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独立・平和めざす文化の砦に
福田顕彰会・第二回総会
               記念館拠点に多彩な顕彰運動     2008年4月21日付

 福田正義顕彰会(黒川謙治会長)の第2回総会が20日午後1時から、下関市の福田正義記念館で開かれた。総会には地元下関や山口県内をはじめ、神奈川、広島など、全国から会員約100人が出席。福田記念館開館後の4年間とくに第1回総会後2年の実績と活用を交流し、多くの人が気兼ねなく来館し、福田正義と日本人民の生活と斗いの歴史について学べる環境をつくり、福田顕彰運動を飛躍させる方向が論議された。今総会を期して閉塞した日本の現状を打開する「平和と文化の砦」にふさわしい記念館へ充実発展させることを確認しあった。

 全国から会員約100人が出席
 はじめにあいさつした黒川会長は「福田顕彰運動の砦である福田記念館が幾千万大衆の事業として建設され4年がすぎた。顕彰会は福田記念館の運動母体として組織され、06年4月に開かれた第1回総会で顕彰運動が確かな足取りで発展していることを確認し、その後2年間、戦争を阻止し平和な日本をどうつくるかという人人の意識の高まりのなかで、福田さんの業績と思想路線は今日の運動を導く唯一のものとして確信を与え、大きな役割を果たしてきた。とくに一昨年の礒永秀雄没30周年、昨年の福田正義没5周年の記念事業は記念館の活用、顕彰運動を質量ともに発展させる節目になった。今、福田顕彰運動は皆に頼られ、皆に役立つ運動として力強く発展している。第1回総会以後の豊富な記念館の活用を報告しあい、明治維新に注目が集まる今日の情勢のなかで今後の顕彰運動をどう進めるか意見を出しあってほしい」と呼びかけた。
 福田正義記念館の福田槐治館長は、資料収集や顕彰運動の協力に謝意を表明。「福田正義の精神・路線顕彰を通じて、各分野の運動の発展が促され、これまで福田正義を知らなかった人人が福田正義の精神と事業に感動し、記念館を活用し、若い世代に継承する活動が前進してきた。総会を期して記念館がさらに福田正義顕彰運動の発展に寄与できるよう内容を充実させ運営を高める」とのべた。
 このあと竹下一事務局長が福田正義顕彰会第2回総会の報告案を提案【要旨別掲】。@第1回総会で確認された運営方向とその後の概況、A記念館参観と活用状況、B資料の収集・整備、Cよい映画を見る会の活動、D福田正義顕彰会の活動、E財政の運営の柱で報告した。参観者はのべ入場者が1万1500人をこし、開館時5000冊だった蔵書が2万8297冊に到達し、顕彰会員が400人をこした、とのべ、社会的に権威ある記念館として活用が広がっていることが浮き彫りにされた。

 記念館の活用経験交流 うちとけた雰囲気で
 討議では記念館を参観活用した経験や反響から、課題や要望もふくめ多方面にわたる交流となった。
 口火を切った広島市の高橋匡氏(原爆展を成功させる広島の会)は「なかなか下関に来れないが、広島の地で福田さんや峠三吉の思いを引き継ぐ原爆と戦争展を広げることが顕彰会活動と思って一生懸命やっている。今日も広大医学部で原爆展をやっている。2年前の総会で、広島の方から原爆と戦争展はいつでも見れるように常設してほしいとお願いしたが、それが実施してあり非常にうれしい。広島の者として顕彰会を手伝いたい」とのべた。
 川崎市の柳田明氏(医師)は「“福田さんはこれからの人だ”と話されていたが、それを具体化することだ。いろんな分野の人に利用されることが今後の発展の契機になる」とのべた。「福田さんは人民大衆の生活のなかに文化があり、科学があり、それをよく見つめて分析して発展の根拠を見出すべきだといっている。原爆展でも当たり前のことを進めていくなかで日本の将来、地域の発展が出てくる。あらゆる年代、分野の人が福田顕彰運動を通じて、それを生かし実現していく時代に入ってきた」とし、福田顕彰運動について「必ず発展していく。来年が楽しみだ」と話した。
 小倉哲郎氏の蔵書を遺族から寄贈されたこととかかわって小倉秀子夫人が紹介され「皆さんの力を借りて応援していきたい。今後ともよろしくお願いします」とのべた。
 地元町内の婦人は「上田中町のお年寄りの親睦をするためのすみれ会が月1回この会館で合唱などをしている。すみれ会とはいつまでもすみれのようにかわいくということ。最初は12、3人だったが日増しに参加が増え、今は30人になった。私たちのところは婦人会も老人会もないからここが頼り。今年5月で4年目になるが、つづけてこれたのは会館があったおかげだ」とのべた。下関市民の会の婦人は「ここで映画をよく鑑賞させてもらう。チャップリンや古い懐かしい映画が何度も見れて幸せに思っている」とのべた。うち解けた雰囲気で記念館活用の経験が交流された。

 世代こえて真実学ぶ場 展覧会等にも活用
 下関原爆被害者の会の伊東秀夫氏は「記念館で役員会をやり方針を決め拠点としている」とのべた。被爆者の会結成以来、さまざまな妨害や分裂策動を50年8・6斗争で明らかにされた原水禁運動路線を導きにしてはねのけてきた経験を語った。また福田記念館で企画された「原爆と下関空襲展」などを通じて空襲や戦争体験者と出会うなかで視野が広がったと話し、「多くの人と団結していく意識が高まるなかで、広島にも長崎にも会ができ、うれしく思っている。福田さんの路線がすばらしい勢いで発展しているが被爆者の会もその一翼を担って奮斗したい」とのべた。
 戦争体験者の安岡謙治氏(元山口県甲飛会会長)は全国で原爆展運動が開催されていることにふれ、真実を語り継ぐ重要さを強調した。「同期は80%亡くなった。戦友の親に報告に行くと、何のために死んだか、君たちは何をしていたのか、といわれ、ずっと慰霊をしてきたが口をつぐんできた。しかしこのような世相になるといかに戦後の教育が間違っていたかつくづく感じる。先生方も非常に危惧している。戦争も外地を見れば病死、餓死、溺死だ。何のための戦争か、誰が戦争に追いやったのか黙っていてはだめだと思い数年前から体験を話し出した。福田顕彰会をもっと立ち上げて全国に広げてほしい。われわれも努力したい」といった。
 北九州市の小学校教師は「戦争体験者の思いや心の怒りを聞く会を子どもたちと持ったり、教師同士で学習をするという形で記念館活動に参加してきた」とのべた。体験を聞いた子どもたちが教科書で習わなかった戦争の真実に驚き学校で友だちに話している状況、教師も本当に自分たちが一体なにを学んできたか衝撃を受け、戦後はアメリカによって民主主義になったということが間違いだったと知り、今の教育現場の実際が見えてきた、と語られていることを話した。
 小中高生平和の会の高校生たちは、平和教室で原爆パネルを学び、映画鑑賞などで活用してきたことを報告。原爆展パネル展示の場で戦争体験者の話を聞くなかで、戦時の事実や当時の悔しい思いが伝わってきたとのべ「平和教室では学校で習わない戦争の真実を学んできたが、その中心に福田記念館があった」と話した。
 山口市の男性は記念館を活用して礒永秀雄を卒業論文にした山口県立大学の学生が光市出身でその父親は礒永秀雄の教え子だったことを紹介。礒永秀雄顕彰の動きが福田記念館を媒体にして若い世代にも広がっていることを報告した。
 青年学校に参加し学習の場として活用してきた劇団はぐるま座の青年は「去年1年、哲学、経済学、歴史など社会科学、福田さんの思想・路線を学習した。勉強になったのは革命をやるのは人民大衆で、それを手助けするのが前衛の役割という所だ。劇団はぐるま座も人民に奉仕する活動に転換する努力をしている。高杉晋作の劇の改作など実践するといろいろ壁にぶち当たる。しかし福田さんの路線でやれば展望が切り開ける確信はある。学習を生かしがんばっていきたい」とのべた。
 本行寺住職の藤井日正氏は下関にきた友人や知り合いに福田記念館を紹介してきた経験を話した。「日本人だけでなく先日もアメリカとフィリピンの女性を案内すると感激していた。日本でまだ知らない人もいるのでいかに知らしめるかだ」とのべた。
 美術グループあらくさの会員は福田記念館で昨年、展覧会をもったと報告。それを契機に創作が活性化してきたとのべ「長周新聞に風刺画を競って描いたり、会員もふえてうれしい。いままで美術はちょっとした慰みのように見られてきたがそうではない」と話した。別のあらくさ会員も「美術が福田文芸路線の1つの翼になるように頑張りたい」とのべた。

 明治維新研究の拠点に 今後の方向も論議に
 続いて現状の日本をどう変革するか、それぞれの直面する現実問題、人生とかかわった活用の経験もふくめ、今後の活動方向、当面の課題にかかわる論議へ発展した。
 劇団はぐるま座の団員からは福田さんが書いた『高杉晋作から学ぶもの』が大きな反響を呼んでおり、高杉晋作と奇兵隊の舞台を福田さんの維新革命観に学び抜本改作する決意が出された。「あらためて『高杉晋作から学ぶもの』を学び衝撃をうけた。なぜかというと福田さんの描いた明治維新と真反対のものが舞台にあったからだ。たとえば下関の攘夷戦も舞台は高杉がはねあがりととらえ、そこで負けたから開国に転じたかのように描いていた。それは黒船で開港を迫りそれに屈服し近代化が始まったというアメリカのふりまく論だ。しかし福田さんは、どれほど敵が強大でも決して動揺することなく、人民と団結して防長30万が立ち向かえばイギリスでも幕府でも負けない、そこを信じ命をかけてたたかうかが歴史を前進させるかどうかの分かれ道であり、それを高杉が実際行動で教えてくれたと指摘していた。高杉晋作の舞台を現在の人民運動に役立つものへ改作し、劇団はぐるま座も山口県に割拠し福田さんの高杉から学ぶものを全国に発信する」と力強くのべた。
 岩国から参加した活動家は「おとなしい」といわれてきた岩国で米軍基地撤去のたたかいが噴き上がっている背景に、7年間継続してきた原爆展運動の役割を強調。「街頭原爆展や折りたたみ式のパネルを3万人近い市民が参観している。世の中を変えようと立ち上がらせたのが福田路線の力だ。この運動に役立つためには福田路線をもっと自分自身が身につけないといけない。頭と言葉でわかるのでなく、体と心でわかるよう活学活用したい」と発言した。
 下関の活動家は元タクシー労働者・越本亨氏の追悼集会にむけて、長周新聞バックナンバーを学習した経験にふれた。労働者を団結させ、家族を団結させ、103日のストをたたかいぬいた経験を関係者にも話を聞いて深めたことを報告し、「福田さんが指導した大丸、サンデンなど下関の革命的階級的な労働運動を継承し今に生かしたい」とのべた。
 今後の活用をめぐって積極的な要望・提案も相次いだ。
 山口市の男性は「福田記念館は人民運動の勝利を保障するくめどもつきぬ宝庫だ」といっそうの活用に意欲を語り「歴史の砦として明治維新研究の拠点としてほしい。文化の砦として歌声運動の拠点とし、この記念館から歌声運動が全国に広がることを期待したい」と提案した。市民の会の退職教師は若い頃、社研に入ってものの見方を教えられた経験を語り「記念館を拠点にして世の中はどうなっているかを勉強したらいいと思う。福田顕彰会が中心になってものの考え方の基本になる学習会を開いてほしい。戦争体験者は戦争がいけないとわかるし農民は農業がつぶされているとわかるが、みんながわかっているわけではない。年齢と経験だけではわからないこともあるので福田顕彰会の学習会で注入してほしい」とのべた。
 こうした各界層の活用の経験と積極的な活発な論議ののち、新役員、顕彰会案内の改訂、経過報告などの議案を全会一致で承認した。
 新役員は会長が黒川謙治氏。顧問が頴原俊一、高田美智子の2氏。役員は池田義雄、伊東秀夫、今田一恵、桑原嗣子、新田泰子、海原三勇、大下ユキミ、奥野三男、篠原雲迹、新垣博、高橋匡、肥後容子、兵頭典将、藤井日正、森脇政保、柳田明の16氏。事務局長は竹下一氏に決まった。
 最後に黒川会長が閉会あいさつ。「豊かで貴重な報告、提案がされた。必ず今後の活動に生かされると思う。皆さんの意見にあったように人人は社会の根本変革を求めている。それにこたえることができるのは福田路線のみだ。さらに多面的な要求で気兼ねなく集まれるようにするとともに、青年や労働者に広く知らせるために発展をはかりたい。この福田記念館が日本社会根本変革の砦となるようにがんばろう」とのべ散会した。

 福田正義顕彰会 第二回総会報告(要旨)
 福田正義記念館が、2004年5月、各界各層の1000人以上の人人による拠金運動と資料の提供によって、幾千万大衆の事業として建設されて4年が経過した。福田正義顕彰会は記念館の建設準備過程で、「福田記念館の運動の大衆的な母体組織」として、記念館の資料収集・整備、企画展示、図書資料の整備などを推進し、映画会や音楽会、各種研修など多目的施設として、広範な各界の人人が活用できるように役割を果たし、記念館の運営を財政的に支えることを目的にして出発した。その2年後、2006年4月に初めての総会を開催。本日の総会は、おもにこの第1回総会以後、2年間の記念館の運営、顕彰会活動の発展とその特徴を報告し、当面の記念館の運営の方向、顕彰会活動の方針を定め、新たな飛躍を期したい。
 1、第1回総会で確認された運営方向とその後の概況
 第1回総会は、福田正義記念館が当初の設立の目的にそって力強く前進を始めたことを確認し、その実情を踏まえて記念館の存在を広く各界の人人に伝え、その本来の役割・機能をはたすために、運営をいっそう充実発展させる方向を明確にした。そこでは、さらに多くの人人が多面的な関心に応じて参観するよう積極的に促すこと、さまざまな企画展示や創意的な催しを広げ、気兼ねなく記念館を訪れ語りあえる場として発展させることをあらためて確認した。そのうえで、記念館に展示・所蔵されている豊富な資料を活用して、福田正義の業績、それと深く結びついた日本の人民の各分野での生活とたたかいの歴史について研究し、学習を深める活動、研究会・懇談会などの開催を促すこと、とくに若い世代に福田正義の事業と人民の歴史を継承していく努力を強めることが論議された。
 その後2年間記念館の活動は、日本社会の激動発展、それと結びついた福田正義顕彰の大衆運動と関わって進展した。一昨年の礒永秀雄没30周年の顕彰運動、昨年の福田正義没5周年を記念する事業は、記念館の参観活用と豊富な資料の活用・研究を促し、諸資料の収集・展示の充実をはかる節目となった。
 2、記念館参観と活用状況について
 記念館の参観・利用者は2年間でのべ6000人以上が来館、入場者は開館以後1万1500人をこえた。この間の福田正義、礒永秀雄の顕彰行事と関わった研究・学習のための参観者や、記念館でのさまざまな催しでの来館者はもとより、専門的な研究者や観光客・帰郷者、通りがかりに映画の案内や地図を見て入館する人も増えている。
 この間、各地の大学・大学院から学者・研究者が訪れ、記念館の豊富な資料に感嘆し、記念館の存在を広く知らせることの必要性が強調されている。在日朝鮮人運動を研究する九州大学と大阪大学の大学院生が、山口県の民族教育運動についての研究に訪れ、長周新聞バックナンバー、『波乱の半世紀』などの資料を収集した。その後、そのつてで九州大学の大学院生が修士論文執筆のためにたびたび来館、戦後の山口県の庶民の意識状況について長周新聞や『平和の斗士』、当時の関係者への聞きとりを進めた。また、中国人強制連行の研究者が遺骨送還運動についての調査、梅光学院の女性問題研究者がシンポジウムなどの催しに向けて資料調査に訪れている。文化人類学者である崔吉城・東亜大学教授は、「貴重な資料がたくさんある。記念館の存在をもっと知らせるべきだ」と強調、みずからもブログやエッセイ集、長周新聞紙面で記念館を訪れた感想を記して紹介している。
 礒永秀雄没30周年を記念する顕彰運動では、記念館参観の呼びかけに応えて、またその前後にも詩誌『駱駝』関係者の参観や、礒永秀雄の縁戚にあたる関係者の来館があった。さらに礒永秀雄を卒業論文のテーマにした山口県立大学の学生が、研究のために来館し、論文を執筆、発表会で好評を得たという礼状を寄せている。
 福田正義ゆかりの人人の遺族では、戦前の長関共産党事件や占領軍のストライキ、長周新聞の工場建設に力を尽くした、戸田守雄氏の遺族が参観、父親の生き方にふれて感動を語った。劇団はぐるま座の創立55周年記念集会参加者による全国の維新ツアーによる集団参観もあった。青年期に50年8・6斗争に身を投じた岡山県のツアー参加者は、「やっと福田先生の所に来ることができた」と人生と関わって深く感激し、即顕彰会に入会した。
 福田正義没5周年の顕彰運動を期して記念館の資料の活用が活発化している。文化、教育、婦人、市政、労働などの分野で、また平和運動に携わる人人が次次に来館し、長周新聞バックナンバーの研究・学習討議が活発におこなわれてきた。宿泊しての連日利用もあり、福田正義の思想・精神、運動路線についての理解を深めた感動が語り合われている。顕彰会会員でもあった下関市の元タクシー労働者・越本亨氏の追悼集会に向けて、活動家の間で福田正義が指導し、広範な市民の支持を得て勝利した下関の労働運動の研究も継続的におこなわれた。これらの研究、学習活動の発展を通じて、各分野での新しい運動が再建されていくことが期待される。
 福田正義の精神と事業を若い世代に継承するための青年学校も連続して開催され、哲学、経済学、歴史など社会科学の系統的な学習を基礎に福田正義の思想、運動路線の理解を深めるうえで大きな確信になったことが論議になっている。子どもたちの平和教室も含めて、若い世代への人民の歴史の継承のとりくみの前進に、強い期待が寄せられている。
 平和と文化の砦としての記念館の果たす役割と期待はますます大きくなっている。下関原爆展事務局が新たに作成した「下関空襲と全国空襲」「第2次世界大戦の真実」パネルによる「原爆と空襲展」、「原爆と戦争展」(下関原爆被害者の会主催)の開催やパネルの常設展示は市内全域はもとより、広島、長崎をはじめ全国での原爆展運動の発展に大きく寄与してきた。パネルを前に子どもたちが被爆者・戦争体験者から直接学ぶ小中高生平和教室も定着した。教師の戦争体験を学ぶ会も開催され、記念館が平和教育の新たな発展と全国への波及の拠点としての役割をはたしている。昨年末、開催されたあらくさ展は下関市民の共感を呼び、主催の美術グループあらくさは今後、記念館を拠点にして美術運動を発展させる意気ごみを強めている。文化関係では絵手紙のグループなどの展示もあった。
 金子みすゞの詩を愛好する人人が訪れ、小中高生平和の会が作製した詩集を買い求めている。下関の金子みすゞ案内ボランティアの婦人は、みすゞ関連資料の研究に何度も足を運び、「いろいろなみすゞに関する資料を集めたり、話を聞いてきたが、記念館ほど充実しているところはない」と感激し、みすゞ関連の長周新聞バックナンバーや昔の下関の地図から数多くコピーして、案内に役立てたいと意欲を燃やしている。下関の書家・道岡香雲に書を習っていた人人もひき続き参観している。下関の古地図や歴史資料などのコピーを求めての来館、下関原爆被害者の会や市民の会、町内会など地元の人人の研修室や3階の利用も続いている。地元顕彰会員の奮斗で、下関を訪れる人人に対する意識的な記念館の紹介がおこなわれており、福田正義を知らない人人が多数来館し、フィリピン、カナダなど外国からの参観者もあった。
 3、資料の収集・整備について
 前回総会以後も、多くの人人から資料の寄贈が絶えることなく続いている。定期的に図書を寄贈する会員もいる。また、礒永秀雄没30周年、福田正義没5周年の事業のなかで資料の充実、展示物の更新・補修、設備の拡充等を進めてきた。「福田正義ゆかりの人人」のコーナーには新たに展示棚を設置し、関連する諸資料を展示し、今後の充実が期待されている。資料の提供では、小倉哲朗氏の蔵書約100点が小倉氏の遺族より寄贈された。その主要なものが「ゆかりの人人」コーナーの展示棚に、「小倉蔵書」としてまとめて所蔵・展示された。また「展望前後」に登場する山下寛治自詠の短歌の書も広島の高橋匡氏から寄贈された。
 「礒永秀雄の世界」のコーナーにガラス陳列ケースが追加され、展示資料の充実がはかられた。礒永秀雄関連資料では、旧駱駝同人の寄贈により、礒永秀雄研究のうえで重要な詩誌『駱駝』のバックナンバーがすべてそろい、コピーを展示することで、いつでも見られるようになった。また、礒永秀雄の子息・泰明氏から礒永秀雄の未公開写真10点が届けられた。
 「原爆と下関空襲展」「原爆と戦争展」と関連して、戦争体験を物語る記録や生活資料が市民から寄贈されている。中国戦場に動員された部隊の「死亡者名簿」、機雷の被害を受けたことを記録した手記や沖縄戦体験記、広島で原爆投下当日に救護にあたった腕章、罹災証明書などの被爆資料、中国戦地の状況を記録した写真集の寄贈があいついだ。礒永詩祭に出品された書・切り絵などの作品の一部も寄贈された。これらは階段展示の増設にともなって展示される予定。
 図書資料は、昨年12月末現在で蔵書数が2万8297点に達した。そのほとんどが寄贈されたもの。99%が書籍で、あとは新聞、CD、ビデオなど。「小倉蔵書」の『防長回天史』『久坂玄瑞全集』『明治期山口県商工図録』などの歴史資料、『世界革命文学選』『中国革命文学選』などの革命文学、戦前の『赤旗(せっき)』『戦旗』、第2次世界大戦関係の書籍、手記などの寄贈がこの間の特徴。労働運動、教育運動、内外の共産主義運動に関する図書、文学、歴史関係の図書も増えている。図書資料の活用の要望にこたえる方向で、所蔵書籍の検索などができるように作業を進めている。ひき続き館内閲覧を中心に活用してもらい、貸出については相談に応じて進められるようにしていく。
 4、よい映画をみる会の活動について
 よい映画をみる会は2004年9月に発足した。その後、活動を軌道にのせ、映画鑑賞と感想交流などの活動を活発にし、運動として発展させることに力を注いできた。映画鑑賞者は2005年1月以降、のべ961人で、出発時からは1000人を超えている。月1回発行のニュースを43号まで発行、毎週土曜日の定期上映会を継続しのべ160本(再上映を含む)の映画を鑑賞し、上映後の感想交流をおこなっている。自分や肉親の戦争体験や、農作業など昔の生活の体験と結びつけて語られている。小津安二郎やチャップリンの作品には来館者が増え、映画のタイトルを見て参加する人もいる。
 5、福田正義顕彰会の活動について

 福田正義顕彰会は発足にあたって、福田記念館と福田顕彰運動の主人公は幾千万の大衆であることを明確にし、大衆自身の運動として広く結集してこの事業を成功させること、さらに会費をもって記念館の運営を財政的に支えることを確認して出発した。『福田正義記念館だより』は福田正義顕彰会の機関紙として、開館半年後の2004年11月に発刊して以来、顕彰会の活動方向にそって記念館をめぐる動き、運営に関わる活動の状況を系統的に伝え、会員の絆を強める役割を担い、11号を数えた。福田正義没5周年を期して、年間会員の更新と新規の入会を広く訴える運動をすすめた。
 開館以後4年間の実績は、会員の皆さんの尽力により、当初顕彰会で定めた記念館運営の目的・方向にそって大きな成果を収め、そのことで多くの人人の共感と支持を得て発展してきたことを確信することができる。戦後63年をへて、独立、民主、平和、繁栄の日本への展望が切実に求められるなかで、さまざまな政治・思想潮流の衰弱とは対照的に、福田正義の事業と路線・精神を継承することで現在の運動を生命力をもって再生、発展させることができるという確信が広がり、そのための努力が各分野で始まっている。記念館がそのような福田正義顕彰運動の発展に寄与し、若い世代にこの事業を継承できるよう内容を充実させ、運営を高めることが期待されている。この間の顕彰会活動の発展を踏まえて、さらに足並みをそろえ大きく前進しましょう。そのなかで新しい入会者を広げ、記念館運営の基盤をさらに盤石のものにしていくことを確認したいと思う。

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