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合併・原発消滅に進む柏原町政
            中電排除し上関町発展の道へ  2003年10月18日付

 町再建勢力結集が急務
 上関町長選挙が終わり、開票から1日、2日ぐらいは「勝った」気分にもなっていた推進派勢力はじきに元気がなくなり、逆に町民の側は勝利感を大きくするものとなっている。原発計画をかかえた上関町をめぐる情勢はどうなっているのか、町民のなかで渦巻く要求と、すすむべき方向はどのようなものであるか、町内の意見を聞きながらまとめてみた。           太刀魚をさばく上関の漁民
  町潰すため、居座る中電
 柏原氏は当選日には「4年で原発を着工する」といったが、役場に登庁したら「4年で決着をつける」とニュアンスが変わり、15日には二井知事にあいさつに行ったが、行って元気になった様子はない。その翌日の助役を決める議会では「実はひじょうにきびしい」といい「みんな仲良く」というだけで、形勢の悪さをにじませるものとなった。
 中電は選挙まえの「神社地売却」など推進のパフォーマンスもやらず、選挙後の動きもない。県は知らぬ顔であり、商業マスメディアは選挙まえから多数の記者が町内を動き回っていたが、意味不明の報道をしただけで選挙後はまったく静まりかえってしまった。推進派勢力は中電に尻をたたかれいつもの選挙のクセで走り回ったものの、終わってみればふたたびむなしい気持ちに襲われている。
 町内では、「原発は終わり」「町のいいところを生かして再建にかかろう」「貧乏ながらも自分たちが働いてもうける努力をしよう」「上関の魚のブランドをあげる努力をしたい」「年寄りが町外からも来て暮らしやすい町に」などの声がいっせいに強まっている。いい加減に原発騒動を終結させ、中電を追い出して、町の再建にかかろうという世論が急速に大きくなっている。
 柏原新町長は「原発を四年で着工する」といい「中電の協力金はいらない」「国と県に自分のパイプがあるから金はもらう」といって出た。しかしこれは、合併の推進、原発の自主的断念・自己責任の方向へすすむほかはない運命におかれている。
 柏原町政は、片山体制以上の隷属的な中電のカイライ町政として発足した。「われもわれも」の町長自薦派を黙らせ、尾熊毛派と片山派の抗争も黙らせて、議員一致の推薦という形をとらせて町の課長の柏原氏を採用したのは中電であった。選挙もほうっておけば大敗が明らかなところ、反対派の裏切り者を使い、尾熊毛データバンクの町民個人情報を駆使し、全国的な企業動員、町内の買収脅迫要員を総動員した管理選挙で、柏原氏をミコシに乗せてとおしたのも中電であった。
 片山氏は中電の世話で町長を20年やったが、中電に金を出せと文句をいう側面を持っていた。それに対抗し、「中電の協力金はいらない」といい、「原発はすぐできる」と信じて騒いできたのが加納、西、吉崎議員らであった。柏原氏も役場内で「協力金はいらない」派のチャンピオンとして中電に見込まれた。また原発が停滞したのは片山氏がバカだからで、自分たちが交代したらできるというのがこの流れの主張であった。
 原発は町内の推進派がすすめてきたものではない。中電が社運をかけてとりくみ、町内で金をばらまき、国が国策と位置づけ、県知事が表では中立といいつつ実際には商工労働部や水産部の権力を使って県主導で推進した。自民党の代議士や県議などが旗を振り、商業マスメディアが大がかりな世論誘導をやり、警察もいかなる選挙違反をしてもおとがめなしの扱いをし、右翼暴力団やヤクザ、さらに反対の顔をした推進派まで使って推進してきた。町内の推進派はそのうえに乗せられて、天下太平を決めこみ、使われてきただけである。自分たちだけでなにかを推進した実績はまるでない。柏原町長がいかに逆立ちをしても、国や中電がやる気がないものを推進することはできない。柏原町長には合併推進・断念をやる自由しかない。

  国・県も原発消滅で動く
 国の誘導方向は柳井地域との合併であり、上関町は町長も議会も役場もなくして解散し、身売りをせよというものである。上関町がつぶれれば、原発問題の責任は問われないというものである。「原発はやらない」とはいわず、実際上は上関町側から万策尽きはてて合併をし、原発問題を自然消滅にすることである。
 片山町長は昨年合併問題で、国に特別扱いを求めたがとうとう放り出された。合併受け入れなら原発断念となるわけで、悲壮な顔つきで合併離脱を表明した。今度の上関の選挙中に経済産業省が「原発交付金は合併新市に全部やる」(上関分の70億円と、隣接市町の70億円)と発表した。それは「上関町は合併しなさい」「原発は自己責任で断念しなさい」のだめ押しのメッセージであった。
 山口県庁のなかでも、周辺市町でも「上関原発は終わり」が常識になっている。中電はこの間、上関町に大がかりに介入してきた。中電が騒ぐのは原発を早くつくるためではなくて、上関町をつぶすためであった。この間の推進派内部の抗争を仕組み、何度かの選挙をつうじて、ようするに推進派の親分衆を去勢されたネコのようにし、中電に文句をいわない議会、町長をつくってきた。国や県、中電の責任を問わないで、自己責任で町を投げ出す町政をつくろうとしたし、推進派のなかの文句をいう要素をつぶし、町民のなかの抵抗要素をつぶそうと大騒ぎをしてきた。
 
  町内推進は軒並み失脚
 この間町内推進派は中電によってのきなみ失脚・骨抜きにされてきた。97年の周辺市町の反対世論の高まり、98年の無投票町議選と山戸氏ら反対派議員の裏切りの暴露があり、その年の商工会総会で推進派最大ボスの田中正己会長が解任されるクーデター事件があった。その時期から中電が「片山では原発はできない」とそそのかして、片山批判潮流が登場した。それに乗っていったのが議会では加納、右田、西氏らであり、役場では柏原氏らであった。
 99年には東海村臨界事故があったが、年末にはむりに漁業補償妥結を演出、翌年県の公聴会、通産省の公開ヒアリングとなって、01年には二井知事の合意により基本計画への組みこみとなった。これは力関係が推進に有利になったものではなく、神社地問題で林宮司が売却を拒否しストップした。基本計画は20年騒動させた国、県が一応やるだけはやったの形をとり、責任を問われない体裁をとる結果となった。
 昨年の町議選では西元議長が引きずりおろされた。今年4月の町長選へむけて、片山おろしが、右田氏側から起こり、さらに中電は漁協を動員して浅海氏をぶつけて乱戦にした。片山裁定の形で3者はおり、加納氏が出馬することになったが、当選したと思ったとたんに神崎氏逮捕で連座制適用、辞職の羽目となった。
 町議補欠選挙では、中電が河内、小浜氏ら若手推進派を切り捨てて、中電の準社員である町連協事務局長・井上氏を押しこんで当選させた。
 こうして原発20年の中枢であった田中、西元、片山のトリオが切られ、それにたいして「われこそは」で名のり出た加納、右田氏らも切り捨てられ、「われこそは中電に一番見込まれている」というはずの西、吉崎氏ら尾熊毛派(中電立地事務所派)もチンとなる結果となった。かれらを押しのけて町長に座った柏原氏も裸の王様状態で、町長の椅子に座ったらそれは針のムシロだったことを知った模様。「みんな仲良く」というのは「わしを攻めないで、仲良くして」というお願いのようである。
 「原発は片山ではできない」といって「われこそは」と中電にそそのかされた部分はみな破たんで、切られたあとの選挙でも中電のホステスのような姿となって恥をかいてしまった。こうして町内で中電に文句をいう推進派はいなくなった。
 そして今度の町長選は、反対派を装う手下を使い、全国的な企業動員、町内の脅迫構造をフル動員して、町民の中電に逆らう力をつぶし、敗北感におちいらせようとした。しかしそれはうち負かされた。反対派議員のような自分の損得ばかりで節操がない腰抜けとは違って、中電に負けない町民の確かな力を証明した。
 中電が上関に居座るのは、いまや原発を建設するためではなく、町内の責任追及の力をつぶし、町、町長・議会側に責任をとらせて逃げるためであると判断できる。中電は上関町を建設するためではなく、つぶすために介入しているのである。柏原町政の役目は、「自力で原発を推進し、逃げる中電、国を引き止める」といって、実際は国や中電から放り出され、万策尽きはてて合併、町の身売りにすすむことしかない。柏原町長がまったく頭が上がらない中電から与えられた役目は、町の自主的判断、自己責任として「合併推進・原発の断念か自然消滅」をやって町民に泣き寝入りさせることしかない。
 中電の方からすると、「町側が誘致するというから20年も、金をかけ、人を投入してやったのに大損害を受けた」という形にして、なんの償いもすることなく、町の側を悪人にして、恩を着せながら逃げるというプログラムと見ることができる。すでに「片山がバカだ」から、「加納も右田も西もバカだった」になったが、「柏原が一番のバカだった」のコースとなった。「信じたわたしがバカだった」のだ。
  盛り上がる町再建要求
 中電が上関町をつぶすために居座り介入するという情勢のなかで、町民の町として再建にすすむ力を結集することが強い要求となっている。長年わずかなエサで飼い慣らされてきて、町民の前では威張ってきたが、中電の前では捨てられても捨てられても媚(こ)びを売る腐った女のような姿となった親分衆のていたらくを克服することが不可欠である。
 上関町を町民の町としてとりもどし、再建するには、障害となっている中電の町政介入を断固として排除する力を結集することなしにはできない。そのためには中電の買収と脅迫の構図を全国にむかって暴露し、紳士づらをした中電経営者に大恥をかかせることが必要である。
 一人一人は力のない町民の前だけでは威張って、中電にはもてあそばれた推進派親分衆は、少しは意地を見せて中電がやってきた買収と脅迫の犯罪的な内幕を暴露しなければならない。すねの傷をなめあって墓の中に入るのを待つのでなく、「肉を切らせて骨を断つ」根性を子や孫に見せてもらいたいものである。中電ごときとたたかう性根がなくて媚びを売るばかりというのでは、漁業補償金はあとの半分がもらえるどころではなく、もらったつもりの半分もとりあげられるのが現実の問題である。
 さらに第三者のような顔をして推進してきた二井知事と商工労働部、水産部などをつうじて県がなにをしてきたかも暴露しなければならない。中電や国、県の横暴とたたかう町民の味方は全県民である。
 中電の町政介入を排除することによって、漁業を中心にした生産による町振興の方向を発展させることができる。町民の生活と町の発展は、企業による目腐れ金ではなく、自分たちの手と足を使って働くことによってしかできなかったし、いまからも同じである。
 漁業の振興は、漁協が中電の利害で支配されてバラバラになって争うのではなく、漁民の利益に立って共同の事業を推進するようにしなければできるものではない。魚価を確保するための魚の出荷の工夫、漁場の開発・管理など、共同事業を確立するなら発展性はある。上関は半農半漁が成り立ちである。農業も町民が生活するための必要として、農道を整備するなど若い者が帰って生活できる条件整備が求められている。農水産物は輸入すればよいとなって、やがて来るのは深刻な食糧難である。日本の農漁業は再建せざるをえないのである。
 上関は「美しい海と山、おいしい魚」として、すでに広島などで評判となっており、現在でも疲れた都会人がいやしを求めて年間数万人来ている。四国、九州、広島と1時間かからず結ぶ海上交通の有利さは、新幹線か高速道路など陸上しか交通手段はないと思いこんでいるほとんどの都会人の目には新鮮な驚きとなるものである。そのような人人が疲れをいやす滞在地として発展の可能性は大きい。
 年寄りが多いからダメなのではなく、年寄りは日本中が多いのであって、上関の年寄りだけでなく、よそからも年寄りが来て泊まれ、療養し、介護されるような施設なども整備すれば、その発展の可能性も大きい。
 上関の土地が有効に活用されるには、よその町と比べたら、極端に遅れた道路整備が不可欠である。しかも県道であり、町内の周回道路など、国や県が20年荒らした償いとして早期にやらなければならない。

  全町団結回復し再建へ
 障害は中電が介入し、町民のあいだをズタズタに分断し争わせる構造があることである。それをとり除き、町民の団結を回復し、町を町民の力で再建する力を結集することが求められている。その力を結集することなしに、国、県や中電をして20年の償いをさせ、大島と比べても極端にたち遅れた町の整備をさせることもできない。
 中電を撤退させ、町を再建するために、年寄りは知恵を出し、生産者を中心にして若い世代がそれぞれのグループで論議を起こし、それを全町に結びつけ、町を変える力を結集することが最大の課題となっている。

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