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学力がつかぬ学力テスト
学校現場で大矛盾に
               人間的成長も阻む    2013年12月6日付

 山口県下の学校現場では今年、「学力向上」と銘打って、4月には全国一斉学力テスト、10月には山口県教育委員会が作成した学力テストがおこなわれ、テストの点取り競争に教師も子どもも駆りたてられている。県教委や市教委は、各学校の平均点が前年より下がれば「対策を図れ」とハッパをかけ、現場を締めつけて回っている。しかし、子どもたちにテストの練習問題をさせて点数が一時的に上がっても、「それで子どもたちが賢くなったとか、去年まで勉強ができなかった子ができるようになったという実感がほとんどない」と多くの教師が語っており、子どもを知・徳・体の全面で成長させようと奮斗する現場との大矛盾となっている。学力テストをめぐって、今の学校がどうなっているのか、それは子どもの教育にとってプラスなのかマイナスなのか、教師や父母、地域で実情を聞いた。
 
 出題内容にも教師は違和感

 県内の小・中学校では10月末、小学3〜6年と中学1、2年を対象にした「学力定着状況確認問題」が一斉に実施された。このテストは山口県教委が作成したもので、昨年度は各学校が県のホームページからダウンロードして自主的におこなう程度だったが、今年度は県下で一斉に実施することが突然決まり、県教委がすべての学校に問題のプリントを配布して実施するという力の入れようだった。
 小学校の3、4、6年生は国語と算数の2教科、5年生は国語、算数、理科、社会の4教科で実施された。ある小学校ではテストに集中するためチャイムがならないように設定され、「まるで高校入試」のような緊張した雰囲気のなかでおこなわれた。
 ある学校の5年生のクラスでは、学習塾に通っている子どもたちは問題をさっと読んでどんどん解いていくが、塾に通っていない子どもは長文の問題の意味を理解することも苦労している様子だった。別の小学校では、最初からテストを諦めて早早に机に伏せてしまう子どもや、なかには嫌気がさして騒ぎだす子どももいたといわれる。テストの結果以前に、すでに子ども間に格差が生まれている。
 4月におこなわれた、小学6年と中学3年を対象にした全国一斉学力テストでも同じような状況がある。そして、教師のなかではテストの出題内容に違和感が高まっている。例えば国語のテストは、漢字や読み仮名などの基礎・基本の部分よりも、インタビューのやりとりや会議のやりとりを読んで問題に答える形式が多く、「まるでビジネス文書のようだ」「子どもたちの学力の状況をはかるというが、大人がやっても非常に難しく、何をはかるテストなのか」との疑問の声が出ている。
 全国一斉学力テストが始まった翌年の08年、山口県は平均点が全国の下位だったことから、県教委は「学力向上」と称したテスト対策に躍起となってきた。県教委が作製した学力テストの練習問題「学習支援プログラム」を活用するよう各学校に促し、そのアクセス数や採点結果の入力回数をチェックするようになった。学校現場に対して頻繁に「活用が少ない」「アクセスが少ない」とハッパをかけるが、現場の教師は「プリントをさせるのも子どものためであって県教委のためではない。本末転倒している」とうんざりしている。
 教師のなかでは、「テストの点がよかったといっても、毎回違う子どもたちがテストを受けているのだから、今回の集団がたまたまよかったということ。そしてその結果だけがついて回る。“学力状況調査”といいながら、子どもの変化をずっと追うわけでもなく、こういう力をつけさせようというものでもない。たんに競争させて格差をつけるだけだ」と話されている。多くの教師は子どもに力をつけさせたいと願っているが、上から下ろされるものは子どもの現状とはかけ離れたものとなっている。

 現実は知育崩壊が進行

 そのなかで次のようなことも起こっている。
 山口県内のある学校では、以前は「学力テストが悪くても子どもたちは成長している」として学力テスト対策はしてこなかった。しかし、県教委や市教委からの締めつけが強いため、最近は授業で「こういう問題の解答はこうやって書くといい」と、教えるようになった。「学力が向上したというよりも、子どもたちがテスト慣れしたというか、解答の仕方を覚えたということだ」という。
 一方、学力テストの平均点は上がっても、実際の学力は低下していると指摘する声は多い。下関市内のある校区の親は、小学校の授業参観をして驚いた。「算数の授業を見たが、子どもたちに文章力、読解力がついていないと感じた。文章題の意味がわからず、また書かれていることがどういうことなのか頭のなかで想像して構成することができていない。それでこんな数字がどこから出てきたのかというような答えを書いている。途中で考えることを投げているようだ。学力テストの成績よりも、こっちの方が心配だ」と語っている。
 そのほか、「六年生のなかでも九九ができなかったり、足し算・引き算のくり上がりやくり下がりが怪しい子もいる。そうかと思えば、中学生の試験問題をどんどんこなす子もいる。子ども間の格差がひどい」と心配されている。
 下関では高校に行けない中学生が少なくないことが問題になっている。そこでは、「彼らが人と話ができない。人がなにをいおうとしているのか理解できない」という状況が心配されている。
 安倍政府や文科省は、学力テスト重視といって、「平均点」という数値を上げることだけを目標にして現場の尻をたたき、学校現場を締めつける。しかしその結果、「テスト慣れした子ども」は生み出されるが、実際には学力の向上になっていない。それどころか逆に知育の崩壊となっているのが現状である。
 子どもの教育は知育だけではなく、知育・徳育・体育の全面にわたって次代の担い手を育てることだ。「友だちに優しくできるとか、任された仕事を責任もってやるとか、掃除がきちんとできるなど、学力よりも大事なことはたくさんあるし、そういうことがきちんとできる方が将来生きていくうえで大事なことだ。子どもたちの素晴らしさはテストの点数だけでは評価できない」。
 教師集団のあり方をめぐっても、テストの点数で競争させることは教師のチームワークを崩すことにつながると危惧(ぐ)されている。また、子どもの教育のためには教師が勤労父母の家庭生活を知ること、1日を給食だけで過ごすような困難さのなかで学校に通ってくる子どもの生活に分け入らねば教育できないと語られている。しかし、そうした現場での子どもと深くかかわった地道な努力が軽視され、目先の数値目標に振り回されて、「学力テストの結果が出なければダメな学校、ダメな教師」とランク付けされる現状に批判が渦巻いている。多くの教師が、すべての子どもに平等に教育をほどこすという「教育の機会均等」はどうでもよいという風潮を、大手を振ってまかり通らせてはならないという思いを募らせている。

 学校間を公然と序列化

 第1次安倍内閣が全国一斉学力テストを始めて7年たった。当初は「学校の序列化を招く」といって禁じていた学力テストの学校別平均点の公表を、最近になって文科省が各教育委員会の判断に任せるという形で容認した。それは子どもの現状にそぐわないテストの点数によって、学校間の序列化を公然としたものにし今以上に子ども間の格差を拡大しようとするものである。学校現場の現状は、安倍政府の教育改革の破産を示しており、その方向では子どもを育てる教育は成り立たないことがだれの目にも明らかとなっている。
 父母、地域の人人は、テストでよい点をとることにきゅうきゅうとする子どもにする教育をもっとも嫌っている。逆上がり全員達成から始まった山口県の教育実践が、戦争をおしとどめ平和の担い手を育てる教育運動として、勤労父母の圧倒的な支持の下に各地に広がっている。「みんなのために」という勤労父母のモラルを育てる教育で、子どもが知・徳・体の全面で大きく成長している。原爆に負けず戦争の焦土から日本を復興させてきた被爆者の体験が、現代の子どもたちに強く響いている。
 子どもたちの未来のために、学力テストにすべてを従わせて教育現場を攪乱する文科省、教育委員会の言動をただちに止めさせ、教師、父母、地域が連携して、次代のたくましい担い手を育てる教育を全国に広げることにこそ、日本の教育の展望がある。

 

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