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原爆展運動全国発信の場に
広島「原爆と戦争展」主催者会議
              被爆者、学生、強い意気込み    2013年7月15日付

 広島市西区の己斐公民館で14日、8月初旬に広島県民文化センター(中区)で開かれる第12回広島「原爆と戦争展」の第2回主催者会議がおこなわれた。原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)の被爆者、戦争体験者、被爆二世、主婦、学生をはじめ、下関原爆展事務局など約30名が参加し、半月後に迫った開幕に向けて市内でのとりくみ状況を報告しあい、8月6日を頂点にして高まる全国的な平和と核兵器廃絶の世論を結集した大交流の場として成功させることが確認された。
 はじめに広島の会の重力敬三会長が「いよいよ本格的な夏がやってきた。原爆と戦争展の大成功に向けて忌憚のない意見を出しあってほしい」と挨拶。
 続いて広島の会事務局の犬塚善五氏がとりくみの概況を報告した。約1カ月の準備の過程でポスター2400枚、チラシ12万枚による宣伝活動がおこなわれ、大学生、大学院生、留学生や現役世代をはじめ、町内会長、広島市医師会、呉市医師会、寺、保育園、教師、大学教員、商店主や会社員など200人をこえる人人が賛同者として加わっていることを明らかにした。
 また、憲法問題や自衛隊の国防軍化、原発事故の収束もつかないままの再稼働や新規立地の動きなど、戦後六八年をへてアメリカの植民地的な従属下に置かれている日本社会の現状に対して全国的な変革機運の高まるなかで、広島を訪れる人人と交流を深め、原爆展運動を全国、世界に広げる働きかけを強めていくことが提起された。
 参加者からは、この間の精力的な活動のなかで得た確信とともに、今年の八・六に向けた強い意気込みが語りあわれた。
 精力的に証言活動をしてきた男性被爆者は、「前半期の活動の総仕上げとしての広島原爆と戦争展が始まる。これまで修学旅行や市内の小中学校に体験を語りにいって強く感じているのは、子どもたちの受け止め方が変わってきている。とくに小学生かと思うほどしっかりと考えていることに驚かされるし、国の行く末への懸念や将来に対する意識を鋭くもっている。とくに、原発の再稼働を政府が公言するなかで、核のゴミや汚染水についてはなんの方法も見出せていない。目先の利益ではなく、原爆と同じく将来のために絶対に廃止するべきだと話してきた。若い人たちも同じ思いを持っている。新しい人人とのつながりを増やして、全国に向かって広島の声を伝え、声を発していく人の輪が広がっていく契機をつくっていきたい」と力強くのべた。
 他の被爆者たちからも、体験を学ぶ子どもたちの真剣さへの喜びとともに、「今年はとくに子どもの姿勢が違う。きな臭い情勢に不安もあるが、これからの若い世代に期待して頑張りたい」「子どもも真剣だが、教育全体が変わってきていると感じる。この真剣さに応えていきたい」と口口に語られた。
 北九州から広島に転居して夫婦ではじめて参加した婦人被爆者は、北九州で原爆展運動にかかわってきたことを告げ、「故郷の広島ではじめて活動に参加し、涙しながらみなさんの話を聞かせてもらった。私も看護婦として被爆した当時のことを伝えていきたい。広島の会の熱心さをまのあたりにし、自分も役に立ちたいと感じている」と決意をのべた。

 広島から全国へ伝える 被爆市民の思い代表

 午前中に平和公園での街頭展示スタッフをやって参加した男子学生は、「学生になってから、原爆が恐ろしいというだけでなく、なぜ落したのか、どうしたらなくせるのかと考えるようになり、広島の地にいるからこそ学ぶことができると思って参加した。平和公園の展示では、外国人が多く見に来て“これまで自分の国では、原爆投下を正当化するアメリカ側の情報しか知らされなかったが、ここに来て日本人の観点を初めて知った”と考えを改めていた。私も日本人としてしっかり答えられるように学んで伝えていきたい」とのべた。
 また、市内での宣伝活動に参加してポスターをもって市内を回った経験に触れ、「この原爆展が12年間も地道に続けられていることへの信頼が強く、“いつもポスターを貼らせてもらっています”といわれており、地道な活動の大切さを感じた。実際に地域の人と話をしてつながりを持つことで自分も学ぶことができるし、自分の体で行動していくことが一番重要なことだと感じている。八月に向けて頑張っていきたい」とのべた。
 同じくスタッフの女子学生は、「平和公園での展示では、日本人も外国人も熱心に参観しており、アンケートにも丁寧に応じてくれ、関心がすごく高まっていると感じる。原爆のことに繋げて、福島の原発問題、憲法改定、イージス艦を増やす問題などで関心が強いと感じるし、それが子どもたちの姿勢の変化になっていると思う。大成功に向けて私も協力していきたい」と意気込みをのべた。
 呉から参加した60代の婦人被爆者は、最近、呉港に海自ヘリ空母「いせ」やイージス艦が入港し、パトリオットミサイルやオスプレイなどを配備させる説明などがされたことや、自宅近くの米軍弾薬庫で物物しい訓練がくり返されていることを明かし、「呉では日常生活のなかでも異様な空気を感じ、戦争になればここが戦場になるとだれもが感じている。両親は原爆や戦争による傷で死ぬまで苦しんでいた。私も被爆者として戦争反対の運動を下から支えていきたい」とのべた。
 廿日市市の男性被爆者は、「参院選が始まっているが、各党派とも目先のことばかり。安倍政府はミサイルを打ち落とすためのイージス艦を増やすというが、たとえ命中したとしても日本の頭上に死の灰が降り注ぐだけで、こんなアホらしいことはない。戦争の現実を知らない詭弁でしかなく、そんなことよりも核廃絶に向けて全力でとりくむべきだ」と憤りを込めて語った。
 海軍兵士としてフィリピンで地上戦を経験した九一歳の男性からは、「戦争ほど惨めなことはない。第一に食料がなくなれば人は動くことすらできない。私はジャングルの中でマラリアを患って動けなくなり、部隊から一人とり残されたが、戦友が置いてくれたひとかけらの乾パンで生き長らえた。フィリピンではアメリカと日本の戦争のために現地民が大変な被害を被ったが、これからの日本も他人事ではない。あのような戦争をくり返してはいけない」と語られるなど、体験者から熱のこもった思いが相次いで出された。
 最後に、全国から広島を訪れる人人の関心に応えて、今年の原爆展パネルには、「戦争の反省の覆し許さぬ」として国防軍化や憲法改定をめぐる安倍首相などの発言に対する国民世論の紹介、さらに「戦争に立ち向かう教育運動」として、被爆者に学んで“みんなのために団結してがんばる”精神で子どもを成長させ、山口県から広がった教育実践の紹介、安倍首相が原発再稼働を公言するなかで、膝元である山口県上関町で超法規的な手口で原発の新設を進める動きに30年にわたって立ち向かって勝利してきた町民の運動を紹介する三種類のパネルを新たに加えることが提案された。
 さらに、劇団はぐるま座の『原爆展物語』公演(8月5日)、小中高生平和の旅(同)、全国交流会(同)、平和公園での街頭原爆展など重層的なとりくみを進めながら、8月6日の原水爆禁止全国集会へと合流し、戦争阻止の大運動を全国に広げていくことが確認され、全員が団結して成功させることが一致された。


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