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(4)組織アレルギーを引き起こした二大事件

その1:南北戦争のツケ

今まで、アメリカにおける『キリストの教会』の初代指導者達が組織という問題をどのように扱ってきたのかを見てきましたが、今回からその第二世代以降のあり方に触れていきます。『キリストの教会』が組織を好まない傾向を持つのは、歴史的に二つの大きな事件を経験したためにそうなってしまった部分があります。今回はその一つ南北戦争時に起こった事件を紹介します。

日本人の牧師が韓国の教会を訪問する際、必ずしなければならない事があるそうです。それは、戦争責任の謝罪を必ず行なうという事です。スポーツの世界を見ても分かるように、日韓戦では韓国チームの思い入れは遥かに日本人選手を上回っている場合があります。単にキムチだけの影響だけではない、そこには国民感情があります。日本の教育と違い、韓国人は戦争を知らない世代でも日本兵が何をしてきたか、しっかり教えています。ですから、戦後50年経った今でも謝罪を求めるのです。その国民感情は薄れはしても、決してなくなることはないでしょう。

同じような事がアメリカでもありました。1861年から1866年まで続いた南北戦争です。独立して100年もしない内に、アメリカはこの騒動に巻き込まれていきました。南北戦争は英語で“Civil War”と言いますが、それはいわゆるアメリカの市民戦争、現代的な言い方をすれば内紛です。ご存知のようにきっかけは奴隷制度だったわけですが、そこには経済的、地域的、政治的様々な要素が絡み合って、戦争へと突き進んでしまったのでした。

奴隷問題は殆どの教団教派に分裂をもたらし、政治・宗教・経済界の混乱が進む中で、戦争に突入していきました。戦争後統合した教団もあれば、そのまま独自の歩みを続けた群れもありました。そういう中で、『キリストの教会』だけが奴隷問題で分裂しなかった群れとして持ちこたえたのです。但し、それは『キリストの教会』内に何の問題もなかったことを意味するわけでもありません。現に奴隷問題で、群れも摩擦と衝突を避けて通る事は出来ませんでした。

『キリストの教会』の中では、南北戦争以前に、奴隷問題に関して3つの立場がありました。穏健派、奴隷容認急進派、そして闘争的奴隷廃絶派の3つです。指導者の殆どは北部であれ南部であれ、合理的で感情論に走らない穏健派でした(奴隷容認急進派や闘争的奴隷廃絶派と違って、穏健派は平静を保ち、闘争心を持たずに済みました。ただ、穏健派も概念的には奴隷反対派と容認派に分ける事が出来ます)。トーマス・キャンベルを除いた第一世代の指導者達は、皆穏健派でした。アレキサンダー・キャンベルも穏健派でした。キャンベルは「アメリカ奴隷制度に関する我々の立場」という連載記事を書いていますが、彼は奴隷制度は不適切なものであるが、不道徳ではないと結論付けています。この問題を注意深く議論するにあたって、キャンベルは問題が本質的には宗教に関わるものではなく、政治的な意見とした上で、この問題をクリスチャンの交わりを試すようなものとして扱われるべきではない事を述べています。又、彼は奴隷を保持するクリスチャンと同一視される事を毛嫌いする奴隷反対派を非難しています。

奴隷問題で、群れの中に最も厄介な存在になったのは、闘争的奴隷廃絶派でした。その過激な言動は、政治的問題や個人的問題を信仰の問題として他人に強要していったのです。彼らは、教会内ですでに燃え上がっている炎の中に、さらにガソリンを注いだ人達でした。その頃、『キリストの教会』には全米規模の組織がありました。それが前回紹介した「米国キリスト教宣教協会」で、アレキサンダー・キャンベルが初代会長を務めた協会でした。そこには北部だけでなく、南部からも多くの参加者がいましたが、戦争が始まるやいなや、すぐに北部中心の顔ぶれになっていきます。過激な奴隷廃絶論者は、この群れ全体に影響力を持つ組織に働きかけます。何をしたかというと、宣教協会として奴隷反対の立場を取り、北軍を支持する決議をしなければ、群れから分裂すると詰め寄ったのでした。クリスチャンの一致を掲げる『キリストの教会』が分裂していては話にならない。何とかしてそれを食い止めようと、様々な努力がなされましたが、結局彼らの圧力は宣教協会に北軍支持を表明させることに成功しました。1863年の宣教協会総会の席で、集まった代表(北部の指導者)は次の決議を採択してしまいました。

「決議、我々は母国合衆国政府を支持しようとする今日の努力にあって、忠誠心と愛国心に富んだ人々と一緒になって同情する。そして、あらゆるところにいる我々の兄弟に、連合[北軍]の適切で憲法的な権威を維持するにあたって、持てる力を全て用いるように勧めることをクリスチャンとしての義務だと考える。」

この決議案を見ると、戦争を擁護し北軍を支持する者達が、政治的事柄を以前見ていたように各自の意見に関わる事としてはもはや見ていなかったという事が分かります。それは政治的意見ではなく、「クリスチャンとしての義務」となってしまいました。総会に参加したくても、北軍に鉄道を遮断され、又、身の危険を犯してまで北部領土に侵入できない南部諸教会指導者達は、これはただただ悲惨な決議でしかありませんでした。ある指導者は、「私達はもはや宣教協会を今まで期待していたような形で受け入れる事は出来ない」と洩らしています。その発言はあたかも来るべき将来に、南部の諸教会が「宣教協会」と名のつくものに対して持った敵意を予言するようなものでした。実際、この出来事以降、南部の諸教会(主に無楽器教会)は組織と名のつくものを一切信用しなくなり、それが聖書に根拠を持たない分裂をもたらす罪だとして弾劾していきました。南部のクリスチャンの命を絶つ事が「クリスチャンの義務」だと言われた彼らの気持ちは、同じような経験のない者でも十分察する事が出来るでしょう。今でもテキサスの人は、北部から来た人を「ヤンキー」と呼びます。ちょうど大阪人が東京人を意識するようなものかもしれませんが、それならまだ可愛いい方で、そこには抜け切れない過去の傷を引きずっている場合もあるでしょう。北部への敗戦意識、経済的格差から生まれた様々な感情、北部クリスチャンへの不信。それら様々な内的外的要因が複雑に絡み合って、宣教協会は南部クリスチャン達が攻撃する絶好のターゲットになったわけです。

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その2:オープン・メンバーシップを巡るトラブル

 (1)バプテスマについて

前回、なぜ『キリストの教会』が組織を好まないようになったのか、一つの側面から紹介致しました。今回はそのもう一つの側面を紹介します。それは大体「オープン・メンバーシップ」という言い方で表現される問題でした。この問題を見る前に、その背景として、今回はバプテスマについて触れていきます。

「オープン・メンバーシップ」というのは、教会員制度に関わる立場の一つを表します。教会員制度は、教団・教派によって様々ですが、大抵の場合、その人がクリスチャンになった時、なった教会のメンバーになっていくわけです。ただ、人がいつクリスチャンになるのかも議論の的となっており、心の中でイエス・キリストを自分の救い主として受け入れた時にクリスチャンとなる立場(この場合、バプテスマは教会員になるためのしるしとして行なわれる)もあれば、その決心に基づいてバプテスマを受けた時にクリスチャンとなるという立場もあります。又、ある教会ではバプテスマを受けてクリスチャンになる事と、メンバーシップを分けて考えます。教会員になる場合は、その教会の方針に従い、何らかの奉仕に携わる事が要求されるのです。いずれにしても、其々の教会が独自の主義・主張を持っているというのがポイントです。『キリストの教会』のバプテスマ理解は、それが「罪の赦しのため」(使徒2:38)のバプテスマであり、バプテスマされた時、人はクリスチャンとなると同時に神の家族の一員、地上における教会のメンバーとなるという理解です。

もう一つ問題を複雑にしているのは、そのバプテスマのやり方をどう理解するかという点です。新約聖書を見る限り、初代教会が行なっていたやり方は浸礼(ギリシャ語は“浸す”という意味)しかありません。それは、新約聖書で使われるバプテスマという言葉が全て(66回)同じ語源であることから分かります。その後、教会の発展と共に、状況に応じて、注礼(頭から水を注ぐ)によるバプテスマ、滴礼(水にぬらした指先で志願者のおでこに十字を切る)によるバプテスマなどが取り入れられるようになりました。一般のクリスチャンの手から聖書の御言が遠ざけられていた中世のローマ・カトリック教会に至っては、その殆どが滴礼になっていました。自分で聖書を読み、学ぶことの許されなかった人々は司祭の言われるままに、生まれた時点で幼児洗礼(滴礼)を受けざるを得ませんでした。しかし、マルチン・ルター以降の宗教改革により、人々の手に聖書が普及され始めて、人々は時計の振り子のように右から左に移行し、今までのあり方を根本から見直そうとします。従来の受身的あり方から積極的あり方に変わり、直接聖書に向う事で、色々な点で聖書に記されている通りのあり方を取り戻そうという運動がヨーロッパ各地、アメリカ新大陸で起こっていきます。そういう純粋な意味で聖書そのものに帰ろうという主張を持ったグループの一つが『キリストの教会』という群れだったのです。しかし、事は“純粋”という表現では収まり切れない複雑怪奇な現象をも起こしました。それは、「浸礼者=本当のクリスチャン」というあまりにも単純化された図式の発生です。

私個人の考えでは、初代教会のあり方には、現代に生きるキリスト者が、目に見えるあり方だけでなく、否それ以上に目に見えない精神的・霊的あり方という点で、習うべきものがあると信じます。それは魂の救いという福音理解をはじめ、バプテスマのみならず、倫理観においても教会観においても、そして伝道のあり方においても、全ての点で初代教会のあり方は私達に必要な原理のようなものを含んでいるのです。単に表面的な真似事をする意味で聖書を用い、初代教会に帰るのであれば、私達は近代社会で生きていくことは出来ず、1世紀世界へタイムスリップしなければならないことになります。初代教会に帰るというのは、そういう薄っぺらいものではなく、より全体的で包括的な側面があるのです。私達が聖書を片手に日々取り組まなければならない事は、何が普遍的なもの(文化や時代に左右されずに決して変わらないもの)であり、何が初代教会独自のものだったのか、つまり、何が時代や文化の違いによって変化してもよいものなのかという見極めです。聖書を解釈するというのは、極論すれば結局はその事に行きつくのです。

バプテスマについても然りです。私達の教会は浸礼を大事にします。しかし、浸礼という形を取れば、皆が自動的に素晴らしいクリスチャンに生まれ変わるかというと、そう簡単にはいかないのだという事も正直に告白せねばならないでしょう。形を守るという点で、浸礼は確かに聖書的なバプテスマです。滴礼を取り入れておられる教会でもその事を否定はしないでしょう。又、神学的に言っても、罪に死に新しい命によみがえるという福音の本質を浸礼は象徴的に表しています。水の中に全身が浸される事によって罪が洗い清められ、水の中から出されることによって復活を象徴するからです。ただ、この点に関しては、浸礼者・滴礼者の間で意見の分かれるところかもしれません。形はあくまで象徴にすぎないからです。

バプテスマは一種の信仰告白です。信仰とは本来神とその人個人の内面的関係を意味するものです。そして信仰の本質から言って、その関係は第三者からは見えない代物なのです。私達の心の奥底に何があるのか、神様に対してどういう思いを持っているのかを知っておられる方は、神様以外におられません。神様はご存知ですが、私達人間には分からない事なのです。そういう意味において、人の目に見える形で現れるバプテスマのようなものは、神様にとっては必要ないものです。しかし、神様はそれを定められた。それは、人の心の内を預かり知る事の出来ない私達が、目に見える形で「この方は私と同じ神様を信じ受け入れておられる主にある兄姉だ!」という事が分かる手段の一つとして、バプテスマを定められたのです。

私は「神様はその信仰の故に、滴礼者を受け入れられていると思う」とは言えますが、断言は出来ません。それは私が「浸礼者が浸礼を受けたという理由だけで皆神様に受け入れられているとは思わない」と考えるのと同じです。それは両者とも私個人の理解であり意見、立場だからです。私は神様ではないし、又、決して神様にはなれない。御言を翳す事で、自分の判断が神様の判断だと思うなら、それは偶像崇拝に他なりません。、又、それ程恐ろしい事はありません。霊感を受けた御言そのものは決して変わりませんが、弱い存在である私達の御言理解は決して霊感を受けたものではなく、御言そのものに劣るもの、その時その時で変わり得るものだからです。

そういう認識を持った上で、私は浸礼を大切にしたいのです。又、それが恵みキリストの教会の立場です。地上にある一つの教会である以上、私達には私達の聖書理解に基づく主義主張がなくてはなりません。でなければ、私達はただ流されて自分というものを持たない存在になってしまいます。一人で生きるならまだしも、一定の枠組みなくして集団は機能しません。どのような集団であれ、ある一定の枠組みがあるからこそ、その中で活動する事が出来る。その中で自分を活かすことが出来るのです。他の集団には他の立場がある。それは自分たちのものと同じものもあるし、違うものもあり、又、似たものもあるのです。地上における教会も限りある集団である以上、この法則から逃れる事は出来ません。ですから、恵み教会も同じ神を信じ、同じ主を崇めて従おうとしている群れとして、私達の立場を持っているのです。それは必ずしも他の教団・教派・教会とは違うものかもしれませんが、その違いが他のキリスト者を切り捨てる事でにはならないし、すべきでもないのです。それは単に地上での責任として神様が教会に委ねられ求められている事だと思います。

違いを恐れる必要はないのです。ある意味で個人であれ、教会であれ、皆違いを持っているのですから。要は私達が真剣に聖書の御言に取り組み、出来るだけ先入観や偏見を取り除いた上で、神様が今日の私達に期待されている事に気付かされ、お従いする姿勢を持ちつづけられるかどうかです。ただし、残念ではありますが、この地上では、立場の違いから生じるストレスや束縛から完全に解放される事を期待しても、それは不可能なのです。そういうものがなくなり、100%全ての点で全てのものを私達が共有出来るようになるのは、御国においてのみなのです。御国を目指す寄留者として、私達はその最大の祝福を思い描きますが、同時にこの地上に属している間はその責任を果たしていかなければなりません。そういう意味で、私は浸礼を私達の立場とします。

今回は、恵み教会の立場を確認すると共に、神様の不思議な導きで恵み教会に集められた皆さんに牧師の思いを理解してほしい一心でバプテスマに絞って書きました。しかし、キリストの教会はその歴史上「浸礼」絡みの呪いも受けたのです。その呪い故に意固地になって浸礼を強調したり、信仰の計りにしてしまう態度が生まれてしまいました。なぜそうなってしまったのか。次回はその核心部分に迫ります。

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 (2)オープンメンバーシップと組織

私達は前回、『キリストの教会』あるいは、恵み教会のバプテスマ理解を見て参りましたが、今回はオープンメンバーシップ問題そのものに触れていきます。

アメリカの『キリストの教会』内において、バプテスマの問題はアレキサンダー・キャンベルの時代からすでに議論の的になっていましたが、それらはまだどちらかと言えば観念的な議論でしかありませんでした。記録上、アメリカの『キリストの教会』内で、最初に浸礼者以外を教会のメンバーとして受け入れるオープンメンバーシップの立場を取ったのは、L.L.ピンカートンでした(1873年)。そうです。彼は『キリストの教会』に最初に楽器を取り入れた人物です。

ただし、このオープンメンバーシップの問題が国家規模で取り上げられるようになるのは、1911年頃です。しかも、アメリカ本土ではなく、中国で起こった問題がクローズアップされました。この年、群れの宣教協会「海外クリスチャン宣教協会」(FCMS)からガイ・サルビスという人物が選ばれ、宣教師として中国に派遣されました。彼が米国で属していた教会は、群れの中でも指折りのリベラルな教会として知られていました。又、彼の受けた教育略歴を見ても、まさにリベラルな最先端の教育を吸収していました。一方、FCMSはサルビスを選んだ代わりに、C.B.タイトゥスという保守的な立場にあった宣教師をクビにしてアメリカに呼び戻したのです。「中国の地で何かがおかしい!」そういう機生臭い動きが見え隠れし始めます。結果として、そのような動きに危機感を募らせる保守的指導者達が群れの中に増え広がっていきます。ここには明らかにFCMSへの不信、つまり組織への不信感があったのです。

それ以降、中国では奇妙な現象が何度となく繰り返されています。FCMSは「オープンメンバーシップを取っていない」という立場を公表していましたが、中国から伝わってくるレポートには「そうでもないよ」というものが多数含まれていたのです。「クリスチャン・スタンダード」誌(保守寄りの機関紙/今でも毎週出版されている)は、中国在住アメリカ人から送られてきた手紙を紙面を用いて公表し、リベラルな宣教師達の多くがオープンメンバーシップ寄りである実態を報告しました。そこで宣教協会側は実態を調査させるための派遣団を中国に早速送りました。そのレポートは、「中国にてオープンメンバーシップが行なわれている事実はない!」でした。しかし、現地クリスチャンの証言はそのレポートに相反し、「中国では浸礼とは滴礼とかは何ら問題にされずに交わりがもたれている」というものでした。しかし、FCMS当局は一貫してその事実を否定し続けたのです。「どちらが真実なのか、どちらが嘘をついているのか?」白黒はっきりさせたがるアメリカ人の気質も働いて、この問題にけりをつけるよう求める声がアメリカ全国から起こり始めました。

そこで、1920年から1925年にかけて、3回に渡る会合が開かれ、実態調査と解決策が話し合われました。一回目の会議(1920年)で決定したのは、(1)『キリストの教会』、そして群れの機関である宣教協会はオープンメンバーシップを認めない事、(2)ただし、その適用はアメリカ本国だけとし、中国には適用しない事、でした。この決議に対して、すぐに「これでは暗に中国でオープンメンバーシップが行われている事を認めることになるではないか!」というクレームが生まれ、二回目の会議(1922年)では(2)を撤去し、(1)の立場をアメリカ国内外に適用するとしました。しかし、その決定後保守層が独自に送った中国視察団の報告では、未だにオープンメンバーシップが行なわれていたのです。宣教協会はそれを否定しましたが、保守派の宣教協会離れは目覚しく、三度目の会議が1925年に行われました。そこで、正式な視察団が結成され、その報告によると中国ではもはやオープンメンバーシップは取られていないというものでした。しかし、この時も現地クリスチャン達は、「ある」と伝えてきたのです。

ここに来て、保守派の宣教協会への不信感はピークに達します。彼らはもはや宣教協会への献金を取り止め、交わりも持たなくなっていきます。その代わり、オープンメンバーシップを取らない保守的な『キリストの教会』が自主的に集まって年に一度、北米クリスチャン大会(NACC)という全国大会を1927年から行なうようになりました。その大会は今でも続けられていて、私達が日本で持っている全国大会と同じ趣旨の集まりです。何ら決議や会議を行なわず、ただ御言の学びと主にある交わりの機会として提供される大会です。

一方、保守層にそっぽをむかれた側(ディサイプル)は、これ以降資金的にも教勢的にも大きな打撃を受けました。しかし、その体質は改まるどころか、機構改革という名のものとさらにエスカレートし、単立・独立教会のあり方から教団組織を持つあり方へ移行しました。その機構改革が意味したのは、代表によって構成される彼らの大会委員会が、ディサイプルの信仰内容だけでなく、その宣教活動、又諸教会の財産に至るまで全てを管理するという事でした。1960年代、約8,000あったディサイプルの教会は、この決定に不服な2,000ないし2,500の教会を失う事になりました。ディサイプルの群れは1968年、正式に教団組織を持つ宗教団体として認可され、今日に至っています。

これらの一連の動きから教えられる事は何でしょうか? 『キリストの教会』にある“組織”と名のつくものへの拒否反応がこの頃決定付けられた事がお分かり頂けたでしょうか? 確かに組織の持つ危険性を身を持って体験してきたのが私達の群れであると言う事も出来ます。ですから、「教団組織を持たない」という立場を大事にしようという主張も分かるかもしれません。しかし、私達が注意したいのは、「組織=全て悪いもの」というあまりにも薄っぺらい、思慮に欠ける決め付け的態度です。そう決める前に検討すべき内容が私達の歴史の中にもあるのです。以下、その幾つかのポイントを上げておきます。

(1) 倫理的問題:

オープンメンバーシップは、バプテスマをどう捉えるかという神学的問題をはらんでいました。同時に、バプテスマの受け方が教会員制度と繋がっている教会観的問題でもあります。しかし、何よりも問題にあったのは、宣教教会との兼合いの中に虚偽があったという倫理的な問題だったのです。現アメリカ大統領クリントンが名前をフリン(不倫)トンに変えて久しいわけですが、ルウィンスキーとの事で問題になったのは、大統領が嘘の証言をしたかどうかという点でした。アメリカでは偽証罪は重罪で、しかも高官の偽証は国民の信頼を失わせる大きな罪であるわけです。アメリカ人は白黒はっきりさせたがるとか、ものをはっきり言うとか言われますが。それは彼らが何よりも嘘を嫌っている事を物語っているのです。ですから、アメリカにおける『キリストの教会』の歴史を見る時に、オープンメンバーシップや組織の問題は、それらが本質的問題だったというよりも、そういう立場を取ったキリスト者の虚偽性が大きな問題だったのではないでしょうか。それがたまたまオープンメンバーシップ、あるいは組織の問題に絡み付いてしまったのが、『キリストの教会』の歴史なのです。

(2) 組織の捉え方:

ディサイプルを離れていった保守的有楽器の『キリストの教会』は、教団組織を持たないという点で決定的にディサイプルとは違います。しかし、少なくともアメリカのクリスチャンは、危険性を持つ教団組織と一般的に集団に必要とされる組織との区別がしっかり出来ていると思われます。日本の中には「組織=全て悪いもの」という印象が非常に強く、又浸透してしまっているきらいがありますが、決してそうではないと言う事を覚えましょう。アメリカの保守的『キリストの教会』が北米クリスチャン大会を開催し始めた時、日本と同じように彼らも年毎に開催地の諸教会が大会を主催するように決めました。但し、そうなると引継ぎや管理が大変な部分が生じるので、開催地の主催教会とは別に、全国の教会から選ばれた大会委員を組織しています。それは諸教会の信仰内容や宣教活動、教会財産を管理するものではなく、あくまでも北米クリスチャン大会運営が円滑に進むための補助的機関・組織です。少なくともアメリカでは組織の位置付けが日本よりもはるかに明瞭化されていると思います。

(3) 日本の状況:

これまで私達はアメリカで起こった『キリストの教会』の歴史を見て、そこから学ぼうとしてきました。お気付きのように、日本に運ばれた『キリストの教会』版キリスト教は、結構余計なものがいっぱい付いているものだったのです。楽器の問題、組織の問題などは、アメリカで起こった事であるのに、日本にも輸入されてしまいました。それは私達が人間である以上、その縄目から逃れる事は出来ないのでしょうが、それにしても教えられた事をそのまま吟味検証することなく受け入れてきた日本の教会にも反省すべき点が沢山あるのではないでしょうか。

これらの点を踏まえた上で、次回から日本に渡ってきた宣教師達と私達の関係を眺めていきましょう。

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