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60年安保斗争の様な斗い再建へ
敗戦記念日と安保斗争の社説
             福田正義没5周年記念し論議を   2007年2月9日付

 福田正義没5周年を記念した論議を発展させるため、今回は8月15日の敗戦記念日について、1960年「安保」斗争についての社説を紹介する。第2次大戦はいかなる戦争であったか、敗戦後の日本はいかなる社会であるか、戦後の日本最大の政治斗争となった60年安保斗争はどのようなたたかいであったか、の論議を訴えたい。

 従属下の軍国主義−新しい反動化の悲劇的本質(1958年10月8日付)
 最近の日本の情勢は、あわただしい動きを示している。ちょっとみても「日米安保」条約の改定、ジェット機の購入をめぐっての国会での論議、防衛庁のぼう大予算の要求と国防省昇格計画、内政省の新設計画、防ちょう法の準備、教育の内容・行政面をめぐっての急速強引な反動化というように、数えたててみればきりがないほどである。
 しかも一方では、いわゆるナベ底景気といわれる見とおしのない不景気が広がり、経済計画の重点となっている貿易はさっぱりであり、日中危機の打開については「静観」というばかりで、なに1つ解決の道はない。
 このような問題に、台湾における戦火が鋭く結びついている。いや台湾問題は、これらの一連の動きと結びついて発生したという感が深い。これらの一連の動きは、単純なそのときそのときの情勢の動きとは様相を異にしているのである。それは1つの日本政府の動向、一定の目標を持った動向を示していることを疑うことはできない。

 原子戦略体制に
 日本のすすむべき道は、戦争政策を完全に捨てて、平和と民主主義を基本とする憲法の筋道にのっとって、世界のすべての国、わけてもアジアの諸国とのあいだに、平和共存、互恵平等、主権尊重、相互不可侵、内政不干渉の平和5原則にもとづいて、経済・文化の交流を盛んにし、同時に国内平和産業を発展させ国内購買力を高め、国の平和的な繁栄をめざす道である。
 ところが、現実の政府の動きは憲法をいかに改悪するかを最高の念願として、政府・与党の力を結集してできるだけ軍備を拡充し、すでに今日では戦前の戦力をはるかにこえるほどのものになっている。
 しかも、国防省をつくろうとし、アメリカで古手になったジェット機をばく大な金を出して購入しようとしており、おまけに核兵器まで事実上持ちこもうとしているのである。とくに特徴的なことは国内に多数のアメリカ軍事基地を許し、新たなる「安保」条約の改定は日米間のいわゆる防衛問題を双務的なものにしようとさえしているのである。

 独立・平和犠牲に
 すなわち、政府のめざしているコースは日本をアメリカのアジア原子戦略体制に組みこんで、軍事冒険の道で「独占資本の繁栄」を買いとろうと考えているとしか、見えないのである。つまり、戦前の日本経済が、軍事経済によって国民から取り上げた税金によって大軍需工業が国を買い手として、ぼう大な金をもうけ、あわせて労働者を低賃金にしばりつけ国民を無権利な状態において、すべて国民の犠牲において大資本だけが肥え太ったそのコースを、いまアメリカの下請の形でめざしているというほかないのである。
 このことは国の独立や平和、民主主義や国民の生活の安定のすべてを犠牲にすることによってしか成り立たない。アメリカが台湾海峡において軍事挑発を開始するや、いまやいやおうなしにこの「アメリカ戦略」のもとに日本はひきずり回されざるをえないのである。すでに不況、日中関係の破滅的状態、労働者へたいする弾圧など、すべての情勢はその方向へむかっているのである。

 知識層の自立論
 ところが、わが国の知識層のなかには、異なった意見がある。たとえば大阪市立大学の助教授小野義彦氏は、「日米新時代とは、日本の独占資本主義が急速な復興をとげた条件のもとで、日本の軍事基地としての意義が動揺し、アメリカの援助がいうにたりないものとなり、両国資本間の市場競争が公然と激化し、民族運動が『安保体制』変革に統一されつつある段階での日米関係だといえよう」「いまや日米関係を規定するものが『協力』から『競争』にその重点をおきかえてきたのである」。
 日本独占資本は、「国内における『反米感情の増大』をその対米取引に利用してさえいる」(「世界」4月号)というふうにいっている。小野氏は、日米独占間にある経済競争を数字的に取り上げて、政治的にも日本独占資本が帝国主義的に自立し、アメリカ帝国主義とのあいだに、帝国主義国間の対立をきたしているというのである。
 かれの論の基本は、日本独占資本は完全に復活したので、アメリカとの関係は帝国主義的対立関係にない「いまは保守党指導者が口をそろえて、『対等』を叫ぶ時代」であるというにある。
 ここに基本的な問題があるのである。小野氏によれば、岸内閣による「安保」条約の改定は、当然にも日米対等のためのものであり、基本的には日本帝国主義は自立しているということになる。そうであれば、アメリカの要請にもとづいて日本が核兵器を持ちこんだり、台湾、南朝鮮、沖縄、日本本土を結ぶアメリカの原子戦略体制に積極的に参加し、このことによって発展しつつあった日中交流を決定的に台なしにしたり、日ソ平和宣言後の条約締結をしぶったりする理由はぜんぜんないのである。
 いかに岸内閣が反動的であるとしても、アメリカとのあいだで自立関係にあるなら、あるいは自立を積極的に望んでいるなら、ソ中の政治体制が異なっているという理由だけで、そういうばかげた政治はとるわけがない。それはレバノン問題、台湾問題における国連での藤山外相の奇妙な動きにもはっきりあらわれているのである。
 現在の日本の状態が、アメリカ帝国主義者の目下の同盟者として日本独占資本が結合し、そのあいだにも矛盾を持ちながらも、基本的には共同して、日本国民を支配しているというわかりきった事実をはぐらかしたのでは、日本のすべての民主主義運動を実り多いものにするわけにはいかないのである。
 勤務評定に象徴される教育の反動化の問題も、全体としてアメリカが要請する「安上がりで命知らずの日本兵を使うこと」「アジア人は、アジア人同士でたたかわせる」そのための、池田・ロバートソン会談であり、その後の急スピードな軍国主義教育として見なければ事態の本質は見失われてしまう。

 新しい軍国主義
 岸内閣は、経験ずみの戦時中の軍事経済のコースを、いまアメリカ帝国主義と目下の同盟関係で、もう1度くり返そうとしているのである。軍国主義の時代がどのようなものであったかは、すべての国民が胆(きも)にしみて思い知っているところである。いまはそれを外国の従属下にもう1度花を咲かせてみようという、はかない、しかし、民族にとってきわめて悲劇的なコースをとっていることを、すべての国民は銘記しておかねばならないのである。
 日本の独占資本ならびに政府は、その関係をおしかくそうとつとめている。かれらはサンフランシスコ条約が結ばれたとき以来、日本が完全に独立したと国民を偽ってきている。しかし、毎日生起する事実は、それをかくしおおすことはできない。しかし、小野氏のような知識層が、そこのところで怪しげな論をふりまいて、なにか、日本が独立しているように理論づけようとすることは、これは単純な理論の誤りということをこえて、1個の民族欺まんの犯罪的影響を持ってくるのである。台湾問題をめぐる危機の進展にさいして、すべての民主勢力は、現状の分析のうえで、あいまいな理論と決定的にたたかうことが強く要請される。

 戦争とたたかう力−戦後15年にあたって(1960年8月3日付)
 「戦争中の日本」を実感として経験している層は、もう少なくなりつつある。安保に反対するたたかいの先頭に立った学生諸君は、戦争の終わったときが、せいぜい7歳か8歳かである。したがって戦争の苦しさ、むごさ、愚劣さについては、自分の家族の戦争による変転などはあるとしても、体験としてはほとんどわからないということであろう。
 戦争の体験は、だれでも、2度とああいうことはくり返してはならないという信念となってあらわれている。戦後の平和運動が、かつてない大きな力を持って広がっているのも、このことを基底に置いていることは当然であろう。
 ところが、一方で、岸信介というような戦争犯罪人を総理大臣にまつりあげるというのはどういうことであろうか。岸信介は、日本の戦争政策の先頭を切った官僚の1人であり、中国侵略の元凶であり、東条内閣の商工大臣であり、太平洋戦争の宣戦布告の署名人の1人である。このような男が、なぜ戦後国会議員になったり、総理大臣になったりするのか、戦争経験が身にしみているものにとってはどうしても理解しがたいことである。
 山口県2区がかれの選挙地盤であるが、山口県2区のかれに投票する人人が、すべて、かつての戦争を謳歌しているわけではあるまい。
 しかし、岸信介が、かれが署名した戦争によって、いく100万の人人を殺し、家財を焼き払わせ、苦難の生活をたどらせたことについて、1ぺんでも詫びたことはない。反対に、かれは、かつての戦争を美化し、あげ句の果ては、アメリカとのあいだに軍事同盟を結んで、日本をアメリカの原子戦争の基地にするために狂奔してきたのである。
 岸の許しがたい犯罪は、かつて日本を滅亡のフチに追いこむような戦争へ導いたことと、それに加えて、もう1度、原子戦争へ国民を投げこむための日米軍事同盟を結んだことである。
 ところが、今度は、岸信介がかつてやったようには手軽くはいかなかった。かつての戦争をひき起こすについては、もちろん多くの平和愛好者、労働者の抵抗は受けたが、それらは弾圧によって、大きな力となることができなかった。狂信的な戦争謳歌の風潮は、マスコミの協力と弾圧によって、ともかく、横行したのである。
 『きけわだつみの声』は、いつ死ぬるとも知れない泥ぬまのビルマ戦線で、大学生や教授たちが「こうして死ぬるのであったら、なぜあの時、敢然として戦争に反対してたたかうことができなかったか」という悔恨につらぬかれている。1歩1歩をひき下がったことによって、結局、自己の良心にもとづいた行動をとることができなかったばかりか、戦争の一員として、みずからの生命を「犬死」として絶ってゆくことへ、の悔いても悔いてもあとにもどらない良心の嘆きを嘆くのである。
 今日、岸信介が仕組んだ新しい戦争への脅威にたいして、戦争を体験としてまったく知らない学生たちが、命を投げ出してたたかっている姿は、まことに美しいし、かつての戦争中の学生・教授たちとまったく異なっているところである。かれらは、『きけわだつみの声』の中の学生・教授たちが、「犬死」に直面して「なぜあの時、敢然とたたかわなかったか」と悔恨するその「あの時」を、文字どおり敢然としてたたかっているのである。われわれは、ここに、かつての戦前の学生たちよりもはるかに高い次元に立っている学生・教授たちを見るのである。
 岸信介は、何10年かまえにはこれらの学生・教授たちを弾圧し尽くした。しかし、いまはそれができない。この戦争犯罪人は、同じ手でのぞんだが、そして1人の女子学生を殺し、いく100の学生・教授たちの上に襲いかかったが、ついにかれらを屈服させることはできなかった。岸信介のご主人のアイゼンハワーを迎えることもできなくなったし、岸信介自身が退かねばならなくなったのだ。
 わたしは、ここに、戦後15年のあとへもどすことのできない歴史の発展を見ないわけにはいかない。いま、学生たちの行動について、1部に、それが行き過ぎであるとして非難する傾向がある。しかしこの瞬間を「あの時」として、生命をかけてたたかう学生を、なにか古い常識で判断するのは、歴史を正しく見ないことになるのではないか。

 戦後15年を正しく見よう(1960年8月10日付)
 この8月15日で、戦後15年になる。15年という年数がくぎりのよい数字であるかどうかということでなく、われわれは、戦後15年も経ったこの歳月について深く考えてみる必要があると思う。とくに、全国民の反対をうけ、はげしい大衆斗争によって退陣したとはいえ、たったこの前まで、太平洋戦争の宣戦布告の署名者の1人であり、指導者の1人であった岸信介などが、この国の総理大臣であったということありつづけていられたということ、さらには岸信介が総裁であった自由民主党がひきつづき政権を担当しているという事実は、戦後15年を考える場合に、特別の重要さをもっているといえるだろう。
 たとえば今澄勇は、ファシスト集団・東方会の主宰者であり、わが国のファッショ化のために最も奮斗した1人・中野正剛をほめたたえ、中野正剛のようなものが東条と意見が対立しなかったら日本は戦争に負けるようなことはなかった、と大まじめに演説している。今澄は、いまは民社党に入っているが、たったこの前まで社会党にいたし、社会党山口県連の会長でもあった。
 今澄のような独占資本の番頭が何を考えているかはわかり切っているが、こういう男が今も国会議員であり、労働者の票をかすめとっているという事実は、やはり、戦争と敗戦の問題について、最大の被害者である人民の側の寛大さが度をすぎているように思えるのである。
 戦争を、それとなく起ったものであるように見せかけたり、全国民の意志であったように見せかけたり、国と国民の発展のために必要であったと思わせようとしたりするような、そういう詐欺が、くり返しまき返し行われている。天皇の戦争責任は全くごまかしてしまったし「1億総ざんげ」を宣伝する中で、戦争で親兄弟の生命を奪われ、野蛮な侵略戦争の道具に使われ、家財道具を焼き払われた人民の生活の苦悩をはぐらかし、独占資本だけが、戦前に数倍する発展をとげている事実を、まるで戦争とも、戦後の政治の問題とも無関係であるように見せかけている。
 戦争がもたらした悲劇は、国の内外を問わずはかり難く大きいし、いまもその傷痕は生ま生ましさをもって消えることはない。それにもかかわらず、真の戦争の犯罪者たちは、この15年の間に、ちゃんと自分たちの支配権を確立し、自分たちだけが肥え太り、いっさいの機関――官僚機構・裁判所・検察庁・警察・自衛隊などを自由自在に使って、人民に対してほしいままの収奪をつづけ、弾圧をつづけている。
 われわれは、戦後15年に際して、日本帝国主義の戦争政策と敗戦という問題について深刻に考える必要があると思う。そして、それにひきつづく戦後15年間の権力のあり方について、とくにアメリカ帝国主義と日本独占資本の関係について、事実に即し、みずからの経験にもとづいて明確にする必要がある。

 1960年終幕にあたって(1960年12月21日付)

 1960年は、安保斗争の年として、歴史にのこるであろう。
 わが民族の前にある2つの道の岐路に立って、人民は、さまざまな戦線に結集し、さらには1つの巨大な統一行動の波となってたたかった。このたたかいで、女子学生・樺美智子さんが虐殺され、浅沼稲次郎氏が演壇で刺殺され、幾百幾千の学生・知識人・芸術家・労働者・婦人が血を流した。
 日本を半ば占領しているアメリカ帝国主義は、日本をアジア侵攻の原子力戦争の基地とし、あわせて日本の労働者の低賃金を利用してアメリカ資本の収奪の市場としようとし、日本独占資本を目下の同盟者として利用している。戦後、アメリカ帝国主義によって保護育成された日本独占資本は、アメリカ帝国主義の庇(ひ)護を得つつ、アメリカ帝国主義の戦争野望に便乗することによって帝国主義復活を夢見ている。彼らは、互いに利用し合いつつ、日本人民の犠牲において、日本を、戦争と従属、反動と収奪の道に追いやりつつあるのである。その道は、人民をますます苦しい状態に追いこめるだけではなく、世界の大勢にも全く逆行し、日本を世界の孤児にしつつある。
 日米安保条約――すなわち日米軍事同盟は、米日反動の目指すそのコースをさらに深刻化し、10年間にわたって条約の鎖に縛りつけようとするものであり、米日反動の全コースの頂点に立っている。
 われわれ人民の望むものは、戦争ではなく平和であり、他国への従属ではなく独立であり、反動ではなく民主主義であり、収奪ではなく生活の安定と向上と繁栄である。その立場から、安保条約に対する反対斗争は、全国の津津浦浦にわたり、労働者を先頭に学生、知識人、市民、芸術家、農民、主婦、青年を問わず広範にくり広げられたのである。全国に組織された共斗組織は2000をこえ、わが山口県においても、安保阻止・廃棄県民会議を中心に、各地に共斗組織がつくられ、全戦線を結集して運動が広がり深まっていったのである。
 この斗争によって、アイゼンハワーの来日を中止させ、岸内閣を退陣させ、解散・総選挙をたたかいとった。しかし、安保を阻止することはできなかった。政府・自民党は、買収と欺瞞によって総選挙で多数を獲得するや安保を“既定の事実”として強行する態勢をとっている。
 しかし、安保斗争の経験は、人民がそれぞれの戦線の統一をさらに強め、労働者の統一された戦線を中心に結集してたたかうなれば米日反動・政府自民党の横暴に対して断固たる攻撃を加え、これを打倒することも出来ることを告げている。平和と独立、民主主義、中立、人民繁栄の側に政局を根本的に転換する可能性を保障するものは、労働者・農民・市民などいっさいの要求を統一し、巨大な統一戦線に結集することであることを告げているのである。そのためには労働者階級は、米日反動に苦しめられている農民、中小企業者などさまざまな階級の要求をまとめ、さまざまな戦線にわたってたたかいを展開することが必要であることを告げている。
 米日反動は、岸内閣から池田内閣にバトンを渡すことによって、安保の全面的な強行を準備している。貿易・為替の自由化は急速にすすめられつつあるし、アメリカ資本の投下、日本における収奪の強化は着着としてやられている。企業合理化による労働者の首切り・労働強化もどしどしすすめられているし、農業基本政策による農業の破壊と六割農民の離農政策もすすめられている。中小企業へ対する市場・金融その他による圧迫はひきつづき強められている。しかも、それらは、戦争と従属を大ワクとして強行されつつあるのだ。
 しかし、同時に、ドル防衛策に暴露されたようにアメリカ帝国主義の矛盾は激化しつつある。彼らが、今年の年頭にうたった“黄金の60年”は、“黄金流出の60年”として、あわてふためいた対策によって幕をとじようとしているのである。アメリカは、明らかに恐慌に突入しつつあるのだ。このことは、アメリカに従属している日本経済にそのまま強い影響をもたざるを得ない。池田内閣もまたアメリカのドル防衛策にあわてふためき、早くも所得倍増手直し論が起っている。この60年の年末は、日本独占資本最後の“好景気”として、年明けから恐慌へ向けて突入する瞬間に立っているのである。
 われわれは、このような地点において60年を終るのである。われわれは、60年を飾った、あのひたむきな“安保斗争”の経験を背負って、新たなる年の幕を切り開こうとしているのである。

 8月15日に際して(1962年8月15日付)
 8月15日は、日本の好戦的軍国主義勢力の敗戦の日として、歴史から消すことはできない。あれから17年たったが、敗戦の教訓が生かされるのではなく、敗戦というかつて日本人が経験したことのない事実に直面してそれから新しい時代を建設してゆくということが、反対にゆがめつづけられてきていることに気付かざるを得ない。戦争の責任を「1億総ざんげ」ということですべての人民におしかぶせ、責任をあいまいにした形で「敗けたから仕方がないのだ」という宣伝の中で、戦争責任を負うべきものが居座りつづけて、いまや開き直ってきたという観が強いのである。
 気が付いたときには反ファッショ連合国の中の1国であったと思っていたアメリカが、日本独占資本と結びついて、帝国主義侵略者として振舞っており、日本の独占資本の方は、アメリカに対してはもみ手をしつつ、国土と民族主権をアメリカに売り渡すことによって、苛烈な支配者として戦前に数倍する富を蓄積し、国のすみずみまで抜かりなく搾りとる仕組みを完成しているのである。
 「古い世代は戦争体験があってダメだから、戦争を経験しない新しい世代を教育しなければならない」というような破廉恥なことがアメリカの戦争政策の下請けをやっている池田によってアメリカとの間で語られ、それが敗戦の深刻な経験の中から生れてきた平和を基調とする民主主義教育破壊の基本的な方向に公然となっている。いつの間にか、軍国主義の化けものが横行かっ歩し、ゆがめられた経験ずみの「愛国心」の宣伝ラッパが鳴り、右翼反共主義が政府特許の思想となってあらわれている。
 社会党や総評などという民主政党や労働組合までが、その書記長や議長などという頭部を先頭にして、アメリカから原爆を投下されて数10万の日本人民が殺されたその日に、平和の侵害者がアメリカであるといってはならない、といって騒ぎまわるほど、反共とアメリカの侵略主義の提灯持ちになり下るほど、事態は深刻になってきているのである。
 8月15日という歴史の日をもっと真剣に見直す必要がある。それを境として流れた前後の歴史の真実を、もう1度明らかにする必要がある。とくに、この17年間の移りゆきを、もう1度、歴史の灯に照し出してみる必要がある。

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