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独立と平和の若い力が登場
2008年原水爆禁止広島集会
              核戦争阻止する運動に確信    2008年8月7日付

 「日本をアメリカの核戦争の戦場にさせるな!」「広島、長崎の新鮮な怒りと戦争の真実を若い世代に、全国、世界に伝えよう!」などのスローガンのもと、2008年原水爆禁止広島集会(原水爆禁止全国実行委員会主催)が6日午後1時から広島県民文化センター(広島市中区)でおこなわれた。広島市内では第7回広島「原爆と戦争展」(まちづくり市民交流プラザ)、原爆展全国キャラバン隊による平和公園展示とともに、1カ月間にわたる原水禁全国実行委員会による全市的な宣伝活動など重層的なとりくみで広島市民、広島を訪れた全国・全世界の人人の行動を喚起し、新しい力の結集を呼びかけてきた。集会には現状変革を求めて参加した若い世代、広島や長崎、下関など全国で歴史の真実を語り継いできた被爆者や戦争体験者、原水禁運動を広げてきた人人、広島市民、海外の参加者など500人が一堂に合流。広島の地から、原水爆戦争を阻止する平和運動を全世界へ発信する場となった。

 熱こもる被爆者の訴え 海外の参加者も発言
 集会はアメリカによる原爆投下で命を奪われた人人に黙祷した後、原水禁全国実行委員会の川村なおみ事務局長が基調報告を提案。「原爆を日本に落としたアメリカは謝罪をするどころか、“正しかった”と開き直り、大量の新型核兵器を開発・製造・貯蔵し、日本からアジアを戦場にした核戦争を起こそうとしている。日本民族としてこんな屈辱を許すことはできない」「原水爆の禁止、アメリカの核戦争を阻止する力を唯一原爆を投下された日本から世界に広げることは世界中の平和を愛する人人の共通した願いだ」とのべた。峠三吉の時期の私心ない運動の原点に返って運動を再建することを強調し「全国の平和勢力を大結集し、中国、朝鮮、アジア人民をはじめとする世界の平和愛好者との連帯を強め、広島から平和の力を全国、世界に力強く発信しよう」と呼びかけた。
 その後広島、長崎、下関の被爆者が意見発表をおこなった。
 原爆展を成功させる広島の会の高橋匡氏は原爆で殺された人人の思いを63年間背負い「被爆体験を風化させてはならぬ」と広島の会の使命として語り継いできたことにふれ、地元の小中高校や大学、全国から来る修学旅行生に語るなかで全国に広がっているとのべた。若い世代が戦前時期の原爆展パネルを見て「今と同じ」「なにか変えたい」と行動を求めていること、全国で米軍基地撤去の運動を起こす必要性にふれ、60年安保斗争時のように「立ち上がる若者の姿をぜひ見たい」とのべ次世代の決起に強い激励を送った。
 原爆展を成功させる長崎の会の被爆者・山下諫男氏は「原爆投下をあくまでも正当化するアメリカはその姿勢を一向に変えない。日本の政治家はこれに追随しかしない。被爆者としての実際の体験、展示パネルなどを通して、この矛盾を力の続く限りみなさんと追及する」と強調。先月佐世保に原子力空母が入港したことに憤りをあらわし「なぜ日本はアメリカの奴隷の様になって一人前の意見をのべることができないのか」「正しいことは正しいと正正堂堂と意見を述べ日本が2度と原爆の被害を受けることなく平和をつづけるように頑張ろう」と呼びかけた。
 全国へ原爆展運動を発信してきた下関からは原爆被害者の会の大松妙子氏が発言。「63年たったいまでもあの残酷な光景は頭に焼き付いている」「みんな助け合って生きてきたのに1発の原爆で一変し、荒廃し、政治、経済、教育まで、そのうえ人の心まで変わり果て、犬猫に劣る事件に胸が痛む」と日本の荒廃へ危惧を語った。2人の妹を広島で殺された痛恨の経験にふれ「私たち被爆者はあの愚かな戦争のない平和を願い、2度と未来ある若者に私たちのような思いをさせてはならない。核兵器廃絶のため、政党政派、思想は一切関係なく、私利私欲もなく、原爆、戦争、空襲の真実を語り続ける」とのべた。
 つづいて長崎からかけつけた戦地体験者・島川秀男氏が発言。海軍航空隊として南方に派遣され、戦友が無惨に殺された体験を語り「戦争で殺された犠牲のうえに今の生活がある。戦争は2度としてはいけない。平和の運動をしっかりしていけば戦争はない。若い人がその思いを持ち、地球がある限り平和を築いてほしい」とのべた。
 つぎに平和公園で被爆者から体験を学んだ小中高生平和の旅の子どもたちが登壇。この日にむけて山口県下や福岡県など各地で街頭カンパや署名をとりくみ、大阪、広島、徳島などの大学生もふくめ140人を超す団を組んで広島へきた。発表では旅で学んだ成果を構成詩で報告。被爆者の思いを受け止め「被爆者、戦争体験者の方から体験を学び、受け継ぎ、つぎの世代に伝えていくことを誓います!」と仲間と声を合わせて発表する姿に、会場から大きな拍手が送られた。
 その後、原爆展全国キャラバン隊の富田浩史氏(劇団はぐるま座)が、広島平和公園での「原爆と戦争展」の反響を紹介。20代、30代の現役世代が「一生懸命働く者が食べていけないなどおかしすぎる」「こんな腐った社会は変えずにはおれない」など現代と重ねて共感が語られた特徴をのべた。現職自衛官や米海軍兵士が賛意を表明し、海外の参観者が多数アンケートを寄せたことも報告し「原爆展運動を現代劇にし運動の発展に役立ちたい」と結んだ。
 つづいてアメリカから参加したハンキンズ氏が発言。3年前に原爆展を見て衝撃を受け、シカゴ大学で原爆展を半年間取り組んだとのべた。「アメリカの国民として自分は例外に見えるかも知れないがそうではない。中東の戦争、グローバル化などブッシュ政府に反対している人は多い。市民として手をつなげば平和的な世界をつくっていける。アメリカ国民と日本国民との連帯を強化したい」と訴え共感を呼んだ。
 ここで劇団はぐるま座団員が登壇し、原爆詩人峠三吉の詩『墓標』を心を込めて朗読。会場は厳粛な空気に包まれた。

 基地撤去とも固く連帯 岩国や沖縄と結び
 各戦線の意見発表に移り、米軍基地撤去でたたかっている岩国や沖縄の代表が発言した。岩国から参加した愛宕山を守る会代表世話人の岡村寛氏(牛野谷上自治会会長)は、新市長が国の思うままに米軍再編を進め、愛宕山を米軍住宅にしようとするなか、近隣住民の思いを代表して会を立ち上げたと報告。「県知事、市長にたいし公開質問などの行動を起こし、反対署名活動を起こす。政治・信条にとらわれず行動を起こし成果につなげたい」とのべた。
 沖縄の野原郁美氏は「基地の整理縮小」のかけ声とは裏腹に基地機能が強化され、米兵犯罪が頻発する現実を怒りを込めて報告。先月開催した那覇「原爆と戦争展」で、沖縄戦の定説とされてきた日本軍は悪玉でアメリカ軍は「解放軍」のまやかしと一線を画すことで、基地労働者の婦人、「沖縄で原爆のことは語れない」と封印してきた被爆2世、ひめゆり同窓生などがつぎつぎに体験を語り出しているといった。「沖縄、日本全国から核基地を撤去し、真の独立と民主主義と平和を勝ち取るために頑張りたい」とのべた。

 行動を始める若い世代 大学生が意見発表
 その後、若い世代や各界の意見発表に移った。広島で「原爆と戦争展」の運動を担ってきた広島大学院生の宮里幸さんは「原爆と戦争展」に出会い、以前は沖縄で平和授業を受け「日本兵は味方なのに守ってくれなかった」と思っていたのが、「沖縄と本土の人が手を組んでアメリカに反対しないよう操作されていた」と気づいたことを語った。とくに自分のためではなく未来のため辛い思いを話す被爆者の話を聞き、沖縄戦の体験者と思いは同じと感じたこと、自分のことしか考えていなかった自身の考えを変え、平和のために行動することを決意した経験を語った。「今の日本の進行方向は真の平和ではない。いまこそ多くの人と団結し行動しなければならない。戦争と核兵器のない世界をつくるためになにができるのか考え行動していきたい」とのべた。
 続いて登壇した大阪の男子学生は小中高生平和の旅に参加し広島「原爆と戦争展」を参観したが、被爆者の話がわがこととしてとらえられない溝があり「実体験がないから不可能なのか」と悩んだことにふれた。しかし子ども達が自分のことの様にとらえ悲しみ、憤る姿を見て、本を読み、よそ事としてとらえていたことに気づいた、と話した。「もっと多くの体験者から話を聞き、自分の意識を変え、自分のこととして認識できるまで話を聞くのをやめないこと、これに気づけたことは一人の日本人として財産になる」とのべた。自らを変え行動に踏み出す若い世代の発言に期待を込めた拍手が送られた。
 北九州市の小学校教師である肥後容子氏は小倉原爆展や小中高生平和の旅のとりくみを地域の被爆者や戦争体験者、仲間の教師、父母とともに進めるなかで現状変革を求める息吹にふれたことを語った。地域、学校で原爆展などの運動を広げるとともに「金儲け第一に反対し、労働者や働く親達の生き方、考え方を受け継がせる教育運動を進めたい」と話した。
 芸術を持って参加した美術グループあらくさ会員の鬼池道世氏は「民衆の運動の一翼を担う方向を見いだし生き生きと活動している。美術がたたかいを呼び覚ませることを可能にしたい」とのべた。
 その後、集会アピールが読み上げられ、基調報告、スローガンが満場の拍手で採択された。デモ行進では、小中高生平和の旅の子どもたちを先頭に峠三吉の詩を群読しながら、80代を超す戦争体験者までが道行く市民に訴えた。美術グループあらくさ会員がつくった旗も高く掲げられ注目をあびた。沿道からはデモ隊に共感を示す市民の姿がめだった。

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