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独立・平和実現する出発点へ
長周創刊55周年第2回実行委
              55周年記念集会へ運動強化    2010年4月12日付

 長周新聞創刊55周年記念祝賀集会の第2回実行委員会が11日、下関市田中町の福田正義記念館で開かれた。3月に記念公演として取り組まれた『峠三吉・原爆展物語』(劇団はぐるま座)下関公演の大成功を勝ち取ったこととかかわって、戦後65年をへた現状について認識の転換が始まっていること、戦後支配に安住した殻を突き破って長期の大衆運動の停滞を打開していこうと、熱気に満ちた議論がかわされた。創刊55周年からさらに先の60周年、戦後70年を展望した人民運動の出発点として5月16日の集会を大成功させようと意欲が語り合われた。
 はじめに柳田明実行委員長が「大先輩たちが戒厳令下の50年8・6斗争を突破し、歴史を切り開いてこられた。原水禁運動はその後世界の運動になっているが、あの斗争が先駆けだった。平和ボケといわれるが、現代の社会ではそれぞれが不安を持って片隅に押し込められ、“これではいけない”という思いをバラバラな状態で抱いていると思う。今こそ50年8・6に匹敵するような新しい取り組みが必要な時代だ。残り1カ月だが、集会を成功させよう」とのべた。
 続いて、事務局から55周年記念祝賀集会実行委員会の活動についての提案がおこなわれた。2月21日に発足したのち、1カ月半が経過したなかで、長周新聞紙上では創刊55年・戦後65年を総括する「読者の総括意見」が掲載され、熱のこもった論議が発展してきたこと、記念事業として取り組んだ3月20日の『峠三吉・原爆展物語』全国初演は1200人参観の大盛況となり、長周新聞の10年来の活動とかかわって、戦後総括と日本の針路をめぐる論議を促していると概況を報告した。
 読者の総括意見は『原爆展物語』にふれて書かれたものが多く、戦争体験者は戦後の人生を思い起こし「負けるとわかっていた戦争でなぜ320万人が殺されなければならなかったか」「なぜ日本がこんなデタラメな社会になったか」を深く考え、その後の行動に駆り立てていること、現代とつなげて論議が発展し「“鯨の胃袋”のなかで平和ボケで安住するのか、それとも日本が再び原水爆戦争の盾になろうとしているなかで、“死んだ者の命が返らないのなら、死なないためのたたかいを命がけでやる”のか」鋭い論議になっていることを明らかにした。
 そして、55周年記念集会は全国各地でたたかっている読者が一堂に会して大交流し、人民運動の全国的な統一戦線の力を確信し、長周新聞を武器に戦争を阻止する本格的なたたかいに挑むこと、日本を変える出発点にしようと期待が高まっていることを報告した。また、残り1カ月に迫るなかで、実行委員が中心になって参加者を結集していくこと、読者の投稿による旺盛な論議を紙面上で展開すること、読者を拡大し、全国的な大結集に向けて奮斗していこうと呼びかけた。
 自己紹介後の討議では、この間の『原爆展物語』を観劇しての感想や、55周年に寄せる思いがつぎつぎに語られた。
 下関原爆被害者の会の男性は、「『原爆展物語』を見て、この劇こそ全国で公演して成功させることが重要だと感じた。芝居のなかで示されているような情勢のなかで、日本社会を打開していくことがもっとも中心的課題だと思う。集会を成功させるために全力でがんばっていきたい」とのべた。
 市内在住の男性住職は「私自身、原爆には猛烈に反対で、広島のある人と話した時に“過ちは繰り返しません”とあるが、このような主張に黙っていてはだめではないかというと、まぁまぁといわれた。広島は真宗が多く、諦めの思想が影響しているのかと感じた。法華宗はこの世で起きたことはこの世で解決するのが教えだ。戦後まもない下関で、誰もがいえないところで勇気を持って長周新聞を興されたのは素晴らしいことだと思う」と語った。
 広島から来た婦人は、母が動員で広島市内に出かけて被爆し、目を覆いたくなるような惨状のなかをさまよいながら家まで帰ってきたこと、ボロ切れをまとった姿で、鼻がもげて形相が変わっていたこと、ハサミで切らなければ肌についた服の切れが取れず、何か飲みたくても口がよじれて飲むこともできなかったこと、亡くなった後、木を組んで遺体を焼いたことなどを涙ながらに語った。そして、一九九七年のガイドライン作成や有事体制へ総動員しようとする近年の動きに危機感を抱いていることをのべ、自身も広島で活動していることを語った。
 岩国から来た男性は、「市民は真実を強く求めている。今岩国の巷では“ウソは泥棒のはじまり、大嘘は政治家のはじまり”と語られている。民主党が米軍再編見直しなどといっていたが、自民党と同じことをやりはじめて怒りが高まっている。議員まかせにできないとみんなが思っている。権力はウソばかりいってだます、だからこそ真実の報道に接したいと願っている。しかし既存のマスコミが真実を欺瞞してオブラートに包んで食べさせようとする。おかしい…と思いながら悶悶としている人は多い。真実を代弁する人民言論紙が必要だ」といった。
 下関市在住の戦地体験者の男性は「50〜60歳代が“戦争など関係ない”という態度をとるので情けなく思っていたが、最近少しずつ理解する人も増えてきた。現在、米軍再編で沖縄のことが取り上げられているが、私がいたサイパン、テニアンには八割方沖縄の人が送りこまれていた。彼らは二重三重の苦しみを味わってきたと思う。日本を基地にするのは、決してアメリカが日本を救う為にやっているのではない。サイパン、テニアン、グアムがアメリカの前線基地で、日本は盾に過ぎないのだ。それなのにグアムに日本がカネまで出して宿舎などを建設する。こんなバカにされた話はない。沖縄の人もかつてなく力強く立ち上がっている。岩国もたたかっている。全国で基地を撤去させるたたかいが広がることを望んでいる」とのべた。
 元サンデン労働者の男性は『原爆展物語』の成功にたいする喜びを語った。「会場が終始シーンと一点に集中している光景に胸をうたれた。自分の興味だけで物事を見ていたら見えないものがあると考えさせられた。この奥深い感動は何だったのだろうか? と考えていた。知人と15人で参観したが、その後、幼い時に戦争で父や母を亡くして随分苦労した話など聞いた。あの戦争が何だったのか考えているし、知らないのは私自身だったのだと痛感した。もう一度台本を読み直して仲間と膝をつき合わせて話したいし、そこに意味があると思った」と語った。
 そして、「原爆展スタッフと長周が10年の運動を蓄積して出来上がった。はぐるま座も魂が入った熱演だった。この芝居が全国を席巻するなら日本は変わると思う。情勢が激動しているからこそ、長周新聞が力を発揮してほしい。要望としては毎号、日本社会の方向を指し示すような社説を書いていただきたい。記念集会を成功させていきたいし、日本を変える力を結集できるよう、読者を増やしていきたい」と熱弁した。
 市内在住の教育関係者の男性は『原爆展物語』を全国で公演されて、真実を広げてほしいと思う。長周新聞は真実を伝えており、他の新聞にはない期待がある。われわれがおおいに読者を増やしていきたい。市政にせよ、教育にせよ、隠されたことや知らなかったことが表に出ていくよう、さらに書いてほしい。荒廃した日本社会を良くするためにがんばってほしい。最近、政界再編で“立ち上がれ日本”などといっているが、長周新聞にはほんとうの意味で“立ち上がれ日本”を示してもらいたいし、あの人たちにも教えてやってほしいと思う。55周年集会を50周年の時以上に盛り上げていきたい。一致団結してがんばりましょう」といった。
 宇部市の男性教師は「長周新聞に出会わなかったら、自分自身の今の教育観や時代意識はなかったと思う。商業マスメディアに惑わされて、自分の出世ばかり考える教師になっていたと思う。30年間読んできて人生観を変えられた。『原爆展物語』を観劇して、くじらの胃袋のなかで安住するのではなく、戦争のない平和で民主的な世の中をつくるためにたたかうのか、鋭く立場が問われた。アメリカ支配のなかで、少しだけ批判をしていたのでは話にならず、その枠を食い破っていく活動をどうやってするのか考えさせられた。今年で55歳になるが、長周新聞も創刊55年。ともに生きてきた歴史の重みを感じながら、集会の成功に向けて仲間も誘うし、がんばりたい」と意欲をのべた。
 萩市の小学校教師は「父親が戦争を体験しているにもかかわらず、私は本気で聞くこともなかったのを後悔している。『原爆展物語』をみて、体験者の魂の叫びを知ることができた。自分の戦争反対とか、教え子を戦場に送らないという立場がいかに甘すぎるかを考えさせられ、仇を打つ覚悟がなければダメなのだとわかった」と語った。
 下関市民の会の70代男性は、戦争はそれほど経験していないが、本を読んだり、戦後職場に復員してきた人たちからノモンハンやインパール、ガダルカナルでの戦地体験を聞いていたと振り返った。「あのときに聞いたこと、読んだことが一人だけで生きているのではないという私の生き様につながっている。もうじき80歳になるが、私よりも上の人だけが戦地を体験された方方で、語り継ぐ時間は限られていると思う」と語った。
 下関市民の会の婦人は「70歳に手が届く私も戦争の事をあまり知らない。市民の会に入って運動しているが市民のなかに入って話をしていくこと、意見を学んでいくことの大切さを知った。長周新聞に真実が書かれて市政や国政のことがわかる。衆議院選では安倍代議士が危機感を持って地元挨拶をしていたが、市民のたたかいがあるからこその危機感なのだと確信した。以前、“基地があるのは日本を守ってもらうためだ”といっていた親戚も、最近は“どこに移すかではなくアメリカに持って帰ってもらいたい”と意見が変わっている。やはり運動を続けていくのが大切。長周新聞に勇気をもらいながら、みなさんといっしょに頑張りたい」とのべた。
 防府市の小学校教師は5月に地域で「原爆と戦争展」の開催を準備していることを報告した。「70代の方方が自分の為でなく子や孫の為に行動を起こされている。その姿勢に心をうたれている。私は10歳の子どもたちを担任しているが、21世紀の担い手を育てるのだという教師としての思いが“子や孫の為に”の思いと一致したものでないとダメだと思った。学校の枠の中だけでなく、人人の時代意識とピシャっとつながっていけるかが問われている。55周年運動のなかで問い続けながらやっていきたい」といった。
 劇団はぐるま座の代表は「体制の枠内で少し不満をいいながら安住していくのか、人人とつながって社会を変えるためにいくのか、エピローグに描かれている思想が劇団も問われている。五五周年の取り組みの中で、読者の拡大も意識的におこなっている。はぐるま座と長周新聞が団結していくことが大切だと思っている。各所の公演準備では長周新聞を持ち込みながら宣伝にあたっている。各地で“こんな新聞があるのか”と驚かれている。全国の力を結集していきたい」と語った。
 論議のなかでは、「今年が55周年であるが、創刊される前の経緯があったと思う。非常に苦労されたと思う。その辺も知らせて頂きたい」との要望も出された。
 長周新聞社を代表して森谷編集長は「記念集会はこの10年の運動、戦後65年、長周の55年を総括して、次の長周60周年、戦後70年に向けてどういくかだと思う。戦後70年というと、戦争体験者はものすごく減ってしまう。まさに勝負だ。『原爆展物語』への反応は、賛成する人と嫌がる人の二極分化が激しい。その違いは、第二次大戦からつなげて現代を考えるかどうかだ。戦争はあったがその途中から考えていく人と、戦争から現代を理解するのとでは違う。日本はアメリカに侵略された植民地で、アメリカを追い出すようにするのか、アメリカに占領支配されている現実から目を背けて、少しだけ批判しているという違いが鋭い。日本社会の現実はこのまま黙っていたら原爆が飛んでくるし、殺される。それなら黙って殺されるよりも、死なないためのたたかいをしなければならないというのが、日本社会の真実だと思う。55周年は日本社会を変える出発点になる任務がある。新聞の編集発行を担当する側ももう一段気合いを入れて、60周年に向けたスタートをきりたいと思う」とのべた。
 最後に、柳田実行委員長が「演劇が今回の取り組みをさらに促進して、行動がはじまっていると感じた。あと一カ月だが、しっかりと運動を進めたい。子や孫、地域の為、日本社会のために大きく力を結びつけ、光を見いだす取り組みにしたい」と結んだ。

 

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