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福田正義の市政問題長周社説
1950年代の長周新聞
                下関の歴史に立つ方向を     2007年1月29日付

 本紙は福田正義主幹逝去5周年を記念した論議を提起している。長周新聞紙面では、政治、経済、社会、文化、教育などさまざまな分野が取り上げられてきた。市政問題は長周新聞創刊後、系統的に取り上げられ、大きな影響を与えてきた分野の1つである。50年ほど前の1955年から7年の時期、福田正義が長周新聞紙上で取り上げた市政問題の社説を紹介する。市町村合併が強行され、地方生活がさんざんに破壊されているなか、下関市では現在市議選がたたかわれている。下関の歴史とかかわって、どのような下関を建設するのか、読者のみなさんの論議を期待したい。

 不正腐敗をなくしよう  (1955年5月25日付)
 1つの建物がたつ、1つの空地がある……するとそのまわりにはそれにかかわりをもつ役人、議員、大ボス、小ボス、利権屋、業者などが、まるで砂糖にたかるアリのように集まり、何かよいことをしようと、ひしめきあう。
 それは政府から、市町村にいたるまで、例外はない。
 ひたいに汗を流したことのないやからが、舌先三寸の手練手管で闇取引に狂奔しているのである。数10万、数100万の金を投じて、市町村の長・議員と名のつく席を争うのもそれに数倍する利益があるからこそであって、まったく他意はないのである。だから、万事は盃のやりとりの中で決まってしまい、会議の議場は手続上のつけたりになっている。
 大事なことは、これらすべてが今日、生きてゆくだけで、たとえようもない苦しい毎日を暮している、まじめな、ふつうの市民を食いものにしているということである。善良な市民の犠牲の上に、それは成り立っているということである。
 われわれは本号で、市町村政の不正と腐敗を取り上げてみた。これはほんの一部である。根こそぎ明らかにしようとすれば、数10頁を必要とするだろう。それほど、今日の市町村政は腐りきっているのである。それが直接市民の目にふれないように、臭いものにふたをしているだけのことである。
 利権あさりを中心に動いている以上、平和のためにたたかいもしなければ、独立のためにたたかいもしないし、ましてや市民の生活の安定のためにもたたかわない。政府の国民収奪の政策にも唯唯諾諾として従っている。
 われわれは、このような状態を許すことはできない。本紙は、今後も、機会あるごとに、不正腐敗を仮借なく明るみにさらけ出すであろう。
 しかし、何よりも重要なことは全県民が、自治体の政治を監視しこのような腐敗と、断固としてたたかうことである。そのためには、組織労働者は、農民、市民の諸組織と提携し、広範な大衆の要求を取り上げて、そのたたかいの先頭に立たねばならない。
 労働組合出身ならびに革新政党の議員は、議会の内外でのたたかいで特別に重要な責任を負わされている。議場における反市民的な政策の徹底的な暴露と大衆への報告を、たゆむことなく、妥協することなく、選出母体への義務としてやらねばならない。

 仮面をかぶった収奪  (1955年11月20日付)
 税金という名で取り立てられる金額はおびただしいものである。それは直接税だけでなく、酒を飲んでも煙草を吸っても、砂糖、織物から映画にいたるまで、万事税金はからみついている。それがどれだけ大衆生活を苦しめているかはいうまでもないことだが、その上に寄付がある。寄付といえば、何か自発的なもののようにひびくが実際にはそれはそうでなく、事実上、税金と同じように強制的もしくは半強制的性質をもっている。しかも今日のそれの特徴は、赤い羽根から警察の支配下にある交通安全協会、消防署の支配下にある防災協会、さらにはPTA、町内の自治振興会、神社、寺にいたるまで、すべて“民主主義”みたいな顔をしていることである。
 早い話が、PTAは父兄と教員の団体であり、教育の民主的な運営のためにあるのであるが、事実は会費の徴収、寄付の促進を主要な仕事とし、国家が当然保障すべき教育費の中のかなりの部分を父兄に負担させることになっている。このことが、義務教育費の国庫負担を忘れさせてしまい、PTA予算の大部分が学校経営費に使われて、教育の民主化のために使われないという現象を起している。交通安全協会にしろ防災協会にしろ同じことで、協会に入らないということには確実に圧力が加わり何のことはない寄付だけの組織である。したがって「政府、自治体に必要な金は税金1本にしぼれ」、という声が高いのも当然である。町内の自治振興会にいたっては、何のために金を使うか訳がわからず、会計報告も何もないというのがざらである。これまた町内のことだから断りきれぬ仕組みである。すべてが政府、自治体機関のやるべき仕事の下請機関になっており、民主主義の面をかぶって戦時中の翼賛組織になり下がっているのである。寄付は、このような組織と結びついている。
 寄付といえば名はいい。寄付は自由で自発的な、むしろ積極的なものであるはずだ。それが実際には“脅迫的なる自発的”と化して寄付ときくだけで恐れをなすというのが現状である。
 それはなぜか? いうまでもなく収奪がひどいからだ。大衆生活の貧困化がひどいからだ。それに民主主義の名で、寄付という形ですべてのものに、ほとんど一様に負担をかけてくるからだ。しかも町内、学校、警察、消防、神社、寺というふうに断りきれぬ“圧力”のもとにやられるからだ。
 いっさいの寄付行為は、いかなる形にせよ半強制的性格を排除すべきであり、それらの組織は徹底的に民主化さるべきである。

 生き生きとした街にせよ  (1957年7月24日付)
 競艇場がもうかるという。水族館も当てたという。そこで火の山にロープウエイをつくり、霊鷲山に、仏舎利塔をつくるという。競艇場というような、遊び人のやる公認バクチ場が、何100何1000という市民の心を腐らせ、まじめな勤労意欲を失わせることと引きかえに、市にテラ銭が若干上がるからといって、市議会でこれが依然公認されているなどということは、市議会、市当局をふくめて全く程度の悪さを暴露している。その点では競艇などは論外である。
 ここで問題にしたいことは、水族館やロープウエイや、仏舎利塔を十把ひとからげに悪いというのではない。目先三寸の人気取り政策や観光客のふところばかりを狙った、全く客引きに重点がおかれているような市政が問題なのである。いわゆる観光都市というものが、別府などの例でもはっきりしているように、それは健全な社会の発展でなく、人の消費・享楽を当てこんで、そのために不健全であり、子供の教育にもふさわしくない環境をつくり出すことは、誰でも知っているところである。そういうことも、金もうけの手段としてあることを否定はしないが、都市の発展の方向として不健全であり、より高い発展の出来ないことであり、正当な道でないことを否定はできない。
 下関という街は、それなりに歴史的に変貌もしてきたけれども、いわゆる遊びの客が金を落してくれるのを待つというような、消費的な街として発展してきたわけではない。生産にしろ商業にしろ、生き生きとした経済の大道を発展させることで、文化をふくめて街全体も市民生活も溌剌(はつらつ)とさせることができるのである。それは、維新前後、明治、大正と見てきても、北前問屋、水産、米・雑穀の取引き、海運などを基底にして生き生きとした動きを中心にしていたことは歴史をひもとくまでもない。
 今日の福田市政と市議会の最大の弱点は、これらの経済政策においてほとんど無能に近いということである。目先三寸の人気取り政策や、観光客のふところ目当ての市政では、市全体を生き生きとした動脈の通ったものにすることはできない。それは黄昏の蒼(あお)白い花火に似ている。
 とくに、戦後の国際国内のいちじるしい情勢の変化が正しく捉えられず、それに対応した経済政策が立てられず、客が遊びの金をどこに落すかというようなことに憂き身をやつしているようでは、市政を担当するにはふさわしくないのである。このことは、こと改めていうほどのことではないかも知れないが、しかし、下関の経済情勢の全体を冷静に見るなれば、今こそ、きわめて緊急な課題となっているのである。この点では市の執行部当局と市議会も三思すべきであり、もしもその能力がないならばよろしく総辞職すべきであろう。

 ”ドブ板議員”方式をやめよ  (1959年3月1日付)
 地方自治体というのは、地方住民による自治体であるはずだが、現在の姿は、非常に中央集権が強くなっていて、地方自治というのは名ばかりで、実際には中央の出先機関のような観を呈しているのである。県でも市でも、それぞれ“東京事務所”をもっており、執行機関である県・市の役人連は、東京にお百度を踏んでおり、東京事務所というのは、常駐して政府機関を走り回っている。そこから東京の待合などに役人を招待し、女をはべらせての大散財も恒例となっているし、政府の役人や自民党に多少なりと顔が利くのが仕事師ということになっている。
 こういう馬鹿馬鹿しいことになってゆく原因に、地方の財源を取り上げ、あるいは最近の港湾の政府管理計画のように肝心なものは全部政府の管轄におさめてしまうことで、独占資本のための政治、あるいはアメリカの戦略要請にもとづく政治をやってゆく、そういう国政全般の独占資本中心主義といえるような問題がある。
 しかし、これを地方自治体の側から見ると、当然にも地方議会が地方住民を代表してそこで政策を決定し、それを執行機関に実施させるという手順になっているにもかかわらず、地方議会の位置がきわめて低く、反対に、執行機関の提案の承認機関のような状態になっている点が無視できない。
 いったい、それはどうしてそうなったのか? 市議会に例をとってみよう。市議会議員の大多数はほとんど全部といってもいい、すべてその街の中の地方区代表のような観を呈している。保守・革新を問わず、それぞれ地域代表か、会社代表か、一単位労組代表かという性格をもっていて、市全般にわたる政策をもつというようなことにはなっていない。“ドブ板”議員といわれるゆえんである。そうなると、執行部の方では、その“ドブ板”要求にしかるべく応じてやればよいので、ますます執行部の方が発言力が強くなり、ドブ板議員は頭は上がらんようになるのである。議員の方は、執行部が大きな利権で結びつくことに、切歯扼腕(せっしやくわん)しながらも、自分も利権をいただかねばならないので、だんだん文句もいえなくなり、かくて現職市長は圧倒的な強みをもつという順序になっているのである。
 だから、市政全般にわたる政策などは、てんで問題にも何もなったものではない。革新議員にしても、全然無政策である。民主陣営の方でも、選挙の時は「保守か革新か」とかいって目の色を変えても、選挙が終ると全く訳がわからぬということが多いのである。
 これでは、全く意味がない。地方議員がこういう状態では、実際に市民の要求を実現することはできないし、当然にも、地方自治体を中央出先機関化から守ることはできない。また執行部の官僚化を防ぐこともできない。
 そこで、どうしても、民主陣営は、地方自治体選挙にあたって、基本的に全勤労人民の要求を十分に討議し、その要求の上に立って県・市町村政の綱領をもち、共同の選挙母体となる統一体の議会内代表として活動するようにしなければならない。選挙斗争の期間はそれらの要求を市民に訴え、市民を組織するための活動をすることが第1であり、選挙後には、組織された選出母体の方針にもとづいて議会の内部でたたかうという形態をとらねばならないのである。
 地方自治体における革新議員の活動は、今回の選挙を1つの踏み切りとして、そのような正しい形に改めることが急務である。それは議員のみでなく市長選においても同様で、保守派と全く同じようなことを、口先だけで革新みたいにいってやることでは勝利することもできないし、市民の運動を高めることもできない。今回の選挙はそういう点で、労働者の中に大きな前進が見える。それが特徴となっているのである。

 軽視できぬ自治体の反動化  (1959年11月15日付)
 地方自治体の反動化は、急速な歩調ですすみつつある。すでにそれは、放置することのできない段階になっている。
 わが国が新しい平和と民主主義を基調とする憲法をもち、それにもとづいて、民主主義に根ざす地方自治を確立したのはたったこの前のことであった。しかし、そのはじめから、旧支配勢力は、これを反動的な人民支配の道具としようと努めてきたが、安保条約を改定し、公然とアメリカ帝国主義の目下として、アメリカの極東原子戦略基地になり下がろうとする段階に立って、反動的な政府の指導と命令のもとに、今や地方自治体はほとんど「自治」の名に値しないものとなりつつある。「3割自治」と呼ばれていたのももう過去のことで、「自治」という名で、実は、戦前戦時中のように、人民支配の末端機関となりつつあるのである。
 例えば、最近下関市議会がわずか3人の反対で通過させた改正「公営住宅法」にもとづく「下関市営住宅管理条例」の改正などを見ても、それこそ徹頭徹尾、市民の不利益になることだけを改正点として盛りこんでいるのである。
 本来、地方自治体議会というのは、地方自治体住民の選挙によって構成され、その議会において独自的な地方行政をやってゆく機関である。ところが、最近では、地方自治体議会というのは、地方自治体執行機関のやることの協賛団体になり下がっており、その執行機関が、政府1県1市町村というように、上から下へ向けての支配機構として、およそ、地方住民の意志や要求などというものは全くといってよいほど踏みにじられているのである。
 下関の市営住宅管理条例の改悪の道行きを見てもよい。こういう反市民的な条例の改悪を、44人中41人が賛成して通すということは、その41人がこの条令がよいものと思っているわけではない。これを通してゆく決め手は「これは建設省が出しているもので、建設省のいうことをきかないと金が出してもらえない」というにある。つまり、政府が反人民政策をやってゆくときの決まり文句はすべて「金を出さないぞ」という脅し文句である。
 政府は、人民に対する税金の大部分を強制的に吸い上げておいて、その中からわずかの目腐れ金を地方自治体にくれてやることで地方自治体を意のままにしているのである。また、地方自治体は、それに手もなくまいってしまって結局、すべての犠牲は地方住民が背負わねばならなくなる仕組みである。
 政府・自民党は、今、アメリカとの間で軍事同盟を結ぶにあたって、地方自治体を戦前のような組織にするために躍起になっている。それは、最近の自治振興会と称する町内会を、昔どおりの組織にしてゆくための動きの活発さも目に余るものがある。
 「戦争はすんだのだ」という実感を、もう1度確めてみなければならないほど、わずか14年間の間に、歴史の歯車は後に向けて逆転させられつつあるのである。
 日米安保条約の改定に反対し、平和と独立と民主主義と人民生活の安定を守ること、今日ほど重大な時期はないが、地方自治体の反動化とたたかうことは、その中でも重要な一環をなしていることを軽視することはできない。

 下関を盲腸にするな  (1958年2月19日付)
 鉄道、国道両トンネルは、ともに戦時中の軍事的要請として着手され、国道トンネルの方は、資材の欠乏から中断同様になり、戦後ひきつがれた形になっている。
 しかし、いずれにせよ、その出発は下関、門司ともにそれぞれの経済条件を一顧もしたものではないし、それは計画の中には入っていない。今やそれが当初の軍事的な目的とは別個に、第2次大戦後の新しい情勢の中で完成しようとしているのである。
 それが運輸・交通の面で飛躍的な発展であることはいうまでもない。同時に、そのことは、立地条件と関連をもっている産業・経済にいちじるしい変化をもたらすであろうことも当然である。ところが下関の経済を考える場合、歴史的にもそれが本州の西端に位しておるという地理的条件がかなり重要な関係をもっており、当然にも北九州との間に直通ルートができれば大きな影響をうけざるを得ないのである。それは、国道トンネルができたということだけを手ばなしで喜んでいてよいという性質のものでなく、市政の問題として大きくは、下関の経済全般の将来の見通しをもった明確な方針を確立することと合わせて、トンネル開通後の変化に対応する施策をもたねばならないのである。
 産業・経済の必然的な発展から本州西端の要衝であった下関が、徳川封建時代の鎖国政策を下からうち破りつつ発展していったことは誰でも知っているとおりである。そのことは、維新革命において下関が反幕の中心地の観を呈することになった。
 しかし、その後の交通の発展は、その時期の先進勢力であった問屋を逆に没落させ、大陸侵略の地理的拠点として、また水産基地として発展させた。それが、第2次大戦による日本帝国主義の敗退によって、今日、新しい情勢に当面しているわけである。
 戦後の、日本の繁栄の道は、国内経済の発展と貿易であり、それはとくにソビエト、中国、朝鮮、ベトナム、東南アジア諸国との関係で見られねばならないが、下関は特別に、そういう貿易の要衝として、侵略的交通基地でなく、第2次大戦後の新しい平和共存の原則に立つ貿易・漁業の基地として将来性をもっているのである。その観点から、すべての経済計画が立てられるべきであるし、トンネルの開通をふくむ諸条件が考えられねばならない。
 ところが、市政は全く行き当りばったりであるし、トンネル開通の問題もお祭り騒ぎに終始しているという始末である。観光宣伝の客引きにうつつをぬかして、何か見かけだけをにぎにぎしくやっておればよいという調子である。お祭り騒ぎが終ったあとは、白白しい砂をかむ思いを市民は味わわされるだろう。
 市政の方向を、もっと科学的な新鮮なものにすることは、下関の将来にとって急務である。それは、政治という名に値するような、情勢の発展に適応したものでなければならない。市政が、古ぼけた行き当りばったりの街頭的なものであっては、繁栄はトンネルを素通りして、下関をいよいよ盲腸的存在にしてしまうだろう。

 市長・市議会議員選挙迫る  (1959年4月29日付)
 市議会議員ならびに市長の選挙は、いよいよきたる30日である。
 県議会議員の選挙の経験から見るなら、地方自治体が危機に瀕している今日、まだまだ情実や顔や買収の影響がきわめて強く、実際の地方住民の政治的要求を正しく反映しているとはいえない状態である。
 山口県議会には共産党の議員は1人も入ることができず、結局、社会党もへって、自民党ならびに自民党系無所属をふやすことになった。このことは、今後、ますます、岸内閣による地方自治の圧殺と、官僚支配の強化と、独占資本本位の政策は強化されることになるだろう。
 今回の地方自治体選挙は、安保条約を改定し、アメリカの極東原子戦略に日本を組みこむ政策を岸内閣が強行する上で、地方自治体を砦としてたたかってゆく力を拡大してゆくことできわめて重要である。県議会もそうであるが市議会も同様である。
 ところが、市議会ならびに市長となると、何かそれが町内会の代表であるか、あるいは知り合いであるかというようなことがきわめて重要な基準になっていて、市政と市民生活の政治としての結びつきが十分に考えられないうらみがあるようである。
 だから選挙運動を見ても、明確な政策は述べられず、単に「お願いします」の1本であったり、革新議員といわれるようなものでも「働くものの代表」とか「働くものの明るい市政」というような抽象的な訴えだけで、ちゃんとした政策を訴えるというのはほんのわずかしかいないという始末である。
 もちろん、政策を訴えないとしても、選挙民は、それぞれの人物の実績にもとづいて批判を加えているだろうし、必ずしもそれにだまされるわけではないが、そういう選挙のやり方が、基本的に政治の発展に役立たないことは否めない。
 しかし、ここできわめて重要なことは、市議会というものが市民の政治的要求を具体的に表現する最高の場であり、市議会の決議にもとづいて市政が運営されるということである。
 たとえば、下関の例を見ても、今や市政は完全に大資本のサービス機関になっており、市議会議員の大部分は、それぞれの大小の有力者の利権を代表し、みずからの利権を代表することで市の中枢勢力の大資本擁護政策をあけて通すということになっているのである。このことは大丸問題でいやというほど明らかにされている。したがって、選挙民が、今までどおりに顔や情実で選挙権を行使するなら、この状態は、岸内閣の実情から見て、恐るべきことになることは火を見るよりも明らかである。
 ここで、われわれは転換しなければならないと思う。
 情実や顔は一擲(いってき)しなければならない。そうして、自分たちの政治的な要求を正確に反映させ、それを代表してたたかい得るものを選ばねばならないのである。
 あっちこっちと妥協したり、自分が議員であることを名誉職と考えたりするものが、この選挙というような瞬間だけ、米つきバッタのように頭を下げようが、手もみして甘言を弄そうが、そういうことにまどわされたのでは、市政はまた4年間、何の変哲もなく大資本と利権屋のためにのみ奉仕することになるだろう。われわれはそのことを憂える。

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