トップページへ戻る

遊び感覚で思考壊す英語教育
情緒や生活習慣を米国化
                親や教師無視しゴリ押し    2013年11月15日付

 「グローバル化に対応する人材をつくる」「そのためには英語がペラペラ話せることが必要」といって、小学校では5、6年生で英語が必修とされ、中学校では3年間の英語の授業時間が国語を上回るようになり、高校では今年4月から「英語の授業はすべて英語でおこなう」という方針が実行され始めた。大学でも、「英語でやっている授業は○%」と数値目標で追い立てている。加えて安倍内閣の教育再生実行会議は、「小学校5・6年生から英語を教科にしてテストをおこなう」「中学校でも英語の授業を英語でおこなう」といった方針をうち出している。しかしこの間、「話せる英語」「使える英語」を徹底したことで学校現場はどうなったか。小・中・高校で実情を聞いた。
 
 桃太郎はピーチボーイ 小学校の学習発表

 下関市内のある小学校では、最近、父母たちが見守る学習発表会で、六年生が「英語劇(むかし話)」を発表した。だれもが馴染みのある「桃太郎」「浦島太郎」「おむすびころりん」といった日本の昔話を、日本語でなく英語で演じるのだ。
 例えば「桃太郎」の劇は、「Hello! everybody! Momotaro,the peach boy. Let's start !(こんにちは、みなさん! ももたろうの劇です。さあ! 始めましょう!)」から始まる。
 英語のセリフを暗記している子もいたが、その他の子どもは父母たちにわかるように画用紙に書いた日本語訳を示しながら、画用紙の裏にカタカナで書かれたセリフを読んでいる。小学校では、英語のスペルを教えて読ませることはしてはいけないことになっているからだ。
 恥ずかしそうにいう子もいれば、ふざけていう子もおり、見に来ていた親たちは「だれがどの役をやっているかわからない」と苦笑したり、「なにをいっているのかわからない。低学年が日本語で桃太郎の劇をした方がまだいい」という声が上がるなど、なんともいえない違和感が漂った。以前なら六年生は、重厚な内容の物語を学級の仲間と協力して練習を重ね、感情を込めて劇を作りあげ達成感を得ることが追求されてきた。しかし英語では日本人としての情感や人情の機微に触れる演技などできない。親たちのなかでは「子どもになにが残ったのだろうか」と語られている。
 小学校では、子どもたちが感情をぶつけあい、会話もしけんかもしながら大きく成長していく時期である。その成長期にわざわざ英語教育を導入すること自体、なにを成長させたいのかと多くの親が疑問を感じている。普段の英語の授業も、絵や音楽を通じて「楽しく英語に慣れ親しむ」というものが貫かれている。日常会話である時間の聞き方や買い物の仕方、色、数字や果物などをゲーム感覚で覚えたり、耳で聞いてそれを聞き分けたりと、「スピーキング重視」「ゲーム感覚で楽しく」「英語を積極的に発すること」が重要とされている。英単語や英文を書いたり、読んだりすることは一切ないのが特徴。それはまともな英語教育ではなく語学力をつけることなど最初から目的ではなかったことを示している。
 最近の授業では、この時期に欧米でおこなわれるキリスト教の祭り、「ハロウィン」を勉強し、「Trick or treat(ご馳走をくれないと悪戯するよ)」といって各家庭をせびって歩くかけ声をはじめ、それにちなむ英語を覚えるなど、ことさら欧米流の風俗・習慣に幼い頃から慣れ親しませる内容となっている。
 6年生の教師は「スペルを書かせることもなく、絵を見てその名前を英語で答えさせたりで、英語の時間はほとんどゲーム感覚。教師であればどんな授業であれ、子どもにどんな力をつけさせるかと考えて教育するが、これで英語の力がつくのか? というのが本音だ。まずは日本語の勉強からだろうというのが、教師ならだれもが感じている。だが文科省はそれでいいという。どんな人間をつくろうとしているのか」と語っている。

 必修化後の中学生英文書けず語学力低下

 ゲーム感覚で英語に慣れさせられた子どもたちが、中学に入学すると、初めて単語のスペルを覚えたり、名詞、動詞、現在進行形などの文法を習う。
 現在の中学2年生は、小学5年生のときに英語が必修となった学年だ。ある中学校教師は、「今の中2が入学してきたとき、ALT(外国語指導助手)と積極的に英語で挨拶を交わしている姿を見て、“これまでと違う。小学校の英語の効果だ”と感心していた」という。しかしその時の英語のテストが過去最低だったと話す。例えば「What is your name?(あなたの名前はなんですか?)」を聞いて意味を理解することはできるが、そのスペルや文の構成が理解できない。つまり、耳で反応したり外国人と軽い調子で挨拶ができたとしても、英語という言語がどのような成り立ちになっているか思考する力は身についていない。
 英語教育の専門家も、文科省が「しゃべれる英語」「コミュニケーション重視」といって英語教育の改革を20年やってきたが、その結果「文法がわからない、英文が読めない、書けないという生徒が増え、英語の力が年年下がっている」と指摘している。また「物事を深く考えて、多角的に見る視点が失われた」ことも共通して指摘している。
 ある中学校の教師は、「小学校の英語は“コミュニケーション能力の育成”といって導入されたが、それは単に“ハーイ!”“ハロー”といって軽い挨拶ができる能力であって、相手の気持ちを深く理解するという力ではない。今、いじめやスマートフォンなどを通じた子ども同士のトラブルが深刻になっている。小学3、4年生から英語を導入するというが、日本語で友だち同士の関係を結ぶことも難しいのに、さらに短絡的な思考を強めるだけではないか」と語っている。

 英語で授業する高校 現実にあわず大矛盾に

 高校では今年4月から、進学校か実業高校かに関係なくすべての高校で、1年生の英語の授業は「原則として英語でおこなう」という方針を実行することになった。
 下関市内の高校で半年たった実情を聞くと、「立ちなさい」「座りなさい」「黒板に答えを書きなさい」「プリントを集めなさい」「グループで話しあいなさい」「教科書の○○ページを開きなさい」という生徒への指示は英語でするが、日本語を使わずに授業を進めることは無理であり、これまで通り日本語を使った授業をおこなっているところが多い。
 進学校に通う1年生の女子生徒は「4月の初め、先生が日本語を使わずにすべて英語で指示しはじめたので、みんな“えっ? 意味がわからない”と話になった。それで最近はなくなった。英文法の授業については先生が“文法は日本語でないとわからないから日本語でやる”といっている」と話している。
 ある英語教師は、「日本人が英語を学ぶ場合は、育った環境が日本語なのだから、日本語で考えて学ぶのがあたりまえ。英語で英語を教えることは生徒も教師も混乱するだけで、まったく無理なことをやらせようとしている。結局、アメリカに対する劣等意識を植えつけ、条件反射的に英語で動ける人間をつくろうとしているのではないか」と指摘した。

 大学人も警鐘 母国語奪う植民地教育

 小学校も中学校も高校も、英語を担当する教師は、文科省の進める「コミュニケーション重視」の英語教育では子どもの力はつかず、逆に英語の基礎的な力はなくなり、物事を深く考える力も弱まり、短絡思考とアメリカ崇拝が強まることを共通して危惧している。安倍政府の進める英語漬け教育は、学校現場ではすでに大失敗している。
 それなのになぜ、さらに対象年齢を引き下げて、無理矢理押しつけようとするのか。それは英語教育の目的が、純粋に子どもたちに会話の力をつけさせたいというものとは別のところにあるからである。
 大学で英語を教える教員のなかでは、英語教育の押しつけはアメリカによる植民地教育であるとする論議が高まっている。この数世紀間の歴史を見ても、アメリカやイギリスが世界各地でおこなった侵略と植民地支配のなかで、支配された民族は生活のすべてを奪われるとともに、民族の文化も母語も奪われた。
 たとえば19世紀のアフリカ大陸は、資源を求めるヨーロッパの列強によって勝手に線引きされ、全面的に植民地化されたが、同時に言語も奪われ、英語が押しつけられた。土着の言語は「悪魔の創造物」であり、それを話す者は白人によって「愚か者」「野蛮人」とみなされた。ケニアでは、高校や大学に進学するための試験の六科目がすべて英語でおこなわれるようになった。母語を奪われた結果、アフリカ人は民族の歴史や文化を継承する手段を失い、学校の教育で語られる言語と家庭や地域での日常言語との間につながりが見出せず、疎外感に苦しむ子どもが続出したという。
 またアメリカ大陸では、先住民のインディアンの虐殺がおこなわれ、生き残った先住民は居留地に押し込められた。インディアンの子どもたちは親から隔離されて寄宿学校に入れられ、そこで子どもたちは部族語を禁止され、それまでの生活習慣も捨てさせられて、英語と白人の生活習慣、キリスト教を強制された。そして、もともとの名前もとり上げられて、ジョンやメリーといったアメリカ人の名前がつけられた。
 そして、日本もそれが他人事ではなくなっている。日本の子どもたちから、物事を深く考える力を奪い、短絡的で条件反射的な、思考能力破壊を「英語教育」と称して植えつけ強い支配者に屈服するような状態におくことは、いったいだれが喜ぶことか。それは外資系企業や国を捨てるグローバル企業のためにごく一握りのエリートをつくるとともに、大多数の子どもを切り捨て、カタコト英語で反応する使い捨ての非正規雇用労働力にする意図に通じている。そしてそれは自衛隊にも英語での命令をするよう徹底し、あげくは日本の若者を米軍の下請戦争の肉弾にするための、正確な計算にもとづいた政策にも通じている。
 安倍政府が力を入れる英語漬け教育で進行する事態は、日本の子どもたちから民族の背骨を抜くのでなく、民族の子どもとして育てる教育を徹底して強める重要性を示している。父祖たちの歴史的経験、とりわけ被爆体験や戦争体験を学び、原爆投下者を憎み、平和を愛し、独立した日本をめざして行動できる青少年を、教師、父母、戦争体験世代が一致団結して育てる運動を、大きく発展させなければならない。

トップページへ戻る