トップページへ戻る

劇団はぐるま座が創立60
周年記念運動を呼びかけ

             支持者による総括論議を訴え   2012年9月3日付

 劇団はぐるま座は今年、創立60周年を迎える。はぐるま座は最近、支持者による劇団の60年総括と今後の任務についての論議を訴える、「創立60周年記念運動の呼びかけ」を発表した。以下、その全文を紹介する。
 
 劇団はぐるま座は5年前の創立55周年記念集会を契機に、人民劇団としての再建を決意して、『動けば雷電の如く』『峠三吉・原爆展物語』を創造し、新しい歩みを始めてきました。そして今年は活動拠点を下関に移転し、創立60周年を迎えます。
 この秋には支持者のみなさんによる創立60周年記念集会が予定されています。それにあたって、創立以来の60年の活動、とりわけ再建を進めてきたこの5年の活動について、支持者のみなさんから見てどうであったのかの総括と、そのなかから今後の劇団の進撃方向について明らかにする論議を呼びかけるものです。
 劇団はぐるま座は、敗戦から7年後の1952年、サンフランシスコ片面講和と日米安保条約によって日本がアメリカへの隷属の鎖に縛られるなか、人人の平和で豊かな日本社会を建設する力を激励する文化・芸術の創造のために、「人民に奉仕し、人民とともに」を根本精神とする人民劇団として創立されました。
 それは朝鮮戦争さなかの1950年8月6日、占領下の広島で初めて原爆投下者の犯罪を正面から糾弾した運動の火ぶたが切られ、広範な被爆市民を励まして朝鮮戦争での原爆使用を阻止した原水爆禁止の運動と、その運動の重要な一翼を担った中国地方の文化・芸術運動を源流としたものです。
 はぐるま座は創立にあたって、人民的で進歩的なリアリズム演劇の追求を宣言して活動を開始しました。創立当時の劇団は事務所も稽古場もない状態でしたが、人民に奉仕する、自力更生、刻苦奮斗を創立精神として、人民に依拠し、あらゆる困難と犠牲を恐れず敵と非妥協的にたたかって前進してきました。
 1966年には、劇団は反修決起に立ち上がり、創造の源を人民大衆の生活とたたかいのなかに置く決意をし、布団を担いで弥富の農村や宇部の炭鉱のなかに入っていきました。人人の生活に深く学び感動を得るなかで、技巧でなく農民の本質、魂を描き出そうという姿勢が支持と共感を生んでいきました。この経験を通じて、舞台をつくるための根本的なものは人民の立場に立つこと、その思想性がなにより重要であること、はぐるま座の創立以来の人民性が生命力であることが浮き彫りにされていきました。
 1970年代に入り、福田正義長周新聞主幹の指導のもとに創作集団が結成され、職場のなかに入ってその労働体験から『川下の街から』を創作し、また教育の展望を描いた『明日への誓い』を創作しました。それはリアリズム演劇路線の成果、劇団の新しい発展として多くの人人から非常に歓迎されました。演技創造でも、戦前からのプロレタリア演劇の伝統を継承する藤川夏子をはじめ、人民俳優・俵武生、寺尾哲之など、今も人人の脳裏に印象を残すリアリズム演技が発展しました。
 しかし70年代の後半には、中国の変質とも重なって劇団の変質が始まっていきました。それは劇団の伝統である人民性を否定して、東京の商業演劇に追随するというものでした。作品は多喜二やゴーリキーの借り物であったり、『南の島から』は盗作で、創作はまったくできなくなっていきました。演技も人人の生活のなかに入ってさまざまなタイプの人物を典型化するのではなく、演出者の観念的な恣意性が唯一の基準という転倒したものとなって、どの役をやっても一本調子のひからびたものとなっていきました。口ではリアリズムと言うがやることは反リアリズムの観念論という欺瞞がはびこっていったのです。
 普及活動も、直接に広範な大衆に依拠するのではなく、既成の労働組合などのお抱え公演に依拠し、いかに売り込むかが目的となっていきました。そしてフィリピンや韓国などの演劇勢力に金を出して媚びて、アジアの指導者の振る舞いをして満足するというものでした。
 そして1994年の会館建設は、劇団内外の反対を押し切って山本卓を代表とする当時の指導幹部が強引に強行したものです。それは劇団を金融資本の奴隷として縛り付け、法外な借金返済が劇団の全活動を規定するところとなり、芝居を手段にして金もうけを目的とするものとなりました。劇団の伝統である人民性を否定して芸術的に破産し、経営的にも破産状態に行き着いたのです。会館建設は、折からの米ソ二極構造の崩壊、世界的な社会主義攻撃が荒れ狂うなかで、人民を裏切って人民の敵に投降するという潮流としてあらわれたものです。
 大衆は劇団の金もうけのための収奪対象となり、劇団員には長期にわたって給与の未払いを続ける一方で、指導幹部は遊んで乱費をするという構図になっていました。口では人民のため、社会進歩のためといいながら、実際にやられたことはその逆で、思想の真実は否定され欺瞞がはびこるところとなりました。いろんな欺瞞のベールを取り去った実際の姿は、劇団内に搾取するものと搾取されるもの、支配するものと支配されるものの階級分化があらわれ、劇団がブルジョア搾取階級に乗っ取られていたのです。
 劇団創立55周年記念集会は、会館建設と大破産に行き着いた路線を一掃し、人民劇団として再建する決意を固めるものとなりました。その半年後には、代表作であった『高杉晋作と奇兵隊』について抜本的なメスを入れて全面改作した『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』の創造と普及から再建を開始しました。2010年には日本人民の体験を集中して原爆投下と第二次大戦の真実を浮き彫りにしていった原爆展運動10年の経験を典型化した新作現代劇『峠三吉・原爆展物語』を創造して上演活動をしてきました。
 二つの作品は、山口県内はもちろん広島、長崎、沖縄をはじめ鹿児島、宮崎、熊本、佐賀、福岡、岡山、大阪、東京など各地で、かつて経験したことのない衝撃的な反響を呼びました。人人の反響に学ぶことは、劇団員のなかでは、古い誤った体質を一掃して、人民演劇を取り戻す自己改造の過程となりました。
 劇団のなかでは、あれが悪い、これが悪いと文句を言うばかりではなく、劇団の再建を第一にして活動してきました。この過程を通じて、人民大衆こそが歴史を創造する原動力であり、最大の英雄であり、芸術の源泉であること、したがって人民に奉仕する思想に徹して人民のなかに入り、その生活と斗争を学ぶことが勝利の原動力であることを確信を持って学びました。そのなかで、権威者ぶって遊んで威張っていたルンペン的な腐敗した者たちが、劇団活動をさまざまに妨害したあげく、たくさん脱落していきました。劇団は寄生的な厄介者がいなくなり、若い青年を中心にして実際に働いてきた実働者が担うようになりました。そして「社会を変える演劇に人生をかけたい」という新しい青年の入団が始まりました。舞台はこの新陳代謝を通じてはるかに発展したものとなりました。
 私たちは、この5年の活動をつうじて、自分たちを変革し、劇団が新しく生まれ変わったこと、創立精神を取り戻し、人民性を取り戻したと確信を持って報告できます。現在新たに『礒永秀雄の世界』を詩劇や童話、朗読などの形で舞台化する準備をしています。
 秋に開催される劇団創立60周年記念集会にむけて、劇団創立以来の総括、とりわけ再建斗争の五年間を総括し、劇団はぐるま座の活動を本格的に展開する方向性を、支持者のみなさんとともに明らかにしていきたいと思います。支持者のみなさんの総括運動へのご参加、創立記念集会の成功とその後の劇団活動へのご協力をお願いするものです。
                          2012年9月1日
                                  劇団はぐるま座

トップページへ戻る