教育論を語るつもりはありません。
先生といってもただの個人経営の塾ですから.。身の程は自覚していますので。
未熟な儘田が(派遣講師だった時の)同僚の先生に励まされたり、生徒たちの言葉や行動に感動したり教えられたりしながらの月日が10年以上過ぎました。ここでは、その間感じた事・考えた事・であった本などの事を話そうと思います。
その目的は、学校の先生・子供たち・父兄・不自然なしかしこの時代のさばっている塾の先生の間の微妙な?いや大きな隔たりと誤解を少しでもなくす事ができるように、何より子供たちのために積極的に大人が変わっていこうよ。という事を伝えるためです。・・・ただの独りよがりにならないことを願いつつ。

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すいかおばけ

1989年7月〜9月、英国滞在、欧州一人旅。
1989年10月、某英語教室運営の派遣講師の求人を目にして、英国2ヶ月の
滞在の成果を試そうと受けてみた。必要英語能力は英検2級程度との事。
試験は筆記と面接
しばらくして採用通知が届いた。
午前10時から午後4時まで1週間の研修後、本試験。
本試験直後、あれよあれよという間に勤務地が決まり働く事に。
会社云々については、沢山ありますがもう退社したところですし今があるのも会社のおかげですので
触れずにおきます。

 運命の人・・・採用試験のときに私の後ろに座られていた方と帰る方向が同じだったので一緒に
帰路につき、話していくと元小学校の教師だったとのこと。そしてヴァイオリンを弾かれる方でした。
ヴァイオリンには思い入れがあったので運命の出会いを勝手に感じてしまいました。
そして、初期研修中もその後も私がへこたれるといつも軽いのりで励ましていただきました。もし
この方に出会っていなければとうの昔に先生なんて辞めていたと思います。
軽いのりで励まされたということはとても重要。何でも深刻に考えてしまう性質の私はどんどん思考
の深みにはまっていくのです。この方に出会って、背中をポンとおしてあげる力を学びました。

■私が始めて派遣された教室は都内下町某所、一軒家の6畳一間。金曜日2クラスと土曜日4クラス。
金曜日のクラスは就学年数4〜6年たっていて派遣される先生は毎週変わっている状態でした。
土曜日のクラスは開校2〜3ヶ月くらいしかたっていなかったと思います。
教材を覚えたり、レッスンでやるゲームを考えたり、無我夢中で先生になろうとした。
レッスン後は自己嫌悪の塊となって帰路へ着くことの繰り返し。
全ての事が最初からうまくいくわけがない。
頭の中で、ああしてこうしてと考えた事なんて、実際、子供たちを前にすると思ったとおりには進まない。
例えば、ゲームの説明をしようとすると、「おしっこ」とトイレタイムに、さて、と思うと別の子にちょっかいを出してもめる等。まるで、幼稚園の先生状態。
そんな状態でも月日がたつと教えることの喜びのようなことがひとつふたつと増えていき、子供たちとの信頼関係も少しづつ生まれてくる。
ある時、生徒の一人が「先生、もう辞めないでね」と私に言った。
何度も先生が変わり毎週のように違う講師が派遣されていたクラスの子の言葉に、やられてしまった。
右も左も分からない新米の私を必要としてくれている。もう少しがんばろうと思った。
                             (2003.1.10.記)

■初めての退会者
就任したのが11月。年が開け、2月。初めて退会者をだした。学習塾へ通うと言う。
もちろん、私の力不足もある。
ショックだった。経験した失恋(私が振ったんだけど)より辛い事だった。
何かもぎ取られるような思いだった。
しばらく、へこんでいた。
先生とは別れを経験していくものなのだと悟った。だから、卒業式は涙がつき物なのか。
生徒側の思いだけでなく、先生の思いも漂っているんだ。
この頃は、生徒がかわいくて、学校の先生に嫉妬をしていた。毎日生徒に会えて、1年は自分の生徒なのだ。それに引き換え自分は、ただの派遣講師。
どんなにいとしく思っても、週1時間のレッスンをする英語教室の先生でしかないのだ。
それに、生徒側から一方的に切られる縁。切られる側の事情はおかまいなし。
辛さのなかで、思った。
自分は生徒にとって週1時間の先生。
一時間。生徒にとっても自分にとってもいい時間にするだけだと。自分に出来る事をするだけだと。
さよならをしたら気持ちを後に残さない。自分は週1の先生でしかないのだから。

その後、13年が過ぎた。実は私からさよならをしてしまったという事(教室換え・退社等)もある。
個人経営を始めて、お断りした生徒もいる。また、本人は通いたいが親の感情で通えなくなる子もいた。
今現在は、自分の生徒でいる限りは精一杯付き合う事にしている。そして、さよならはあっさりと。
たかが週一の先生であるが、1年2年ではなく永い子で10年という月日、成長を見させていただいている子もいる。学校の先生より素敵な事もあると実感している。
決して、学校の先生と張り合おうとは思っていないのです。もちろん。
ただ、ずーっと。
学校の先生はいいなあって思っていたのに、毎日生徒と昼間、生活を共にされていることを思うと大変そうすぎて、自分には出来ない事だと思うようになった。
また、たかが週一の先生にも出来る事が、時々顔を合わすから通い合う絆もあることにも気付かされた。
 
■皆勤賞
一年間休まないで教室へ通った生徒へは会社から皆勤賞シールが、みんなが貰える学習到達表に貼られる。
会社で渡されるシールが周りの先生より多いので心の中で、優越感を持っていた。私なんかより英語に関しては優秀な先生ばかりなのだろうから。
私にも先生としての存在意義が少しはあるのだろうか。と思い始めた。
その後、教室数を増やしても、全生徒に対する皆勤賞シールの割合は増えた。
おそらく、会社や周りの先生は、私が出欠席を甘く付けていると思っていただろう。
でもそれは違う。そういうことが出来る性格なら、融通が利かないなんて評価されはしないだろう。
ずるい事は、嫌いだ。自分だけがちょっとした得をするためにどうこうするのは浅ましいと思う。
(もちろん、些細なずるいことはしているでしょう。生きている間に。でも、ずるい事をした後、直ぐに告白してしまうんです。だって、その心のしこりを我慢しているのが面倒くさいんだもの。)
そういう考えが甘ちゃんで子供のままだと言う人もいる。なら、子供と評価してくださって結構。
子供の頃、大人はずるいと思った事はありませんか。そうなりたくないと悩みませんでしたか。
子供といるとそんな事が思い出されて、子供の前にいるときはせめて同じ心でいたいと思った。
実際そうしている事のほうが、自分的に心が楽なので、やはり大人になりきれてはいないのか?
しかし、時々は大人として生徒を叱ったり注意を本気でする。生徒が泣いてしまう事もある。
それでも休まず、みんなは教室にやってきた。
そして、一週間分の思いのたけをかかえて吐き出していく。こんなことがあった。あんなことがあった。それでそれで。子供達の心にはいっぱいいろんなことが詰まっている。
言葉や行動で吐き出せない子も見ていると、どんな状態でその子がいるのかを感じるようになった。
もちろん、ずる休みしたことのある子もいたでしょう。
「風邪で学校を休んだんですけど英語教室は行くって言うんです。この子。一時間だけだから大丈夫かなとおもってつれてきました」は良くありました。
登校拒否をしているけれど英語は休まない子もいました。
皆勤賞シールは私にとって、自分への頑張ったで賞シールです。会社や他の人に評価されなくても形として現れた自分への評価です。それでいいのです。
それはただの自己満足で、会社や他人に認められて初めて評価になると言う人がいます。
人からの評価を受けるためにすることなら、頑張った事が人の目に留まるまでいつも辛いと思う。
ずっと、評価を受けずにいたらきっと、不平不満が心にあふれてしまうでしょう。
自分が頑張ったのならもうそれで頑張ったねって自分で評価してあげればいいではないですか。
有森裕子さんがアトランタ五輪で銅メダルを取った時、「自分で自分をほめたいと思います」と言った。
ほんとにそうですよね。なんだか泣けました。
結果だけで、子供を人を評価してはいないだろうか。
特に、今の学校の成績評価は頑張った事が評価に現れなくなっている。本当の狙いは頑張った事をちゃんと評価するための成績評価改正であったはずなのに。
だから子供のそばにいる大人は今まで以上に子供を見ていよう。(過剰に手出し口出しは禁物。間違えないで)その評価をしてあげよう。たとえ結果として成果がなくても、頑張ったのなら側にいる大人はその子をしっかり褒めてあげよう。認めてあげよう。頑張った事は必ず栄養になっていることを伝えてあげよう。それが子供の生きる力を育むのです。人によって生きるペースは違うという事を理解しよう。
それでも、結果が大切。結果が全てと思うなら、勝手にしてください。子供を追い詰めて自分までをも追い詰めて、勉強をする意味も人生の意味もわからず虚しい闘いの日々を送ってください。
頑張らなくて結果が出せなかったのは、それは自業自得です。しっかり反省なさい!
と自分にも言い聞かせる事多々あり。
そして今も、自己評価をしながらの毎日。最近はいろんなことに諦めとか増えてきて、自分だけではどうしようも出来ない事に気付いたのが現状です。
その糸口は探し当てたような気がします。
次の更新まで、お待ちいただく間、ぜひ
陰山英男先生の「本当の学力をつける本」「学力低下を克服する本」文藝春秋をお読みくださいませ。
                                (2003.2.22記)



■なんと、4ヶ月ぶりの更新です。
思い出から足跡をたどって現在へと繋ごうと思っていましたが、現実のほうが色々ありすぎてなかなか考えを書くことが出来ずにいました。
放ったままというのもなんですので少し。


陰山先生は公募で広島県の小学校の校長先生になられてしまいました。
近所のスーパーでも先生の著作や問題集等のコーナーが設けられるようになっています。
テレビ朝日のニュースステーションにも出演されていました。
学力低下が問題視されている昨今、陰山先生のメソッドは着実に子供を持つ父母の皆さんに受け入れられているようです。
百マス計算や漢字学習のメソッドは陰山先生の考えられた事ですが、30代40代50代の方々なら「夏休みの友」「計算ドリル」「漢字ドリル」には多々思い出をお持ちなのではないでしょうか。
宿題を忘れて休み時間にやったり、ドリルを隣のクラスに借りに行ったり等等。
読み書き計算は私たちが受けた教育そのものです。
今、このように大きく取り上げられると言うのも、現代の子供達の学力がそれほど低くなっているという事の裏返しなのではないかと思いました。
現在、小学生、中学生に教えています。人数は多くありませんが生徒達の学力についてひしひしと感じる事があります。
この学年ならば知っているであろう言葉やちょっと考える数学などの問題など、できないのです。
これは、決して生徒が怠けているというのではありません。
学ぶ機会を与えられていないのです。
かつての文部省のゆとり教育によって子供達の脳みそは刺激がすくなくなってしまったようなのです。

それで、読み書き計算をもう一度基本にして学力を再生させようというのがねらいなわけですが、あることに気がつきました。
これは、愛情なくしてはなしえないという事です。
ただ、学力を上げる為の理由で方法論だけを取り入れてはいけないのです。
愛情を持って子供に向かっていく時、そこにドアは開かれるものです。
あのこには負けないでほしいと言う競争心を抱えての愛情は子供には重いだけです。
子供にとっての幸せはなんなのか。子供が自分の足で歩き考えていけるちからはどこから生まれてくるのか?

今日は、ここまで。                   2003年6月25日記



2003年7月2日
「収穫には立ち会えないかもしれないが出来るだけ多くの種を蒔こう」
子供に接していくという事、成長を見守るという事。
まさしく収穫には立ち会えないかもしれないが出来るだけ多くの種を蒔く仕事。
であると実感する今日この頃。
出来る限りいい種を蒔こう。いい種を心に蓄えよう。
私に種を蒔いてくださった先生達に感謝。
特に、小学校5・6年生の担任だった伊藤先生の姿を私は模している自分に気付く事がある。
一所懸命になることの楽しさを学んだ。
算数の文章題を考える面白さを知った。
悔しかったけど、怒られた。
公平に評価をしてくれた。
絵を描くことの孤独を知った。
出来ない子の面倒を見させられた。

私が接した子供達はどんな大人になっていくのかなぁ。


2004年6月6日(日)
「頭がいい。」とは、一般には勉強ができると言う意味で使われています。
40ん年生きてきて思うのは、「勉強ができる」と「頭がいい」と言うことは別物であると思うのです。
勉強はできるけれど頭は悪い。
勉強はできないけれど頭がいい。
と言うことを感じることが多いのです。
お勉強ができていい大学へ入って、名の知れた会社へ就職して社会的ステータスを持って生きること、自分がそれを達成できなかったら、子供に夢を託して、そんな子供に育てることが自分にとっても子供にとっても最大の評価・幸せなことだと思い込んでいるのは、頭がいいのか悪いのか?
そのことは、社会にとってはどうなのか?
他人の評価や誰かが点けた点数・ブランドにとらわれて、物を観る眼、心を養っていない人は、時に滑稽な感じがするのです。

日々、生徒に勉強をしろ、勉強をしろとお尻をたたいている立場の人間です。
「どうして勉強をしなければならないのか?」
という問いはどの生徒からも受けます。
「人間は脳みそで考えてるんだよ。勉強することで脳みそを育てているんだよ。云々かんぬん。」
話をしたい子は、どんどん次から次へと質問をしてきます。すると次から次へと答えを返します。それは、理屈っぽい私のお得意とするところです。
生徒が納得するまで話します。
「勉強はつまらない。眠くなる。」と子供はいいます。
「あたりまえでしょ。勉強なんかただやるだけじゃあつまらないに決まってるよ。私だってレッスンの準備で問題を解いてると寝ちゃうよ。でも、できたとき、うれしいじゃん。やったぁって思うでしょ?そのやったぁをまた味わいたくて勉強をするんだわよ。」

そんなこんなの日々の中で、生徒は休まず教室に通ってくるのですが、私とのコミュニケーションのなかで生徒は自分で物を考えていくようになっていきます。そして、普通の人とは違う価値観を持ち生き方をしている私ですから、親から見れば、悪影響を及ばしているように感じるわけです。

和の日本人ですが、時に、自分の夢のために四面楚歌状態にあってもただひたすら耐えて自分の思いを貫く強さを持つことも大切なことだと思います。これは親心がわからないと言われても仕方のないことなのですが。

自分の生徒が、一人の人間として悩んで苦しんでもたって歩ける強さを持って欲しいと願いつつ、私は生徒に接しているのですが、勉強さえできればいいとは決して思わないので、接していて、本当にやさしいお母さんになることが一番幸せになるであろうと感じる生徒に出会うと、その優しさは、何より人として大事なことだと感じます。

勉強ができるということは、競争に勝つということでもあるわけで、時に競争は人間性・優しさ・温かい心を消失していく過程になってしまうことが多いような気がします。
心が優しいも勉強ができるも一つの能力だと思うので、勉強ができる人だけを何か優れているように見るということは、もう、止めませんか。>世の中の人へ
ただ、そんなことだけの世界があることも判ってはいます。もしかしたら、こっち側とそっち側では、深い溝があって決して同じ土壌にはなりえないものかもしれません。

そしてまたレッスンが始まると、「勉強をしなさいと」生徒のお尻をたたく私なのです。「勉強ができる」は「頭がよくなる」一つの手段・過程だと思うからです。



儘田留美子






大切な事はみんな
    子供(生徒)が教えてくれた

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