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新しい時代切り開く全国の力に確信
             創刊55周年記念集会参加者の感想    2010年5月19日付

 長周新聞創刊55周年記念祝賀集会の成功を受けて全国各地、各界各層の参加者から深い感動と、独立・民主・平和・繁栄の日本の実現にむけた決意のみなぎる感想が続続と届いている。

 勇敢な戦者の勢揃いに感動   岩国・タクシー労働者  三浦保則

 長周新聞創刊55周年記念祝賀集会。平成22年5月16日開催された。誠に見事な成功を収めた。55周年の会場でスピーチを聞く。ご婦人の叫びを聞きながら、この胸に痛みが走る。昭和30年といえば僕は12歳、小学生だった。戦後10年たって生まれた方には想像もつかぬかもしれない。電気製品といえば、はだか電球だけ、他には何にもない。乳白色の丸い笠に、黒っぽい布が巻かれている婆ちゃんの習慣だった。そんな厳しい折に、長周新聞を立ち上げた。
 僕は昭和一八年に生まれ、婆ちゃんにおんぶされて、爆弾と機銃掃射から逃げ回るのにばらばらになった死体を避けたり踏んだりした。きれいごとはいっさいなかったと婆ちゃんに聞かされた。空襲で2回も焼け出され、軍事列車で広島に強制疎開、父は戦死、母は空襲で行方不明、行くところも家もすべてなくした。戦争が憎い、とても憎い、戦災孤児ともいわれた。
 今僕はタクシーに勤務していて、観光客にいつもいうんです。岩国に進駐軍がいっぱいいるから、好きなだけ持って行ってくれと。忘れてはならぬ、昭和の時代を。しゃれこーべの上に立つ基地と進駐軍。
 長周新聞は全国に訴える。事実を、真実の報道を。地獄の底をはいずり回り、生きてきた民の声を。戦後の食料難に悩まされて亡くなる民。戦後の物のない時代を生きぬく民。貧しさと不況をくぐり抜けて生きてきた民。その意味では民は「つわもの」といえよう。口を閉ざしていた生きた証人がついに訴えた。その生の声を今日ここで聞けた。真実を。涙を流し、戦争が憎いと。もう黙っているのは嫌だ、みなに知らさなくては、と泣きながら語る婦人。長周新聞五五周年記念に招かれた「つわもの」。ぼくにとっては勇敢な戦者の勢揃い、スピーチを聞くたび感動し、ぐっとこらえていたがやはり涙が出てならぬ。
 この感動と涙が明日への希望と勇気で生きていける。もう一つ感動したのが、若い衆がいっぱいおる。しかもみんなわかっておる。
 長周新聞社の若い衆を見ていて、「はぐるま座」の若い衆を見ていて安らぐ。
 そして全国から駆けつけてきた「つわもの」がすごくてれくさいぐらいうれしい。勇気と感動をありがとう。証言をありがとう。

 歴史は開かれつつある   沖縄・土地家屋調査士  又吉 豊

 歴史は勝者の思うがままに記録されるのが常ではある。戦前、戦後の日本の歴史はどうかといえば、日本の支配階級が中国をはじめアジアの人人を隷属させてきたことを正当化する歴史であり、一転アメリカに負け? てからは米日合作のデタラメがまかり通る“歴史”になってしまった。
 このような歴史の欺瞞を直視し、原爆投下以降、背骨をたたき折られた民族の魂に喝を入れ、日本人の誇りをとり戻すたたかいに立ち上がった人人が一堂に会したのが長周新聞五五周年祝賀会であったと思う。
 政党、政派、思想・信条を超えてこれほど多くの人人が結集し、しかも小学生から九〇余りの大先輩までが同じ目標に向かって意志を固めあうということは感動的であり、新しい日本の歴史は開かれつつあることを感じさせる内容の濃い大集会であった。

 胸熱くなった各県代表の話    広島市 上田満子

 私は長周新聞を取り始めてからまだ1年足らずと日が浅いですが、長周新聞のおかげで広島、長崎をここまで発展させてきたことを思い知らされ、各県代表のみなさんの発言を聞きながら胸が熱くなりました。祝賀集会の雰囲気から熱気に満ち、お一人お一人の発言に力がこもり、最後には長周のみなさんの姿が見れて、涙が出るほどうれしかったです。その熱気は参加者にも移り、広島からの参加者は約20人ほどいましたが、帰りのバスの中では集会でうたわれた「がんばろう」の歌を2回も合唱して盛り上がりました。
 失礼ながら一新聞社があれほどのことをやられるとは思ってもいませんでした。ですが、社員の方方が勢揃いされた数の多さを見て、これだけの社員がいて毎日のように新聞が送られてくるのだと納得できました。
 また、印象的だったのは、日頃聞くことのない在日朝鮮人の方や、沖縄の人たちの声が聞けたことです。かつての戦争の歴史を思えば、日本人を敵視されてもおかしくないのに、とくに恨み節をいわれたり、泣き叫ぶわけでもなく、私たちと心が通じる発言でした。一言一言が胸にこたえました。南から北から集まってこのような交流をする経験は生まれて初めてのことで、ほんとうに行ってよかったと思います。
 私は、原爆で家族を失って生活が一変し、学校にも行かずに農家で住みこみで働き、勉強もせず井の中の蛙で生きてきましたが、この広島の会に参加して、長崎へも行くようになったり、人生が180度変わりました。見る、聞く、知ることを通じて、ますますやる気が出て、視野が広がってきました。一人で家にこもっていたら何も変わらない。社会に出て、皆さんとともに平和な日本の実現のためにがんばりたいと思います。まだ一年生ですが、一段ずつ階段を上っていきます。

 原爆犠牲者の本当の慰霊  長崎市 佐藤佐知子

 私ははじめて長周新聞の祝賀集会に参加しましたが、感動で感無量でした。集会に寄られた方方の立派な発言を聞きながら胸が一杯になりました。そして、翌日には長周新聞本社と工場とを見学したことが非常に勉強になりました。これまで私たちは手取り足取りでやってきましたが、目には見えないたくさんの人たちに支えられていることを知りました。また、社員の方やはぐるま座の方方がとことんまで私たちを歓迎してくださり、これからの日本を変えて、原爆のことを伝えていこうという熱意で動かれる姿はほんとうに感動でした。集会で上演された劇も非常に感心し、日本全国を揺り動かさんとするみなさんの努力に心から感謝しています。
 長周新聞によって私たちはテレビなどでは知ることのできないさまざまなニュースを知らせてもらっていますが、集会の翌日に工場を見学したとき、目の前でその紙面ができあがり、私たちに手渡されたときには、一枚の新聞を作るまでに大変な努力があることがわかりました。この長周新聞とはぐるま座が両腕になって日本中で活躍していけば日本を必ず変えることができると思います。長周新聞を読むのがこれからますます楽しみになりました。
 そして、集会に参加されたあれだけの人たちが力を合わせれば、アメリカを日本から追い返し、平和な日本をつくることができると確信を持つことができました。その感動的な場に私が参加できたことは、原爆で苦しみながら亡くなった母も心から喜んでいると思います。無念のうちに殺された原爆犠牲者にとってほんとうの償いになる感動的な集会でした。この感動を力にして私もがんばりたいと思います。

 若い力に背中押された集会  下関原爆被害者の会 河野 睦

 長周新聞55周年の記念集会に初めて出席させていただきました。驚きました。いっては悪いけれど、この下関より出版の小さい新聞なのに、県内はもとより全国各地でこれだけの人が読んでいることを。
 長崎の方も広島の方も、そして沖縄の方もみなさん力がこもって迫力があり、力をいただきました。長崎の方が「下関の人が来て一生懸命やってくれているのに地元の人間が知らん顔をしていてはいけないと思った」といわれていました。「下関の被爆者」というとみなさんが立ててくださいましたが、下関の被爆者の会も長周新聞の後押しがなかったら、吉本さん一人の力ではここまでできなかったと思います。
 よくよくこの持論を曲げずに五五年続けていらしたことに敬意を表します。その仲間の一点に加えさせていただき、本当にうれしく思います。国の政治家も、県の議員も、市の議員もみなあてにはなりません。高杉の時代ではないのですが、市民一人一人の力がより集ってできた法案こそが大事なことだと思います。
 今までなに一つ知らなかった私も長周新聞のお陰で少しずつわかって来たような気がします。被爆者でありながら自分ではしゃべらず、隠していたことを今さらながら恥ずかしく思います。
 私は貧乏ながら親や周囲のみなさんに支えられて今まで元気に過ごして来ました。もう長い命とは思いません。残りの人生、できる限り運動に協力させていただきたいと思います。
 こんな気持ちになれたのも会合に出席して、若いみなさまの力に(小学生も含めて)押されています。本当にありがとうございました。
 今後ともよろしくお願い致します。

 この感動を全国に広げよう  満珠荘の存続を求める利用者の会 青柳 侃

 5月16日開催された長周新聞創刊55周年記念祝賀集会に参加して、日本国内の平和活動を推進している民衆の大多数がわが国で一致結束を固め、戦争を阻止する出発点にしようと統一戦線をつくり上げる力になる素晴らしい祝賀大会となったことにお喜びを申し上げます。
 私たちはこのような集会に参加できたのも初めてのことであり、全国から参集されている各界のみなさまにお会いできたのも大変な幸せであります。
 私は一人の日本人としてこの集会に参加し、日本国の独立がいかにひ弱なものであったかを考えさせられた集会でもありました。
 しかしながら逆境のなかにあった全国各地で原爆展運動、原水爆禁止運動にとりくんで来られたみなさんが、同じ目線で将来の日本を目指し、平和で安全な国づくりに参加しようとの意気込みを身近に感じとることのできた本当に楽しい集会でありました。
 この集会に劇団はぐるま座のみなさんが参加され、寸劇、合唱とリアリズム演劇が力強くとり入れられ「日本を変える力ある運動」を続けると宣言され、在日朝鮮下関商工会顧問の方は太平洋戦争直後の苦しい時代、日本人と差別されシベリアに残留された事等等、多くの方方が経験された事象を自分の言葉で話されていたことは、聞かれていた参集者全員が感動をもって聞き入っておられる様子が今も伝わって参ります。
 私はこの集会冒頭に「日本からアメリカの基地を立ち退かせ、独立を勝ちとり、日本と世界の平和と繁栄のたたかいに貢献し、飛躍する年にしよう」と呼びかけられている通りの日本国をつくり直すよう努力して参りたいと思っています。この熱い感動が冷めやらないうちにこそ運動の展開を強め、働く人人こそ国政の変革を求め得る主人公となって、戦争のないたたかいをますます強化していく行動にみなさんとともに頑張り抜く民衆の輪を広げましょう。

 長周の力量を発揮する時代  長崎市 高木昌章

 この度、はじめて長周新聞の祝賀集会に参加できたことをうれしく思います。まず会場の舞台装飾が見事で、シンプルであるが長周新聞の55年の歴史をみごとに表現していました。599人という参加者の数にも驚かされました。そして、会場後ろに展示されていた道岡香雲氏の書は実にみごとなもので、書が好きな私は何度も見て回りました。祝電では、埼玉大学名誉教授の鎌倉孝夫氏のメッセージが印象的でした。
 発言では、森谷編集長の総括報告が今日の社会情勢と社の方向性について微細に渡って展開され、新聞社としての存在価値を十二分に感じさせるに足る内容でした。いま手にある集会報道紙面を読み返しても深くうなずかされるものがあります。また、在日本朝鮮下関商工会顧問の厳潤徹氏の発言は、簡潔でありながら含蓄のある内容で感銘を受けました。
 「セレモニーを見ればその会社の実力がわかる」といわれますが、会場設営、料理、接客から終了時間の正確さに至るまで、長周新聞のチームワーク、組織力を感じさせるすばらしい集会でした。裏方の大変さはやったことのある人でしかわかりませんが、裏方の努力があって、参加者が十分に満足できるものだったと思います。
 翌日、下関にある維新の史跡めぐりと合わせて、長周新聞の編集局と工場、福田正義記念館を見学させてもらいました。私は長周新聞がどんな新聞なのかわからず半分は疑心暗鬼もありましたが、その成り立ちから組織の在り方まで非常によくわかりました。集会が終わると即座にそれを編集し、それを工場で版に仕上げ、輪転機で印刷するまでの工程を知り、その流れ作業の迅速さ、コンパクトだが集団の力で新聞を作り上げる仕事のやり方に感心しました。熟練した責任者が若い工員をみごとに指導しながら新聞を刷り上げていく光景は工場の力強さを感じました。非常にタフな新聞社であることがわかりました。
 福田記念館では、創業者である福田正義氏の蔵書の多さや種類を見て、その人となりがわかり、この新聞がどんなプロセスを経て今日まで発展してきたのかもっと知りたいと思います。これからの日本は大変な時代に突入しますが、長周新聞がその力量を存分に発揮される時代でもあると思います。本集会の大成功を出発点に勇躍前進されることを期待しています。

 良い実には蜂が群がる様に  和歌山県・有田市農業委員会副会長 澤崎幹生

 普段聞けないようなことをたくさん聞けてびっくりした。和歌山には原発もないし、穏やかな県なので強烈な印象を受けた。そして、みんなたたかって生きているのだと思った。国に対しても、沖縄も市民がたたかっている。それはすごいことだし、みんな偉いなと思った。
 長崎の二人の女性の意見は初めて聞く話だった。赤ちゃんの首がなかったり、同級生がみんな死んだ話もショックだった。同級会が開けないことなど考えられないことだ。
 みんなのコーラスはよかった。歌は心に入ってくる。気持ちのなかに飛び込んできた。
 絵の具の中にはニカワが入っているから色が剥げ落ちない。海水には塩があるから決して腐らない。そしてそれらは見えないが、なくてはならない存在で支えている。長周とはぐるま座はそういう役割で頑張っているところだ。そういうところには人が集まってくる。良いみかんに蜂が群がって花粉を運ぶように…。桃やスモモに良い花や実があるから、人が集まってその下に道ができるように…。

 飛躍到来!更なる大勝利へ 沖縄 源河朝陽

 55周年にふさわしい、感動的で元気のでるすばらしい記念集会でした。読者の総括意見が長周紙面に掲載されてきましたが、じかにスピーチをお聞きするとそれぞれの方方の思いや感情がしっかりと伝わってきました。
 50周年からこの5年の間にも長崎の被爆市民が、まやかしや抑圧をうち破って立ち上がったこと、被爆者の吉山さん、河辺さんのパワーあふれるスピーチに熱く感動しました。甲飛会の安岡さんとサイパンで戦争を体験した和宇慶さんが同席され、初対面なのにまるで旧知の友人のように親しく交流されていたことが印象的でした。広島の被爆者の山本正子さんもお元気で、にこやかな表情に接しうれしく思いました。在日朝鮮人の厳潤徹さんと固い握手ができて感動しました。沖縄にこられたときは熱烈歓迎いたします。
 劇団はぐるま座が、人民劇団として本来の姿をとり戻し、飛躍到来を強く印象づけるものでした。4時間があっというまに過ぎた感じで、和やかな雰囲気のなかにも命の気概を感じるものがありました。会場全体に新しい力がみなぎり、独立・平和、社会変革への明るい展望を共有するものでした。
 それは、長周新聞社が、「創刊の訴え」―福田路線を一貫して堅持し、いかなる権威にも屈せず、内外の日和見主義とたたかい、幾千万大衆とともに歩んできたことの証左であります。飛躍到来! 団結してさらに大きな勝利をたたかいとりましょう。

 祝島のメッセージに共感   長崎大学学生 中島友野

 全体が熱い雰囲気で参加してよかった。とくに心に残ったのは在日朝鮮人の方の発言で、最後まで聞きたかったがとてもよかった。それと祝島のメッセージに共感が持てた。
 私の生まれ育った屋久島の近くに竹島があり、そこに使用済み核燃料の廃棄物処理施設を建設しようとしたとき、当時、漁協の青年団の団長をやっていた父が一生懸命反対運動をやっていた。私は小さかったがとても印象に残っている。そのこともあり、祝島のメッセージにとても共感した。
 長周新聞のバックナンバーを自分の生まれた年の1989年を読んだ。正しいことが書いてある新聞だなぁと思った。
 一緒に行った長崎の人たちの発言は相変わらず迫力があった。西洋館の原爆展は一緒に頑張りたい。

 思い知った長周の持つ力 山口 中学校教師

 私は、長周新聞の読者になってまだ日は浅いが、日日新しい世界に引き込まれていることを感じている。この集会は、私にとって衝撃的な感動でした。「いかなる権威にも屈しない、真実を報道する言論機関」がどれほどすごい力を持っているかということを思い知った。集会全体が「日本を変えていくんだ」という熱気で燃えていた。
 大手商業新聞などが、見かけは立派そうな新聞を大量に発行しているが、そこにはひとかけらの真実性もなく、人人に真実を見させない仕掛けであふれた紙面構成だ。
 それに比べ、長周新聞はわずか4ページの新聞だが、真実を報道する姿勢に貫かれ、多くの人人の生き方を変えていく力を持っている。大手商業紙など恐れるに値しない。
 長周新聞の読者になって、真実を知ることになったうえは、読者として行動を起こさなければならないことを自覚させられている。それがまた、読者としての責任だと思う。
 読者になるということは、質的な飛躍が要求されることだと思う。そうでなければ読者になる意味がない。また、そうであるからこそ、読者を圧倒的に増やさなければならない。この読者の力が、日本の未来を切り開く確かな勢力だからだ。これは、長周新聞社にとっても、われわれ読者にとっても、今後の大きな課題だ。
 集会会場で、総括意見に投稿を寄せられた先生方と交流でき、「なるほど、長周新聞はこういう人たちに支持され、支えられているのだ」と納得できた。また、今後は私もその一員になっていかなければという決意をさせられた思いです。

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