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安保斗争と連動した山電61年斗争
福田正義の労働運動社説
                現在の労働運動打開の糧      2007年3月14日付

 福田正義没5周年を記念した論議を発展させるため、今回は60年「安保」斗争後の労働運動の分裂・破壊の攻撃のなか、下関でたたかわれた61年山電斗争に関連して福田正義が長周新聞紙上に書いた社説を紹介する。現在の労働現場は若者が食べていける職がなく、アルバイトや派遣、契約社員のような不安定雇用ばかりで将来の設計もできない。正規雇用でも長時間労働で追いまくられ、過労死や「心の病」においやられ、労働災害はひん発している。現状の打開を求める労働者の怒りはうっ積している。このなかで労働運動の再建が切望されている。

 山電をめぐる緊急情勢  (1961年5月10日付)
 山電をめぐる情勢は、しだいに緊迫の度を加えてきた。このままに推移すれば、好むと好まないとにかかわらず激突は避けられない情勢である。私鉄総連は10日の中央委員会で、主として山電支部の斗争について討議することになっているし、県労評を中心とする全県下の労働組合も山電支援の体制を固めつつある。
 私鉄を中心に、何がこのような情勢をつくり出したか? われわれは問題を深く検討してみる必要があると思う。
 私鉄労組山電支部が、下関を中心とする民主運動の中で果たしてきた役割はきわめて大きい。さまざまな平和を守る運動、民主主義を守る運動などで、つねに積極的な立場をとってきたことは、誰でもが認めている。とくに、安保改定に反対する全国的な運動においては、つねにその先頭に立ってたたかった。
 1昨年の暮、民社党が安保斗争における人民の統一の分裂者としてあらわれた時、山電の会社側は民社党と結びついて、組合分裂の方針に出てきた。情実、縁故、圧力、買収その他あらゆる不当労働行為にわたる手段を使った。その時、会社側は、一方では買収した組合幹部を道具に使い、こうして労働者の団結をさき、労働者同士を対立させいがみ合わせることで、かつてない不幸な状態を労働者の中に現出させ、それによって、御用組合を牽制の道具にして、事実上、組合を完全に無力なものにしようというにあった。“分裂支配”という策が、どんなに非人間的であり下劣であるかはその後の山電の第2組合の労働者の状態を見れば説明の余地のないほどである。
 それが、昨年の5月斗争となって爆発して1週間にわたるストライキとなった。しかし、会社側は、ストライキが妥結し組合が斗争体制を解くや、直ちに前にもましてあくどい分裂策を重ねていった。
 とくに、この間、目立つことは労務政策で最も封建的で同時にアメリカ式のヒューマン・リレーションを取り入れている宇部興産の指導が強くはいり、ここから山電における労資の斗争は、1企業のワクをこえて山口県下の資本家戦線と労働戦線とのたたかいという様相を深めてきたことである。このことが、斗争の形態をいよいよ悽愴苛烈(せいそうかれつ)なものにせざるを得なくしていった。山電の地元資本の意志などは全く無視されて、日経連的独占資本の労務政策がむき出しにあらわれてきた。
 それは、日米軍事同盟を頂点とする全産業の合理化、米日独占による日本人民の新しい形による収奪方式となってあらわれてきたのである。それは、封建的な労務政策と最も近代的なアメリカ型労務政策の結合であり、アメリカの独占資本が日本人民を収奪する上で最も望んでいる形態である。
 山電の経営陣は、彼らを金融的に支配する大資本の意のままに、労働組合の破壊に最大の重点をおいて、彼らのみの“安定”した支配を勝ちとり、労働者を無権利な状態においこみ、安心して収奪し安心して運賃値上げをやろうというにある。山口県の大資本戦線は山電の労働組合をおしつぶすことによって、全体としての県下の労働戦線を弱化させようというにある。
 山電経営陣は、労働協約の期限が切れるや、慣例を破って直ちに懲戒解雇を発表し、市民への組合誹謗の大宣伝を開始し、組合に対する挑発を重ねてきた。決起大会には右翼をけしかけるところまできている。
 かくて、いまや、山電の労働者ならびに全県下の労働者は、このような攻撃に対しては決然としてたたかわざるを得ず、じんぜん時を過ごせばみずからの戦線を破壊にさらすだけという段階に立ちいたったのである。私鉄総連中央委員会はこの幕を切って落すことになるだろう。

 組織・生活・権利を守る斗い  (1961年5月28日付)
 山電は、予想されたように、交渉は進展せず、労働者はストライキによってたたかわねばならないことになった。この責任は、労働組合を分裂支配しようとし、さらに組合をつぶしてしまおうとし、あらゆる圧迫、差別待遇、挑発、労働者に対する社会的な誹謗(ひぼう)を加えてきた山電経営者が全面的に負わねばならない。
 山電経営者は、公共的な性質をもつ交通産業を私的に独占し経営することによって利潤を得ていることを、もっと謙虚に考えなければならない。山電経営者と労働者の関係で正常さを保つことに山電経営者は責任をもたねばならないのである。山電経営者が、労働組合を分裂させ、無力にし、労働者の権利を奪って労働者をいいなりにしようとすることは、とりもなおさず、そのことによって労働の搾取率を高め、私的利潤を増大しようということにほかならない。それ以外に何1つ別の目的はない。山電経営者の市民に対する関係も、それが公共企業であるかどうかにかかわりなく、利潤を追求することだけの関係であり、それ以外の何ものでもない。
 ところが、山電経営者は、労働者を懲戒解雇しておいてそれを全市に発表してみたり、山電内部の営業報告とは全く違う売上げや賃金のグラフを発表して、いかにも山電経営者が利潤を得ていないように見せかけて、その責任が労働者にあるかのように宣伝これ努め、それによって山電の労働組合を社会的に孤立させ、市民の世論の協力を得て、労働者圧迫の仕事をいっそう有利にしようとしたりするのである。だから、株主有志と称する宣伝ビラまでがバラまかれるという前代未聞の珍事も平気で行われる。山電経営者は、この組合ぶっつぶしのあとに運賃値上げをかくしているのである。
 山電の経営者は、企業として利潤に不満があるのなら、山電の経営をやめればよい。これは誰も拘束しないし、また市民の誰も、今の山電経営者でなければならないと頼んだものはいないのである。
 山電経営者が、こうした思い上がったしかも前近代的な労務管理をつづけようとする限り、労資の斗争の激化は避けることはできないし、その結果、山電の利用者に迷惑をかけることを避けることもできない。このことは、山電の現経営者が、公共的性質をもつ企業の経営者として不適当であることだけを物語っているのである。
 われわれは、山電経営者が組合分裂策をはじめた1年半前に「山電経営者がそのようなやり方をすれば、必ず悽愴苛烈な斗争状態を招くだろう」と警告した。いまや事態は、そのようにすすみ、山電経営者の右翼暴力団までを使っての悪辣(あくらつ)な組合破壊工作に対して、山口県労評を中心とする山口県下の全労働者はもとより、総評、私鉄総連、三井三池、日炭高松など中国、四国、九州一帯の労働者が、山電労働者の斗争の支援に参加するにいたったのである。かくて、階級決戦の様相はいよいよ色濃くなってきた。いまや、山電の斗争は、1企業内の労資間の紛争のワクをこえて、労働者階級がみずからの組織と生活と権利を守るための民主主義の斗争として、社会的な性質をもつにいたったのである。
 山電経営者の根本的な反省、もしくは退陣なしには事態の解決は困難な段階へきたのである。

 山電争議妥結にあたって  (1961年6月7日付)
 11日間にわたる山電のストライキは、ついに妥結した。このストライキで、山口県西部の交通網とくに下関を中心にする足は完全にストップした。11日にわたるバス・電車の完全停止はさまざまな形で甚大な影響を与えた。
 今度の争議は、新安保条約にもとづくアメリカと日本独占資本の日本支配政策と深い関係をもっている。新安保=日米軍事同盟下の新しい人民収奪政策の一環として独占資本は全産業にわたって合理化をすすめているが、山電においても御多聞にもれず、宇部興産、三和銀行、山口銀行などとの系列的な結びつきを強化しつつ合理化計画をすすめている。この合理化計画すなわち新型の収奪政策は、日本的な古い低賃金と雇用関係とアメリカ式の新しい搾取形態を結合していることが特徴であり、山電は、1昨年来組合を分裂させ、破壊し、新しい労働者支配形態として、腐敗堕落幹部を買収して御用組合をつくり、組合をぶっつぶしてしまうことがまず第1の計画として強行されてきた。労働組合を無力にし、労働者の民主的権利を奪い去ることが低賃金政策の強行・労働強化・配置転換・首切り、また運賃の値上げなどを無抵抗にやってゆくための基礎条件であるからだ。
 山電会社のこの政策の強行が、昨年5月の6日間にわたるストライキとなり、その後の1年間のさまざまな紛争となり、ついに、今回の争議にまで爆発せざるを得なかったのである。
 とくに、山電の会社側は、この方針をやってゆくために、組合に対して手をゆるめることなく攻撃を加え、組合を挑発し、組合をストライキに引きこんで、ぶっつぶしてしまうことに躍起になった。それは内部事情を知らない市民にとってもまことに奇態な印象を与えないではおかなかった。
 一例をあげれば、この2月に労資間の労働協約が切れるや、直ちに安保斗争に参加したという理由で労働者の懲戒解雇を発表し、しかもそれを下関全部の新聞に折込みを入れて、組合員を誹謗攻撃するというような、常識では考えられないことも平気でやってのけた。数万枚のビラが連日のように市民に配られ、それらはすべて組合を非難し、御用組合をほめたたえたものであった。株主が株主の名において宣伝ビラを出したのも、日本労働争議史上例のない馬鹿げたこととして物笑いの種になった。右翼暴力団を使ったのも、自民党の下部末端組織を動かしたのも、今次争議がはじめてである。しかもこれらが、団体交渉の決裂しない前の段階にきわめて執拗にやられ、異様な雰囲気をまき散らしたのも、今次争議の特徴の1つに数えられるだろう。
 私鉄山陽支部に結集する山電労働者たちはこのような圧力に対して決然としてたたかった。いたずらに死を待つのではなく、問題の本質を正しく見抜き、共斗労働者に守られながら労働者の基本権と生活を守るということだけでなく、現段階における米日独占資本の合作である合理化に反対するたたかいとして斗争に立ち上がったのである。
 山電重役陣は、組合を分裂させて労働者と労働者を争わせ、対社会宣伝によって、市民と労働者を争わせることによって、自己の計画を簡単に貫くことができると考えた。しかし、事実は、山電労働者を支持する労働者たちは山口県だけでなく遠く中国、九州各地から参集し、また、市民・利用者も、会社の計算どおりにはその手にのらなかった。御用組合幹部の進言にもかかわらず、事態は、会社の思うようには運ばず、労働者の団結は固く、世論は、会社から離れていった。とくに、彦島にたいする山急の乗入れを会社が陸運局を通じて妨げたことは、会社の対市民宣伝が真赤なウソで、会社は自己の独占利潤の増大だけを目的としていることをきわめて明白に暴露した。
 かくて、11日間にわたるこの斗争で、会社は、所期の目的を達することなく妥結へ向かわざるを得なかった。地労委は、会社側の救いの神としてあらわれたことになったのである。
 組合は、会社の圧力・情実・買収による組合分裂政策にもかかわらず、全労働者の3分の1の数で11日間、完全に会社の機能をマヒさせ、御用組合は、会社にけしかけられて1度ピケ隊を襲撃して流血事件を引き起したが、ついに最後までなすところなく、いたずらに会社の御用別働組織であることを示したにすぎなかった。
 会社は、その大道具大仕掛けにもかかわらず、決然としてたたかう労働者と、世論の前に譲歩を余儀なくさせられたのである。
 今次争議に対する会社重役陣の社会的責任は追及されねばならない。それがいかに私的利潤を追求することのみを目的とする企業であるとはいえ、企業そのものが交通機関というような公共性のものであり、しかもそれを独占している以上、このような事態に導き、しかも流血の惨事まで惹起(じゃっき)した会社の社会的責任はきわめて重大である。
 また、この争議を指導した組合の統一指導委員会は、この争議の妥結にあたって、組合とそれを支持する広範な共斗労働者・市民の期待に十分にこたえることができず、組合内外の情勢を正しくつかむことができず、不十分さを残して妥結したことは、今後に問題を残すことになったという事実を正しく見て、今後の事態の処理にあたって責任を回避するようなことがあってはならないし、評価に対してきびしさを失ったり、警戒心を解いたりしてはならないだろう。
 私鉄山陽支部の全労働者は、この斗争をきわめて英雄的にたたかったが、さらに、妥結後の新情勢をきびしく分析し、団結をますます固め他の労働者との団結、市民との団結を強めねばならない。今最も重要なことは、警戒心を高めることである。

 露骨な階級的な弾圧  (1961年6月25日付)
 山電の労働争議をめぐって、検察・警察は、すでに14名の労働者を逮捕・拘留している。それは山電の労働者だけでなく、長門鉄道、石見交通などの支援労働者におよんでいる。
 被疑事実は、争議に際して車両をおさえたことと、第2組合員との間の暴力行為ということになっている。
 すでに、拘留理由の開示が、長門簡裁、下関支部の2つの法廷で計3回開かれているが、これらの法廷で示されたことは、この逮捕・拘留が、きわめて露骨な階級的弾圧であるということである。この開示を傍聴したものは、誰もこれらの労働者を逮捕・拘留しなければならないことを納得することができない。さらにまた、被疑事実そのものが、きわめてあいまいであって、逮捕・拘留という基本的人権の侵害行為が、何のために裁判所によって認められているのか理解することができない。
 第1に、もしも、この労働争議において発生した諸事件を問題にするというのであれば、この争議に関係をもった会社、組合、第2組合がすべて登場しなければならないことになるだろう。ところが逮捕・拘留者は第1組合員と第1組合支援労働者だけであって、会社側も第2組合員も誰1人逮捕されていないのである。このことは検察・警察側が、全く会社側すなわち資本の道具であって、資本の利益を守るためにはどういうことでもする仕掛けになっていることを証明しているのである。
 27日の車の争奪が、すでにスト中の事件であるか、まだストに入っていない前の事件であるかについては、会社と組合間の問題であって、警察の介入しなければならぬ問題ではない。もしそれで、どうしても逮捕して取り調べることが必要であれば、会社と第2組合も逮捕すべきであろう。
 また、組合員と第2組合員との間の衝突事件について、どうしても逮捕して取り調べることが必要であるというのなら、なぜ、第2組合員を逮捕しないのか。
 さらにはまた、検察側があげている証言なるものは、すべて一方的なものであり、とくに、当事者である第2組合員の証言など全く無意味なものである。
 第2に、人を逮捕・拘留し、基本的人権を侵害するには、それに必要な理由がなければならない。検察側が主張し裁判所がそれを認めることのできる理由は、証拠いん滅と逃亡のおそれがあるということだけである。
 100歩をゆずって被疑事実があるとしても、この種のこのような事件に証拠いん滅のおそれがあるわけはないし、ましてや逃亡のおそれがあるわけはない。
 このことは、身柄を不当に拘禁することによって、労働者側に迫害を加えようとしているということ以外には考えられない。
 以上の点から、山電争議が労資間で妥結するや、ただちに検察・警察が会社に肩代りして労働者弾圧にかかっているという事実はおおいかくすことができない。そして、公正であるべき裁判所が、それに加担していることも、かくすことはできないのである。
 これが「争議責任は問わない」という争議妥結条件のもとに行われているという事実は、労働者のたたかいにおいては、国家権力は資本の守り手としてだけ立ちあらわれるということをはっきりと証明しているのである。同時に、それは単純に“労働者”ということではなく、山電第2組合のような会社の御用組合は、検察・警察においても、それが反労働者の役割を忠実に果たすということで、まことにあたたかく守られているということも証明している。
 このような露骨で階級的な弾圧に対しては、労働者ならびに全民主勢力は、広範な人民を結集しての抗議斗争に立ち上がらねばならない。

 分裂主義を克服しよう  (1961年12月20日付)
 安保斗争後に、怒りに燃え上がった人民を欺瞞するためにあらわれた池田内閣は、「所得倍増」「減税」「社会保障の拡充」を看板にしたがわずか1年の間に、どの看板も吹きとんでしまった。
 第2次池田内閣が登場した昨年の暮から今春にかけて、池田内閣が発散するバラ色のムードは、マスコミの大がかりな宣伝に支えられて、それとなく“よい時代”が到来するかのような幻想を与えることに成功した。しかし、それが全くの欺瞞でありもっともたちの悪いごまかしであったことは、すぐに暴露してしまうことになった。
 アメリカ帝国主義と組んだ日本独占資本の食い荒しは、恐慌の進行のなかできわめて露骨につづけられていった。アメリカの要求である貿易・為替の自由化に歩調をそろえるため、国家財政をはじめ収奪した資金を惜しむことなく、設備拡充に投入し、企業の合理化を徹底的にやってきたし、いまもやっている。その結果として、アメリカとの不平等貿易も重なって国際収支の赤字が危機的な状態になるや、これを日本人民のいっそうの収奪の強化と、アジアへの帝国主義的軍国主義的進出によって乗り切ろうとし、いまや危険きわまりない冒険の途上を進行しつつあるのである。
 このような情勢の進行は、組閣以後、とくに今年初頭にふりまいていた池田内閣のバラ色のムードが、全くの人民をあざむくための欺瞞であったことを、あますところなく暴露している。またそういうムードをただよわせることにある程度成功させたのは、ブルジョア・マスコミの役割であり、これらのマスコミが全くの支配権力の道具であることを、あらためて明らかにしたのである。
 このような情勢に対して、今年の民主主義の側の運動を見る場合、多くの成果もあるが、1つの大きな問題として、分裂主義の広がりを見落すことはできない。それは、一方でやられた池田内閣とマスコミの合作による“バラ色のムード”に呼応するかのように、人民の統一をゆがめ、沈滞させ、破壊していったからである。
 安保斗争の中ですでに右翼の公然たる横行は目立ってきたが、浅沼社会党委員長の暗殺、嶋中中央公論社長宅での家族の殺傷などに対する人民の抗議に対して逆に人民の民主主義を圧殺するための政暴法を出してきたという情勢において、安保共斗を再開することがきわめて困難であったし、今も安保共斗が半身不随の状態になっているという事実は、そのことをきわめて明確に物語っている。
 これは“バラ色のムード”をつくり出して人民を欺瞞したやり方の別の面でのやり方である。その2つは1つの根元でつながっている。この巧妙さが、ダレスと交替したライシャワー (注・当時の駐日アメリカ大使)の新しい手口である。彼らのやり口は、欺瞞と人民分裂の弾圧である。バラ色のムードの中に、そぎたてた鋭い刃物がかくされているのである。
 民主陣営が安保共斗を有効なたたかいの武器とすることができなかったか、または不十分にしかできなかったことは、どこでどうつながっているにせよ、安保共斗の中心勢力である労働組合の組織の内部に、人民の統一を妨げることで支配権力の思うつぼにはまったものがあったことは否定できない。
 それは、とくに、政暴法の斗争においてもっとも露骨にあらわれた。また、ソ連の核実験をめぐる反ソ分裂活動という形で、原水協や日ソ協会の中にもあらわれた。合理化の斗争の中でも炭労などに多くあらわれた。政党の綱領上の相違を、人民のたたかいのための統一行動を否定する口実にするという傾向は、今日、あらゆる組織に見られるところである。
 昨秋の国会選挙が、安保共斗を破壊したように、来年6月の参議選が、さらにそれに輪をかけてゆく危険性をはらんでいる。このような分裂主義の横行を許すかぎり、ものすごい勢いで迫りつつある人民収奪と戦争と弾圧の政策と、有効にたたかうことはできない。この問題の克服が、明春ヘの最大の課題であろう。

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