては、マンネリとみなされ厳しい判定が下される場合もあり、また別のケースでは、同じような様式と思われる描法のなかにも、より深い表現を求めて追求の手を緩めていない、と判断されることもある。結果的には、やはり個々の作品の力なのだが、常連の方々は、えてして力量のある方が多く、白身のスタイルといえるものをつくりあげておられるので、画家として高いステージに向かわれるほど、審査員としてもさらに厳しい判断をせざるを得ないということになる。
 大賞の作品は、丸尾宏一氏の「Rurikei」である。山深い渓流を川下から真正面にとりあげた構図で、非常にリアルな描写でありながら、黒光りするような暗い色調で全体がまとめられており、単なる実景描写を越えた迫力のある面面になっている。渓谷や水流などを扱った類似の作品では、ともすればハイパーレアリズムのようなリアルな質感の表現を追求することが目的化しているように思われるが、本作は絵画としての完成に向かっていることが評価できる。
 優秀賞の作品は、新井淳夫氏の「日本一混んでいる交差点は不便な方がいい −渋谷川−」で、大賞が油絵の特徴を生かした表現であるのに対し、こちらは墨と和紙によるもので、図らずも好対照になった。軽妙な筆使いで、大都会のど真ん中の交差点を俯瞰した構図と、道路を川に見立てた着想もおもしろい。イラスト的な硬い線描と水墨のぼかしをうまく使い分けており、新しい感覚の水墨画といっていいかもしれない。この方はもう一点応募されていたが、この文の始めに述べたが、今後白身のスタイルをどのように展開されるのか興味深い。
山脇 佐江子 (姫路市立美術館館長)
佳作賞及び協賛団体特別賞について
 先づ今回の入賞作の特徴として、川の流れや水面の表現した具象画が多かったことを挙げておきたい。
 さて近年、川の生態系などが変化していることもあり、蛙や蛇を見ることは稀だ。鈴木つかさ描く「イキモノ」の蛙や
蛇の目の愛くるしさが、諸虫類に対する既成観念を希薄にしてくれる。一方で、自然における弱肉強食の世界をも意識
させてくれる。この対比の妙を買った。
 今迄に応募があったかどうかを承知していないが、私が審査させて頂いて初めての染織による佳作「ひかりのゆく
え-カワマス」について一言。周知のように染織は、シルクスクリーン技法の一種である。素材に締ブロードを使い、水上
亜紀は凸板と凹板の板の間に綿ブロードを挟み摺る板締め絞り染め技法を駆使している。作品中央に寒地の海で育ち、川を遡って産卵する川鱒を布置し、背後にその行為の健気さを象徴するような光が眩しく映る作品だ。
 佳作賞中、唯一の抽象絵画「水の田己1」は、葉山賓の日々の心象風景・水をコラージュした作品だ。線描きあり、円、四角、三角といった幾何図形などが落書き風に描かれている。不思議なハーモニーを奏でている構成に印象づけられた。
 次に協賛団体特別賞について一言。斤小田侑霞の「流−2005-」だが、面面上部の木々が静を、下部の右へ曲る川の流れが動をといった構図は妙である。
 溝下美代子の「‘08爽秋]の水面の透明感ある表現は秀逸である。思わず水面に小石を投げ、静けさを打ち破りたい衝動にかられてしまう。
 押部龍治「浅春」は、題名どおりの季節感を個性ある色彩トーンで詩情的に描いている。季節の輪廻に、人生の年輪が重なるような思いを抱かせる作品だ。
 入賞作品中、唯一の版画「北の便り」の黒田博子は、魚の誕生から死に至るまでを上下二股で呈示している。魚や人間の輪廻転生を、静謐なモノトーンの世界にみることが出来る。
 辻恵子の「赫《麗江のイメージからT》」は、プリミティブ風な表現だが、面面構成に妙味がある。大地と川のフォルムが魚で、鳥であったりする。人間と自然の共生願望か、今日の自然破壊への警鐘なのだろうか。太古の光景に、作家の心象風景がダブる。
 坂上 義太郎 (前伊丹市立美術館館長)


index