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学生や青年労働者が行動へ
広島「原爆と戦争展」閉幕
              被爆市民の気迫が伝わる     2008年8月8日付

 「被爆市民と戦地体験者の思いを結び、若い世代、全国、世界に語り継ごう!」をスローガンに、広島市の市民交流プラザで開かれてきた第7回広島「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会)は、8月6日を頂点に市内、全国、海外から約2000人の参観者を集めて7日、閉幕した。第2次大戦、原爆投下の真実は、「日本をアメリカの核戦争の戦場にさせるな!」という広島・長崎の被爆市民、戦争体験者の心底の思いと結びつき、荒廃した日本社会と戦争政治の変革を求める若い世代、全国の人人に大きな展望を与えた。原水爆戦争を阻止する全国的な運動の広がりを確信させるものとなった。
 会場では、連日にわたって被爆者、戦争体験者のべ70人が体験を語り、会場内外での案内役、参観市民からの体験の聞き取りなどを、山口県のスタッフとともに、のべ25人の広島市内の学生が担った。
 北海道から沖縄まで全国各地から参観に訪れ、とくに大学生や高校生、現役労働者、教師、子どもを連れた親たちなどの若い世代が大半を占めた。広島の地から真実を訴えて、世界の世論を動かしていくとの気迫に満ちた被爆者たちの訴えに、「人生観が変わった」「戦争の見方が変わった」と衝撃を語り、被爆市民の運動に強い関心を示した。若い世代を中心に約240人が賛同協力者として、今後の運動への参加を申し出ていった。
 静岡県の大学で国際関係学を専攻している女子学生は、「資料館よりも心に迫る内容で、実際に起こったことを肌身で実感することができた。机の上だけの勉強ではわからない体験を学び、アメリカの行為は絶対に許せないし、私たちの世代の手で、戦争をなくさないといけないと思った。大学の仲間で新しいサークルを立ち上げて原爆展をやりたいのでパネルを貸して欲しい」と連絡先を記した。他にも、東京、千葉、神奈川、京都、岡山、島根、愛媛、福岡、宮崎などの学生たちが学内での原爆展の開催を申し出ていった。
 長時間に渡って被爆者から体験を聞いた東京在住の会社員女性(30代)は、「これまで核兵器を廃絶することなどできないと思っていたが、“地道でも多くの人に真実を伝える努力を続ければ、やがて大きな力になる”という被爆者の話を聞いて核兵器をなくすことができることに気がつかされた」と涙ながらに感動を語った。
 広島市内の看護学生は、「広島で育ちながらあまりにも歴史を知らなかった」と衝撃を語り、「中国や韓国では自国の戦争の歴史を学んでいるのに、日本には近現代史を学ぶ機会が少ないし、とくにアメリカにここまでやられていたことは知らされていない。それは現代と似ているからだ。研修で病院に行っても入院が必要な人たちが経済的な理由で追い出され、国民のことを考える政治をしてほしいと思う。医療に携わるものとして、体験者の思いを学んでいきたい」と、語った。
 昨年に引き続いて生徒たちを引率してきた新潟県の高校教師は、「原爆と峠三吉の詩」パネルを使った原爆展を毎年地元で開催していることを告げ、「このパネルは、戦争を身近な問題として学ぶことができる。広島に来た生徒を中心に学校外の同世代の人たちにも呼びかけて地域と学校で原爆展を続けていきたい」と話した。
 子どもと一緒に横浜から来た夫婦は、「天皇やアメリカのやったことがデタラメだということも含めて戦争体験者の声がはっきりと書かれているものは少ない。横須賀に米軍の原子力空母が来ることや、憲法まで変えて自衛隊を海外に出そうとしていることなど国民の知らないところで戦争の準備が進んでいると思う。気がついたらまた戦争になっていたとならないように、まず親自身が知らなければいけないと思う」と話し、資料を求めていった。

 こんな運動がやりたい 現役労働者が共感
 また、8月6日の平和行事に全国からあつまった青年労働者や組織労働者たちが多く参観し、激しく共感していった。
 東京のIT関係会社で働く20代の男性は、「自分たちの置かれている環境は戦時中とそっくりだ」と話した。就職難でフリーターを続けるほかなく精神的に不安定になる若者がまわりに多いこと、朝6時から深夜まで働いて終電に乗れず夜はマンガ喫茶で寝泊まりしている友だちなど同世代の生活を語り、「自分も手取りが14万円で、実家で生活するからやっていける。子どもどころか結婚もできない。国は少子化を問題にするまえに働いて食べていける収入を出すべきだと思う。被爆者の人たちのようにみんなのために自分も行動していきたい」と語った。
 九州からきた「連合」職員の男性は、「大戦時代と今が重なる。新規求人の六割、労働人口全体の34%が非正規雇用になっている。30代になれば正規雇用の面接を受けても受けても振り落とされる。でも、連合に入れない非正規雇用労働者が、同じ会社内で独立した組合をつくろうとしても親組合からは締めつけられる。労働組合が出世の道具になり、幹部が下部の労働者が直面している不当労働や最低賃金などとは関係のない別世界に生きていることが最大の問題だ」と語った。
 「日本は貧困大国アメリカの後追いをしている。そのうち、アメリカのように“金がないなら戦場へ”となりかねない。労働者の問題も戦争のところから考えないといけない」と思いをぶつけた。
 メモを取りながら熱心にパネルを見ていた長野県のNTT労働者(30代)は「連合系の平和フォーラムに参加したが、たてまえばかりのイベント行事でしかなく納得できなかった。こんな思いで平和式典で黙祷して帰るのは悔しかったがこの展示に出会えてほんとうによかった」と語った。「他の集会では体制側からの宣伝しかなかったが、ここには、民衆側からの真実の声がある。峠三吉さんをはじめ、命がけで真実を伝えていこうとする人たちの心が結びあって、点と点がつながって全国に広がっていることがすばらしい。こういう運動がやりたい」と連絡先を記していった。市内で集めた「アメリカに原爆投下の謝罪を求める署名」とカンパをもってくる市民や慰霊行事を終えて足を運ぶ被爆市民や遺族も多く参観した。

 学生が行動の決意語る 閉 幕 式
 7日の5時からは、広島の会の高橋匡副会長の司会で閉幕式がおこなわれ、取り組みに関わった被爆者や学生たちが参加した。
 はじめに事務局から概況が報告されたあと、連日のように会場で体験を語った被爆者を代表して、真木淳治、石田良文の両氏が発言した。
 真木氏は、「今年は自分たちも行動したいという大学生が多く、会期中には何人もの大学生がスタッフとして参加し、平和の旅にも参加したことがうれしい。遠方の学生さんは、直接広島には来れなくても、広島の活動とつながって地元で運動をやっていきたいという賛意を示してくれた。核廃絶に向けた努力が全国的、世界的な機運になりつつある。地道な努力を多数の方の賛同を得ながらつづけていく決意を新たにした」とのべた。
 石田氏は、「子どもや大学生など将来に希望を持てる方がたくさん参加したことに感激した」とのべ、「自分の子どもにも話をしてこなかったが、実際の被爆体験を語り伝えることの必要性を感じた」と話した。
 つづいて、学生たちが発言。
 広島市内に住む女子学生は、「パネル展は悲惨さが視覚的に伝わり、廃虚の中から被爆者の方方の努力されたおかげで今の広島があることに感謝の気持ちをもった。被爆者のみなさんは若い人からパワーをもらったというが、逆に私たちがみなさんからパワーをもらった。外でのチラシ配りはすごく暑かったが、原爆のことを考えればこの暑さには負けていられないという気持ちが出てきたし、もっと多くの人に知ってもらえれば世界の人たちに賛同してもらうことも夢ではなくなると思う」と語った。
 炎天下でのチラシ配りなどを熱心におこなった男子学生は、「少しでも役に立てたことがうれしい。日がたつにつれて、被爆者の人たちがだんだんと元気になっていることがすごいと思った」とのべた。
 別の女子学生は、街頭でのチラシ配布の際、「被爆者だから」と受け取らなかった人に「ぜひ会場でお話ししてください」と声をかけると葛藤しながらも会場に足を運んでくれたことを喜びをもって紹介し、「平和の旅では、小さい子どもたちが真剣に被爆者の話を聞き、デモ行進4`を歩いたが、疲れていても懸命にスローガンを叫んでいるのをみて、その力に学ぶものが多かった。夏が終わっても、交流会や活動に参加し、来年のこの展示会に向けてがんばりたい」と抱負を語った。
 また、参観者として発言した東京の男子学生は、原水協の集会に出たが閉鎖的で市民から浮き上がっている印象を受けたとのべ、「このように市民、被爆者に根ざして、開かれた運動があることを知り、自分の学びたいことがここにあると感じた」とのべ、「8月だけでなく、年間を通じて戦争、原爆の問題について考え、この運動に参加していきたい」と感想を語った。
 広島・長崎の本当の声を全国に向けて発信した成果を確認しあい、来年に向かって奮斗することを誓い幕を閉じた。

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