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原爆に始まる戦争政治打開へ
第11回原爆と戦争展主催者会議
              広島の役割重要と意気込み    2012年6月18日付

 広島市西区の己斐公民館で16日、8月初旬に広島市内で開催される第11回広島「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会)の主催者会議が開かれた。会議には、広島市内の被爆者や遺族、会社員、学生、下関原爆展事務局スタッフ、劇団はぐるま座団員など25人が参加。原発事故まできた戦後社会のあり様について、子どもから大人まで全国的な世論の激変が進むなかで、被爆地の果たすべき役割について明らかにし、全国的な関心が集まる8月6日を頂点として今年の原爆と戦争展を開催することを決定。広島の心を伝えていくとともに、独立した平和な社会の実現に向けて行動を求める全国の人人の思いを束ねていくことが確認された。
 はじめに広島の会の重力敬三会長が、「今年は、旧日本銀行で第1回を開催してから11年目になる。この10年間に広島市民はもちろん周辺地域の市民にも原爆と戦争展が定着してきた。意見を遠慮なく出してもらい、昨年にも勝る成果のある原爆と戦争展を開催しましょう」と力強く呼びかけた。
 続いて、共催する下関原爆被害者の会の大松妙子会長のメッセージが紹介された。先月下関で開催された福田正義(長周新聞主幹)没10周年記念集会に広島から多くの参加があったことへのお礼とともに、「この狂った日本を変えることができるのは、今の若者と期待している。広島では多くの大学生が協力されているとのこと。ますますの発展を心から喜んでいる。真の平和のために生きている者の使命として、お互い頑張りたい」と連帯の思いが伝えられた。
 続いて、劇団はぐるま座の岡田真由美氏が、「原爆展運動10年の記録を描いた劇“原爆展物語”を3年前に創造し、広島や長崎の被爆者の方たちから指導を受けて全国公演を続けてきた。とくに昨年の大震災以降、全国的な意識が日本社会を根本的に見直す方向で大きく転換している。原発事故後の対応についても、広島市民のなかでは“私たちも放射能の中から立ちあがってきた。東北も大丈夫だ”と励ましの言葉が語られている。この市民の力強い世論に学び、原爆展を成功させるとともに公演を通じて全国に向けて発信していきたい」と決意をのべた。
 広島の会事務局から今年の原爆と戦争展のとりくみの概況と要綱が報告された。
 広島市内では、今年2月の廿日市市に続いて、呉市、広島大学、北広島町で原爆と戦争展を開催。さらに、5月から7月にかけて山口県や大阪、滋賀、兵庫などからの修学旅行生、また、市内10校の小中学校での平和学習への体験証言など精力的な活動が展開されている。また学生を中心にした平和公園での街頭「原爆と戦争展」が毎月2回おこなわれており、昨年秋以来の展示会のなかで270人を超える人人が新たに運動の賛同者となるなど強い共感を集めてきた。
 その運動の蓄積を結集し、今年の第11回原爆と戦争展を8月1日から7日まで広島産業会館西展示館で開催すること、東日本大震災、福島原発事故から一年あまり経過するなかで、「世界で唯一原爆による放射能被害に苦しんできた経験とともに、その廃虚の中から戦後復興を遂げてきた広島と長崎の経験を広く伝えていくことが、被災地を復興させるだけでなく、現在の日本社会を立て直すうえでも大きな力になる」とし、「平和で豊かな日本の未来のために世代を超えた全国的な大交流の場」とすることが提起された。

 世代こえ大交流の場に 鋭さ増す子供達の反響

 論議では、この間の原爆展や証言活動の反響に対する手応えとともに、全国的な政治不信と意識の転換が広がるなかで、戦後社会の根幹である第2次大戦と原爆投下への新鮮な怒りを共有し、人人の願いと逆行する戦争政治に対して世代を超えて大論議していく必要性が語りあわれた。
 男性被爆者は、地域や大学などでの原爆展の反響に触れ「今年の活動を通じて思うことは、多くの市民、国民の意識が変わってきたということだ。昨年3月に大震災と原発事故が起こったが、ここまできたデタラメをまた許していけば原爆と同じ悲劇を繰り返すことになると多くの人たちが実感している。原発の再稼働など逆流の動きもあるが、より大きな世論が私たちの運動に賛同し、安心して暮らせる社会の実現を求めているのも事実だ。私たちはこの声、思いを力にして頑張らなければいけない」と語気を強めた。
 別の男性被爆者は、「今年も小中学校や大学、修学旅行生を相手に被爆体験を語ってきたが、子どもたちの意識がかなり変わっており、相当な響きを感じている。先日語りに行った小学校でも、校長先生が“昨年の原発事故が子どもたちの意識の変化に大きく影響している”と語っていたが、子どもたちからも“原発と原爆はどう関係しているのか”“放射能による被害は同じではないのか”などこれまでになく活発な意見が出た。子どもたち自身が自分の頭でしっかり考えているし、みずから調べ、みずから行動するようになっている。その成長に先生も驚いていた」と語り、役割が大きくなっていることを強調した。
 同じく連日の活動に参加してきた婦人被爆者は、「今年の子どもたちは長い話でもダラダラすることもなく、シャキッとして聞いてくれる姿が印象的だ。以前は、質問がまったくないこともあったが、黒い雨や原爆後遺症についてたくさんの質問をぶつけてくる。送られてくる感想文を読んでも、心が通じたことが実感できるし、これからもこの活動が自分の責務だと思ってつとめていきたい」と語った。
 原爆資料館横での街頭展示に参加している男子学生は、「呉原爆展でチラシ配りをしたが、ゴールデンウィークということもあって家族連れの参加や子どもが親を連れて来る姿も目立っていた。全国からの観光客も多く、広島に学ぶ目的をもってくる人の多さを実感した。夏の原爆展についても、街頭展示のなかで広く呼びかけていきたい」と意気込みをのべた。
 別の男子学生は、「大学内で開かれた原爆展に参加し、地元の大分県で小中高校を通じて習ってきたこと以外に多くの新事実を発見できて深く感動した。これからもこれを多くの人に知ってもらうために力を尽くしていきたい」と意欲をのべた。
 東広島市在住の50代の社会人男性は、「子どもたちの反応がすごいなかで、私たち4、50代の世代がどれだけ関心をもっているのか問われている。大事なことだと思っていても、自分の生活で精一杯という状況で行動に踏み出せない人が多いように感じる。一方で、最近の政治がまったく信頼できない状況になるなかで、大阪の橋下市長や石原都知事のような極端な主張がマスコミによって煽られる。原発再稼働や軍備増強、核武装論までもが大手を振ってまかり通る状況に違和感を感じている人も多いし、あたりまえのことがかき消され、おかしいということがおかしいといえない状況に憤りを感じている。かつての戦争になぜ日本中が巻き込まれていったのか、その流れが現在の日本にあるのではないかということを考えなければいけない」とのべ、行動していく決意をあらわした。
 40代の男性公務員は、「保険料は上がり、消費税などの各種税金も上がり、年金は減り、扶養控除は削られ、給料も減っていくばかり。現役世代にとって、生活がよくなるものがなに一つ見つからない時代になった。なぜこんなことになっているのかという意識で、戦争、原爆投下からの日本社会を見つめ直すことでみんなの意識も前向きになっていくのではないか」と指摘。
 「沖縄でも岩国でも“これ以上アメリカの基地はいらない”といっているのに、役所の中では米軍施設を道具にして国から防衛予算をいかに引っ張ってくるかという関心しかない現実。公務員はそれに異議を持っていても口にすることができない歯がゆさがある。この原爆展に“アメリカは核と基地を持って帰れ”のスローガンがあるが、そのような現実が戦後70年近く経とうとしている現在も続いているのはなぜか。それを深く突き詰めていくことが、これからの将来を築いていくうえで一つの道筋になると思う」と語り、原爆展を精力的にとりくんでいく意欲をのべた。
 小学生で被爆した婦人被爆者は、ものごころついた歳ごろには「万歳」「万歳」といって出征兵士を送り出す姿があたりまえになっていたことに触れ、「戦争が人殺しだとわかってからは疑問を持つようになったが、口に出すことはできなかった。そのうち空襲がはじまり、毎日のように逃げ隠れするようになり、学校では授業もなく、軍馬のための飼い葉刈りや燃料の代用品として松ヤニ採取に動員されていた。原爆が投下されて1カ月後に父親は苦しみながら亡くなった。それでも私たちは黒い雨でビショビショになりながら、畑のトマトやキュウリを洗いもせずに食べていた」と当時の様子を語った。
 その経験を子どもたちに語ると「泣きながら聞く子もいれば、感動を綴った感想文を送ってくれる子もいて涙が出る。子どもたちが熱心に勉強する姿を見て、私も負けないように頑張ろうと思っている。本当にこの会に入ってよかった」と感慨深く語った。
 また、産業会館がはじめての会場であることから一般宣伝を圧倒的に強めていくこと、賛同協力者を広く募り、被爆者や若い世代のスタッフを組織していくこと、動員学徒の遺族で作る会など諸団体にも宣伝していくことなどが活発に語りあわれた。

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