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独立めざし核戦争阻む熱気
第6回呉原爆と戦争展開幕
                2日間で500人以上参観      2012年5月2日付
 
  広島県呉市の大和ミュージアム4階で4月30日、原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)と呉市傷痍軍人会(佐々木忠孝会長)が主催する第六回呉「原爆と戦争展」が開幕した。開幕を前に呉市内では、市内在住の原爆展賛同者の協力も得て、各自治会や医師会、教育委員会を通して全小・中学校、幼稚園・保育園などへチラシ約4万枚とポスター約400枚で参加を訴える宣伝がされた。
 
 世代こえ行動意欲溢れる開幕式

 初日は午前10時の開幕と同時に、開催を待ち望んでいた賛同者や呉市民をはじめ、全国各地から観光に訪れていた人人が受け取ったチラシを見て参観し、2日間で500人以上の参観者があった。戦前・戦中・戦後の体験が次次に語られるなかで、戦争体験世代からは「二度と戦争が繰り返されることのないよう若い人にも真剣に参観してほしい」と語られ、親子連れや労働者や学生など現役世代からも「今の社会はまた戦争に向かっていくような情勢だ。若者の政治不信の根本的な原因は、日本社会が独自に発展できない関係にあること。独立した社会を目指していかなくてはいけない」と強い思いが語られ、会期中新たに40人以上が賛同者となっている。
 同会場でおこなわれた開幕式には、賛同者や市民など約30人が参加した。はじめに挨拶に立った高橋匡副会長は、「原爆を受けてからまもなく68年目を迎える。生き延びた者として原爆の惨状を次の世代へ伝えていかなくてはならない、二度と繰り返させないため被爆者も必死になって語り継いでいきたい。昨年の福島原発事故も経て、この会期中は核による文明などあり得ないことも強調して訴えたい。近隣の岩国基地問題を見ても日本が植民地化され米軍の駐屯と支配がどんどんと進んでいる。世界情勢を見ても中国、朝鮮、インドなど非常にきな臭い空気が漂っているが、絶対に戦争があってはならず、核攻撃阻止の力をつくっていかなくてはいけない」と力強く訴えた。
 賛同者からは、「昭和19年から呉海軍工廠へ学徒動員で出征し、潜水艦などをつくった。8月6日に亡くなった多くの人は戦争による犠牲だけ受けて死んでいった。幸い生きている者として、残された人生をまだまだ頑張って後世へ伝えていきたいと思う」(呉市在住・男性被爆者)、「学校卒業後に挺身隊として勤務した。空爆などで海縁にあった防空壕にひびが入り、逃げ込んで生活していた私たちと同じような挺身隊の女の子たちが溺死した。花を見ることもなく、楽しいこともなく、お国のため日本のためと、女の子といえども命がけで戦ってきた。こういう機会がある度に、辛かった体験を話して次の世に語り伝えたい。そのことを生き甲斐として再び悲惨な思いをしたりさせたりさせないため、生きているうちは話し続けていく」(呉市在住・女性)など原爆展を成功させることと、次代を担う若者へ真実を伝えていく意欲が熱く語られた。
 また平和公園で青年が主体となっておこなっている「原爆と戦争展」にも参加している20代の社会人男性は、「街で見かけたポスターで原爆展を参観したことがきっかけ。“自殺を欲する火傷”のパネルなど強く印象に残り衝撃を受けた。祖父が被爆者でもありパネルを見て改めて原爆の恐ろしさ、核兵器廃絶の意義を知ることができた。五日まであるが、多くの人に見てもらって原爆について考えていくきっかけにしてほしい」と話した。

 対米従属政治の変革へ現代重ね活発な論議

 呉市では軍需工場の要塞地帯として、昭和20年3月から7月にかけて計14回もの空襲を受け、とくに6月23日と7月1日から翌日未明までの空襲では、中心市街地が焼きはらわれて多くの命が奪われている。会場には、呉空襲を体験した市民から提供された呉での学徒動員生の生活の様子を写した写真や空襲体験記なども含めて、第二次世界大戦の全貌を明らかにするパネルと福島原発事故関連のパネルが展示された。多くの参観者から「当時の日本政府と今の野田首相を筆頭とする政府のアメリカ従属政治は変わっていない。米軍再編を強行し再び戦争を企む権力者たちの意図を打ち破らなければいけない」「戦争をくり返さないためには戦争を企む軍隊と政府を追い出さなければいけない」など、共通して日本社会の変革を求める論議が熱く交わされている。
 兵庫県から家族旅行で来たという30代の女性教師は、5月末に6年生を連れて広島へ修学旅行に来るための視察も兼ねて広島へ来たとのべ、「子どもたちには、戦争について当時の体験を聞いて学ぶことによって、悲しいとか怖いだけでは済まない戦争の真実を知ってほしいし感じてほしい。祈るとか願うという言葉は簡単にいうけれど、思うだけでは戦争反対の運動にならない。実際に子どもたちが次の世代にも伝えていくよう、戦争に向き合うためのきっかけを作っていきたいと思っている。教師としても嘘を教えることはできない」と語り、パネルを参考にしたいと冊子を買い求めた。
 京都から家族で来ていた女性は、「“天皇万歳”といって多くの国民が犠牲になっている裏では、アメリカの侵略と日本政府の隷属関係がすでにあったことに驚いた。そのことは今の社会でもまったく変わっておらず、パネルを見ていると同じことが起きるのではないかという感覚になった」「日本は今もアメリカの植民地と一緒の状態。先進国といえないほど人人は厳しい生活を強いられているのに、政府は軍事費を増強するためにもっと国民から税金を搾ろうとしている。おかしな政治の裏で今もアメリカに左右されている国は裕福でも幸せでもないと思う。日本社会の根本的な姿を考え直さないといけない時期だ」と感想をのべていた。
 千葉市から来た男子大学生は、「戦争と原爆はこれまで切り離して見てきたが、今日のパネルを見て第二次世界大戦の“みんなが貧乏になって戦争になっていった”開戦当時の状況から原爆投下に至る経緯をはじめて知った。原爆投下が戦後の日本を支配するためで、現代社会にも通ずる問題だ。戦争についてはじめて深く考えたが、社会のことも知らないことが多いなかでいつの間にか戦争になってしまったという状況をつくらないために、若者が受け継ぎ、次の世代に伝えていく役割を果たしていきたい」と語った。
 福島県から来ていた40代の夫婦は、「福島第一原発から約80`離れた場所に住んでいるが、被害を受けた人たちのために何かしたいと思ってがれき撤去作業などのボランティアをしている」ことを明かした。「復興はまだまだ今からだが、歴史上で最大の放射能被害を受けたなかから立ち上がってきた広島や長崎の被爆者の“福島は復興できないわけがない”という言葉は、政府がいう“絆”などと重みが違う。放射能ばかり騒いで意図的に復興を妨害している気がしていたが、福島に帰ってもこのことを周りの人人に伝えていきたい」と語った。また「TPPとか電気料金値上げとか消費税増税など、国民や被災者から金をとりあげようとしていることに腹が立つ。財政不足などというわりには、アメリカの軍事再編要求を満たすために移転費増額なども受けようとしており、ふざけている。今の状態では復興も進まないし日本全体が崩れてしまう。日本を変えるためにはまずアメリカ軍を追い出すことが課題であることがはっきりした」と思いを語った。
 東京から来た30代の男性会社員は、福島第一原発爆発事故についてふれ、「“なぜ地震列島に五四基もの原発が建てられたのか”というパネルがあったが、戦後の日本政府の責任は大きい。今また再稼働をやろうとしているが、どこの国の政府なのか」と怒りを語っていた。呉市内に住む女性被爆者は「小学生の頃に被爆したが、母親に連れられてあちこちで死体が転がっている市内を逃げ回ったことを覚えている」と話し、「今、岩国基地問題に関心を持っている。被爆者としてまた戦争の準備が進むことへこれまでも強く警戒心をもっていたが、最近はとくに艦載機を移駐させたり基地を拡大したりと物物しい雰囲気になってきた。アメリカの正体を暴露して基地も撤去し真に平和な日本を築かなければいけない」と思いを話し、また参観したいといった。

 

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