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8.6広島集会に全国の力大結集を
              日本を核の戦場にさせるな    2008年7月4日付

 広島と長崎に原子爆弾が投下され40万人もの市民が虐殺された夏から、63年目を迎える。原子雲の下でくり広げられた史上例を見ないむごたらしい地獄図は決して消し去ることはできず、日ましに鮮明な記憶となってよみがえっている。原爆を人類の頭上に投げつけたのはアメリカだけであり、それをまともに受けたのは日本人だけである。戦後、日本社会はアメリカに隷属し、政治、経済、教育・文化のすべての面で今日にいたる植民地的な荒廃のもとに置かれてきた。そのうえ、日本全土をアメリカの国益のための戦争のために、もう1度原水爆で焼き尽くす動きが露骨になっている。アメリカに謝罪を求める世論はかつてなく高まり、「広島、長崎を再び繰り返すな」の叫びは歴史的な怒りとなって全国を覆い、各地で行動が広がっている。原水爆禁止の国民的な悲願と全国に渦巻く憤激を1つに束ね、日本を核戦争の戦場にする策動をうち破る壮大な平和運動の登場が強く求められている。

 米国こそ「核の脅威」の元凶
 1945(昭和20)年8月6日と9日、人類最初の原子爆弾が広島、長崎のなんの罪もない老人、母親、子ども、学徒の頭上に、市民が最も集中する時間帯、民家が密集する地域を狙って投下された。一瞬のうちに10数万人が焼き殺され、生き残った者も肉親を失い、心身の苦痛に耐えながら命を縮めてきた。原子爆弾のような凶悪兵器を製造すること自体が犯罪であり、その貯蔵、使用を正当化するいかなる理由も通用しない。
 アメリカは戦後一貫して、原爆投下とそれによってひき起こされた真実を語ることを抑圧してきた。そうすることで広島・長崎での蛮行を反省・謝罪することなく、圧倒的な核兵器を保有することによって、世界に覇権をうち立てるために傍若無人に振る舞ってきた。アメリカこそが世界の「核の脅威」の元凶である。
 ブッシュ政府は発足以来、「ならず者国家」への「核兵器の先制使用」の脅しをかけ、新たな小型核兵器の開発に力を入れてきた。そして、その脅しを背景にアフガン、イラクに戦争をしかけて占領し、北朝鮮やイランの「核問題」を大騒ぎし、中国やロシアを仮想敵国に見たてて新型核ミサイルの開発・配備を大っぴらに進めてきた。だが、それは今日ことごとく失敗し破たんしたことがだれの目にも明らかとなっている。
 ブッシュ政府による北朝鮮に対する「テロ支援国家」指定の解除は、「対テロ」を掲げた戦争政策がイラク、アフガンをはじめ世界的な反米斗争の高揚に直面して通用しなくなり、手直しを余儀なくされたことを示すものである。同時にアメリカはこの間、朝鮮への政策転換を進める一方で、米軍再編をおし進め、自衛隊をアメリカの下請軍隊として深く組み込み、日本全土にミサイル網をはりめぐらすなど、日本をアメリカ本土防衛の盾にする策動を強めてきた。
 米軍再編の眼目は、核攻撃能力の段階を画した強化にある。岩国基地へ厚木基地機能を移転する計画は、核ミサイルを搭載できる空母艦載機を59機も集中配備し、原子力空母を接岸できるようにして、岩国基地の核攻撃機能を格段に強めるものである。今秋には、原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備され、佐世保港には原子力空母がひんぱんに寄港するようになっている。
 米日政府が一体となって進める「ミサイル防衛網」の配備は、アメリカがひき起こす核戦争の防波堤の役割を日本に負わせるものであり、日本全土を原水爆の火の海に投げ込むことを前提にしたものである。在日米軍司令部のある横田基地に航空自衛隊総隊司令部を統合し、ミサイル発射の指揮所を設置するとともに、海上自衛隊のイージス艦に迎撃ミサイルを配備、迎撃訓練が日常化するなど、自衛隊は米軍の核戦略体制に直接組み込まれている。
 小泉・安倍から福田政府はこのような日本を壊滅させるアメリカの策動に忠実に従い、米軍再編に3兆円もの血税を注ぎ込み、アメリカの戦争に直接参加するための憲法改悪の手続きや「国民保護」「対テロ訓練」の名のもとで訓練を実施するなど、国民の自由や民主主義をことごとく踏みにじり、戦時国家体制づくりに突っ走ってきた。
 それが国民の安全を保護するものでなく、日本を核戦争の戦場にする策動の一環であることは、「核ミサイル飛来」を想定した「避難訓練」などの度はずれた計画にはっきり示されている。米軍岩国基地では、核ミサイル攻撃を想定した核シェルターへの待避演習や米兵とその家族だけを国外に脱出させ、岩国市民は攻撃されるにまかせる訓練が繰り返されている。

 原爆投下から続く占領 日本壊滅の危機
 第2次世界大戦の末期、日本の敗戦はすでに決定的であり、軍事的勝敗を決するために原爆を投下する必要はまったくなかった。それにもかかわらず、アメリカが非戦斗の市民に原子爆弾を投げつけたのは、戦後の世界制覇の野望からであり、ソ連を排除して日本を単独占領し、日本国民の富を収奪して苦難を強い、日本を基地にアジアでの戦争を強行するためであった。そのために、アメリカは計画的に冷酷無比に原爆を投下したのである。
 原爆投下にいたるまで、赤紙1枚で大陸や南方に動員された若者の多くが、その途上アメリカの攻撃で沈められ、上陸しても飢えや病気で散り散りになって死んでいった。一方、国内の老人、婦人、子どもたちは艦砲射撃や空爆、焼夷弾の雨のなかにさらされ、虫けらのようにつぶされ、焼き殺されるままにおかれた。そのなかで国民は、日本の戦争指導者が「1億玉砕」「本土決戦」を叫ぶ一方で「国体護持」をこいねがい「米英との和平」へと動いていることを知るよしもなかった。
 原爆投下とそれにいたる沖縄戦や東京・大阪をはじめ各都市への空襲、戦地でのいまわしい体験は、アメリカの同じ戦争目的に貫かれた1つながりの蛮行であった。それはまた、みずからの延命のために国民を死地に追いやって恥じない天皇を頭とする日本の支配者のぬぐいがたい犯罪を示すものである。アメリカと日本の支配層は、中国、アジアの植民地の争奪をめぐって戦争をしたが、人民を抑圧支配することでは利害を一致させていた。
 アメリカは原爆を投下したあと一貫して、日本を植民地的に支配して横暴に振る舞ってきた。歴代の日本政府はその目下の同盟者としてこれに付き従い、民族の利益を売り渡すことで国民に苦難を強いてきた。とくに小泉政府からの7年間で、日本社会はまったく荒れ果て、退廃がはびこる惨憺(たん)たる状況になった。非正規雇用の殺人的労働、重税、医療・介護の切り捨て、農漁村の無人化、中小企業・零細商店の倒産・閉鎖、老人の孤独死が日常化した。自殺者は毎年3万人を超え、次代を担うべき青年が職に就けず、子どもが安心して産めない。そのうえ、自国の食料を自給できない現実は、日本がもはや独立国としての形をとりつくろえないまでになっていることを示している。
 安倍前政府は、アメリカの指図に従って日朝正常化交渉をぶち壊すために、「拉致問題」を口実に朝鮮への「制裁」「圧力」に熱を上げ、戦争まで仕かける態勢をとってきた。アメリカの指図で突っ走ってきた日本の対米屈従外交は、アメリカの政策転換のカヤの外に置かれたまま破たんし、無様な様相をさらけだしている。
 拉致行為は許せないことであり被害家族の怒りは当然である。同時に、戦後歴代政府がアメリカの朝鮮敵視政策に追随し、朝鮮との交戦状態がつづくなかで起きた不幸な事件である。日本にとっては戦前の植民地支配とその後の朝鮮戦争以来の交戦状態の終結が根本問題であり、国交を正常化して敵対関係を終結させ、話し合いで解決するしか道はない。それをぶち壊し戦争に誘導しようとするのは、「拉致問題」以上の大犯罪というほかはない。
 広島、長崎に原爆を投下したアメリカは、それを反省し謝罪するどころか、売国的支配層を従えて、日本を荒らし尽くしたうえに重ねて、みずからの安泰を決めこむために日本を原水爆で壊滅させようとまでしている。このような屈辱的な状態を黙って見ているわけにはいかない。第2次世界大戦の体験、2度と同じ目にあわせないと誓ったその誓いを今日、発揚する決定的な時期に来ている。

 世界に平和の力発信へ 新しい力が台頭
 アメリカは広島・長崎への原爆投下について、「戦争を早く終わらせ、何百万人もの生命を救うため」などといいくるめてきた。だが、そのような欺まんはまったく通用しなくなっている。それは昨年、「原爆投下はしようがなかった」と発言した久間防衛大臣が、長崎市民をはじめ全国民の激しい怒りと追及で即刻辞任に追い込まれたことにはっきり示された。「軍都だったから」「おじいさんやおばあさんが戦争に協力し、悪いことをしたから」「和解」「赦せ」などと進歩的な装いで原爆投下を正当化する論調も影をひそめている。アメリカに原爆投下の謝罪をはっきり求め、すべての原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止を求める声は全国を圧倒する世論となって高揚している。
 全国各地で展開されている原爆と戦争展では、被爆体験とあわせて、沖縄戦や全国の都市空襲、それに戦地でのいまわしい体験が新鮮な怒りを込めて衝撃的に語られ、日本を独立した国にしなければならないという論議が発展している。次代を担う青年、学生が被爆者、戦争体験者の経験に学び、第2次世界大戦の真実を知って平和のための行動を求めて立ち上がっており、平和運動の新たな局面を生み出している。
 被爆者、戦争体験者がありのままの体験を若い世代に語りつぎ、全国各地で勢いよく発展する原水爆禁止の要求と「日本をアメリカの核戦争の戦場にするな」「アメリカは核を持って帰れ」の叫びと憤激、行動を一つに束ねて発展させること、労働者を中心に勤労諸階層、青年学生、婦人、教師が職場、学校、地域において、さまざまな憤激を原水爆禁止の運動へと束ねて力強く発展させること、とりわけ青年労働者、学生が行動の先頭に立つことが期待される。
 1950年8・6広島平和斗争はアメリカ占領下の弾圧をけってたたかわれた。この運動は朝鮮戦争でアメリカの原爆使用の手足を縛る力を持って発展し、原水爆禁止世界大会を日本で開くまでの影響力を広げ、原水爆禁止運動の起点となった。アメリカを賛美し、自己の権利のみを主張するインチキ平和勢力と一線を画し、『原爆詩集』で知られる峠三吉が活動した時期の、政党政派、思想信条にとらわれぬ私心のない全国民的な運動を今日に継承する勢力の拡大が強く期待されている。朝鮮、中国、アジアをはじめとする世界の平和愛好勢力と連帯を強めることは切実な課題になっている。
 こうした運動を押し上げて今年の8・6広島行動に大合流することが大いに期待されている。「広島原爆と戦争展」(7月31日〜8月7日、広島市まちづくり市民交流プラザ)を軸にした8・6広島行動に若い世代を先頭に合流すること、広島、長崎の被爆市民の連帯を強めて、岩国、沖縄をはじめ全国の運動と結びつけ、世界の平和愛好者とともに8・6広島集会(午後1時、広島県県民文化センター)に大結集し、広島から平和の力を全国、世界に力強く発信することが期待されている。

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