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原爆の使用許さない力大結集へ
原水爆禁止全国実8・6広島集会取組
               米国への謝罪要求署名広げる     2004年6月8日付
 
 原水爆禁止全国実行委員会が6日午後1時から、下関市のからと会館で開かれた。会議ではこの間の各地での原爆展運動の発展に見られる各界各層の意識の高まりをいきいきと反映、広島・長崎に原爆を投下したアメリカが日本を拠点にした原水爆戦争の策動を強めるなかで、1950年8・6斗争路線を継承して大衆的基盤を広げ運動を発展させる方向を論議。原爆展、被爆者の体験の普及などによる新鮮な怒りを発動するとともに、アメリカの原爆投下の犯罪的な目的を暴露し、「アメリカ政府に謝罪を要求し、原水爆の製造、貯蔵、使用を禁止する全国民的規模の運動を訴えるアピール」(2002年広島集会採択)による宣伝と署名運動を巻き起こすこと、労働者を中心に農漁民、青年学生、婦人、教育・文化などのあらゆる戦線・分野での運動を飛躍発展させ、今年の8・6広島集会に大きく結集させる方針を決めた。
 倉崎繁実行委員長の「世界中でアメリカは追いつめられている。さらに隊列を整え、アメリカに謝罪させる空前の規模の運動をまき起こそう」と訴えるメッセージが紹介されたあと、同実行委員会の平野照美事務局長がこの間の運動の特徴と8・6集会にむけた方針を提起した。
 平野氏はまず、全国キャラバン隊をはじめ各地の原爆展や平和運動の進展の特徴を報告。原爆展キャラバンが「沖縄を除いた全九州と中国地方をはじめ、北は東北地方までほぼ日本列島を縦断」するなかで、イラクの現状と重ねて日本の空襲の体験とアメリカへの怒りが語られ、協力者がつぎつぎにふえており、「広島アピール」への新鮮な共感が寄せられていることを明らかにし、全国で国民的な規模の運動を発展させる基盤が広がっていることを強調した。
 また、アメリカが「使える核兵器」の開発やミサイル防衛(MD)システムの構築を急ぎ、「イージス艦搭載の海上配備型迎撃システムを朝鮮近海に配備し、朝鮮や中国を射程に入れた迎撃ミサイルの共同飛行実験を来年に実施するなど、日本を原水爆戦争の戦場にしようとしている」ことを暴露するとともに、イラク人民のたたかいが世界各国の人民のたたかいと連帯して、たがいに励ましあって前進し、平和の敵と人民の力関係を大きく変化させていることを強調。このなかで、「国際連帯の意識をもって、唯一の被爆国として原水爆禁止の国民的な運動を起こしていく」ことを訴えた。
 1950年8・6斗争路線を継承するうえでは、労働者が「反帝反戦斗争を第一義的任務」とし、階級的宣伝と国際連帯をかかげて、献身的に切り開いていった経験を学び継承すること、今日労働現場が殺人的な様相を示すなかで、世界の労働者を支配する最大の武器である原水爆に反対してたたかう重要性を指摘。「国民的な規模での平和運動を担っていく活動家集団を形成し、力のある平和運動を発展させる」ことを呼びかけた。
   
 イラク戦争重ね全国の世論が発展 東北の原爆展も第反響
 討議でははじめに、全国キャラバンの第1班として、東北までのぼったはぐるま座の団員が発言。「北上すればするほど原爆の実態が知られていないことがわかった。それだけに原子雲の下でどんな惨状があったのか、衝撃があった。パネルの前では、原爆やイラク戦争と重ねて、東北各地での残忍な米軍の空襲の様子が語られた。1950年当時は、広島、中国地方のたたかいは東日本までは行けなかったので反響は大きい」と報告。「日本軍国主義の戦争はまちがっていたとはいえるが、それではアメリカの戦争は正義だったのかと感じながら、口に出せずに来た人人が、今日の日本社会の荒廃への怒りとともに語っていた」様子を紹介した。
 また、「イラクの人質事件で小泉政府は国民のことを考えていないが、イラクの人は広島・長崎のことを考えていることがわかった」「アメリカに謝罪を求める運動とようやく出会うことができた」などの声が感動的に出され、自衛官や自衛隊の家族の支持・共感が寄せられたこと、戦後の農業破壊や地域破壊への歴史的な怒りが発揚されたことも明らかにし、多くの人人の協力、支援のもとに北海道に乗り出していく決意を語った。
 広島からは、「今年は、広島市民原爆展を原爆ドームの前のメルパルクでやることになった。県・市の医師会をはじめ、賛同者もこれまでになく早く返事が返っている」という状況や、廿日市、呉、江波、翠町などの地域原爆展のとりくみの特徴が報告された。とくに被爆者のあいだで、イラク情勢や子どもの殺人事件などをめぐって、いまこそ広島の子どもたちに語らねばならないという意識が強まっており、「江波の原爆展では、これまで語らなかった被爆者があいついで語ることになった」「各地域で小中学校が被爆者を招いて体験に学ぶとりくみが強まっている」「山口県の修学旅行の子どもたちに語った被爆者と子どもたちとの感動的なつながりができている」ことなどを報告した。
 岩国の活動家は、最近開催した岩国原爆展が昨年の2倍の参観者を得て成功したこと、岩国空襲のパネルが地元の体験者の協力で展示されたこと、麻里布小学校の生徒70人が教師の引率で参観したこと、原爆展の総括会議でイラク問題や自衛隊、佐世保の子ども殺害事件などとかかわって論議になったことをあげて報告。若い協力者が登場していることや、隣接町からも同じパネルで原爆展をやりたいという申し出があったことを紹介した。
 大阪の高校教師は、青年学生交流会を8回にわたってすすめてきた体験や最近の関西大学での原爆展パネル展示と被爆者の体験談に学ぶ授業での学生の反応から、「青年学生運動を発展させる」決意をのべた。
 下関の活動家は、広島アピール署名を労働者の社宅や職場ですすめてきた経験を報告した。これまで反応が鈍かった公務員の労組でも、「平和運動のとりくみがなにもない。被爆体験を青年婦人部がとりくめるようにしたい」と反応が返ったり、いろんな職場を紹介して協力する状況になっていることを紹介。自治体職場では市町村合併による不安や税金実務で市民からなぐられるなどの矛盾が激化していることから、地域住民の側に立った労働運動への模索が強まっていることなども明らかにした。
  
 全戦線で運動起こし統一戦線の強化へ  
 論議は、こうした広範な大衆のなかで発展している世論に対応した活動をどのようにすすめ、労働者を中心にした統一戦線を強めて8・6斗争に結集させていくのかをめぐって発展した。
 九州、中国地方を巡回した全国キャラバンの第二班からは、「どこでもアメリカに謝罪を求める広島アピールへの支持と感動が寄せられた」ことが報告された。岡山からは、中学校で婦人被爆者の体験に学ぶ行事がおこなわれたが、ほかの中学校や高校にも広がっているなかで、労働者の活動をすすめていく課題が明らかにされた。
 沖縄の活動家は、イラク情勢とかかわって発展する金武町の都市型ゲリラ訓練基地建設に反対する全町的な運動の発展を紹介。地域的な運動の輪を広げていく課題をのべ、6月の沖縄戦終結記念日を中心にした原爆展と被爆体験に学ぶ行事が学校や自治体、職場で広がっていること、そのなかで原水爆禁止運動をつくっていく課題を明らかにした。
 また、「福田正義記念館には、1950年8・6斗争や、峠三吉とともに活動した文化人、原子雲の下よりの執筆者、原爆の子の像の関係者から資料提供があいついでいる。福田記念館の資料提供者について、参観した人たちはここにこそ自分たちの体験の真実が継承されて、伝え残される保障があることへの喜びをあらわしている」ことも出され、記念館で開催される第5回下関原爆展から、広島市民原爆展につながる大きなとりくみを成功させることの意義も強調された。
 平和の会を指導する教師は、「中学生や小学生の殺人事件があいつぐなかで、母親たちが子どもを平和の会に参加させようと奮斗し平和の会の運動が成功してきたが、今年は佐世保の事件があって、イラク戦争でのアメリカの残虐性とかかわって、子どもたちをどう教育すればいいのかが大きな問題になっている。“子どもは日本の宝”という方向でどう育てていくのかという運動をおしすすめなければならない。教師のあいだで“福田正義教育論”への深い感動が語られている。平和の旅のとりくみを成功させ、広島の教師との交流から全国的な教育運動を発展させていく端緒にしたい」と語った。
 このあと、労働者活動家からあいついで、「原水禁署名を労働者みずからの課題としてとりくみ、地域や職場に深く入っていく」「アピール署名を労働者のなかに持ちこむなかで、反帝反戦斗争を第一義的課題にして、労働者の歴史的な使命に立って国をどうするのかという論議を起こしていく必要がある」などの意見が出された。
 はぐるま座の団員は、文芸路線上の問題とかかわって、50年8・6斗争や峠三吉の詩「墓標」の内容のとらえ方などの点で「アメリカの残虐さについての感情世界が、大衆の持っているものとは違っていたことが明らかになってきた」と報告した。
 さらに、「50年8・6斗争では、総評が朝鮮戦争支持し、共産党中央が抑圧するなかで、日和見主義、排外主義とたたかって朝鮮人民の解放斗争支持を鮮明にかかげて大衆的な運動を組織していった。イラク・朝鮮人民、アジア人民との連帯の感情を組織し国際連帯の思想を発揚することが重要だ」「アピール署名でのべられている“1950年代の峠三吉の時期の、被爆した広島市民の心を代表した、私心のない運動の原点に返らなければならない”という路線をいまに具体化し、奮斗することだ」などの発言も出され、各持ち場で深く大衆のなかに入って、ともに運動を発展させることを確認した。

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