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熱こもる集会参加者の感想
福田正義没5周年記念集会
              展望与えた福田正義の世界    2007年5月30日付

 全国から600人が参集し、各分野からの朗読や構成詩、歌唱、映像、展示などで福田正義の世界を描き上げた福田正義没5周年記念集会の感想が深い感動とともに続続と寄せられている。今回は各界から寄せられた記念集会の感想を特集する。

 壮大な世界に深い確信  小中高生平和の会 今田一恵
 集会に参加して何よりも強く感じたことは、福田さんの世界がこんなにも壮大で奥の深いものであったのかという感動であった。身震いするほどの勇気と確信を与えてくれた。いままで多少なりにも福田さんの文献を学習し、自分なりに描いていた世界がいかに小さかったかという驚きである。
 福田さんの思想、路線が、老若男女、職種を問わず、発表された方方の人生と重ね合わせて深いところで結びつき、生きた言葉となって生き生きと体現されたことによって、より一層深く染みこんできた。それがまた会場におられる方方の心と響き合って、戦争も貧困もない新しい社会を建設していくために頑張ろうと、大きな大きな思想的団結を生み出し、会場全体が厳粛な中にも明るい展望に満ちあふれたものになっていったのだと思う。感動の深さはここにあったのだと思う。私は、この感動を集会に参加された皆さんとともに、心から共有出来たことが、何よりの喜びであった。
 幸いにも私は、「戦争遺児と靖国参拝」を朗読発表するという機会に恵まれ、福田さんの社説の内容の奥深さを改めて知ることができた。読めば読むほど、福田さんの思想、路線こそが本当に人人を立ち上がらせ、勝利していくのだということを、私自身の体験とも結びついてつかむことができたように思う。それは、日常的には忘れさせられていた戦争遺児であることをもう1度正面から向き合うことができたからである。私の原点である戦争遺児の立場を忘れさせられることは、320万人もの人人が無惨に殺された第2次世界大戦の真実を暴く怒りを風化させ、戦後から今日に至るアメリカによる傍若無人な日本支配に対する本当の怒りを風化させてしまうことなのだということを、この社説を読むなかで思い知らされ、改めて戦争遺児であるということを自己に問うことができた。福田さんの、被爆者や戦争体験者、遺族はもとより、戦死者に対する思いの深さが私を引き上げてくれたのだと思う。
 福田さんは、社説で戦争遺児や戦争未亡人、遺族の生活、その思いや願いなど嘘偽りのない真実の姿を、深い愛情と信頼をこめて描き出し、戦争の犠牲者なのだと断言されている。だからこそ、その戦争犠牲者が肉親を思う心情を逆用して、巧妙に計画的に欺瞞し、再び戦争へ持っていこうとする支配者の企みを「最もたちの悪い精神の愚弄」であると激しい怒りをこめて暴き出し、私たち遺族に対して、戦死した肉親を慰霊する本当の道がどこにあるかを問うておられる。戦争被害者を真綿でくるんで締め付けている抑圧の欺瞞を引き剥がすことによって戦争被害者の本当の願いを発揚していく。だから、感情をくぐって素直にそうだと受け止めることができるし、戦争遺児としての使命感に立つことを促してくれる。福田さんはすべての人民に対して一貫してこのような態度を貫いてこられたからこそ、万民がそうだったのかと勇気を出し、敵の欺瞞をうち破って立ち上がっていくのだと思った。「戦争遺児と靖国参拝」の内容が理屈でなく、感情のところから自分なりにとらえることができたが、しかし、福田さんの世界については、とらえ方がまだまだ浅いことを痛感した。
 集会での感動が大きかっただけに自分への課題の大きさもはっきりしてきた。それは決して内向きのものではなく、大胆に福田さんの思想、路線をわかったところから、みんなと団結して実践することだと思った。
 アメリカによる原水爆戦争のために再び日本の国土と人民が犠牲にされようとしている今日、戦争遺児というところから、もう1度「死んだ者の命を取り返すことができないのなら、死なないためのたたかいを、生死をかけてやらねばならぬ」「誠心誠意人民に奉仕する」という気高い福田さんの思想、路線を学び直し、たたかっていかなければならないと新たな決意に立っているところである。

 現実のただ中の机  福岡県・美術グループあらくさ 桑原嗣子
 私は記念集会で「現実の外にある机」を朗読させていただきました。これは、私が深く愛着する論評で、すでに十分理解していると思っていました。しかし幾度も音読の練習をしているうちに、さて1958年のときの警職法とは、広津和郎、高見順……知らない。それで調べる。ああそういう背景であったか。いかに知ったつもりが現実から遠のく道辺にあるかを、さらに認識することとなりました。
 私は5周年の会場で、後半のプログラムにさしかかるころからこの朗読のことで緊張しました。そのため、後半の1部の舞台をじっくり味わえなかったのは残念です。しかし、集会全体の印象は、福田さんのさまざまな分野にわたる生前の活動の全貌が、みなさんの人生と肉声をもっていきいきと伝えられた、すばらしい内容であったと思います。
 福田さんが愛唱したソビエト映画「人生案内」のなかのみなしごの歌、荒城の月。映像では、若若しい福田さんが、信念丸出しの率直な語りの場面をとらえており、その人間くささに、旧知の懐かしみを覚えました。
 朗読と一口にいっても、シンプルな朗読とともに、「ヒットラー様」のように演劇仕立てにしたり、構成詩風にしたり、歌とセットにしたりと変化に富んでいました。さまざまな趣向や工夫があり、持ち味が濃く、その創造力に乾杯です。長周新聞人民保育所のみなさんの出し物は、本当に大きな花を添えてくれました。
 また、下関原爆被害者の会の石川さんの意見発表では、1950年8・6斗争を人民に奉仕する精神でたたかいとった福田さんの経緯を知り、さまざまな困難を乗りこえて信頼に至ったお話に、深く胸を打たれました。
 福田さん逝去後の5年間、長周新聞のみなさんがその志と路線を堅持し、奮斗され、著作集出版を成し遂げ、没五周年集会に結実されたことはすばらしいことでした。現実の只中の机で奮斗された福田さん、真実の持つ求心力に深い確信を持ち得た集会でした。

 元気が湧いてきた集会  下関原爆被害者の会副会長 佐野喜久江
 福田さんの没5周年記念集会に参加でき、とても嬉しく思っています。長周新聞社の子どもたちの舞台など、1つ1つの出し物で印象に残るものもありますが、集会全体を通して元気が湧いてくる力強さを感じました。
 私たち被爆者は、福田さんが戦後5年もたたない時期に、原爆のことを初めて世の中に出してくださり、被爆者のために一生懸命運動をされてきたことに感動してこれまでがんばってきました。少し前に、福田さんが「広島の被爆市民が幸福にならないうちは私たち家族の幸福もありません」と下関に残した娘さんへ書かれた手紙に感動して、長周新聞の方と手をつないでやっていこうと決意したという話もさせてもらいました。
 今日の集会に参加して、福田さんが原爆のことだけでなく困った人のため、市民のためにずっと活動されて長周新聞をつくられたこと、長周新聞がその方向でがんばっていることを嬉しく思いました。参加された広島の被爆者の方、下関の戦争体験者の方ともお話することができ、みなさんと一緒になって2度と戦争のないように、命をかけてがんばらないといけないと強く思いました。 これからは若い人たちの時代です。1人でも多くの青年たちが、2度と原爆が使われることがなく、平和で幸せに暮らせる社会にする運動に参加できるよう、福田さんの本も勉強しながら体験を語り継いでいきたいと思っています。

 下関市民の会の婦人
 戦争を絶対阻止しなければ  中村良子
 「市民の会」もこの記念集会に参加できて、とても幸せでした。しかも、全国の人人が下関の「市民の会」のいろいろの達成に注目されたとか。これも兵頭さんを市政に送りこめたこと、それには長周新聞のみなさんの協力があったればこそです。また、兵頭さんを信じてくださった皆皆さまのおかげだと感謝してます。
 私も初めてでもあり、「注目の的」といわれればなにがなんでも成功させたいし、素人ながら、一生懸命練習をして、おたがいに仕事をしながら、全員集まることが難しいなか、なんとかやり遂げました。でも長周新聞の超忙しい若い人たちのすごさに脱帽です。コーラス・朗読にしても、よくぞあそこまでと感心します。
 そうして「原爆展」も下関からとか。すごいと思いました。広島をはじめ、四国、鹿児島、福岡、新潟、沖縄とたくさん、たくさんの方が参加してくださって、胸が熱くなりました。
 長周新聞の保育所の子どもたちが一生懸命がんばってくれて、その「かわいさ」。この子どもたちに、戦争の悲惨さを体験させてはならない!
また、今さらなんのために戦争をするのか! 体験者の話にもあったように、あのむごい、人間のすることではない戦争を、どんなことがあっても、絶対に「阻止」しなければならないと、強く強く思いました。
 そうして福田正義さんの心意気をしっかり、しっかり受け継がれている、長周新聞のみなさん、「若い人たち」がすべてのことに真心でとりくんでいました。接客がまたすばらしかったです。今の若い人にあれだけの教育というか、新聞社の中が、ただただ無言の教育ですかね。とにかくすごい!。
 「市民の会」のみなさんや「長周新聞」、私の人生の終わりに近い今、このような人人との出会いにすごく感謝してますし、幸せです。
 私には最高の集会だったです。

 長周と共に市民運動発展へ  萩尾愛子
 忙しいなか、多くの人が福田正義没5周年記念集会に集まってくださいました。福田さんの精神を受けつぐべき若い人たちが、力を合わせて多くのできごとに耳を傾けて、民衆の側に立ち続けてほしいものです。
 いろいろな出し物が大変よかったです。とくに、長周新聞人民保育所の子どもたちの歌が大変よかった。それと、3人の若者が歌った「みなし子の歌」には涙が出てしまいました。
 今回の集会はすごくよかったです。感動しました。長周の若い人が福田さんの精神を受けついで、多くの人の困難や難題を解決する力になっていってほしい。そういう長周新聞といっしょになって市民運動を発展させていきたいと思いました。

 人民に奉仕する精神貫く時  柿田多加子
 「死んだ者の命をとり返すことができないのなら、死なないためのたたかいを、生死をかけてやらねばならぬ」「誠心誠意人民に奉仕する」、この精神を今こそ本気で貫かねばならない時だなとつくづく感じます。
 現在の日本の状態を憂いていてもはじまらないということを、福田正義没5周年記念集会で、高齢者からまた子どもたちから勇気づけられました。平和な日本であるためにできることをやっていこうと思います。

 開かれた真実追求の心の扉  太田和子
 福田正義没5周年記念集会は大成功に終わった。全国北は新潟、南は沖縄と参加者も、この熱気、雰囲気に飲まれた。福田さんについて、まったく無知だった人たち、1人1人が鋭い時代を見抜く目、真実追求の心の扉を開かされたようだ。私もその1人だが、福田さんの指導された運動は、大衆路線にもとづくもの、私たち市民の会の活動に確信を持った。とても大きな収穫だった。
 後継ぎになる子どもたちのなんと清清しさ、そのなかでも小1女子には感動。みんなみんな素敵だった。感動をありがとう。
 死んだものの命を、とり返すことができないのなら、死なないためのたたかいを、生死をかけてやらねばならない、私は切実にそう思う。
 日本民族の真の独立のため、私共も頑張っていきます。

 涙して聞いたみなし子の歌  堅山キヌ子
 福田正義さんが愛唱されたという「みなし子の歌」を涙しながら聞き入りました。長周新聞の若い方方のきれいな歌声に美しくも悲しい、切ない歌声に涙あふれるばかりでした。
 福田正義さんの生い立ちと重なるということですが、今日でも形は違っても、このような子どもさんがたくさんいると思います。日本も戦後はみなし子がたくさんいました。
 今、ときおり外国のニュースのなかで、闇市のなかで汚れた服装をして物乞いをしている子どもたちの風景を見ることがありますが、日本にもなに1つ変わらない、現にあったことです。
 戦後生まれの若い方方、本当に戦争はあったんです。昔昔の物語ではありません。私にも、19歳の孫がいます。男の子です。やっとここまで大きくなった可愛い孫です。戦争が始まれば1番に召集されます。いやです。もったいないです。
 5月25日には六連島では戦争ごっこみたいなことがあったみたいですが、絶対に戦争はしてはなりません。多くの若者、元気で働き盛りの若者、底辺の者が1番先に犠牲になるのです。
 全国のお母様たち、心を合わせて戦争は絶対にしてはいけないと大声をあげましょう。
 子どもたちが、みなし子の歌を歌わなくてすむように!


 心結びつけた福田精神  広島市被爆者 下田艶子
 2007年5月26日、福田正義没5周年記念集会に参加させていただきました。福田さんのことを存じ上げて以来、4度目の下関行きとなりました。
 最初は福田記念館の開館の時でした。峠三吉の身内の方ということで親しくしていただいて、長周新聞も読ませていただいていました。他の商業新聞とは違った真実な記事にいつも感銘を受けていました。成人の教科書のような気持ちで読んでいました。また、広島では話題にもならない峠三吉のことをここ下関の福田さんが「原爆と峠三吉の詩」として広く原爆展を多方面で展開して下さり、反核反戦反差別、戦前の各地の空爆のこと、広島人である私たちより先んじてやって下さってありがたく思っています。記念館の会場には目立つ所に峠三吉の写真と詩が展示してあり、胸が熱くなりました。亡き叔母も報われたと思いました。幾千万大衆と共におられる福田さんのことがよく理解でき、生前にお会いできていたら、私の人生観も変わっていたのではないかと思っています。
 2回目は長周新聞50周年記念のときです。いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関として長周新聞の創刊。多くの方方の祝詞の言葉から福田さんの人となりが、行動が、幾千万大衆と共にの言葉と共に明らかにされ、精一杯立派な生き様が私の胸を打ち、益益福田さんを身近に感じる様になっていきました。
 3回目は、被爆体験を学んでbU広島に学ぶ小中高生平和の旅の発表会のときです。ここに集まられた学生さんたちは、本当に明るく朗らか、私たちは文集を無料でいただきました。平和の旅の思いを書かれた文集でした。分厚い本には思いのまま学ばれたことがせつせつと書かれて涙が出てきました。子が親を殺し、親が子を手がける殺伐とした今の世の中に素直で明るい子ども。福田さんの心が植え付けられているのでしょう。
 4度目は今日の日のこと。長周新聞、はぐるま座の方、多くのお手伝いの方、私たち一行に「遠くからよくおいで下さいました」と丁寧に挨拶をしてくださり、下関の被爆者の方の用意してくださっていた部屋で近況報告、久しい人人とのお話し合いをいたしまして、福田さんの展示場に参りました。お忙しいお仕事をなさりながらの催しの展示。短時間での作業の中の、展示の作業。手落ちなく気配りの展示に感心いたしましたが、1時間くらいしか時間がなく、全部は読み切らず残念でした。もう少し、時間が欲しいと思うことしきりです。開会の挨拶に続く色色な発表に聞き入っていました。一貫して統一のとれた何といったらいいのでしょうか、福田さんの幾千万大衆と共にの精神が1本の筋となって皆さんの心をしっかりと結びつけている様な、そんな本当に福田さんは偉大な方だ。まだまだ生きて引っぱって行って欲しいと思います。でも、福田のおじいちゃんの教えを良く守る若い芽がふき出しています。彼らが大きくなる頃には、若葉が大きくなり、福田さんの望まれた世の来ることを私たち力を合わせてやりとげたいと思っています。

 愛媛も大衆路線の道へ  愛媛県松山市 黒田義C
 1、簡単に崩れてしまう労働組合をつくり、指導した責任を如何にとるべきか。これからの残年の私の課題と改めて痛感した。
 2、20数年振りに、文字でなく会話の中で「マルクス・レーニン主義」という言葉を聞いて、勇気を貰った。ありがとうございました。
 3、学校の先生の晴れ晴れとした顔を舞台で見て、教育の原点ここにありと合点し、それにつけても、教育の政治支配の激しい愛媛の現状に、市民として何を為すべきか舞台は暗転して、打つ手が見当らず、ただ黯然として声もなし。
 4、はぐるま座が農家で実践活動し、「牛の糞にも段段がある」ということばを体感し、福田さんの芸術論の具体化の方策の1歩を踏み出した「実践論」に脱帽。それが今も日日新しく続いていることに最敬礼するのみ。
 5、憲法改悪の流れの中で、民主主義を守ることが生命を守ることだと、隣人に訴え、隣人がその隣人に訴える大衆路線を愛媛でどう築くべきや。乞うご支援。

 原点を考えさせた朗読  沖縄県 屋宜恒一
 プログラムの1つ1つが印象深く、すぐ鮮烈に蘇るのですが、とくに「戦争の体験と若い世代に託する思い」の安岡謙治さんの、南洋テニアンでの戦争体験は、時間が足りず残念でした。が、幸いにも小中高生平和の会での安岡さんの講話が手に入り、学ばせていただきました。
 安岡さんは、「今の首相のお父さんも予科練の学生だったので、予科練の人たちがどんな死に方をしているのかよく知っています。だから私らは戦後も碑を建てたり、それをいろいろ応援されましたし、私らは安倍晋三がお父さんを少しは受け継いでおられると思っていたが、ぜんぜん反対でした」と、のべ戦争体験が引き継がれず、「教えられとるのは、アメリカの民主国家は立派な国だとか、アメリカがおったから今、日本はこうなったとかいう教育なんです。そして日本はとにかく戦争に行った者が悪いんだ」とされ、アメリカと日本の支配層の戦争責任と戦後の野合を鋭く指摘していました。
 朗読「民族の子として育てよう」は、地域・学校での平和教育運動を進めるうえで、非常に新鮮な心を洗われる朗読でした。そして5名の先生方を代表しての決意表明は力強く、深い感動で会場を1つにしたと思います。
 沖縄では、1972年の祖国復帰まではアメリカの異民族支配に抗して、政治、経済、教育、文化などあらゆる面で広範囲に民族の独立と平和を求めるたたかいが継続されていました(原爆展も新聞社、学生自治会が主催してやっていました)。復帰して、「沖縄県」になると、本土の資本が直接乗りこんできたり、自衛隊が米軍の肩代わりを進めたこともあり、「米軍基地問題」も、日本政府との交渉となります。「米軍再編推進法」などは協力する地方自治体への再編交付金を与え、反対する自治体には交付しない「アメとムチ」論になってしまい、「関係地元より対米合意優先」の日本政府批判にとどまっています。
 なぜ、日本・沖縄をアメリカのたてにして原水爆戦争の戦場にしようとするアメリカと日本の支配層の野望を暴き、その根源である日米安保条約とすべての米軍基地を全日本とアジアからたたき出すための、復帰前には「常識」であった「スローガン」さえも消えてしまったのか、深く考えさせられる「民族の子」でありました。
 戦後62年の復帰後35年のアメリカと日本政府による教育、思想、文化面での「浸食」をハッキリ自覚するところから始めなければと意見発表「戦争の体験を若い世代に託する思い」と朗読「民族の子として育てよう」と決意は教えています。
                                         (保護司)
 教師の使命を実感
 福田氏を熱く力強く感じた  福岡県 根元律子
 福田正義没5周年記念集会は真剣ななかにも落ち着いた温かい雰囲気のなかでおこなわれた。受付をはじめ、お世話をしてくださっていた方方の対応がしっとりと温かかったのが大変印象的であった。これも福田氏の遺産であろうと感じた。
 プログラムのなかでもとくに心に残ったのは、伊東秀夫氏の意見発表である。大丸斗争について熱く語られた。福田氏がどのように人人と関わり影響を及ぼしていったかがうかがわれた。
 また、多彩なプログラムのひとつひとつは、縦糸となり横糸となり福田正義氏という人物を1枚の熱く力強い色彩の織物として私の前に提示してくれた。長周新聞紙の記事などで受けた福田氏の印象は、織物を構成する糸の数本であった。今回の集会のなかで、たくさんの方方の声を通して、糸が縦にも横にも増えていったように思う。それだけステージに立たれた方方の朗読、意見、歌を発表された方方の声は力を持っておられた。また、プログラムは実行委員の方方の深い思いによって構成されたものであることを感じさせられた。
 眼の前のこと自分のことであくせくした日常から引き出され、「本当に今あなたがしていることは大切なのですか」と静かに問いかけられた3時間であった。

 私たちの使命を強く思った  山口県 町田由美子
 福田さんの足跡を知る書物に出会ってまだ数カ月、そんな私にとって、今回の記念集会は教育の分野はもちろん、労働、市民生活等にいたるまで、あらゆる分野において、虐げられた人民の側に立ち、人民のためにたたかい続けた福田さんの熱い思いを感じた3時間だった。
 1人1人の姿、語りに福田正義さん自身を感じた。今を生きる私たちを励まし「しっかりしろ!」と背中を押されたような気がした。
 「死んだものの命を取り返すことができないのなら、死なないためのたたかいを、生死をかけてやらねばならぬ」。大切な人、かけがえのない子どもたちが、死なないためのたたかい、これが今私たちの使命、そう強く感じた。出会うべくして出会った、福田さんとのこの出会いに感謝しています。

 被爆者の思い伝える大切さ  北九州 谷村里美
 福田正義さんのお孫さんが読んでくれた「幼い友だち」の朗読がとても悲しく、結核で亡くなったのだと思いますが、今だったら助かる命だったのにと思いました。
 「ヒトラー様」では、ヒトラーのかぶり物をしていた方の動きがとてもおかしく、またテレビなどで見るヒトラーの動きと似ていたので、細かな行動をよく見ているなと感じました。
 原爆の被爆者だといえなかった時代があったことに驚きです。被爆手帳の発行を惜しんで被爆者だと認めないことがあったことは知っていましたが、被爆者自身が「自分が悪いことをしたからだ」と思い、隠さざるをえない事実があったことに心が痛みました。そして、教科書が語ってくれない時代や、そこに生きた人人の思いや、感じ方を伝えていくことの大切さを知りました。
 「民族の子として育てよう」という朗読では、凛とした声で読まれていたので素敵でした。「民族」という言葉がなかなかピンとこずに、民族意識の低い自分の勉強不足を感じたところです。
 子どもたちの詩では、歌声がとてもよく響きかわいかったです。しっかりしているな、と思いました。福田のおじいちゃんといっているのを聞いて、この子たちは、福田さんという人物をとても身近に感じているんだなと思いました。お互いの相手を思う温かさが伝わるようで、福田のおじいちゃんという呼び方が素敵でした。


 福田さん初めて知った 全国参加者の感想
 力の限り人に役立つ仕事を  愛知県 前田克巳
 今回の集会で初めて福田正義さんのことを知った。反戦運動を中心にやってきた人かと思っていたが、労働運動や原発の問題など、そこまでもという驚きで福田さんの経歴を知ることができた。
 最近は戦争を美化するような状況がある。犠牲になった人がいて現在の平和があるとか、戦争があったから進歩発展があるなど、肯定的に論じられるが、戦争はけっしてあってはならない。アメリカは戦争をやらなくてはやっていけない経済状況があり、それに日本も組みこまれている。
 集会の中で教師の発言があったが、教師は主張が難しい立場に立たされているにもかかわらず、堂堂と正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると主張しすばらしいことだと感動した。学校や職場の小さな輪での運動は、形式的に終わるかと思っていたが、そうではなく、そこに展望を見ることができた。小さな輪でも必ず社会を動かすことができるのだという勇気をもらった。
 私は礒永秀雄の『ただいま臨終』の詩が大好きだ。私の人生のテーマだと思っている。誰しも死は約束されているにもかかわらず、自分のことじゃないと思ったり、その事実に向かうことを恐れる感覚がある。たった1度の人生、人のために生きることの大切さ、なにか人人に役立つ仕事をして、いつでも死ねる覚悟を持ちたい。
 はぐるま座の取り組みをつうじて礒永秀雄作品の『鬼の子の角のお話』の紙芝居を地域で仲間たちとやり始めている。大変歓迎され、仲間が紙芝居の枠を手作りでつくってくれて、どこでも上演できる態勢ができた。この紙芝居を今後も続けていきたい。そして戦争反対をテーマに、戦争は絶対にやってはならないぞと訴えて、紙芝居公演を続けていこうと仲間と話している。小さな輪だが、仲間があって初めて自分があると思う。仲間と団結して一層奮斗したい。また全国の文化活動に参加されている人とも連携をとって、力の限り人人に役立つ仕事をしていきたい。自分のこれからの人生にかけがえのない勇気と力をいただいた集会だった。

 勇気もらった有意義な一日  鹿児島県 松山健郎
 福田正義主幹が過去に執筆された中から、厳選された社説、コラム等を幅広い賛同者の方方が、朗読や歌で見事に披露されていた。今まで紙面で接してきた福田主幹のメッセージが、鍛錬されたみなさんの生の声でさらに重厚さが加わり、また戦争体験者でなければ話せない言葉のかずかずが迫力を持ってわが心に響き渡った。
 日ごろの私の生活は、業務に追われ生活に汲汲とし、わずかな自由な時間はまさに刹那的、享楽的であり、さしたる政治信条もなければ信仰に傾倒するでもなく、凡夫そのものであり、正直耳に痛い事だらけで参加資格以前の問題がわが五体にしみこんでいる。福田主幹の雷が落ちそうである。
 それにしても、福田主幹のメッセージには古さがない。今日の現状にすべて見事に当てはまる。類まれな先見性があったことは勿論だが、逆に見るとこの現代社会は1950年代から少しも成熟していない、それどころかいよいよ破滅へ向けての動きが加速化してきているように思えてならない。
 記念集会後の交流会で発言したが、農業面からいうと現在進行中の、日豪EPA交渉などはその最たるものだ。関税を相互に撤廃することを目的としたEPAやFTA、多国間のWTO交渉等は、どう考えても1部財界の利益のためだけにしかならず、農家はもとより関連企業に従事する労働者にも多大な不利益をもたらすことは、容易に想像できる。オーストラリアの人口は約2000万人、ここの鉄鋼石を有利に輸入することと、自動車をはじめとした輸出優良企業の利益拡大をするための交渉であろう。農畜産物はそのための犠牲でしかない。2000万人が全員日本車を購入するはずもなく、最終目的は今後のアメリカ、欧州等との国際交渉を有利に進め、輸出を増やし、あるいは現地生産を可能にしてますます肥え太ることだ。
 食料の40%しか自給しない日本で、世界の農産物生産状況次第では大変なことになるという危機感がいまだに薄いことが不思議でならない。最近バイオエタノールがもてはやされてきたが、とうもろこしを主原料にしているため、既に国際価格は高騰し続け、畜産用の餌は去年の倍に跳ね上がり、国内の食料や調味料等の市場価格に早くも影響が出ている。片や慢性的に食料不足に悩む世界の貧しい国国は、穀類輸入が困難となり、餓死者の増加が懸念されている。いつ、日本がこのような状況に追い込まれるか心配の声があまり聞こえてこないのはなぜか。
 やはり一般的大マスメディアが真実を報道していないことが大きいのだろう。大口スポンサーの都合の悪いことは隠すしかないということか。現状で大笑いしているのは、穀物メジャーと呼ばれる巨大商社だけではないか。
 はてさて、凡庸な私にとって今回の記念集会は、数年に1度の、日本の明るい未来と世界の安寧を願う機会となった。集会参加者のみなさまにも申し訳ないが、私のレベルはまだまだ初歩の初。福田路線を実践し斗いをくり広げるには程遠いところにいるが、共感し合える、価値観を同じくする諸氏が全国におられることに勇気づけられ、今後の人生の糧となる有意義な1日であった。実行委員会や運営にあたられたみなさまに衷心よりねぎらいと感謝を申し上げたい。
                        (元鹿児島県農協青壮年部組織協議会副委員長)

 エネルギーを与えてくれた  広島県 竹下 敦
 戦争を阻止し、平和で豊かな日本を実現する力にといわれる行動は、今本当に必要な時代ではなかろうか。この事を身を通し、今までたたかって来られた福田正義氏の偉大さが、強く感じられた集会であったと思う。
 パネル展示で『死んだ者の命を取り返せぬなら生死をかけたたたかいを』と示されたパネルを思わず写しとっていた。少し早くから来て、ゆっくり読んでみたいパネル展示であった。
 合唱・朗読・構成詩・意見発表と、プログラムが進むにあたり、福田正義氏のいいたい事、「生きること」「学ぶこと」の大切さが1つ1ついわれている様であった。普通一般の人間としてこうありたいと願う気持ちが1つ1つ言葉のなかに感じとられる様な気持ちがした。これが自然であろうと感じた。長周新聞人民保育所の構成詩や構成詩「反修決起前後」など、私たちに明日へのエネルギーを与えてもらった様な気がする。五年が次の10年、15年と同じ道を歩み続けられるよう、今後、続けていければよいがとつくづく感じられました。継続が力になるよう願って止みません。
                                     (広島県原爆被爆教職員の会)

 実践を経ての確信あふれる  富山 藤本収三
 集会は大成功でした。出演された方方、準備されたスタッフのみなさん、ご苦労さまでした。多彩な顔ぶれで、盛りだくさんの出し物に、あっけにとられながら見入っておりました。富山に帰って集会を振り返り、本当によかったとつくづく思います。
 その第1は、朗読や構成詩であれ、また発言であれみな確信に満ちたものであったことです。福田さんの活動や業績をあげて「福田さんは立派な人」といったり、50年8・6の原水爆禁止のたたかいなどをあげて、「福田路線に学ぶ」というようなことを私などはいってきました。しかし、このたびの集会は、それを口でいうのではなく、持ち場と課題は違うけれども実際の活動を経たものとして語られていたと思います。
 長周新聞の「福田正義没5周年によせて」に寄稿された方も出演されていたと思いますが、その方方の朗読にしても、自身の来し方と活動を振り返り、福田さんの著作を読み込んでおられたように思います。
 「この道を行けばかならず人民大衆と団結し、独立・民主・平和・繁栄の日本を切り開ける」。これが自分の決意というだけでなく、確信になっていました。
 第2にといえば、そこには福田路線、すなわち党の骨格というべき、「敵はだれか、友はだれか」という政治、「確固として人民の立場に立つ」という思想が集会に貫いていたことだと思います。反米愛国の人民大衆の思いと結びつく、それには深刻な自己の思想世界のたたかいを経ねばならないこと、「自分の思いが正しい」とか「そうあるだろう」と思い巡らすのではなく、実践を経た「この道こそ歩むべき」「実際にそうなっている」という思いが語られていました。こうした勝利の集会に参加して、私自身の当面する課題がいかに大きいかも実感しています。

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