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父母と教師の団結が勝利の内容
下関・川中中教科教室問題
               教師の自由な発言が不可欠    2007年10月29日付

 下関市教育委員会(松田雅昭教育長)は川中中学校教科教室校舎建設をごり押ししようとしているがこの進め方にどんな学校をつくろうとしているかがあらわれている。現場の教師には「かん口令」をしいてものをいわせず、父母や地域の意見は聞かず、もっとも基本である子どもたちの現状をどうよくするかがない、教育とはいえない学校づくりである。これに対して、父母たちは、教科教室のようなものにあらわれた学校建設の方向ではなく、子どもたちの現状をどうよくするかを問題にしており、父母と教師が連携を強めてまともな教育をやろうというものである。問題は、従来型の教室でさまざまな問題があるが、教科教室にしたらさらに悪くなるというところにある。教科教室計画を撤回させる運動のなかで、現場の教師と父母との連携が強まり、教師がさまざまな束縛を取り除いて自由に発言ができ、子どもたちをのびのびと成長させることができるような力を強めること、それが川中中だけにとどまらず下関の教育全体を立て直す勝利の内容である。

 全県的な教育界の大問題に
 川中中の教科教室問題は全県的な教育界の大問題となっている。そのなかで語られているのは、あれほど父母や教師の理解を得られないまま、新しい学校をスタートさせることはできない」ということであり、松田教育長については「生徒が自殺したときに辞職すると思っていたのだが、どうしてどこまでも突っ走るのか」と驚きを持って語られている。
 川中中の教科教室計画は、5年前から持ち出されたものである。どんな学校にしようとしているのか。それはこの間の市教委の川中中への対応にあらわれている。第1の特徴は、子どもの教育に直接にあたる現場の教師に、ものをいわせないことである。直接に「口外するな」のかん口令が下されており、もっとも大事な現場の教師と父母が、この教科教室問題をめぐって子どもたちをどう育てるかについて意見をかわす機会がない。
 ここにはマスコミが「体罰」騒動を繰り広げて教師をさんざんにたたきのめすという騒ぎがあった。教師の指導性が抑圧されるなかで生徒の痛ましい自殺があったが、マスコミが学校機能を麻痺させるような大騒ぎをやり、市教委は無責任と現場への責任転嫁を決め込んだ。教科教室の視察に行き、批判を持った教師は人事権を振り回してみな異動させ、今ではその時期の教師はほとんどいない。とくに地域と結びついてきた教師集団を排除し、学校運営をさらに困難にした。子どもたちの教育にあたる教師たちが自由にものをいえない学校づくりが進んでいるのである。
 松田教育長ら市教委は父母が1万人の署名を集め、説明会でいくら意見をいっても、「平成14年に決まったことだ」といって聞く耳がない。これは議会で決まったのではなく、江島市長が計画を出したのを「決まった」といっているのである。
 父母の意見は、子どもたちの現状がどうなっているのか、それをどうよくするのかが最大の関心である。父母たちは、市教委も校長も子どもたちの現状を説明できないことに驚いている。また大多数の親たちは、「勉強ができるのにこしたことはないが、それ以上に人間関係をまともに切り結べるような人間を育ててほしい」と願っている。点取り虫で他人に冷淡な一部のエリートと、その一方で批判力のない大多数の低学力をつくるようなことに反対している。

 子供の荒廃に深い危惧 父母や地域の中で
 多くの人が心配しているのは川中中の子どもの現状である。父母や地域のなかではつぎのようなことが話されている。
 9月の運動会の日に、川中中の生徒数人が隣の中学校の運動会にもぐり込んでいた。対応が早かったので生徒同士のトラブルにはならなかった。学校に聞くと「出席している」というが、朝の出欠をとったあと抜け出したらしい。
 文化祭の日に川中中に行くと、生徒の携帯、茶髪、ルーズソックスが目立ち、教師がそれになにもいえていないようだった。最近は休みも増え、「塾があるときは部活は休んで良い」など、学校が学校でなくなっていることが心配だ。
 最近の給食の配膳のとき、生徒同士でケンカになった。いずれも成績の悪くない生徒だが、注意しても相手が聞いていないことがわからない、相手の生徒もいわれても気づかずにこじれたようだ。友だちとの関係を結べていないし、そのまま大人になっていくのが心配だ。
 川中中のある母親は、「中学の3年間は成長過程であり、子どもはさまざまな問題を起こすが、親と先生方が一致して子どもに対処すれば、そのことは逆に今後の人生の糧になっていくと思う。親の私たちがどれだけ誠意を持ってとりくんで、先生方と1つになって子どもを見守れるかどうかだ」と語っている。
 ある父母は、自分の職場の経験から、高学歴のエリートというものが職場に入るが、一般的な常識が驚くほど身についておらず、使い物にならない。そして破綻していくという経験をのべて、「点取り虫」教育の誤りを指摘している。
 ある校区の育成協の役員は「うちの校区の中学校も10数年前は荒れていたが、学校から地域に“今子どもはこうなっている”とつねに相談があり、先生だけでわからないことは地域の側から学校に知らせる。こうして先生、親、地域の輪をつくって話しあって、問題が起こっても解決していくことができるようになった。初めは小さい輪でもしだいに大きな輪にしていくことだ。それがなければ新しい学校を建てても失敗する」と語っている。
 問題は、川中中の校舎を教科教室型にするかどうかとしてあらわれている。しかし、たんに従来型なら万万歳というわけではない。この問題の根本は、子どもをどのように育てるかという対立である。クラスのない教科教室によって、ものいえぬ学校づくりが進行しており、子ども同士、子どもと教師間、教師と父母の関係をますます切り離し、点取り虫教育のますますひからびた学校にするのは明らかである。それは安倍前内閣・教育再生会議の「伸びる子は伸ばし、できない子は切り捨てる」という差別・選別の教育改革の具体化であり、人の気持ちの理解できない安倍元首相や江島市長のような冷酷なエリートをつくろうというのは明らかである。
 勤労父母の側は、そのような方向には反対であり、なによりも子どもたちがおたがいにまともな人間関係を切り結べるようになり、精神が解放されて、のびのびと育つことである。
 このようななかで、現場で実際に教育にあたる教師が自由な発言ができるようにすることが決定的に重要である。そのためには教師集団が父母と連携し、教師に加えられているさまざまな縛り付けを取り除くことが必要となっている。
 川中中の教科教室問題は、この大論議を通じて、江島市長・市教委の横暴な教育破壊を打ち破り、未来を担う子どもたちの教育のために、父母と教師の連携が強まること、とくに教師の教育の自由が強まることが、最大の勝利の内容となる。それは川中中にとどまらず全市の教育をよくする力となる。

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