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「平和教室」、「平和の旅」運動へ

広島に学ぶ小中高生平和の旅
目見張る子供達の成長
                被爆者の思い受け止める      2002年8月10日付                                 
              

       全国の32校から100人参加       第三回広島に学ぶ小中高生平和の旅(主催・小中高生 平和の会、後援・下関原爆被害者の会、人民教育同盟)の一行は八月五、六の両日、一泊二日の日程で「被爆者の体験や思いに学び、受けつぎ、平和のために行動しよう」の目的のもと被爆地広島へむかった。昨年八月に一七校から四二人の小・中・高生が参加し第一回広島に学ぶ小中高生平和の旅をとりくんで以来、「小中高生平和の会」(代表/今田一恵、中・高生代表/本田多恵)として、ひきつづき地域の被爆者や戦争体験者に学ぶ活動を、たくさんの友だちとともに一年間をとおしておこなってきた。その活動のうえに、今年の平和の旅はとりくまれ、昨年の倍以上の大集団となり下関、美祢、長門、山口、防府、北九州、宮崎、大阪の三二校から、九七人の小・中・高生が参加、人民教育同盟の教師一四人が引率した。約一カ月まえから平和の旅の成功のために子どもたちは連日街頭に立ち、多くの戦争体験者や市民の支持を受け、署名一五五二人、カンパ六八万五四四二円が寄せられた。
 全国の32校から参加
 事前に高校生の代表が広島を訪れ、広島の人人の家を一軒一軒たたいて回り、被爆体験を語ってもらうことを頼んで回った。こうした準備のなかでつかんだ被爆者や戦争体験者、多くの市民の、平和のために行動する小・中・高生への熱い期待を背負い、広島へむかった。
三台のバスに分乗して各地で参加者を乗せながらすすむバスの中では、高校生が中心となって運営した。自己紹介では「班の人に会うのが楽しみ」「被爆者のお話を聞けるのが楽しみ」「友だちをつくりたい」など一人一人が平和の旅にさまざまな期待を抱いて参加していた。しおりなどが配られ、旅の目的とめあてをみんなで読みあわせ、峠三吉の詩「ちいさい子」の群読や「青い空は」の歌の練習をしながら、初対面で少し恥ずかしそうで不安そうな表情をしている子どもたちの気持ちを盛り上げながら、バスは広島へと近づいていった。
 心動かす子ども達 平和公園で被爆者に話聞く 生き方に共鳴
 昼過ぎには子ども一〇〇人の大集団が広島の平和公園にそろい、これから体験を語る被爆者たちと対面し結団式がおこなわれた。最初に旅の目的とめあてを声を出して読みあわせた。
 「目的 一、被爆者や戦争体験者の体験や思いに学び、受けつぎ、平和のために行動しよう! 二、小中高生は団結し、平和の担い手になろう! 三、学んだことを、多くの人に伝えていこう!」
「めあて一、班をもとに、すべての行動は指揮に従おう 二、人の話を真剣に聞こう 三、自分のことよりみんなのことを考え、人に感謝の気持ちを持とう 四、困難なことに負けず、がんばろう 五、大きい子は小さい子の世話をよく見よう 六、小さい子は大きい子の言う事をよく聞こう 七、発表する時は大きい声で発表しよう 八、平和の会のみんなは仲良くしよう 九、時間を守り、規律正しく行動しよう 一〇、平和教育をすすめている先生の指導をうけよう」
 代表の本田多恵さんが「いまから被爆者の方に体験を学ぶけど、たくさん質問してたくさん学びましょう」と呼びかけ、被爆者の自己紹介に移った。一〇〇人の子どもたちの前にずらっと並んだ被爆者二一人。自宅で子どもたちが来るのを待っている被爆者をふくめ二四人が体験を語った。広島での街頭原爆展やアピール署名運動のなかで出会った被爆者、高校生が一軒一軒訪ねて知りあった被爆者たちが、これまで五七年間だれにも語ってこなかった被爆体験を「いま語らなければ」との思いで平和公園まで足を運んでくれたのだった。
 「暑いなかよく来られました」「あまり記憶はないけれど精一杯思い出して話したいと思う」「六歳のとき大やけどをして、恥ずかしくて人前に出ることはしたくなかった。しかし元気な体である以上苦しみを伝えていきたい」などこれまでとざしてきた口を開くという、葛藤(かっとう)をともなった思いを子どもたちに語った。その後、一五班に分かれ、一班に一人か二人の被爆者がついて、平和公園内の木陰に散らばり、旅の主目的である被爆体験の聞きとりがはじまった。
 小学校一年で弟といっしょに外に出ていて被爆し大やけどをしたという田村重正さんは、いまも頭や体に残っているケロイドを子どもたちに見せながら当時のことをはじめて語った。「いつも井戸に水をくみに行き自分と弟を必死で看病してくれた母の真心で、いま自分は生きている」と語る田村さんの目には涙が浮かんでいた。そのケロイドのおかげでひどいいじめを受けた経験も語った。田村さんが身振り手振りで当時のこと伝えようとする姿を子どもたちは身じろぎもせず見つめ、体験を聞いた。小学五年生の男の子は「生きていてよかったと思ったの?」「なんで戦争が起こったん?」「いじめる子を先生はどうしよったん?」と素朴な疑問をどんどん浴びせ、田村さんも一つ一つ答えていた。
 子どもたちは、ケロイドでつらい思いをしたのに、いまそれを乗りこえて強く生きている姿、また田村さんのお母さんにたいする思いに心を動かされ、いま自分のお母さんにたいする態度と照らしあわせて考えていた。田村さんの体験を聞いた小学生の女の子は「原爆を落としたアメリカが悪いのに、なんで田村さんがいじめられないといけないのか。いじめられるのは悪いことをしたアメリカだと思う」と田村さんのつらい体験に思いを寄せ感想をのべていた。
 高校生が広島を訪ねて回ったときに出会った室田生恵さん。高校生の「平和公園で語ってください」との真剣な頼みに語ろうと決めたが、原爆のことは家族同士でも話してこなかったという。その七歳のときに被爆した経験と戦後の苦労を一つ一つ思い出しながらぽつりぽつりと語った。食べ物の話のところでは子どもたちが「どうして?」といろいろ疑問をぶつけ座談会形式で、室田さんと子どもたちは語りあった。「こんな子どもたちならこれからの日本をまかせられる」と平和への強い願いを子どもたちに託していた。
 ぼくも命がけでやろう 被爆者の自宅も訪問
 一五班のうち三班は平和公園近くの公営アパートに住む被爆者の自宅を訪問した。一人は昨年も体験を語った加藤タマさん(仮名)。去年話した子どもたちが一年間をとおして、戦争体験や被爆体験に学ぶ活動をつづけていることを知り、ぜひまた語りたいとジュースなども準備して子どもたちを待っていた。今年八三歳を迎える加藤さんは原爆で片腕をなくし、また三歳になる長男もなくした。戦後左手だけで和裁をして生活してきて何事にも本気で一生懸命やってきた人生を淡淡と語った。親への感謝の気持ちをもつこと、人への思いやり、わかろうとする気持ちをもつこと、そして何事も一生懸命やろうとすることがたいせつだと語りかけた。困難に負けずに強く生きている加藤さんに子どもたちは感動し「ぼくもなんでも命がけでやろう」と自分たちの生き方の決意となっていった。
 同じく公営アパートに住む夫婦、高垣義高さんとナツコさんは、高校生が公営アパートを回ったときに紹介され、はじめて体験を語ってもらうことになった。ナツコさんは三歳の長女を防空壕の中に入れたときに原爆が落とされた。防空壕が崩れ、外に出ないと危ない状況のなか長女が泣いて外に出ようとしなかったので、防空壕からいちばんに出され命が助かったことを語った。義高さんも畳の仕事をしていたときに被爆し、仕事どころではなくなって生きるのに精一杯だったことを語り、「戦争はどんなことがあっても絶対にしてはいけない。昔は戦争は好きではないけれど、一人や二人で反対してもどうにもならなかったので賛成せざるをえなかった。みんなで心を一つにしてがんばってほしい」と何度も強調した。戦争反対の気持ちは子どもたちの心に深く刻まれたようだった。
 どの班の子どもたちも真剣で、メモをとりながら、語ってくれる被爆者の顔をしっかりと見つめて、体験を聞いていた。また被爆者たちは、五七年まえのあの当時のことを子どもたちに伝えようと全身全霊で体験を語った。ある被爆者は「わたしたちは被爆したことを人に語るのはいやだったのです。でも、平和の旅のしおりのなかにある『小中高生は団結し平和の担い手になろう』という旅の目的を見て、語ることを決めました」と話している。小・中・高生が平和の担い手になるという目的をはっきりもって広島に学びに来ることに、「この子たちなら平和の担い手になってくれる」と確信し、五七年間語ってこれなかった被爆者が勇気をもって子どもたちに話してくれた。
 全国から平和公園に訪れていた人たちも、子どもたちに熱心に語る被爆者の話に引きこまれていた。
 班長を中心に兄弟のように
 三時間余りの被爆体験の聞きとりを終え、班ごとに集合した子どもたちは兄弟のようにすっかり仲よくなり、班のまとめ役の班長も班長らしく班員に気を配っていた。班長などまったく経験したことがない子も、まわりの班員が「班長、班長」と頼っていき、だんだんと班長を信頼するという関係ができていった。
 宿泊所である三滝少年自然の家に到着した一団は、宿泊所の説明を聞いたあと一部屋に一班ずつ分かれてさっそくいま聞いてきた体験を、班長が「あのとき○○さんはどうなったんやった?」と班員に問いかけながら思い出し一つにまとめていった。さっきまではしゃいでいた子どもたちがびっくりするほど静かに集中して感想文を書きあげた。
 全員で感想交流会 平和な未来を作る一つの方向で結束
 班ごとに夕食を楽しく食べたあと風呂に入り、七時半に全員が集合し感想交流会をおこなった。一班から一五班までが被爆体験と一人一人の感想を発表するあいだの一時間余り、子どもたちは集中してほかの班の被爆体験に耳を傾けていた。
 自分の両親を自分の手で焼かなければならなかった話、自分の仲のよかった人や初恋の人が一瞬にして死んでいった体験や「わたしたちは平和のために一〇年ぐらいしかがんばれないが、君たちはあと六〇年も七〇年も平和のためにがんばれる。平和の担い手になってほしい」「人間はおたがいに助けあって生きたら戦争はなくなる。人間としていまなにをするべきか考えてほしい」「体をきたえてしっかり勉強をしなさい」と自分たちに語った被爆者の思いを受けとめて発表した。それぞれが聞いた被爆体験や感想をみん
なで交流することによって、被爆体験に学んで平和の担い手になるという旅の目的がさらに全体のなかではっきりしていった。
 子どもたちの結束力があらわれたのは、つぎの日の平和集会と広島集会で発表する詩「ちいさい子」と歌「青い空は」の練習だった。子どもたちは一日の疲れも見せずに、大きな声で歌をうたい二、三回で全体の声がそろった。そして峠三吉の詩「ちいさい子」の詩の一行ずつを「ここ読みたい人浴vと引率の今田先生がいって決めていくときもパッと何人もの手が積極的にあがった。今田先生は「この詩には被爆者の方たちの気持ちがこめられています。そしてこの広島に学ぶ旅のために何千何百人という人たちが七〇万円のカンパをしてくれています。そういう人たちの気持ちにこたえるためにがんばろう」と子どもたちを励ましつつ、「声が小さい!」「もっと気持ちをこめて!」など容赦なくきびしく指導する声も響いた。一〇〇人の子どもたちが心を一つにしてつくりあげる団結力が発揮され、四回目の朗読で完成した。
 一日目を終えた子どもたちのようすは、引率の教師を驚かせた。小学生中心の一〇〇人の集団がまとまるか心配していた教師たちの思いをよそに、子どもたちは被爆者の体験を学ぶなかで平和の担い手になるという意識をもち、班長のもとに統率がとれていった。子どもたちのなかで大きい子は小さい子に気を配り、小さい子は大きい子のいうことを聞くという、旅のめあては自然におこなわれていった。
 決意を歌等で発表 100人の集団が心一つに
 つぎの日の朝、昨晩の詩や歌をもう一度練習し、九時半に宿泊所を出発。一〇時に平和公園に到着した。「原爆の子の像」の前で広島に学ぶ小中高生平和の旅の一団は堂堂と平和集会をおこない、学んだことを発表した。子どもたちが緊張感をもって一生懸命やっている姿にとおりすがりの人人も思わず足をとめ見入っていた。
 午後一時からおこなわれた「二〇〇二年原水爆禁止広島集会」に参加。全国から参加している被爆者や昨日体験を聞いた広島の被爆者が見つめるなか一〇〇人の子どもたちは壇上に上がり、平和の担い手になっていくという決意を歌や詩にこめて発表した。
 集会後におこなわれたデモ行進でも平和の旅の一団は先頭に並び、峠三吉の詩「八月六日」を群読しなが広島市内の三`の道のりを歩いた。デモ行進の終着地点の原爆ドームのそばで解団式をおこなった。本田さんが「はじめて会う九七人の友だちが仲よくなって、被爆者の体験を学びました。これから、自分たちの学校に帰って二日間で学んだことを広げていきましょう」としめくくった。子どもたちはみんなで二日間がんばったという達成感に満ちたとてもすがすがしい表情をしていた。大阪から参加した高校生は「山口県の小・中・高生との交流をとおして、いろいろなところでがんばっていることがわかった。このことが平和への道だと思うし、大阪で自分たちもがんばっていきたい」と語っていた。帰りのバスのなかで子どもたちは「友だちができたのがうれしかった」「来年もまた参加したい」と感想をのべていた。
 下は小学二年から大学生までの三二校から集まった九七人の子どもたちは、「小中高生は団結し、平和の担い手になろう」という大目標で団結した。いつもはいうことをなかなか聞かない子、友だちがなかなかつくれない子も勉強があまりできない子も被爆者の小・中・高生に託す平和への願いと響きあって平和の旅の二日間で大きく成長していった。

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