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独法化で崩壊する下関市大
教育無知な天下りの私物化
                学費上げ学生の学力低下     2010年11月26日付

 九九も分数も漢字もできず、逆上がりもできないまま義務教育を卒業させているという教育の崩壊が大問題となっているが、独立行政法人化して3年が経過した下関市立大学の大学崩壊が学内で鋭い問題になっている。“公立”から切り離して民間的経営を導入する独法化が小泉改革のもとで推進され、競争原理の渦に投げ込まれたが、「独法化すれば独自の運営ができて活性化し、生産性を高めることができる」といっていたのとは逆に、学問研究、教育の自由が目に見えて圧迫され、大学の機構や教育的な質において、格段にレベルが低下し始めたことに危機感が語られている。
 下関市立大学(松藤智晴理事長、植田康史事務局長、荻野喜弘学長)は経済学部の単科大学で、経済学科と国際商学科がある。2011年度から3つ目の学科として新しく「公共マネジメント学科」が設置される予定で、現在、市が17億7000万円を投じて新校舎の建設を進めている。
 同大学の前身は1956年、下関市によって設置された下関商業短期大学。第二次大戦後の間もない時期に、夜間講座に学んでいた勤労青年の「大学で学びたい」という熱い思いが実を結び、公立の夜間短大として誕生した。その後も、比較的安い授業料で勤労子弟が入学できる大学として全国的にも知られるようになり、公立大学としては多くの受験生が競って志望するトップの位置を占めていた。
 「経済系の公立大学が少ないこともあり、国公立を落ちた子たちが西からも東からも全国から入学して多様性があった。授業料が安いこともメリットで、勤労の苦学生ほど下関市立大学を目指した」といわれる。大学教職員の奮斗とも結びついて、卒業生の多くは地元や各地の企業で「仲間や組織を裏切らない」「気が付いたら彼らが赴任した営業所は雰囲気が明るく売上げが伸びていた」「職場や地域の人間関係の軸となり、縁の下で支える存在」といった評価が定着し、歓迎されてきた。
 就職担当を経験してきた教授たちにいわせると「かつては大手企業に出向いても門前払いされることがないほどOBたちが信頼を勝ち得ていた。噛めば噛むほど味が出てくる“スルメ”のようだとか、様様な表現がされていたが、勤労学生の粘り強さと質に特徴があった。ある企業では株主総会でヤクザが乗りこんできた際に、他のエリート大学の同期社員が逃げるなかで、唯一体を張って対応したのが市立大学OBだったと採用担当にいわれ、特別枠を設けるから彼らのようなガッツのある人材が欲しい、といわれたこともあった」という。
 社会の役に立つ学生を育てるのが本分で、教授たちや大学関係者はOBの活躍に喜びを感じていた。公立のなかでは「東の高崎経済大学、西の下関市立大学」といわれる地位を築き、偏差値も広島大学や山口大学など周囲の国公立に劣らぬ53〜54を推移していた。
 ただ、下関市立大学の場合、市立だからといって下関市から運営交付金をもらっているわけではなかった。2000人に及ぶ学生の授業料・受験料で大学運営のすべてをまかなうという、全国的にも異例な経営事情が以前から問題になっていた。下関に公立大学があり、2000人の学生が学んでいることに対して、下関市には国から毎年約五億円の地方交付税交付金が配分される。30年間で換算すれば150億円にもなる。ところがそのお金は大学運営のために回った試しがなく、市の箱物事業などに消えていった。むしろ2000万円の黒字(授業料・受験料)が出た年には市財源に巻き上げられたことすらあった。
 学生数にたいして教員数は全国平均の5分の1。少ない教員が多くの学生たちを担当し、成長に心を砕いて育てていく。教授会の結束やモチベーションの高さが資金的な貧困経営をも補い、公的助成ゼロという異常な大学経営を保証していた。そして全国的にも恥じないレベルを維持していた。

 運営や教育内容は急変 独法化を転機に

 こうした状況が激変し始めたのが独法化を前後した頃からだ。
 この数年間で下関市立大学への志願者は激減し、国公立で最低水準にまで転落した。2010年度の入試実施状況を見ると、国際商学科でとくに激しく、志願者は141人で前年度(442人)の3分の1まで減った。そのうち実際の受験者は126人。定員は60人だが、80〜90人程度を合格させることから実質倍率は1・5を切っており、ほぼ全入に近い。
 その要因として語られるのが学費の大幅な値上げだった。来年度の初年度納入分は91万8000円。授業料は年年値上げされ来年度は53万5800円で、4年前と比べて6万円以上もアップする。全国平均よりも約2万5000円程度安かった魅力が薄れたことで「庶民の大学」とは縁遠い存在と映り、優秀な苦学生たちが敬遠し始めたと指摘されている。
 利潤を得るためにてっとり早く学費を上げた結果、学生が集まらない。そこで受験者の数を増やすために基礎学力がなくても入学できるよう、入試では推薦枠を拡大して面接だけで通す「固定客」を確保したり、受験生の苦手な科目は選択しなくても合格できるような制度を取り入れてきた。
 このため、英語や数学が中学生程度の学力がなくても、また高校で日本史や世界史を学んでこなくても入学でき、大学の語学、経営学や東アジア史の授業をきょとんとした表情で受ける学生が多く存在するようになっているという。「学生がまったく本を読まない」「漢字が読めない」「琵琶湖の位置を岡山県とこたえる学生がいた」など学力の問題が危惧されてきた。低学力の学生の補習を制度として確立することが真剣に論じられ、通常の試験でも合格できるように、ノートなどの「持ち込み方式」をとり入れるようになった。
 このことは下関市立大学の入試での合格点が公立大学における最低ラインにまで落ち込んだことに端的に示され、独法化以前には50以上あった偏差値がわずか数年の期間で46〜47まで落ち込み、「あと1年で45になるのでは」といわれるまでになった。
 市立大学が掲げる「新たな知の創造」「市民の知的センター」「市民の大学」の理念が後退し始めたのはなぜなのか。校舎が新しくなるのとは裏腹な事態が、独法化を一つの転機にして起きており、特に大学の管理運営や教育研究の内容・環境が想像できなかったまでに大きく変化したことがあげられている。

 経営による学問の支配 効率・利潤が基準

 独立行政法人に移行してからの最大の変化は、文字通り市から切り離れたことである。特に管理運営が市から独立した。職員もこの春からは下関市から派遣されていた公務員が完全に引き揚げた。学問研究機関をサポートしてきた事務局は、各部門の責任者にプロパー(専門職)が配置され、他のほとんどが短期雇用の嘱託、アルバイトに任されるなど、事務職員の非正規雇用化がいっきに進んだ。専門職を必要とする大学図書館も同じで、正職員の司書も1人になった。人件費を浮かせるためだ。そして、教員と職員の合同親睦会「生山会」からは職員の脱退が強要されて成り立たなくなった。
 一方で資金面においてはそれまでとは逆に市から運営交付金が年間1億円ほど投入されるようになった。しかしその資金が学生育成のため、あるいは研究のために有意義に使われた形跡が乏しいと、教授たちの多くが指摘する。毎年のように損益計算書・貸借対照表が出され、「今年は5000万円の黒字です」などと決算がアナウンスされるようになった。
 日頃から、廊下の電灯は2本式のうち1本を抜いて電気代を節約する、学生が昼ご飯を食べていても消灯して歩くなど、職員の非正規雇用だけでなく「経営効率化」が徹底され、図書費の削減額でもすごい。教授たちの研究を補佐するために事務局職員が残業すると「それはボランティアだよな!」と念を押すなど、徹底した「効率経営」によって成し遂げた「黒字」であった。
 そうした「黒字」が積み上がって億単位のプール資金が蓄積されるなかで、今春、唐突に4000万円かけたグラウンド整備がおこなわれて話題になった。「土を敷き詰めるだけなのに、どうして4000万円もかかるのか?」「箱物にはポンと金を出すのか?」という疑問を誰もが感じ、不可解な印象を抱いた。
 関係する人人のなかでは、市との予算折衝のなかで「余剰資金がそれだけあるなら運営交付金は必要ないではないか」と見なされ、慌てて支出したのだといわれ、「釘が出てくるような土が4000万円するのかも不可解だが、そうした資金の使い道を含めて事務局長が突っ走るようになった」と話されている。追及しようとした教授に対して「別件逮捕」のような形で処分が俎上にのぼっていると話され、緊張が走っている。
 それまで大学の管理運営と教育研究のあり方は、教授会の討議を通して合意形成にあたり、下から積み上げていく方式で最終決定され、それを学長がまとめてきた。事務局の機能はその方針を円滑に進めるために補うことにあった。独法化によってこの関係が崩れ、むしろ逆転したことに、大学運営をめぐる変化の最大の特徴がある。
 独法化と同時に報酬1600万円の「理事長」ポストが新設され、そこに江島前市長のブレーンだった松藤水道局長が退職後スライドして天下り。さらに植田市大事務局長が退職して事務局長(兼理事)にも就いた。かれらが学長をしのぐ権力者となって采配を振るうようになったことが、大学の空気を様変わりさせた。教授会との鋭い対立の激化となって、処分や反駁、訴訟沙汰の応酬が始まった。
 「理事長」と「学長」が分離され、学長は銀行関係者など外部も交えた理事会の一理事となった。国公立大学において大学トップの「理事長」と「学長」は同一人物が兼務するのがほとんどで、わざわざ1600万円を与えて「理事長」を据える大学も稀である。理事長になると1年ごとに100万円の退職金が加算されていく仕組みにもなった。
 独法化直前、学長選挙で教授会が投票で選出した候補者が理事によって拒否されたのを皮切りに、安倍代理の江島市政側すなわち政治が手を突っ込むのとセットで、つぎつぎと教授会の権限がなくなる過程をたどった。経営審議会と教育研究審議会という2つの組織でことが決まり、トップダウン方式で押しつけられるようになったのも特徴だ。現場での予算配分を一手に請け負う事務局長の権限が絶大となり、教授会は事務局が提起する方針を単に受諾する機関に成り下がったこと、反発する教授への処罰や事務職員の降格、丸坊主にさせたりといったことが日常茶飯事でまるで田舎ヤクザが人を脅すような手法が持ち込まれたと指摘されている。
 「大学に現役役人でもない退職者が天下って指揮している」「経営が学問を支配し始めた」「競争原理、効率、利潤がすべての基準になった」というのが、教授たちの共通した実感である。教育、学問研究のあり方について考えたことのない者が、「大学の評価を高めるため」に数値主義、成果主義を押しつけるやり方が、逆効果になって大学を崩壊させているというのである。市役所天下りが強権的に采配を振るうようになった結果、紛争が絶えず、坂本前学長への教授たちの信頼も薄れ、誰からの推薦も得られず一期で辞めていくことにもつながった。

 補助金目当ての授業増 講義内容にも介入

 教員の「シラバス」(講義要綱)の内容にも事務局から指示が入ることも、これまでになかったことである。さらに、資金集めのために政府からの補助金をあてにした「現代GP(グッドプラクティス)」という文科省の推奨する授業プログラムや、「大学生の就業力育成支援事業」などを企画して申請し、その成果を報告集にまとめて出すことに力が割かれ、過去に積み重ねてきた大学としての講義体系の充実が後に追いやられようとしていることも問題になっている。
 「田舎の祭りで学生が司会やクイズ進行を務めたりすると単位がつき、そういったプログラムを詳細な写真入りの報告書にして提出しなければならず、日頃の学問研究をそっちのけでヘトヘトになる。なんの学力の蓄積にもならないのだが、子どもの“芋掘り万歳”みたいなのが奨励されている。むしろ社会の構造や実態について調査活動に出たり、研究する時間にあてる方がどれだけ有意義か」と語られている。
 さらに、研究費が10%ごと削減されるなかで、すべての教員に対して半強制的に、日本学術振興会が募集する「科学研究費」(科研費)を申請するよう求められるようになった。政府・財界が求める流行のテーマに合わせて、3年間の研究期間にどのような成果をあげるかを提出し、成果を出すことが求められるというものである。
 ところが人文科学における基礎学や文献研究では、とりたてて必要のないものが多い。実際には「中身はなんでもいいからとにかく提出を」のかけ声で科研費の申請数は飛躍的に増えたが、採択率は年年減少を続け、今年は30件提出したうち採用はゼロとなった。
 科研費申請とともに、論文作成の数や自治体などでの各種審議会に参加した回数など数値を基準にした全教員に対する評価も制度化された。それは「教育活動」「研究活動」「その他(地域社会貢献、大学運営)」に対して、どのような成果をあげるかの計画書を提出し、教員みずからの実績を自己評価する。それを第三者機関がS・A・B・Cの区分で評価し、S(スーパー)の評価を与えられた教員に対して全教員の研究費削減分のプールから研究費が加算されるというものである。

 人間育成の場に回復を 立直しが急務

 教授間の個人競争が煽られ、国の大学教育にたいする予算削減のなかで金欲しさの無意味な授業プログラム導入が図られる。そして大学運営は事務局トップが君臨するなかで、およそ真理真実を探求する学問の場とは程遠い、処分乱発の修羅場と化した。3年経過してみると、文句なしに市立大学がレベル低下している現実が、独法化による弊害と大学運営の誤りを物語っている。
 独法化は、市役所退職者の大学私物化による大学崩壊となってあらわれている。事務局長を任命するのは理事長の権限であるが、理事長の任命権者は市長である。学問や教育のことなどさっぱりわからない役人あがりが大学を崩壊させていることについて、中尾市長の責任が問われるし、議会の責任が問われている。役所退職天下りのボスに私物化させるようなことはやめ、教授や教職員が協力した体制を回復し人間育成の場として立て直すことが急がれている。

 

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