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福田正義主幹紹介へ


文化・芸術論  福田正義評論集 創刊45周年記念出版
               
     1、評論/エレンブルグの中篇『雪どけ』を巡って 他
     2、映画評・書評など/人民生活の描写(映画『沙羅の花の峠』にこ
     と寄せて) 

                                       
著者・福田正義 発行・長周新聞社 B6判 223頁 定価1300円(送料240円)

(一部抜粋)
●地方現実への方向 
  諸団体の組織的結合の前進     (1955年12月25日)
 地方における文化運動は、戦争による深い傷手から起ち上がることの苦しみ、それとの斗いの中からおこってくる。それは、山口県でも例外ではない。しかし、戦後の思想的な混乱、投機的な野心家と自治体との結合、何にもましてアメリカ的な頽廃のはんらんなどが、まじめなきわめて少数の活動家の仕事をのぞいて、事実上、地方における文化を永い間荒廃のままにおいたが、戦後十年を経た今日、新しい活動が大きく芽をふきつつある。それぞれの職場、学校、地域でのサークルがそれぞれの目標をもって組織されはじめ、それはまた横にも結びつきつつ発展している。
 それは戦争の傷手をふり払い、折重なってかぶさってくる新たなる戦争の危機とたたかい、国のおかれている植民地的な辱かしめと対決することを課題としないではおれない。「駱駝詩社」「まきやぐら」「場の会」「べにしの会」などの文学団体、「はぐるま座」「新海峡座」などの演劇団体、各地における「歌ごえ」の集り、絵画団体「五五年会」の活動は、それぞれの質の違いはあるが、注目すべき足跡をしめしている。それらはすべて困難な諸条件の中で真しな努力をつづけている。また多くの職場でも、新しい形のサークルが組織されはじめ、これらの団体と関係をもちつつある。
 本年の特徴は、戦後の浮わつきを脱皮して、強固な基盤の上に多様な組織がねばりのある活動をはじめたことと、それらの諸団体がまだ強いものではないが、縦にも横にも結びつきを強めたことである。さらに重要な点は、創造活動の内容がこの地方の人民の生活に根ざす方向をとりはじめたことである。しかし、それらの活動のすべてを通じて、まだすぐれた作品を生むにはいたっていないことも事実である。したがってそれらのことは、すべてそのままきたるべき年の重要な課題となるだろう。
 地方における文化・芸術創造の活動で、この地方の人民生活を描くこと、それを社会的・歴史的にとらえることが、何にもまして重要である。商業主義ジャーナリズムの影響、とくに知識層の浮薄なコスモプリティズムの影響が、地方では二重に創造の活動をゆがめている。まだまだわれわれは、われわれの生きているこの地方の人民の“魂の歌い手”をもっていない。芸術創造の仕事は、類型との決別でなけらねばならないし、われわれが生きている現実からの創造でなければならない。そのことこそ普遍的であり、日本的であることである。国の植民地的従属の中で、民族的なものへの強い関心がもたれてきているが、われわれの文化・芸術の活動はまだその要請に答えるにはいたっていない。この地方の人人のいく百年つみかさねてきた生活様式が、そのものの感じ方が、その喜びと悲しみのありようが、生き生きとした形象を与えられているものに接していないのだ。
 戦争への誘いを憎み、平和を強く歌う詩人たちは多いが、われわれの生きている現実の中に流れている戦争への危機をえぐり出し、平和を力強くよびかける詩人はまことに少ないのである。この地方にだけ特別の社会的な仕組みがあるわけではない。しかしこの地方の仕組みとその中での人間が描けない芸術家が、どこの社会のどの人間を描くことができようか。創造活動における類型との決別は、つねに避けることのできないことだが、今日われわれにとって特別に重要な意味をもっている。
 それと同時に、各地域での芸術諸団体の横の結合を一層強め、さらに県的な規模での結合を強めること、できるところから協議会的な組織的結びつきをもつことが強く要請されている。とくに文学部門では、機関紙発行の上でも、それによってずいぶん援けあうことができるだろう。
 

●現実の外にある机  芸術家の無関心と非現実な態度 (1956年11月23日)
 文化・芸術に関係をもつものが現実の動きの外に机をおいているというのは、どういうことであろうか。口をひらけば、レアリズムといい、時代精神といい、現実に密着した創造ともいう。芸術が、たとえば詩なら詩が、どういう歴史的な道ゆきを経て発展したか、どのような詩が古いか新しいか、などというのである。
 ところがこれらの芸術家たちが、どのように現代と関係をもち、その日その日が生きて流動しているこの“現実”と向きあっているかとなるといささか疑わざるを得ない。芸術家たちが、芸術家としてどれほど人民の中で生活しているか、さらにはどれほど現実と切り結びそれと関係をもっているか、ということを疑わざるをえないのである。そのことが、虚しく飾っただけの作品をはびこらせ、作品そのものを無感動なものにしているのである。
 この最近の動きだけをとってみても、平和と民主主義の教育をハカイするものとの斗いの全国的な高まり、核武装と外国軍事基地に反対する巨大な動き、警職法改悪にたいする斗争などは、全国のすみずみにいたるまでをゆり動かしている。最高裁では無実の青年たちを死刑から救うための大斗争が展開されている。
 “現代”を終局的にどのように理解しようとも、多くの良心的な文化人・芸術家たちは、地ひびきをたてて動いているこの現代と必死になって取り組んでいる。今日が、キナ臭い戦争を目指してはげしく傾斜しつつあることは、誰の眼にも明らかだ。ところが、地方の芸術家たちは、これらの動きに何の反応もしめさないし、何の発言もしないのである。いたるところで大衆行動がまき起こっている。しかし、地方の芸術家たちは、これらの大衆行動にどのような形にしろ参加もしようとしないのである。“うたごえ”の集団や、劇団“はぐるま座”などが稀有なる例である。
 松川事件と取り組んで数年にわたってたたかいつづけている広津和郎の作家魂はりんりんと鳴りひびいてわれわれを深く感動させる。警職法改悪に反対して、プラカードをかかげてデモの先頭に立っている高見順を、われわれは感動をもってうけとらずにはいられない。私は芸術家たちがデモに参加することだけをいっているのではない。しかし、大衆がどのような怒りをもって行動に立ち上っているのか、それらの大衆がどのような行動をしているのか、自分はどのように行動するのか、ということとまるで無関係な地点にみずからを切り離しておいて、いったい現実と関係をもつことができるか、ということである。
 商業主義ジャーナリズムを通じて、それを批判的にあるいは個性的にといってみたところで、結局何かそれが現実そのものであるかのように錯覚して形成される思想・観念のようなものは、しょせん現実的でありえようわけはなく、ましてや、現実への働きかけの意欲を失った芸術家の作品などというものは、ペシミックな心象風景のあれこれの色合いを出ることはできないだろう。
 机が現実の動きの外におかれていることが問題なのだ。そこでいかなるおしゃべりがされようと、それはかなり自慰にしかすぎずレアリズムと関係のあることとはなることができない。そこには魂の燃えはない。独自性や創造と名のつけられるものはない。“燃える”と錯覚し、“創造的である”と思う、ただそれだけのものである。
 私は、芸術家たちが、真実に対してどんらんであり、潔癖でなければならぬと思う。みずからのワクの中にちぢこまって心象風景に打ちこんでいる状態を改めて、現実にもっと肉薄し、現実と四つに取り組むことが一番大切だと思う。


思想の堕落    (1960年1月1日)
 わが国の芸術・文化が壊滅的打撃をうけた。というよりも、厳密にいえば壊滅したというのが正しい時期があった。それは、それほど遠いことではない。たったこのまえの戦争の時期であった。
 そのとき、思想の自由が奪われたのである。思想が権力によって圧迫されたのである。そして、多くの芸術家たちが、芸術家の名に価する思想の自由を保ち得ず、権力の要求に屈従し、権力にお追従をいい、阿諛し、迎合し、おべんちゃらをいい、あげくの果てはみずからをも欺き、まことしやかな顔をして、権力者の思想に自分の職人的技術をくっつけて、ただそれだけで芸術家であることをつづけているような錯覚におちいった。なんのため? かくも馬鹿馬鹿しいことが、なぜ、芸術を目指すものの上にあらわれたのか、戦争が終わってみると、一寸想像もつかないほどである。
 このことは、正しく見ておく必要がある。いまそのことを、わたしはここで厳密に検討しようというのではない。しかし、芸術家が芸術家ですらなくなり、世にも哀れな権力のチンドン屋となって、みずからを欺き他を欺いて犯罪を重ねた原因は、あれやこれやの要素や道行きを捨象してみれば、食べる生活と虚栄心の満足がほしかったただそれだけのことである。せめて、虚栄心なりとなければ、なにも芸術家でございといって、大嘘の小説を書いたり、絵を描いたりしなくとも、もっと他の手段もあったろう。しかし、もともと真実そのものを追求するということでなかったそのことが、きびしい事態にひきすえられてみると、いかんなく正体を暴露するということにならざるをえないし、なるべくしてそうなったということにしかすぎないのである。そういうことは芸術とはまるきり無縁のことである。途中からの堕落というような質的転移ではなく、はじめからまるきり無縁なのである。ただ、はじめのうちはわかりにくかったというだけのことである。
 この経験は軽軽しく見逃しておけることではない。
 「戦後民主主義」というふんわりした敗戦につづく状態のなかで、戦争と敗戦というきびしい歴史的現実、それにつづく新たなる時代へのきびしい態度のないままで、まるで温室の中で咲いたひ弱な花のような芸術・文化の運動が、いままた新たな試練に当面していることは注目に価する。
 戦後の芸術・文化の運動が、アメリカ的な商業主義に毒されていることはだれでも知っているところである。それは中央、地方を問わず、芸術・文化運動の純粋性をいちじるしく傷つけている。とくに商業主義マス・コミの金と売名を餌にした文化の愚弄が、地方における現実に立脚した芸術・文化の発展を妨げ、芸術・文化の仕事をする人たちのなかですら、反俗精神を失った商業主義追従をはびこらせているのである。したがって、芸術・文化の分野におけるアメリカ的商業主義とのたたかいはきわめて重要であり、芸術・文化の分野における思想の純潔性のためのたたかいがぬきさしならぬ課題となっている。文化運動の停滞をうち破ってゆく上で、この問題をよけることはできないし、あいまいな態度をとることは許されないのである。芸術・文化が多かれ少なかれアメリカ的商業主義の影響下にあることは、最も大きい問題の一つであろう。
 地方における芸術・文化の運動を高める上で、思想の自由−すなわち民主主義を守るたたかいがきわめて重要である。思想の自由というわかり切った初歩的な問題が、それとして自由が妨げられているという諸条件が、芸術・文化の開花をいためつけていることはいうまでもないが、芸術・文化の仕事にかかわるものが、みずからにたいして思想の自由を確保していないということは、はじめから問題にもなにもなったものではない。社会的現実といったところでレアリズムといったところで、しょせん現実が流動が激しくなればなるほど、現実から逃げまわらねばならないというチャップリンの喜劇を思わせる状態を現出せざるをえないのである。現実から逃れまわってなおどこかでレアリズムであろうなどというナンセンスがいま現実にあらわれているのである。それは果てしもない転落であり、敗走であり、精神の堕落であり、俗物への道である。
 このことは、過小に見ることはできない。ここ数年来、とくに昨年来の時代の波の激しい音の高鳴りのなかで、地方における芸術・文化の運動がいちじるしい停滞を見せているという事実、波の高まりに逆行しつつあるという事実、しかも、現実の激しい動きが、ふんわりしたいわゆる「戦後民主主義」的なものを克服してすすみつつあるときに、ふんわりしたいわゆる「戦後民主主義」型文化運動が停滞もしくは後退の道へのめりこみつつあるという事実は、偶然などといえることではないのである。この形態は、昭和8年から16年への芸術・文化の敗退の苦苦しい歴史的経験を思わせるにじゅうぶんである。敗退者が自己を弁護するためにさまざまな理由をならべたてればたてるほど、敗退そのものの犯罪性がいっそう拡大するだけである。
 地方における芸術・文化の運動を高めるために、芸術・文化の運動は、社会の前進と結合しなければならないし、そのような前進の新しい萌芽の発見者とならねばならない。現実は、激しく流動し変化している。芸術・文化は、この現実から逃げ惑うところにあり
えないと同時に、現実と無縁の商業主義との野合のなかにもありえないのである。
 1950年代は、一面、敗戦にひきつづく一定の思想の世界の混乱期であったということができるだろう。しかし、現実の新しい動きが、それらの混乱を整理し、新しい60年代への展望を与えている。
 われわれは、いま停滞の底にいるが、しかし、新しい運動がこのなかから発展するであろうことをじゅうぶんに期待できる。1960年は、そういう新しい展開の年となるだろう。

 
              ー映画評ー

最高の人民芸術家 『ニューヨークの王様』のチャップリン
                                        
(1959年9月20日) 
 世界の映画史上で、 チャップリンくらい高名な人物はいない。 それは、 単に高名であるだけではなく、 世界のすべての人人に心から親しまれ愛されていることでもずばぬけている。
 チャップリンの映画生活は、 1914年にはじまっている。 ほとんど半世紀に近い45年もの永い間だ。 山高帽子にチョビひげ、 だぶだぶのボロ服にどた靴、 竹の細いステッキ−といういで立ちでチャップリンは世界中の人人に親しまれているのである。 日本にも数多く輸入された初期のものは、 たいてい二巻ものの、 いわばどたばた喜劇である。 こういうどたばた喜劇の二巻ものは、 初期の外国映画にはたくさんあったが、 彼のものは 『チャップリンの義侠』 『チャップリンの女装』 『チャップリンの舟乗り生活』 というふうに題名が日本では 『チャップリンの……』 とすべてつけられるほど、 彼の場合は、 とく別の親近感をもって日本の観客にのぞんでいた。 そしてそのいずれもが、 山高帽にボロ服というあの扮装である。
 チャップリン映画が大衆に親しまれたのは、 そういうどたばた喜劇であることや特殊の扮装によるわけではない。 このボロ服とどた靴の男は、 つねに、 失業者であり放浪者であり、 弱者であり、 孤独の男であり、 失敗ばかりしている虐げられた男である。
 たとえば 『キッド』 をみよう。 一人の貧しい女が棄てようとする私生児が幸福な生活にはいれるようにとこころみる。 彼女は立派な邸宅の前に止っている自家用車のクッションの上に子供をおいてゆく。 ところが自動車は盗まれ、 赤ん坊はゴミ箱のそばに捨てられる。 この赤ん坊は流しのガラス屋 (チャップリン) に拾われる。 このガラス屋と捨て子の生活がこの映画の大部分をなしている。 子供はガラスをこわすために働き、 ガラス屋はそれを修理するために働く。 最後に子供は慈善団体によって彼の手からとり上げられる。 ガラス屋は少年刑務所の看手の手から子供をうばい返したが、 彼は自分の部屋である屋根裏に帰ることができず、 無料宿泊所に寝にいってしまう。 金持になった母親は、 子供をみつけ出した人に賞金を約束する。 人人はガラス屋から子供をとってゆく。 一人ぼっちになった彼は戸口に眠り、 天国へいった夢をみる。
 チャップリンのすべての映画は権力者−着かざった女、 紳士、 巡査、 裁判官、 牧師、 偽善者、 将校や王侯を嘲笑し、 その反対に貧乏人−女中、 失業者、 移民、 職人、 小僧、 労働者、 兵士などにたいする尊敬を要求している。 これらは、 彼の全作品を一貫しており、 ここにチャップリンが 「人民の子」 「人民の芸術家」 として全世界の人人に心から親しまれ愛される根底がある。 チャップリンがつくり出す笑いは絶対に人民の失敗をあざわらうようなものではない。 彼は人民のよろこびや悲しみを、 正に人民の芸術家としてともによろこび悲しみつつ描き出す。
 そのような彼の立場は、 彼がロンドンの貧民街の旅芸人の生れであり、 みじめすぎるほどみじめだった少年時代の生活経験から出発するものであろうが、 それが何十年にわたる映画生活の中で堅持され、 ハリウッドというような舞台でゆがめられることなく非妥協的に高められていったということは、 彼の 「人民の芸術家」 としての思想的・人間的強固さを物語っているといえるだろう。
 飾りものや、 即製でない彼のこのような考え方の発展は、 彼の全世界的名声にもかかわらず同時に、 権力からの迫害の歴史でもある。 1918年に製作した 『担え銃』 はそれが軍隊機構をきびしく批判し反戦の強い諷刺をしめしていることで5巻〜7巻ものの企画を3巻ものに縮めさせられている。 彼の名声が高まれば高まるほど、 アメリカ政府の彼にたいする圧迫ははげしくなり、 ハースト系の新聞をはじめとするぼう大なマスコミ機構による悪質きわまるデマゴギーが組織されるが、 彼を人民から引離すことができず、 ついに彼の欧州旅行中に、 非米活動委員会は彼をアメリカに帰国させないという野ばんな方法をとるにいたったのである。
 彼の平和への熱情は、 彼の作品と行動をつらぬいている。 第二次大戦中に、 ソ連援助委員会の結成を提案し、 第二戦線即時結成のよびかけをしたことも有名である。 いわゆる 「原爆スパイ」 のでっち上げで、 アメリカ裁判当局が全世界の抗議を無視して死刑に処したとき、 チャップリンは、 ローゼンバーグの遺児たちを引取ることを申し出ている。
  『ニューヨークの王様』 は、 彼がアメリカへの帰国が許されなくなってのち、 ロンドンでつくられた作品である。 この映画の中で、 チャップリンは現代アメリカへの批判を鋭く展開している。 それは 虚飾の資本主義文化、 消費文化へのきびしい諷刺であり、 すでに民主主義と自由を放棄した非米活動委員会に象徴される 現代アメリカ政治への 「人民の芸術」 としての抗議である。
 山高帽とチョビひげ、 ぼろぼろの服とどた靴、 竹のステッキをついた孤独な放浪者は、 今や人民とともに生きたこの半世紀のつみ重ねた経験の上に立って新しい諷刺と笑いを展開し、 彼の思想を映画という形式を自由に駆使することでくりひろげているのである。 その内容は高度に思想的であるが、 きわめて形象化された人民的スタイルで展開することでチャップリン芸術を愛してきたすべての人人に、 彼の今日の思いを伝えている。 彼の作品がすべてそうであるように、 この映画も脚本、 監督、 音楽、 主演が一貫して彼によってやられている。

●日本の働く母の典型化 新藤兼人の『裸の島』について
                             (1962年2月7日)
 小さな猫のひたいほどの、 しかも水のない小島のだんだん畠にしがみついて、 朝から夜おそくまで雨の日も風の日も、 ただ働きつづける百姓の夫婦のくらしをとり出して、 新藤は、 日本の女の悲しい美しさを描きあげた。
 女の悲劇を描いたものは多い。 しかし、 多くのものが男の享楽の対象としての女の悲劇である場合が多いのだが、 この映画では、 まるで蟻のように働きつづける百姓一家の極貧生活における妻であり母である女が描かれているのである。 とおく舟で水を運び、 山のてっぺんまで肩が折れるほどの重みにたえ、 ゆらぐような足もとをふみしめて、 生活のたたかいをもくもくとたたかってゆく女が描かれているのである。 それが自分にあたえられている宿命とまで見える仕事として、 苦痛を表情ひとつあらわさず、 この夫婦は果てることのない重労働の生活のたたかいをいたわりあってたたかいつづけているのである。 この若い妻であり母である女主人公は、 このような労働が終る日がくるなどとは思ってもみたことはないだろう。 またこのような労働の苦痛を口に出してみたこともないだろう。 このような労働にくぎりがあると思ったら、 それだけでとてもたえることはできないだろう。
 日本の貧困人民の女たちは、 自分の青春も何も、 こうして重い労働、 下積みの労働にささげ、 子供を育てながら、 何代も何代もやってきたのである。 それは、 それを宿命的なものとしておしつけている社会関係の中の女の悲劇である。 新藤は、 そういう社会関係の中での一人の典型的な女を描いたのである。 この映画が、 セリフを使わなかったことは、 小学校二年生くらいの子供のいる若さの女として設定したこととともに、 そういう女を典型化し象徴的に描き出すうえで、 きわめて大きな成功の要因となっている。
 この映画が、 美しい詩情にみちあふれていることは、 画面構成の美しさ、 全篇をながれる音楽 (作曲・林光) の美しさにもたすけられているが、 物語そのものが現実に根ざし燃焼された詩的イメージにもとづいて象徴化されているからである。 乙羽というような女優を使い、 ああいう衣裳で登場させたその大胆な象徴化は、 レアリズムの問題を改めて考えさせられるのである。 それは、 セリフをのぞいたこととも同じ意図によっている。 セリフをのぞいたことは、 まず何よりも、 ほとんど語ることを知らないほどもくもくと働き生きつづける貧困人民のとくに女の姿を描くうえに大きく役立っている。 だから、 いくつかの画面では、 たとえば一家揃っての夕食のときとか子供が登場するときなどでは、 セリフがないことがある不自然さを感じさせるのである。 あわせて、 発声映画のにょう舌が、 言葉の力を借りすぎて画面で物語ることを弱めているとき、 かっての無声映画の到達した画面のみによる描写力の効果を生かそうとした努力が見られるのである。
 この映画の感動は、 日本の貧困人民の若い母親を典型的に描きあげたところにある。 それが、 たとえようもない直線の適確さで、 人人の心をうってくるのである。 新藤は、 正にそういう 「若い母親」 のイメージを映画詩にうたい上げるうえで、 芸術家としてのあふれるような清潔な詩的情感と愛情をこめており、 それは見ごとに結晶しているのである。
 芸術を問題にする場合、 われわれは、 その芸術が人の心をゆるがす感動から出発しなければならない。 多くの理屈は、 芸術とは無縁である。 芸術の形式もまた、 感動をつたえる手段として、 内容に従属したものとして考えなければならない。 新藤の 『裸の島』 は、 ある現実を切りとってみせたものではない。 いわゆる 「母もの」 などとも似ても似つかない。 新藤は何を発想の出発にしたか知らない。 ただ明らかなことは、 ひとりの貧乏な一家の若い妻・母を描いて、 日本の貧乏な若い妻・母の姿を生き生きと典型化していることである。 この映画で設定している特殊な環境の中の女への同情感や共感が人を打つのではない。 人人の記憶の中に明らかに生きており、 いまも生きている日本の貧乏な若い母の姿への思いが、 この映画への共感となって感動をよびおこすのである。
 われわれは、 新藤が描き出したもので十分だといおうというのではない。 しかし、 そういう貧しく若い女のひたむきな生活に、 これほどの愛情をこめて描いた芸術的気品の高い作品がきわめて少ないという事実を見なければならない。 民主主義と進歩に根底をおこうという芸術が、 人民の貧乏の向う側で理屈を積みあげていたり、 貧乏人の生活を 「同情深く」 上からのぞいていたりしても、 それは人民とはあまり縁がないということを新藤の 『裸の島』 はあらためて思わせるのである。
 この映画は、 昨年、 モスクワ映画祭で、 グランプリ賞第一位の評価をされたことは、 知られているとおりである。 日本でも、 多くの映画賞をとったが、 この映画が、 商業主義の路線にのらないためにジャーナリズムが多くとりあげないまま、 あまりひろく知られていないことは、 まことに 残念なことである。 山口県では、 昨年五月下関で試写会が行われ、 さる一月末に山口で公開され 成功をおさめた。 このようなすぐれた映画が普及されることは、 切実にのぞまれることである。

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