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1年かけた福田顕彰運動を
福田正義主幹没5周年にむけて
               人民運動の再建を目指す     2006年1月12日付

 今年は、人民言論紙・長周新聞を創刊した福田正義主幹の没後5周年を迎える。福田主幹の逝去後、多くの人人の参加によって戦前からはじまる足跡を明らかにし、内容の深い追悼集会が開催された。1昨年は福田正義顕彰会が結成され、多数の支持者の拠金によって堂々とした福田正義記念館が開館し、平和で豊かな社会を願う多くの人人を励ます拠点となった。戦後61年目を迎え、社会は荒廃しきって戦争が現実課題となるなかで、「進歩派」を装ってきたさまざまな政治勢力がすっかり腐敗堕落し、広範な人民大衆のなかでは戦後のさまざまな欺瞞が崩壊し現状変革の意欲が高まっている。このようななかで、福田主幹の顕彰を深めることは、戦前、戦後の日本人民の歴史を総括することでもあり、戦争を阻止し、独立、平和、民主、繁栄の日本を実現する日本人民の運動を再建する上できわめて重要な意義をもっている。本紙は今年一年、さらに突っこんで福田主幹の顕彰運動をすすめることを訴えたい。このなかで戦争に立ち向かう福田主幹の路線の骨格的なものとともに、戦争を阻止する運動、民主主義要求の運動、勤労人民の窮乏化のなかで生活を守る斗争、戦争体験世代から青年学生、婦人や農漁民、勤労市民の運動、とくに労働者の運動と人民的民族的な文化・芸術の運動を再建することに結びつけることが重要になっている。そのスタートに当たって、福田主幹のいくつかの評論を紹介したい。


                 福田正義主幹の評論より

      地方現実への方向   諸団体の組織的結合の前進   (1955年12月25日)
 
 地方における文化運動は、戦争による深い傷手から起ち上がることの苦しみ、それとの斗いの中からおこってくる。それは、山口県でも例外ではない。しかし、戦後の思想的な混乱、投機的な野心家と自治体との結合、何にもましてアメリカ的な頽廃のはんらんなどが、まじめなきわめて少数の活動家の仕事をのぞいて、事実上、地方における文化を永い間荒廃のままにおいたが、戦後十年を経た今日、新しい活動が大きく芽をふきつつある。それぞれの職場、学校、地域でのサークルがそれぞれの目標をもって組織されはじめ、それはまた横にも結びつきつつ発展している。
 それは戦争の傷手をふり払い、折重なってかぶさってくる新たなる戦争の危機とたたかい、国のおかれている植民地的な辱かしめと対決することを課題としないではおれない。「駱駝詩社」「まきやぐら」「場の会」「べにしの会」などの文学団体、「はぐるま座」「新海峡座」などの演劇団体、各地における「歌ごえ」の集り、絵画団体「五五年会」の活動は、それぞれの質の違いはあるが、注目すべき足跡をしめしている。それらはすべて困難な諸条件の中で真しな努力をつづけている。また多くの職場でも、新しい形のサークルが組織されはじめ、これらの団体と関係をもちつつある。
 本年の特徴は、戦後の浮わつきを脱皮して、強固な基盤の上に多様な組織がねばりのある活動をはじめたことと、それらの諸団体がまだ強いものではないが、縦にも横にも結びつきを強めたことである。さらに重要な点は、創造活動の内容がこの地方の人民の生活に根ざす方向をとりはじめたことである。しかし、それらの活動のすべてを通じて、まだすぐれた作品を生むにはいたっていないことも事実である。したがってそれらのことは、すべてそのままきたるべき年の重要な課題となるだろう。
 地方における文化・芸術創造の活動で、この地方の人民生活を描くこと、それを社会的・歴史的にとらえることが、何にもまして重要である。商業主義ジャーナリズムの影響、とくに知識層の浮薄なコスモポリティズムの影響が、地方では二重に創造の活動をゆがめている。まだまだわれわれは、われわれの生きているこの地方の人民の“魂の歌い手”をもっていない。芸術創造の仕事は、類型との決別でなけらねばならないし、われわれが生きている現実からの創造でなければならない。そのことこそ普遍的であり、日本的であることである。国の植民地的従属の中で、民族的なものへの強い関心がもたれてきているが、われわれの文化・芸術の活動はまだその要請に答えるにはいたっていない。この地方の人人のいく百年つみかさねてきた生活様式が、そのものの感じ方が、その喜びと悲しみのありようが、生き生きとした形象を与えられているものに接していないのだ。
 戦争への誘いを憎み、平和を強く歌う詩人たちは多いが、われわれの生きている現実の中に流れている戦争への危機をえぐり出し、平和を力強くよびかける詩人はまことに少ないのである。この地方にだけ特別の社会的な仕組みがあるわけではない。しかしこの地方の仕組みとその中での人間が描けない芸術家が、どこの社会のどの人間を描くことができようか。創造活動における類型との決別は、つねに避けることのできないことだが、今日われわれにとって特別に重要な意味をもっている。
 それと同時に、各地域での芸術諸団体の横の結合を一層強め、さらに県的な規模での結合を強めること、できるところから協議会的な組織的結びつきをもつことが強く要請されている。とくに文学部門では、機関紙発行の上でも、それによってずいぶん援けあうことができるだろう。



     従属下の軍国主義  新しい反動化の悲劇的本質    (1958年10月8日)
 
 最近の日本の情勢は、あわただしい動きを示している。ちょっとみても「日米安保」条約の改定、ジェット機の購入をめぐっての国会での論議、防衛庁のぼう大予算の要求と国防省昇格計画、内政省の新設計画、防ちょう法の準備、教育の内容・行政面をめぐっての急速強引な反動化というように、数えたててみればきりがないほどである。
 しかも一方では、いわゆるナベ底景気といわれる見とおしのない不景気が広がり、経済計画の重点となっている貿易はさっぱりであり、日中危機の打開については「静観」というばかりで、なに一つ解決の道はない。
 このような問題に、台湾における戦火が鋭く結びついている。いや台湾問題は、これらの一連の動きと結びついて発生したという感が深い。これらの一連の動きは、単純なそのときそのときの情勢の動きとは様相を異にしているのである。それは一つの日本政府の動向、一定の目標を持った動向を示していることを疑うことはできない。

 原子戦略体制に
 日本のすすむべき道は、戦争政策を完全に捨てて、平和と民主主義を基本とする憲法の筋道にのっとって、世界のすべての国、わけてもアジアの諸国とのあいだに、平和共存、互恵平等、主権尊重、相互不可侵、内政不干渉の平和五原則にもとづいて、経済・文化の交流を盛んにし、同時に国内平和産業を発展させ国内購買力を高め、国の平和的な繁栄をめざす道である。
 ところが、現実の政府の動きは憲法をいかに改悪するかを最高の念願として、政府・与党の力を結集してできるだけ軍備を拡充し、すでに今日では戦前の戦力をはるかにこえるほどのものになっている。
 しかも、国防省をつくろうとし、アメリカで古手になったジェット機をばく大な金を出して購入しようとしており、おまけに核兵器まで事実上持ちこもうとしているのである。とくに特徴的なことは国内に多数のアメリカ軍事基地を許し、新たなる「安保」条約の改定は日米間のいわゆる防衛問題を双務的なものにしようとさえしているのである。

 独立・平和犠牲に
 すなわち政府のめざしているコースは、日本をアメリカのアジア原子戦略体制に組みこんで、軍事冒険の道で「独占資本の繁栄」を買いとろうと考えているとしか見えないのである。つまり、戦前の日本経済が、軍事経済によって国民から取り上げた税金によって大軍需工業が国を買い手として、ぼう大な金をもうけ、あわせて労働者を低賃金にしばりつけ国民を無権利な状態において、すべて国民の犠牲において大資本だけが肥え太ったそのコースを、いまアメリカの下請の形でめざしているというほかないのである。
 このことは国の独立や平和、民主主義や国民の生活の安定のすべてを犠牲にすることによってしか成り立たない。アメリカが台湾海峡において軍事挑発を開始するや、いまやいやおうなしにこの「アメリカ戦略」のもとに日本はひきずり回されざるをえないのである。すでに不況、日中関係の破滅的状態、労働者へたいする弾圧など、すべての情勢はその方向へむかっているのである。

 知識層の自立論
 ところが、わが国の知識層のなかには、異なった意見がある。たとえば大阪市立大学の助教授小野義彦氏は、「日米新時代とは、日本の独占資本主義が急速な復興をとげた条件のもとで、日本の軍事基地としての意義が動揺し、アメリカの援助がいうにたりないものとなり、両国資本間の市場競争が公然と激化し、民族運動が『安保体制』変革に統一されつつある段階での日米関係だといえよう」「いまや日米関係を規定するものが『協力』から『競争』にその重点をおきかえてきたのである」。
 日本独占資本は、「国内における『反米感情の増大』をその対米取引に利用してさえいる」(「世界」四月号)というふうにいっている。小野氏は、日米独占間にある経済競争を数字的に取り上げて、政治的にも日本独占資本が帝国主義的に自立し、アメリカ帝国主義とのあいだに、帝国主義国間の対立をきたしているというのである。
 かれの論の基本は、日本独占資本は完全に復活したので、アメリカとの関係は帝国主義的対立関係にない「いまは保守党指導者が口をそろえて、『対等』を叫ぶ時代」であるというにある。
 ここに基本的な問題があるのである。小野氏によれば、岸内閣による「安保」条約の改定は、当然にも日米対等のためのものであり、基本的には日本帝国主義は自立しているということになる。そうであれば、アメリカの要請にもとづいて、日本が核兵器を持ちこんだり、台湾、南朝鮮、沖縄、日本本土を結ぶアメリカの原子戦略体制に積極的に参加し、このことによって発展しつつあった日中交流を決定的に台なしにしたり、日ソ平和宣言後の条約締結をしぶったりする理由はぜんぜんないのである。
 いかに岸内閣が反動的であるとしても、アメリカとのあいだで自立関係にあるなら、あるいは自立を積極的に望んでいるなら、ソ中の政治体制が異なっているという理由だけで、そういうばかげた政治はとるわけがない。それはレバノン問題、台湾問題における国連での藤山外相の奇妙な動きにもはっきりあらわれているのである。
 現在の日本の状態が、アメリカ帝国主義者の目下の同盟者として日本独占資本が結合し、そのあいだにも矛盾を持ちながらも、基本的には共同して、日本国民を支配しているというわかりきった事実をはぐらかしたのでは、日本のすべての民主主義運動を実り多いものにするわけにはいかないのである。
 勤務評定に象徴される教育の反動化の問題も、全体としてアメリカが要請する「安上がりで命知らずの日本兵を使うこと」「アジア人はアジア人同士でたたかわせる」そのための池田・ロバートソン会談であり、その後の急スピードな軍国主義教育として見なければ事態の本質は見失われてしまう。

 新しい軍国主義
 岸内閣は、経験ずみの戦時中の軍事経済のコースを、いまアメリカ帝国主義と目下の同盟関係で、もう一度くり返そうとしているのである。軍国主義の時代がどのようなものであったかは、すべての国民が胆(きも)にしみて思い知っているところである。いまはそれを外国の従属下にもう一度花を咲かせてみようという、はかない、しかし民族にとってきわめて悲劇的なコースをとっていることを、すべての国民は銘記しておかねばならないのである。
 日本の独占資本ならびに政府は、その関係をおしかくそうとつとめている。かれらはサンフランシスコ条約が結ばれたとき以来、日本が完全に独立したと国民を偽ってきている。しかし、毎日生起する事実は、それをかくしおおすことはできない。しかし、小野氏のような知識層が、そこのところで怪しげな論をふりまいて、なにか日本が独立しているように理論づけようとすることは、これは単純な理論の誤りということをこえて、一個の民族欺まんの犯罪的影響を持ってくるのである。台湾問題をめぐる危機の進展にさいして、すべての民主勢力は現状の分析のうえで、あいまいな理論と決定的にたたかうことが強く要請される。



      教育者の戦争責任  もう一度繰り返す良心の退廃   (1958年11月9日)
 
 10月28日に勤評問題で下関の教師たちが市教委と交渉したときに、1人の教師が上田教育長に「あなたが下関商業の先生であったときに学徒動員をし、多くの学生を戦争におくったことをどう思うか? わたしはあなたの教えによって予科練に行ったが、ふたたびそのような悲惨な状態を教え子に強要する反動政策としての勤評を、どうして阻止しないのですか? 自分が教師としてやってきた軍国主義教育への反省はどうなのですか?」と問うたのにたいして、上田教育長は「あのときはそういう行政機構のなかにあったのだからしかたがない」と答えたと報じられている。
 いまの岸内閣を中心とする「戦争」へむけての急速度の反動政策については、わずか13年しかたたない今日、りつ然とするものを感じさせられる。岸信介は戦争指導官僚の尖兵であった。かれが東条内閣の商工大臣であり、A級戦争犯罪人として投獄されたことはだれでも知っている。その岸を獄から放っただけでなく、こともあろうに平和な国を建設すべきいまの日本の総理大臣に祭り上げているのである。だからかれが、「わたしは改憲論者だ」と公然といったり、教育の反動化、警職法の改悪、日中関係の断絶、日米安保条約の改定というふうに新たなる戦争政策へむけて強引にすすめてゆくことは当然のことでもあろう。かれは戦争犯罪者であり、出獄したかれがそれと同じ犯罪をくり返さないという保証ははじめからないのである。
 ところで、問題は、たとえば下関市教育長の上田強氏のような人たちが、あの戦争時代を教育者としてどのような責任を持って考えているかということである。上田強氏といえども、かれが直接に戦争にかりたて、あるいは戦争に反対することが幸せの道であることをまるきり知らされず、そのために死んでいったり傷ついたりした何百何千の青年の魂と関係を持っているはずである。戦争が終わったときに、上田強氏は、そのことについて良心の痛みを感じなかったであろうか。あるいは戦争が終わって一三年の間に、あれこれの教え子の運命について考えるときに、まるきりそのことの「教育者としての第一義的な責任の重大さ」について反省がなかったであろうか。わたしはそういうふうに単純には考えたくない。ところが、かれは「あのときはそういう行政機構のなかにあったのだからしかたがない」ときっぱりといいきっているのである。
 いったい、そうなると教育というのはなんのことかわけがわからないではないか。とくに教育者というものの位置はどういうことになるのか。今日、教育長というような位置にある人は、大なり小なり上田強氏のような経験を経ている。文部省となると戦時中の特高をはじめ内務省畑の悪質戦犯分子がうようよしている。そのうえに岸A級戦犯が号令をかけている。そうなると「あのとき」ではない、いまや「このとき」が「そういう行政機構」なのである。したがって上田強氏のような教育長はふたたび「しかたがない」ということになっていると思わざるをえない。
 上田強氏のような教育長や校長さらには教師がまたもあらわれ、岸内閣やいまの文部省のようなものに不当に支配されて「しかたがない」などといって国民にたいする教育に直接責任を持たないようなことが二度とあってはいけないというので、法律で「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである」(教育基本法前文)という根本原則を示したうえで、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」(教育基本法第10条)と、規定されているのである。すなわち、上田強氏のような教育長や校長も、戦争のあのたとえようもない全国民的な深い犠牲の反省から、二度とそれをくり返さないように、つまり「そういう行政機構にあったのだからしかたがない」といわなくてもよいように、厳密には二度とそういうことをいってはならぬために、法律が制定され保障されているのである。
 それにもかかわらず、上田強氏のような教育長や校長は、ふたたび岸内閣の「不当な支配に服」して「国民全体に対し直接に責任を負」おうとせず、勤務評定や新学習指導要領や道徳教育の名を詐称する修身科の復活などに浮き身をやつすというのは、どのような寛容さをもっても許すことのできないことである。ことの本質は「しかたがない」ですむようなことでないことは、常識のあるものならだれでもわかることである。しかも、上田強氏らが目下展開しつつある軍国主義教育の第2回戦は、アメリカの原子戦略に日本を組みこんで、アメリカの下請として「安上がりで命知らずの日本軍隊」をつくるということであって、その反民族的な犯罪性はたとえようもないほどのものである。
 わたしは、たまたま上田強氏の言行をとりあげたが、上田強氏のような傾向は、今日、教育の部面だけでなくあらゆるところで「戦争協力への恥しらずな無責任」としてあらわれているのである。わずか13年で、ある日心のうちにはあったであろう反省もなにもかなぐり捨てて、軍国主義復活のラッパ卒となるという道行きは、良心の退廃として、今日の一個の典型をなしているといえるだろう。
 


   新聞週間に際して  民主的民族的ジャーナリズムの確立   (1956年10月7日)
 
 日ソ交渉でモスクワへいった新聞の特派員が、帰ってから「日本の孤立感を深く感じさせられた」と語っている。またスエズ問題についてのロンドンの国際会議についても各社の欧州特派員は、この問題についての重光外相のアメリカ追随的な発言には、いささかがっかりしたような表現をそれぞれニュアンスの中ににじませていた。これも日本の孤立感である。同じアジアの一国でありアメリカ帝国主義の重圧下にあるから、アジア・アラブの諸国からはある種の期待も寄せられていたのであるが、それがなんとまるきりアジア・アラブ諸国の民族独立を目指す熱願、帝国主義による植民地主義に反対する血のにじむような民族的な努力に背を向けて、しゃあしゃあと帝国主義の側の尻馬にのって動いたからである。
 こういう調子であるから、日ソ交渉についても、アジア・アラブ諸国をはじめ、世界中でアメリカ一国をのぞけばどの国からも何の関心も示されないのである。国際正義を無視し、度のはずれた横車を押して、おまけに理論的にも矛盾だらけの「感情論」をふりまいているのでは、国際舞台に出ている特派員諸君が肩身のせまい孤立感にとらわれるのも当然のことであろう。ところが、その度はずれの感情論をふりまいているのが、ほかならぬこれら特派員諸君を送っている新聞社なのである。この矛盾こそ正に悲劇的である。
 日ソ交渉にあたっては、日本の大新聞は、前に自分自身が書いたことなど平気でひっくり返して、とも角ぶち壊すためにできることは何でもしたというのが事実である。理論のよそおいはしているが、中味は理論も何もないので、丁度ごろつきのけんかのように感情論一本である。
 自社の特派員をして孤立感に陥らせるほどの馬鹿げたやり方にしても、これが国内で組織的に、すべての大新聞が歩調を揃えて、くり返しまき返しやるとなると、それは国民の世論をつくり上げる上で、ある程度の成功をするのみである。そしてそれが成功すればするだけ国民は不幸な目をみさせられるのである。戦前これらの新聞が、軍部にこびへつらって、鉦や太鼓で戦争遂行の世論をつくり上げたそのときも、首尾一貫した理論も何もなく、偏狭で狂信的な愛国主義のよそおいであったが、今度の日ソ交渉に際して新聞がとった態度も、そのやり方にまことに似ている。
 さきの特派員諸君にしてからが、日ソ交渉中の経済交流の問題で、ソヴェト側が貿易額を10億ルーブル(約900億円)と提案したのを、揃いも揃って1億ルーブルと打電し、それをうけた本社が「貿易で日本を釣ろうとしているが1億ルーブルなど問題にならない」と書き、いまだにもって訂正もしない。今日の日本にとって、すべての国と平和関係に入ることと、すべての国と経済交流をすることは、正に国として死活の問題であるにもかかわらず、アメリカと国内反動勢力のお先棒をかついでいるがゆえに、こういう破廉恥を敢えてするのである。
 現在の内外の情勢、とくに世界の情勢は日本の大新聞が示しているようには動いていない。アメリカと国内反動勢力のお先棒をかつぐことの上に資本主義的経営の基礎をおいているがゆえに、大新聞は日本を国際的に封じこめ、自社の特派員をして嘆かしめるほど孤立化の道に世論を組織しているのである。民族の利益と民主主義の立場に立つジャーナリズムの確立は、今日の日本で最もおくれている部分であり、したがって最も急がれねばならない課題である。

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