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8・6集会訴え広島全市で宣伝
原水禁全国実行委
           「米国は核持ち帰れ」に共感  2006年7月31日付

 原水爆禁止全国実行委員会は、28、29、30日の3日間、8・6広島集会に向けた宣伝活動を広島市内でおこなった。千田町周辺や寺町から舟入にかけて、8・6広島集会への参加を呼びかけるチラシと、北朝鮮のミサイル問題を掲載した本紙号外「 “暴支膺懲” の失敗繰返すな」が1万4500枚配布された。3日間で「アメリカ政府に原爆投下の謝罪を求める署名」は約200人集められ、カンパ約2万円が寄せられている。6月30日から毎週末を使っておこなわれてきた宣伝には、下関や宇部、山口、萩など山口県内をはじめ、岡山県などから、のべ人数約200人が参加して、号外とチラシを市内全域に約5万枚配布した。広島市民からは原爆を投下したアメリカへの怒りとともに、現在、北朝鮮を挑発して日本をふたたび戦争に巻きこもうとしていることへの強い怒りが語られ、「アメリカは核を持って帰れ」のスローガンは、大きな共感を持って受けとめられている。
 富士見町で文房具店を営む70代の男性は、号外を見ながら、「日本はいまだにこれだけの米軍基地があり、軍事力で支配されて、いうことを聞かざるをえなくなっている。北朝鮮や、アメリカのそばのキューバでも、あんな小さな国が抵抗しているのに、なぜ日本が抵抗できないのか」といった。自身は18歳で軍隊に入り、満州に渡って1カ月目に終戦だった。「終戦間際に、広島・長崎をはじめ、日本全国ほとんどが焼き尽くされて、私たちの世代はアメリカの武力が恐ろしいことを植えつけられてきた。しかしアメリカはイラクでも中東でも行き詰まって、威張っておれなくなっているではないか。だいたいアメリカ国内が火の車で、軍備を拡張して、飛行機でも生産しないとアメリカの会社自身がもてなくなっている。日本がそれにお金を出させられて、イラクに自衛隊も派遣し、米軍基地の移転にも何兆円もお金を出して、国内は生きていけない人が出ている。このままアメリカについていっても日本はよくならない」と語った。
 羽衣町の自治会関係者は、戦時中、マニラに米軍が上陸してきたときに、母と子ども4人で山の中を逃げ回ったことを語った。弟、妹は途中栄養失調で亡くなり、9月23日に食べるものがなく、みんなで自爆しようとしていたときに、日本兵が捜索に来て、敗戦を知った。その後モンテンルパの収容所で母も栄養失調で亡くなり、兄と2人孤児になって横須賀に引き揚げてきた。「アメリカは大国のエゴ丸出しだ。すでに核兵器を持っている国の都合で他の国には持たせない。アメリカが謝って核兵器をなくすのがあたりまえだ」と語り、市民原爆展のポスターを自宅前に貼って、署名を寄せた。
 また、広瀬町の70代の婦人は、小学校4年生で父、母、弟、姉を亡くし、翌年には兄も亡くなり、孤児になったことを語った。「私は疎開していたので助かった。小学校5年生から、1膳のごはんを食べるために、背中の乾くひまがないほど子守して、勉強もほとんどしていない。アメリカは今でも憎い。この気持ちは墓場まで持っていくつもりだ」と激しい口調で語った。そして「アメリカは原爆を落としたときと同じで、今度北朝鮮と戦争をしても、自分の国は痛くないから、日本がやられるのをなんとも思ってない。自分は次から次に核兵器を開発して、他の国に持つなというが勝手だ。それに小泉さんがくっついてプレスリーかなにか知らないが、パフォーマンスしてみせたりするのが情けなくて仕方がない。若い人がどんどん行動してほしい」と、市民原爆展や広島集会への参加に意欲を見せた。
 70代の婦人も、「“アメリカは核を持って帰れ”という集会をする」との実行委員会の呼びかけに、「平和公園に“2度と過ちは繰り返しません”とあるが、だれが原爆を落としたと思っているのか。日本が落としたんではない。また、なぜ原爆を非戦斗地域に落として、女、子どもが焼き殺されたのか、ずっと疑問に思っていた」と怒りを語り、「そういう集会だったら参加します」と約束した。
 岩国の門前町で育ったという、50代の美容師の婦人は、「アメリカが核攻撃されたときに逃げる訓練をしているというのは本当ですよ」と語った。「アメリカのいいなりにされているのがくやしくて、くやしくて仕方がないが、どうしようもないと思ってあきらめていた」と、行動をする人がいたことに喜びを語った。そして「8月6日は仕事で行けないが、がんばってほしい」とカンパを寄せた。
 参加した原水禁全国実行委員会のメンバーは「広島市民は誰もマスコミの大騒ぎに乗せられていなかった」「広島の人はみんなアメリカが悪いと思っている。こちらが“暴支膺懲”の失敗を繰り返すな、と堂堂と訴えたら支持された」と確信を深めている。

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