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3月21日に小倉哲郎氏追悼会
追悼集会実行委員会発足
             独立・平和を貫いた精神を偲ぶ   2004年2月10日付

 小倉哲郎氏追悼集会実行委員会が8日午後2時から下関市勤労福祉会館で開かれ、3月21日(日)午後3時から下関市唐戸・カラトピア5階ホールで開く追悼集会にむけて、下関をはじめ県下でのとりくみがはじまった。実行委員会では、各界から参加した実行委員会によって、小倉氏が自治体労働者、税理士、市会議員として、さらに豊北原発建設阻止山口県共斗会議第二代議長、民主主義と生活を守る下関市民の会会長として、全生涯をとおして日本の独立・平和・民主・繁栄をめざす各階層人民の統一戦線発展のために検診したことが語りあわれた。そして、小倉哲郎氏追悼集会を成功させ、その業績と固い背骨をツタ抜いた愛国の精神を受けつぎ発展させることを確認した。
 実行委員会は、呼びかけ人を代表して頴原俊一氏(下関・武久病院)があいさつ、同事務局・兵頭典将氏(下関市民の会)が、実行委員会までの活動報告、実行委員会顧問・頴原氏、実行委員長・黒川謙治氏(豊北原発建設阻止山口県共斗会議議長)、事務局長を兵頭氏が務めることを提案、了承された。ついで追悼集会の構想・予算を検討、各界から300人規模の参加を予定、会費500円とすることを決めた。
 参加実行委員の自己紹介と参加できなかった実行委員の紹介がおこなわれたのち、参加者から小倉氏とのかかわり、エピソードがつぎつぎに語られた。

 中小業者・漁民・働くものの味方だった
 小倉会計事務所開設当初から50年近いつきあいという杉本忠夫氏(スギモプラクト会長)は、左官業をやっており、「小倉さんは“お前は働いて稼げ、帳面はおれがやる”といってくれ、“ここは苦しいががんばれ”と励まし、“ほんとうのことをいえ。経理はきちんとするから”と、いっしょに工務店の基礎をつくってくれた」とのべ、「真に働くものの味方だった。なにもかも相談できる人だった」と語った。
 先代からのつきあいという高田吉雄氏(土地家屋調査士)は、「当時、白色申告で税務監査を受け、作業着を洗う洗濯機を買ったところ、もうかっているといわれ、青色申告の一から教えてもらった」とのべた。
 平田富夫氏(漁民)は、小倉氏が魚つりが好きで、パンフレットに載った小倉氏の写真を紹介しながら、「漁師も税務署からとことん調べられ、多くの税金をとられた。帳簿がぬけていることがわかり、漁協の仲間14、5人で小倉さんに帳簿を見てもらうことになった。ほんとうに働くものの側だった」と語った。

 変わらぬ議員姿勢信頼
 市職員であった三崎成氏(豊関介護サービス)は、市会議員・小倉氏について「1期目はまだまじめな議員はいるが、5期20年にわたって一貫して変わらなかった議員は小倉さんしかいない」とのべ、「議員は市民といっしょに市に申し入れや要請にくると、職員にいばったり、脅したりするのが一般的だが、小倉さんは、そのようなことはなかった。執行部も一目おいており、部長以上が対応した。裏表のない小倉さんの姿勢が信頼を得ていた」と語った。
 身障者の西本和司氏(下関市民の会)は、身障者の社会参加問題から小倉氏がみずから車イスで「都市チェック」をおこない、第1回目に参加していた自民党と社会党の議員が参加したが、二回目からは来なくなり、小倉氏だけが市内のおもな施設や国道歩道のチェックを最後までともにおこない、多くの改善を実現したことをのべた。そして、「“市政を勤労市民の手にとり戻す”というスローガンの意味がわかってきた。その遺志をついでいく」と語った。
 国家公務員であった中島保氏(国保料値下げを実現する会)は、小倉氏が市議会に新風を吹きこんだことをのべ、一カ月に一回以上の国保懇談会、市民の会理事会を開き、たいへんな努力をされたこと、市政・議会に多くのことを教えられたことをのべ、「生あるかぎりこの運動をすすめたい」とのべた。

 統一戦線の発展に貢献
 自治労県本部にいた池田義雄氏は、豊北原発建設阻止のたたかいで、「労働者はなにをしているのか」とよくしかられたことをのべたのち、小倉氏が山口県職時代にとりくんだ「定員法」による首切りにたいし、臨時職員と県職組を統合した斗争が全国のモデルとなったことを紹介した。そして朝鮮戦争前夜、米占領軍司令官の列車を阻止するストライキ斗争で、奄美大島の米軍刑務所に送られた経歴をはじめて知り、固い背骨を貫く独立・平和の意志とまっすぐな生きざまが納得できたとのべ、その生き方を受けつぐと語った。
 長周新聞・森谷浩章氏は小倉氏が豊北原発建設阻止の全町・全県運動のなかで山口市職労の「原発も、減反も、合理化も根は一つ」とストライキをたたかったことを高く評価し、統一戦線を強調していたこと、また運動停滞にたいし、「“安保”破棄がなくなっている」と指摘していたことを明らかにし、小倉氏が反米愛国の統一戦線をめざしてやまなかったことをのべ、追悼集会成功のために、力を合わせることをのべた。

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