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広島・廿日市市民原爆展閉会式
大成功に大きな喜び
               被爆者が感動と期待        2004年1月17日付
 
 今月6日から開催されていた『原爆と峠三吉の詩』廿日市市民原爆展は12日で閉幕した。同原爆展は7日間で800人が参観し、連日のように被爆者らが会場のスタッフとして支え、次代にこのような惨禍をくり返させない熱い思いのこもった内容となった。
 6日目、最終日は、30代から50代の親世代の参観もめだっていた。
 乳母車を押してきた30代の夫婦は「平和な世の中を残すことが親としての責任だ。イラク派遣は絶対に反対です」と意志表示していた。
 別の30代の夫婦も、大人が子どもたちに伝えていく役割を負っているのではないかと語り、「他人ごとに考えられている。自分のこととして考える必要がある。イラクのことでもしかたないですますのがよくない」と語り、「PTAにかかわっていて地域のおじいちゃん、おばあちゃんに話を聞くのはいいことで、そこから学ぶことは多い。話を持ちこんでみたい」と原爆展の開催に意欲を見せていた。
 峠三吉の『原子雲の下より』序文の「原爆投下の目的」のパネルを何度も読み返していた50代の男性は、「こういう分析をはじめて見たが、ひじょうに立派な分析だ。宗教の関係で長崎はカトリック、広島は真宗で“しかたなかった”と思わせる、そこまで考えたこともなかった。ソ連をけん制し日本を単独占領するために投下したことなどそのとおりだと思う」と今日のアメリカ支配の現実とも重ね、目から鱗(うろこ)が落ちるような感動の表情で語っていた。
 12日、正午まえから閉会式がおこなわれた。事務局から概況報告がおこなわれ、800人の参観者があったこと、開会中も資料提供などがあり、被爆関係者が多数訪れ体験を語ったこと、峠三吉と親交のあった人人も参観し、地元の小学校からも授業で訪れたことが報告された。
 スタッフとしてかかわってきた田川昭代氏は、「金剛寺小学校が見に来てくれ、その六年生のみなさんの感想文を読むと、平和問題をわたしたちが教えられるようなことも書かれてあり、いまからあのような子どもたちが先頭に立ってやってくれるのではないかと思う」と感動と期待をこめ感想をのべた。
 原爆で亡くなった義兄の遺品である教科書とカバンを展示し、義母が義兄の供養のために折った鶴を参観した人たちに「平和の糸でつないでほしい」と書いて展示した婦人は、原爆展で遺品を展示できたことにお礼をのべたうえで、「1週間のなかで1枚、1枚のパネル写真を見せていただき、胸が痛みました。兄がここにいるのではないかと……。いままでに味わったことのない世界で、これからも日本の1人1人がすすんで足を運び、世界に訴えることではないかと感じました」と語った。
 被爆者の山崎政雄氏は、原爆展が成功したことを喜び、「被爆者として二度と起こさないようにやっていきたい」とのべ、最後に原爆展を成功させる広島の会の竹村伸生氏があいさつした。竹村氏は、「自衛隊のイラク派兵やエノラゲイの展示、小型核兵器問題が起こるなかで開催された廿日市市民原爆展は、タイムリーで意義深いものとなった。こういう展示会をつづけていくことに意義があると思う」と語り、今後とも広島の会としても継続して運動していくことを明らかにしてしめくくった。
   アンケートより
 以下アンケートを紹介する。 
 ▼写真や展示の説明にも原爆の悲惨さがよくあらわされていましたが、峠三吉の詩にとても心をうたれました。原爆で亡くなったのは軍人でも政治家でもなく、ごく普通の生活を送っていた人人だったこと、あらためて思い知らされました。峠三吉の「怒り」がストレートに心にひびいてきました。
 ▼最後の日にやっと見に来ることができました。戦後五九年といいながら、戦前になろうとしているいまのこの時代、戦争反対、核兵器廃絶を! プレスコードの下、峠三吉が命をかけて訴えようとした中身の大きさに驚く。視点のするどさはさすが、というしかない。米国の原爆投下の真実を見ぬいている。(廿日市市・53歳、男性公務員)
 ▼展示を見させていただき、改めて、その悲惨さを実感いたしました。いまだに世界中の大量核兵器の存在、また、これから実害が広がると思われるイラク、アフガニスタンの放射能の影響等を考えると怒りを覚えています。日本の総理大臣が、米国へ世界へ強くアピールしないのは情けない思い。(峠三吉の)強い怒りと平和への願いに心をうたれました。(佐伯区・60歳、男性)
 ▼峠三吉さんのことが詳しくわかり、いまの時代(戦争に加担しようとする動き)に、もう一度考えなければならない、タイムリーな展示だったと思います。原爆のことについては、暗く、目をおおいたくなる絵や写真が多いので、気がすすまないが、これが現実だということを子どもたちに伝えていくのが大人の役目だとあらためて思いました。あの当時、反戦を訴えられていたことに心をうたれます。(廿日市市・51歳、女性教員)
 ▼原爆の悲惨さに人間として、不公平さを感じました。毎年思い出され、あらためて子どもへと伝えて、平和と健康の有り難さに胸をうたれました。原爆の永遠なる言葉を残されつつ、一人の人間として、重大な方を尊ぶ必要があると感じました。(廿日市市・53歳、女性)
 ▼わたしも女学校に行っていました、B29の飛行機が目の前に行き、穴のなかに入りました。怖かったです。自分の事のように思います。悲しいです。父も戦争で亡くなりました。アメリカが憎いと思いました。(廿日市市・71歳、女性)
 ▼久し振りに写真を見せていただき当時を思い出し涙が出ました。戦争はすべてのものを破壊する最も残忍な行為です。為政者の凡ての人に見てもらいたいと思います。

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