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学問の自由守る大学人の行動
戦争阻止する人民を激励
                 各分野で発言活発化      2012年12月14日付

 衆議院選挙で総翼賛体制化が段階を画し、各政治勢力が貧困と戦争をすすめる姿をあらわにするなかで、日本の独立と平和、民主主義と繁栄を求める大多数の人民の側に立った知識人の発言と行動が活発になっている。それはこの間、「グローバル化」を掲げて学問研究・教育の自由を踏みにじり大学機能を崩壊させてきたアメリカ型の「大学改革」に正面から反対する大学人のたたかいの発展と結びついて、学生たちの共感と行動を促しており、人民の全国的に統一した運動に新たな展望を示すものとして期待が寄せられている。
 
 京大で全学的な運動 国際高等教育院構想に反対

 京都大学(松本紘総長)では、「教養教育の充実」を掲げて来年4月からの開学が計画されている「国際高等教育院」構想に反対する運動が全学的に発展している。
 この構想は、大学院の人間・環境学研究科を解体し、そこから200人もの教員を配置して教育と研究を分離しようとするものである。それが伝えられるや、人間・環境学研究科/総合人間学部教授会が反対決議をあげた。
 その後、「自由な学風を守ろう」と、教員有志による教職員や学生たちに向けた辻説法や立看板などの宣伝や署名活動、独自集会、そして教職員と学生・院生の対話集会が相次ぎ開かれた。活発な論議を通して、教員と学生が認識を共有しあい、学生独自の署名活動もとりくまれるなど、全学的な運動として発展している。
 11月30日には、教員有志と学生たちが松本総長にあてて、「国際高等教育院」構想が「教養教育の破壊」「学部自治の破壊」であるとして反対し、白紙撤回を求める署名1255人分を提出。学生代表も独自に集めた約900人の署名とともに、松本総長と部局長会議に対して、「国際高等教育院」構想について学生と話しあう公開の場を求める公開要求書を提出した。
 2004年の国立大学の独立法人化以後、文科省は大学運営交付金を年年減額する一方で、「研究のための外部資金獲得」を称揚し、「グローバル化」の方向で、アメリカや政府・財界が必要とする研究には多額の資金を投入してきた。このことが、大学における学問・研究を歪(いびつ)にし、真理の探究の営みを縛り付け、教育の画一化を進めてきた。
 京都大の「国際高等教育院」構想は、文科省が大学の研究教育の組織改革に136億円もの予算をつけ、誘導する政策に乗ったものである。当初、ネイティブスピーカー(英語を母語とする教員)を100人採用する案や「学部生の英語力強化で留学生を増やす」案が明示されていた。
 これらは、教授たちから「基礎教育は日本語でやるべきだ」などの猛烈な反対にあって頓挫した。そこから、「教養教育改革」の装いがなされ、200人もの大量の教員を配置換えする構想となった。
 京都大の教授や学生たちは、「国際高等教育院」構想に反対する運動を、教授の配置換えや個人的な身分保障に切り縮めるのではなく、「学問・教育の自由、大学の自治の否定とたたかう」「自分の頭で考えて対応できる人材を育てる教養教育を充実させる」方向で発展させる意義を強調している。
 全学的に「国際高等教育院」構想に反対する声が圧倒するなかで、同大学が「グローバル時代のリーダー養成をめざす」と今年10月に開設した大学院「思修館」に対しても、文科省・アメリカが求める「英語による講義」など日本の現実に根ざさぬ「国際化」への批判として発展している。それは、日本の大学の「東大一極集中」への憤激をともなったものである。
 松本総長が最近、「高校時代に幅広い勉強をした学生を、大学でさらに伸ばすことが大事」「入試改革にめどが立たない段階で秋入学をやる気はない」として、「秋入学への移行」を見送る発言をしたことは、こうした学内世論とともに全国の大学人の意識を反映したものである。

 東大の秋入学移行頓挫 全国の反対受け

 東京大学(浜田純一学長)が「グローバル化」「国際化」を掲げて、「学部の秋入学への全面移行」の構想を発表し、マスコミに持てはやされたのは今年1月のことであった。浜田学長が他大学をも巻き込んで、「五年後の移行をめざす」と意気込んだが、みずからの東大での「合意形成」はもとより、全国の大学人の強い反対を受けて、早くも頓挫の憂き目にあっている。
 理数系の教授を中心にした「東大の秋入学移行に反対する東大教員有志の会」は、京大や九州大の教授と連携して、「今まで、留学生を受け入れるなどの国際交流をした経験から、“秋入学にしたら留学生が日本にたくさん来て活性化する”とは考えられない」と指摘。同大学大学院総合文化研究科の「入学時期検討特別委員会」も、「教育の国際化を構想する上では秋季入学を前提条件とする必然性はない」「安易にギャップターム(入試から入学までの半年ほどのギャップ期間)を導入すると、我が国の高等教育の水準に深刻な打撃となることを、本委員会は同時に憂慮する」との「意見書」を提出した。
 日本の現実を無視して観念的で浮ついた「秋入学」構想に反対する根強い批判に直面して、東大の副学長や教員らで構成する「秋入学構想の検討会議」は九月末、 現行の「春入学」を維持したまま、正規の授業を秋から始めるという折衷案をとりまとめざるをえなかった。
 また、千葉大学や立教大学も「大学教育に混乱をもたらす」として、「秋入学」には移行しないことを明らかにするなどの事態が広がっている。

 御用学者の発言を批判 日米同盟等全分野で

 市場原理、商業主義の導入を特徴とする「大学改革」は、商業マスメディアの後押しのもとに権力を総動員して強行されてきた。そのなかで、データや論文ねつ造など学問・研究の世界にあってはならないウソとデタラメが茶飯事となった。
 東大の森口尚史・元研究員が、iPS細胞の臨床応用をめぐってマスメディアを手玉にとって公然とウソを発表して社会を騒がせた事件は、この間政府・商業マスコミがこうした風潮を持ち上げ、煽ってきた帰結であった。市場原理型「大学改革」はすっかり破綻している。
 昨年の東日本大震災と福島原発事故は、「原子力の権威」とされる東京大学の専門家が、みずからの地位と名誉、つまりカネのためには、国民の生命を踏みにじって恥じない御用学者であること、東大がその巣窟になっていることを万人の目に焼き付けた。
 同時にこれを機に、いかなる権威にも気兼ねせず、そのような御用学者の発言を批判、それをもちあげる商業マスコミと一線を画して真実の発言をすることで、多くの人人に役に立ち社会進歩に貢献できる知識人としての使命感に満ちた発言が堰を切ったように活発に展開され始めた。
 原子力、放射線医学、地震学、気象学、防災、農学、水産、都市計画をはじめ、地方自治、法学、経済、財政学などの多くの分野の学者がさまざまな研究プロジェクトを組織して東北被災地に調査に訪れ、そこに日本の諸問題の縮図を見て分析した真実を発表するようになった。
 また、原発問題はもとより、震災復興、TPP、尖閣問題、沖縄・基地問題など日本の進路、戦争か平和をめぐって商業マスコミや御用学者らとの間でしのぎを削る問題で、みずからの専門分野から真実を対置し、被災地をはじめ全国各地の農協、水産、医療関係者らの間で講演するなどの行動がこれまでになく活発に展開されている。
 原発やTPP、日米同盟などをめぐって、マスコミがふりまくウソや欺まんをあばく発言が、パンフレットや書籍にされて、大量に普及されるようになった。戦後形成された対米従属構造をあばき、諸悪の根源に迫るそれらの発言は、戦後社会を見直し、独立と平和を求め、生産者みずからの結束した力で地域産業を振興させるために奮斗する多くの人人を励ましている。

 被爆体験学ぶ授業増加 広島の大学で

 今年に入って広島では、原爆と戦争展を系統的に展開してきた県立広島大学、広島大学、広島修道大学で、被爆者を招いて体験を聞く場が設けられ、原爆展キャラバンに参加した学生が感動的な経験を報告するなどの授業が増えている。大学の教員自身が、日本人民の戦争体験に根ざして第2次世界大戦の真実と戦後日本社会をとらえ直し、広範な人民とともに独立と平和を目指す運動に貢献することを願い、学生にそうした生き方を称揚することで、学生たちの確信と意欲が高まり、新しい青年学生独自の運動として勢いよく発展しつつある。
 下関市立大学では、独法化されて以後、大学とは無縁の世界から天下った役人が事務局長となり、利権あさりの場に汚したことで大学機能の崩壊とともに、それまでの自由な気風が失われ、学生が敬遠するようになった。これに対して、教員が立ち上がり大学正常化を担う側から奮斗してきた。このたびの学長選挙では、そうした努力が学生たちやOB、父母、地域住民の熱い支持を得てきたことが示された。これは全国的に共通したすう勢だといえる。
 こうしたことは、知識人が本来果たすべき役割を発揮する歴史的時期に来ていることをいきいきと証明しており、六〇年「安保」斗争のような全国的な政治斗争の到来を予測させるものである。

 全国的政治斗争到来へ 日本廃虚にさせぬ為

 真理・真実を学者生命とする知識人の気骨ある精神は、戦前・戦後を通じて失業、貧困、戦争に反対する名もない多くの人人に大きな励ましを与えてきた。
 1933(昭和8)年、京大法学部の滝川幸辰教授の「犯罪を生み出す社会的原因を十分に検討しなければならない」「姦通罪で妻のみ罰せられるのは不当」などの法学的見解が、天皇制政府の弾圧によって「休職処分」とされた。
 滝川事件である。当時の京大法学部教授会は「大学の自治に反する」としてこれを拒否。法学部全教官が総長に辞表を提出し、専任教官33人のうち21人が京大を辞職して抗議を貫いた。これに共鳴した学生たちがこれらの教授を支持し、文部省を批判する運動をくり広げた。
 当時、全国の大学人は、滝川教授の身分保障ではなく、「学問の自由と大学の自治を守れ」をスローガンにたたかったことで、広範な人民の支持を受けた。そのことがまた、知識人の抵抗を根強いものにし、戦争反対の世論をもりあげていったのである。
 こうした日本の知識人の伝統は戦後、1952年のサンフランシスコ講和の片面締結と「日米安保条約」による再軍備、憲法改悪に反対する法学者らの活発な発言が展開されたことにも見ることができる。社会の真実に迫り独立と平和をめぐる真剣な発言と正義感に満ちた提起は、学生たちの純粋な魂を動かし行動へと突き動かす力となった。それは対米従属のもとで、生活の困難に直面する各界各層の人人の大きな共感を集めて、60年「安保改訂」に反対する戦後最大の政治斗争の発展を促した。
 今日の知識人の活発な発言と行動は、文系・理系を問わず学問体系のすべての分野にわたっており、かつてない基盤のうえで展開されている。アメリカのための戦争で日本を再び廃虚にさせぬために、全国各地の大学人が被爆者・戦争体験者、全国各地の人民の生活とたたかい、気分感情に学び、積極的な発言をとぎすまし、青年学生の行動を促す努力を強めることが大いに期待される。


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