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原爆展物語に深い感動
                考えさせ突き動かす演劇     2010年3月26日付

 劇団はぐるま座の新作『峠三吉・原爆展物語』の全国初演である下関公演が20日におこなわれ昼夜2回で1200人が参観する大盛況となった。観劇した市民からは「演劇というのがこんなに力のある感動するものだと思わなかった」「こんな演劇は初めて見たが、内容が深く考えさせられた」など深い感動とともに、「明るい、将来の展望が見える劇だった」という感想が共通して寄せられている。
 戦争体験世代の人人、家族を失った人人からは、第二次世界大戦の全体が描かれたことで、自分の体験と重ね「あの戦争がなんのための戦争であったか初めてわかった」と激しい感動が語られ、「この真実を次の世代に語り継がないといけない」と意欲的な論議になっている。
 親の反対を押し切って志願し、従軍看護婦として満州に渡った婦人は、「戦時中からひっかかっていたことが台本を読み、劇を見て初めてわかった」と衝撃を語る。一つの疑問は、八路軍に呼ばれて日本人のお産を助けたことだった。「敵兵である八路軍がなぜ日本人を助けているのかが、戦後もずっとわからないままだったが、台本を読み、劇を見て八路軍がどのような軍隊かが初めてわかった。一方関東軍は敗戦がわかると広大な土地に満蒙開拓団や義勇隊など一般の日本人を置き去りにして先に逃げて行ったことを後に帰ってきた人から聞き、関東軍と八路軍の違いが鮮明になった」と語る。
 また終戦前に日本に帰り、朝鮮人を動員してくる労務であった兄でさえ「この戦争は負ける」といっていたこと、勤めた民間企業の病院で広島の被爆者を看護した経験を通して「なぜ天皇は戦争をやめるといえなかったのか」という疑問や真珠湾攻撃で奇襲をかけて「なんて卑怯な国なんだ」と思ってきたことを語り、「真珠湾攻撃でもアメリカは全部わかっていたし、奇襲を待ちかまえていたことがわかったときの衝撃は大きかった。そして日本の上の人たちは、バカにしていた中国に負けたら国民がどれほど反発するかわからないから、アメリカが殺すに任せた。天皇がなぜ戦争をやめるといわなかったのかがやっとわかった!」とくり返し感動を語り、今でも台本を持ち歩いて読み返している。
 戦争で父を失った男性は、台本を読んで観劇した。「幕が開くと同時に胸につまっていたものが湧いてくるような、感動という言葉ではあらわせない感情がこみあげてきて終わりまで見た。演劇はよく見るが、こんな感動はここのところ経験したことがない」と語った。空襲、沖縄、戦地場面などを見ながら、父がフィリピンで米軍の機銃掃射で殺されたこと、下関空襲で家を焼かれ、焼夷弾の下を逃げ回ったことなど、体験が走馬燈のように思い出されたという。「アメリカがインディアンを絶滅させてできた国だといわれていたが、本当に皆殺し作戦だった。今のイラクやアフガンでも人影が見えたら見境なく殺戮するのが米軍だ。父もそのように殺されたのだと憤りを感じた」と尽きぬ思いを語った。
 退職教師の男性は「こんな劇は久しぶりに見た。第三者として批評するのが常だが、今回は現実と一体となっていて、劇を見ながら自分の体験を思い出した。戦争によって戦後の日本がどうなってきたのか、忘れていたことを思い出させてくれた」と感謝の思いを語った。
 実行委員に名を連ね、公演成功のために尽力してきた予科練出身の男性は、誘い合って仲間数人とともに観劇した。仲間に呼びかけるなかで、防府市の仲間も下関公演を呼びかけていたことを知り、非常にうれしかったことを語った。「みんなが集中して見入っていた会場の雰囲気に感動した。あの劇はありのままの真実、あったことを描いた劇だから、楽しませたり悲しませたりするようなものではない。私たち体験者の真実を描いた劇がみんなに真剣に受けとめられ、感動を与えたことが非常にうれしい」と語った。とくに子どもたちにこの劇を見てもらいたいと支援したこともあり、小・中学生が多数参加し身じろぎもせず真剣に見ていたことへの喜びを語り、「真実の体験を全国、若い世代に伝えることが私たちの願いだが、この劇で一つの形になり全国に広げていくことができる」と今後全国で公演し大戦の真実を語り継ぐ運動がさらに広がることへの期待を語った。

 自身の生き方重ね葛藤 戦争から現代つなぎ

 若い世代からは前の大戦がなんだったのか、現代の問題や自身の生き方とも重ね、強い反響が寄せられた。
 30代の母親は、「広島や長崎で戦後これほど体験が語りにくくなっていたことなどはまったく知らなかった」と驚きを語った。ルメイの言葉に衝撃を受け、現在、核の密約問題や米軍再編で普天間基地をアメリカに押しつけられているにもかかわらず、日本は弱い立場に置かれていることなどと重ね、改めて日米関係を認識したことをのべ「母親として、また子どもたちがこういう事態に巻き込まれることは絶対に許せない」と語っていた。
 40代の男性公務員は、「劇を見てすごく考えさせられ、ものすごく疲れた」と葛藤する思いを語った。とくにエピローグの場面の一つ一つの言葉が重く響いてきたことを語り、「やはり根源の問題を考えないといけないのだろうか。家に帰ってよく考えてみます」とのべていた。
 「軽い気持ちで出かけたが、ものすごくよかった」と感動の面もちで語る男性は、「劇を見て今の社会に対してものすごく腹が立ってきた。佐藤栄作がノーベル賞を受賞したり、今の日本はウソばかりがはびこっている。演劇を見たのは久しぶりだが、こんなに感動するものだということを初めて知った」と新鮮な感動を語っていた。

 スタッフの活動に共感 「日本変わる」と

 エピローグにつながるスタッフの活動に、「こうやっていけば日本は本当に変わる」と展望を感じたという意見も多数寄せられた。
 80代の男性は、公開稽古からの改訂、とくに沖縄とエピローグ場面がとぎすまされ、感動したことをあげた。「エピローグの、“戦争で死んだ人の命が返らないのなら、死なないためのたたかいを命がけでやらないといけない”というスタッフの言葉、これが今から私たちがやるべきことだ。劇で語られたが、日本はまだアメリカの植民地で、ヤンキーゴーホームと堂堂といえなくさせられているが、2009年の広島の平和公園で、宣伝カーが“アメリカは核を持って帰れ!”と堂堂といい、それが市民に支持されるということが、みんなの世論が大きくなってきたことを象徴している。10年頑張ってここまで来たが、今後10年頑張れば相当に日本は変わる。自信を持ってこの劇を広島・長崎、全国へ持って行ってほしい」と確信を語った。
 別の80代の男性は、「こんな芝居は見たことがなかった。一言一言に重みがあり、一言も聞き漏らすまいと見ていた。キャラバン隊の写真なども映し出され、現実と交差する芝居だった」と語る。広島に長く勤務し、禁・協の実態、労働運動がものとりになってつぶれていった経過を見てきた経験から、セリフの内容一つ一つに真実性を感じたという。「米軍にこの国を奪われて六五年たつが、一つ一つの松明を集めていけば灯台になる。そのことに展望を感じた」と話した。
 被爆婦人も、とくに印象に残ったのは「禁か協か! と怒鳴られながら市民のなかに入っていったところ」だと語る。「私たちも八月六日の広島は活動家ばかりがめだって、慰霊する空気ではないから絶対に行かない。しかし賛同する人ばかりでなく批判的な人もいるなかで、あれだけのスタッフが広島、長崎、沖縄と全国を回って活動し、ここまでやってきてくれたんですね。まだまだ体験を語っていない人はたくさんいる。そういう人を掘り起こし真実を伝えてくれるスタッフの活動に感動した」と語っていた。
 商店などでも見に行った人や家族・友人のなかで話題となっており、「母が友だちと見に行って“楽しかった”と喜んで帰ってきた」「暗い劇と思って“行かない”という人もいたが、こんなに明るい劇ならどんどん人を誘える」「広島にいる子どもにも見に行くようにすすめよう」などと感動が語りあわれ、劇団はぐるま座が下関を起点に全国へ出発することへの期待が高まっている。

 

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