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米国の支配断ち切り戦争阻止へ
戦後68年目の8・15を迎えて
               「自由・民主」の欺瞞暴露    2013年8月14日付

 戦後68年目の8・15敗戦記念日を迎える。今年ほど、戦争というものが過去の話ではなく、日本の将来にかかわる現実の問題として、世代をこえて活発に論議される年はない。安倍内閣が、福島原発から放射能が撒き散らされているのに平然と原発再稼働・輸出や新規立地を狙うとともに、憲法改悪、集団的自衛権行使容認、自衛隊の海兵隊化を進め、日本を原水爆戦争の廃虚にしてはばからないという政治を突っ走るなかで、被爆者や戦争体験者は「今こそ体験を語り、戦争を止めなければならない」と行動を起こしている。子どもたちや若者、親世代の被爆体験・戦争体験を聞く姿勢がこれまでになく真剣だと話題になっている。彼らは各地の「原爆と戦争展」をスタッフとして担う活動に参加し、行動を通じて生き方を変えている。また原爆展会場では、だれがなんのために戦争を起こしたかという戦争の本質に迫る論議がかわされている。かつての戦争は押しとどめることができなかったが、今度はなんとしても押しとどめなければならないし、それはどうしたらできるか――これが今年の8・15を記念するもっとも重要なテーマである。
 
 「みんなの為」の運動が発展

 第2次世界大戦で、日本人民はかつて経験したことがないほどの深い痛手を受けた。
 満州事変(1931年)以後でも、日本人の男子の4分の1、のべ1000万人が兵隊にとられ、そのうち約200万人が戦死した。さらに原爆や全国各地の空襲、沖縄戦、また満州などで、なんの罪もない赤ん坊から年寄りまで約100万人が無惨に殺された。そして1500万人が家財を焼き出された。それは、日本人で親戚や友人、知人に戦争犠牲者を持たない者はいないというほどの深刻な体験だった。
 戦後、人人は戦争の荒廃のなかから立ち上がり、二度と戦争を許さない思いを胸に、平和で豊かな郷土を建設するために不断の努力を続けてきた。しかし、現在の日本は、アメリカの植民地属国として見るも無惨な姿をさらし、戦争体験者はかつて「貧乏になって戦争になった」のと同じ実感を全生活から感じている。
 そもそも日本の支配階級は第二次大戦でなにをやったか。
 明治維新後に成立した日本資本主義は、ブルジョア階級と地主階級に立脚した絶対主義天皇制のもとで、農民や労働者は二重の搾取に苦しみ、市場の狭隘(きょうあい)性を特徴として持っていた。それは国内における強烈な搾取と強権的な抑圧とともに、強い侵略性を特徴としていた。台湾、朝鮮、満州、そして中国全土、東南アジアと侵略を拡大して、そこに経済権益を持つ米英仏蘭帝国主義との市場争奪をめぐる帝国主義戦争に突き進み、そして敗北した。
 日本は日米開戦に突入する前に、すでに中国に侵略してうち負かされていた。中国での日本軍の戦死者は18万5000人を数え、100万の日本軍の主力が中国人民の抗日戦争によって釘付けにされていた。しかし中国に負けるのが必至となると、日本の支配階級は日本で革命が起こるのを死ぬほど恐れた。そしてソ連との戦争を避け、「南進政策」をとることでアメリカとの対立が激化し、日米開戦となった。
 海軍では最初から「1年しかもたない」といわれていた。すでに日米開戦の半年後にはミッドウェー海戦で壊滅的打撃を受け、その後は敗走に次ぐ敗走となった。44年にはサイパンが陥落し、東条内閣が倒壊したが、それでも戦争をやめなかった。それからは制海権も制空権も奪われ、東京はじめ全土がB29の空襲を受け、爆弾の雨を浴び放題。南の島にとり残された兵隊は散り散りとなり、飢えと病気で死んで戦争ができる状態ではなかったが、それでも戦争を続行させた。そして丸腰の兵隊を輸送船に詰めこんで運び、待ち構えていた米潜水艦に次次に撃沈させるにまかせた。
 すでに日本の敗戦は決定的であった。そこで天皇とその側近のなかでは、天皇の支配的な地位をいかに守るかが最大の関心であった。敗戦の前年、近衛文麿の天皇への上奏文には「敗戦は必至。英米の世論は国体の変革までは進み居らず。もっとも憂うべきは敗戦にともなって起きる共産革命」とあった。敗戦が濃厚な米英仏蘭との戦争に進み、敗けることがわかった後も戦争を続けたのは、日本人民による天皇制打倒の革命を抑えつけて、欧米列強に身を寄せることでみずからの地位を守るためだった。国民がどれほど殺されようと、その命と引き換えに自分さえ助かればいいというこの対応が、320万人という国民の大虐殺となったのである。

 日本占領意図した米国 長期戦略に立ち

 一方アメリカは、すでに日露戦争後には「オレンジプラン」をつくっていた。それは中国市場を奪うために、日本を戦争でうち負かして占領する長期戦略であった。幕末にはそれは明治維新革命でうち破られたが、あくまでその野望を達成しようとするものであった。アメリカ大陸で先住民のインディアンを皆殺しにして西進し、ハワイを奪いフィリピンを奪った残酷な政治の継続であった。
 アメリカは開戦直後から、ライシャワーらが日本の軍部に戦争責任をかぶせ「天皇を平和の象徴」とする間接支配のやり方をとる計画を持っていた。実際に戦時中もその方向で日本の支配層に働きかけを強めていた。
 天皇をはじめ日本の支配階級は、原爆や空襲を「天佑」といって歓迎した。彼らは、アメリカの無差別攻撃に国民がさらされ、アメリカの占領に対しても、天皇の責任追及についても、立ち上がれないほど疲れ果てさせることで、アメリカと利害は一致していた。だからアメリカは日本人民を虫けら扱いして殺し尽くす一方で、皇居や軍中枢、三菱の工場などは攻撃しなかった。敗戦が決まると、三菱財閥統帥・岩崎小弥太は「われわれは今後愉快に仕事ができる」と小躍りして喜んだ。
 戦争で散散に殺され、原爆を投げつけられ、日本はアメリカに占領されたが、そのとき日本の支配階級はアメリカの日本侵略支配の協力者となり、民族的利益を根こそぎ売り飛ばすことで支配の地位を確保する道を歩んだ。この行き着く先が、現在の安倍内閣の姿である。
 アメリカの指図で地震列島の日本の海岸線に五四基も原発を林立させたうえ、大事故が起こってもアメリカに代わって海外で原発のセールスをし、そのために国内で再稼働や新規立地まで狙う。日本の農漁業を壊滅させ、外資が参入して日本の富をまるごと奪っていくことがわかっていて、アメリカにいわれるままにTPP交渉参加を強行する。原発を再稼働させる一方で、尖閣諸島問題で大騒ぎして「先制攻撃も辞さず」といって、アメリカの盾となり日本をミサイル攻撃の標的とする道をみずから突き進む。
 安倍内閣はこうして超法規の専制政治を進めているが、そのことは現在の日本の権力機構がだれに握られているかを浮き彫りにしている。軍隊である自衛隊はアメリカの下請であり、警察、検察、裁判所、官僚機構もみなそうなっている。マスメディアも、戦時中は「大本営発表」を支えた『朝日』の緒方竹虎や『読売』の正力松太郎が、戦後はCIAのエージェントとなって「ペンタゴン報道」に尽くしており、アメリカに留学して買収された御用学者がその協力者になっている。これらの売国奴が手伝いを買って出ているから、アメリカはわずか数万の米軍で日本を植民地のように隷属させているのである。
 かつての戦争で日本人を320万人も殺し、国土を焦土と化したアメリカと日本の売国支配階級の残虐性は、現在の日本人民に対する残虐性につながっている。8・15は「アメリカに助けられて平和で民主主義になった日」ではなく、日本がアメリカの隷属の鎖に縛りつけられ、肥え太らされたあげくに奪いつくされ、はては原水爆戦争の廃虚にされる始まりの日でしかなかった。
 
 米国の戦争の旗印 「自由・民主」の凶暴性
 

 アメリカが戦争をするうえで旗印としてきた、「自由・民主・人権」イデオロギーの凶暴性を明らかにしなければならない。
 戦前、天皇を頭とする日本軍国主義は、青少年に天皇を現人神(あらひとがみ)としてあがめさせ、野蛮で好戦的で偏狭な排外主義の国民をつくりあげて、肉弾として戦場に駆り立てた。戦後、民主陣営は天皇制軍国主義の戦争犯罪の追及は鋭くやったが、日本を単独占領したアメリカの野望については十分明らかにしなかった。アメリカがあたかも「民主勢力で味方」と見る欺瞞宣伝が覆っていたからである。
 アメリカはこれまでも、「自由・民主・人権」を掲げて残酷な大量虐殺を実行してきた。なによりも「無謀な軍国主義ファシズムから日本国民を解放する」「戦争を早く終わらせる」といって実行した原爆投下がそれである。広島と長崎の幾十万の非戦斗の老若男女に原爆を投げつけ、一瞬にして幾十万の命を奪い、さらに幾十万が次次に命を縮めているが、アメリカはいまだにそれを正当化し、謝罪を拒否している。
 朝鮮戦争やベトナム戦争の大量殺りくも、アメリカは「全体主義を撲滅する自由と民主主義」を掲げて正当化した。80年代後半には「自由・民主・人権」を掲げて、中国の天安門事件や東欧政変をしかけ社会主義の転覆をはかったが、それはこの地域の広大な市場を奪いとる新手の戦争であった。さらに90年代には、「独裁反対」を掲げてイラクなどで政権転覆の戦争をしかけ、北朝鮮やイランは「悪の枢軸」と呼んで「核の先制攻撃」を公言してきた。
 この「自由・民主・人権」を掲げたアメリカの戦後支配を支えてきたのが、修正主義や社会民主主義ら「革新勢力」である。敗戦後の日本で、労働者がストライキをしたり、農民が強制供出反対斗争をすると、米占領軍が出てきて弾圧していたとき、この米占領軍を「解放軍」とみなしたのが日本共産党中枢であった。そして共産党の「解放軍規定」は当時の国際的な潮流であり、ソ連共産党中枢が第2次大戦において、日独伊のファシズムが主要な敵であり、「米英仏は反ファッショ戦争の友」とみなしたことを根源にしている。
 天安門事件の年、「個性重視」「興味関心第一」の新学力観が文科省の新指導要領に盛り込まれた。そのとき日教組はパートナーとなって率先してそれを実行した。それは、「鍛えてはいけない」「体罰反対」といって教師の指導性を否定し、他を押しのけてもはいあがる少数のエリートと、九九も漢字もわからない落ちこぼれをつくり、学校で暴れれば直ぐに警察に引き渡すというものであった。
 その眼目は、自分さえ満足できれば他人はどうなってもよいという冷酷な個人主義を培養することであった。それはみずから進んで戦場に赴く殺人兵づくりと直結したものである。「自由・民主・人権」は、戦後の対米従属の下での現代の軍国主義教育である。

 巨大な斗争の条件成熟 敵の支配の支柱崩壊

 しかし今年の大きな特徴は、宇部市の上宇部小学校の教師集団から始まった、被爆者の体験に学ぶ平和学習を基礎にした、鉄棒逆上がりやかけ算九九全員達成の実践が、父母や地域の熱烈な支持を得て、急速に多くの学校に広がっていることである。そのなかで子どもたちは、学年の大きな目標で一致団結し、友だちの成功をわがことのように喜ぶ「みんなのために」の集団主義、困難なことも途中であきらめず最後までやり通す敗北主義の克服、つまり勤労人民の資質を身につけて大きく成長している。これが、子どもたちを戦争に動員する「自由・民主・人権」のイデオロギーをうち破るものである。
 また原水禁運動では、「じいちゃん、ばあちゃんが戦争に協力したから原爆が落とされた」といった加害者論に立つ原水禁や原水協が広島市民から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われてきたが、13年前から始まった「原爆と戦争展」運動を基盤に、峠三吉の時期の私心のない平和運動を継承する原水禁運動がこの抑圧構造をうち破って全広島市民を代表するものとして発展し、被爆市民や青年学生が主人公となって登場している。
 戦後これらの「革新勢力」が敵の支配の支柱になって、戦前の天皇制軍国主義には反対するが、アメリカには反対してはいけないという風潮をつくりだし、大衆運動が高揚するとそれを内側からつぶす役割を果たしてきた。それは権力者にはできない特別の役割であった。それが、資本主義の相対的安定期が終わり経済恐慌と戦争の時代になって、敵の協力者としての馬脚があらわになり、先の参院選の結果に見られるように人民から見離されて瓦解している。
 それは「アメリカが民主勢力で味方」という戦後長い間覆っていた欺瞞を崩壊させ、敵はアメリカとそれに付き従う売国反動派であり、これに対して全国の労働者や農漁民、青年学生が団結し、アジアや世界の人民と団結すれば敵をうち倒すことができるという確信を与えている。かつての「安保」斗争のような巨大な政治斗争が巻き起こる条件は成熟している。
 戦争を阻止するためには、歴史を創造する原動力である人民大衆を一つに束ね、社会を変えるエネルギーに転化することである。そのために、敵はだれか友はだれかを鮮明にし進撃方向を指し示す、人民に奉仕する思想に貫かれた政治勢力を全国的に結集することが決定的となっている。


 

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