トップページへ戻る

日本の様相変える行動年間かけ全国へ展開
         原爆展キャラバン隊1、2班 下関で意気高く壮行会  2004年3月9日付

 原爆展全国キャラバン隊(後援・長周新聞社)の壮行会が六日、下関市のからと会館で開催された。2月上旬に劇団はぐるま座団員による第1班が結成され、中旬には原水爆禁止全国実行委員会を中心メンバーにして第2班を結成。この間、長周新聞社の後援を受けて岡山県、京都府、大阪府、兵庫県、そして長崎県、熊本県の計18カ所で街頭原爆展を開催してきた。壮行会では、隊員から「原爆と峠三吉の詩―原子雲の下よりすべての声は訴える」のパネルを見た人人の反響が報告され、全国各地で例外なく人人が平和への願いと、たたかう力を充満させていること、隊員自身が1カ月間の活動でつかんだ教訓がいきいきと伝えられた。今後1年間をかけて全国四七都道府県の街頭に出陣していくにあたって、隊員も、そして送り出す側も双方が意気高く健斗を誓った。

  全国の思い束ねる
 岡山県、京都府、大阪府、兵庫県を回ってきた第1班からは、富田浩史、福島久嘉、福原真紀子の3氏が活動を報告。どこへ行っても「よく来てくれた」「長年モヤモヤした疑問をかかえていたが、ようやくすっきりした」「はじめて遠慮会釈なしに思いの丈を語れた」と熱烈な歓迎を受けたことを報告した。
 富田氏は、原爆展全国キャラバン隊の意義目的が、「戦後59年がたってイラクに自衛隊を派遣するところまできたなかで、アメリカの原爆投下をどう見るか、戦後日本社会をどう見るかという戦後総括の問題意識とかかわって、渦巻く平和擁護の国民世論を喚起していく」「日本全体の平和運動の再建と、平和へのたたかいをすすめていく新鮮な力を結集していく」とのべ、「ともかく堂堂とやって多くの人に見てもらうことがたいせつ。場所探しから展示をはじめるまで、毎日毎日葛藤の連続だった」と話した。
 「準備をはじめると真先に近寄ってきてパネルに見入るのは70代、80代の戦争体験世代の人たちだった。それにつられて幾人かが立ち止まり、人が人を呼んでたちまち人垣ができた。食い入るようにして動かない老人たちが印象的だった」とのべた。被爆体験を語り出す人、地元の空襲での凄惨な体験や、戦中戦後の生活の困難や歴史を語る人など、かつての痛恨の体験がくり返されることへの激しい怒りや憂慮、心の底にたたんできたほんとうの思いがぶつけられていったことを強調した。
 また高校生や大学生、20代の青年たちや若い婦人たちの反応も報告。「こんな悲惨なことはどうしてもくいとめたい。アメリカの占領下で勇気を持って被爆者の心を世界に発信したことをはじめて知った。真実を見る目を持ちたい」といって協力者になった専門学校生、「軽軽しくイラク派兵反対を叫ぶ人たちに違和感を覚える。戦前も千人針や武運長久を祈願して兵士を送ったけれど、国民は侵略戦争を支持していたのではないと思う。自衛隊の家族も同じではないか。戦争体験者の人たちの話をじっくり聞きたいし、同世代とも語りあいたい」と協力を申し出た大学生など、積極的な反応を紹介した。
 福島氏は、とりくむ過程は毎日毎日が葛藤で、“少しでも矛盾のない方へ”というへっぴり腰な思考が働いて、人の少ない場所へと足をむけたがること、「警察や駅が撤去をいいわたしに来るのではないか」とまんなかではなくて端の方に行きたがる思いとの斗争だったと率直に出していた。
 2月の出発まえに小倉で経験者から街頭原爆展の特訓を受け、小集団的な姿勢との違いを感じたこと、「原爆展をなにはばかることなくやることは思想斗争だったが、大衆を信頼するというのが要だった。パネルの内容が大衆の思いであったし、そこを信頼するとなにも怖いものはなくなって、堂堂と原爆展をやることができた。京都駅では駅前で開催して30分で撤去をいいわたされたが、あんまり堂堂とやってガードマンがてっきり許可をもらっていると思ってしまうくらいだった。結局撤去となったが、30分は黒山の人だかりだった。」と語った。
 「人民に奉仕して活動しはじめると身体も元気になる。“ブロックを運べば肩こりが治る”と強がりをいうくらい元気にやっている。“かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂”という吉田松陰の気持ちを持っていればどこでもやれる。この行動が絶対に日本を揺り動かすことを思って、人民に奉仕する思想で純化させて、最後までやりとげたい」と力強く決意を述べた。
 
  長崎でも怒りが渦巻く
 第2班からは長崎県、熊本県での経験が報告された。
 長崎市を担当した松友洋子氏は、初日におこなった中央橋は地元の人が多く、パネルを見るなりケロイドを見せていく人や、どこで被爆したのだとか体験を語っていく被爆者がたくさんいたことを報告。「広島との違いとして印象に残ったのが、長崎はいろいろ体験を語られるけれど、表に怒りが現れない。親族が被爆者という60代婦人もイラク戦争について“あまり大きな声ではいえないのだけど、わたしは9・11のテロを見たときにバチが当たったと思いました。いつかバチが当たるとずっと思ってきた”といわれた。それを聞いて原爆を投げつけられたことに怒りがあるが、それを語ることがはばかられる重しを感じた。全国から来た観光客が原爆投下者への怒りを率直に語っていくのと比べて、長崎ですごい体験をしながら、まだ語れない、怒りとして表に出せない人たちが多いとを思った」と話した。
 そして、今年秋には長崎市で大型原爆展を開催するようにしたいとのべ、今後の市内各所での街頭原爆展が大原爆展につながっていくこと、「長崎の人人に見てもらって、思いをしっかり学び、重しをとり払うように奮斗したい」と決意をのべた。
 熊本市に行った平野照美氏は、下通商店街で原爆展をやると、熊本空襲の経験がある人たちや、長崎から引き揚げてきた人たち、疎開していた人たちが多く、年配者がいろんな体験を語って行ったこと、若い世代が高い関心を持ってパネルに見入っていたとのべた。そして、原爆展パネルを見終えた人たちからはイラク戦争にたいする憤りが語られ、「熊本空襲でも庶民が狙われたが、アメリカがイラクでやっているのは同じことだ!」という意見や、昭和20年代にプレスコード解禁後に少し原爆展がやられた程度で、熊本でははじめてといっていいくらいみんなが原爆投下についてふれたことがないことを聞かされた。「第一班と協力して全国に広げていきたい」と意気ごみを語った。
 1、2班の1カ月の行動で、パネル冊子206冊、峠三吉詩集94冊が普及され、街頭カンパがあわせて13万5608円が集約されたことも報告された。

 被爆者も熱い期待 各界から激励の言葉
 キャラバン隊の経験が報告されたのち、会場からは壮行の言葉がつづいた。
 下関原爆被害者の会の伊東秀夫副会長は、「いまの報告を聞いてすっかり感動した。多くの人人の怒りとか切実な願いを改めて感じた。だからこそこの原爆展の持つ意義はとても大きいと思う。今後1年間つづけていかれるということは、まさに現在小泉政府がアメリカの侵略と戦争の片棒を担いで突き進もうとするなかで、多くの人人の平和の願いを結集する場になると思う。下関原爆被害者の会もみなさんの報告を聞いたらとても励まされる」とのべた。
 同会の山田侑子副会長も、「わたしも長崎なので長崎がとっても懐かしく感じた。今度は長崎で大大的に原爆展がやられるというので、わたしも友だちみんなに声をかけようと思う。たくさんみんなの輪をつくっていきたい」と、期待を寄せた。
 原水禁山口地区実行委員会の安村直行氏は、山口市でイラク派遣撤回を求める署名を全市民を対象にして進めていることにふれ、地域はそれぞれ違うけれど、全国の広範な人人のなかに戦争への怒り、平和への思いが渦巻いている。それを束ねていく全国キャラバンの意義は大きい。わたしたちは小集団の片隅運動をやめて、もっとどまんなかで全市民、全労働者を対象に奮斗してがんばっていきたい」とのべた。
 その後、原水禁岩国地区実行委員会の森脇政保氏から寄せられた激励のメッセージが紹介された。
 小中高生平和教室代表の今田一恵氏は、「原爆展が下関の地から出発して広島を動かし、いま全国にうって出るところにきた。反米愛国のたたかいを求めている人人に、たたかいの火を届けて結んでいくスケールの大きい活動になると思う。キャラバン隊運動の成功が、人民運動の発展にとってどれほど大きなものかと思う。そして、福田正義顕彰運動がここと結びつけば、運動の新しい転換を勝ちとっていける」といった。市内や県内の教師のなかからも「キャラバンに参加したい」という積極的な声が聞かれること、街頭原爆展に参加して教師自身が時代の大きなうねりをつかんで、日本の教育を変えていく姿勢に立っていくことができるとのべた。
 青年の杉田潤氏は「この運動は若い新しい力を結集していくことにもつながっていくだろうし、日本の展望を示す行動になると思う。青年はみんなの体験を受けついでがんばっていく」とのべた。
 小中高生平和教室の小林さつきさんは、第22回平和教室で被爆者から話を聞き、戦争に反対する思いを強くしたと語った。そして平和教室の仲間をもっともっと広げてがんばりたいと決意をのべた。
 長周新聞社の森谷浩章編集長は、「いま長周新聞社の読者のなかで反響が大きいのが、全国キャラバンと福田記念館。“やる気だなっ!”“やってくれ!”という期待と喜びが語られている。いまの情勢のなかで小泉は一つもいうことを聞かないし、どんどん戦争に突っ走っていくが、それ以上にだらしがないのがいわゆる革新勢力というもので、運動としての声が出てこない。しかし大衆的にはすごく充満している。
 原爆展を成功させる広島の会・代表世話人の重力さんが“広島原爆展を成功させて広島の面目を一新した”といっておられたが、今年呉の原爆展でも“軍港の呉で平和運動の様相を一変させた”とあいさつされていた。この状況のなかで勝てるのが50年8・6路線であるし、大衆のたたかう力を確信して学んで、その基本要求として本物の敵と真向から遠慮会釈なしにやっていくことだ。片隅ではなくて駅のどまんなかで原爆展をやるし、日本のどまんなかで厚かましくやりまくるのがいま重要ではないか。日本の平和運動全体を建て直すために、“いまこそやるんだ!”という気迫がいる。この行動が1年たってみて、歴史にのこる大行動になるように、長周新聞社としても記念館と連動して奮斗したい」と激励した。
 最後に第2班のメンバーから谷村律弘氏が「はじめて行く場所ばかりで緊張しますが、多くの人人の期待に応えていきたい。全国の人人にパネルを届け、戦後日本社会をどう見るのか、原爆投下をどう見るのか論議を全国に広げていく責任を感じる。一生懸命がんばります」と、激励にたいする決意をのべ、さめやらぬ余韻のなかで壮行会を終えた。

  第一班は関東二班は九州へ
 今後、第1班は9日から名古屋市を皮切りにして3月は愛知県、静岡県、三重県、岐阜県の各所で街頭原爆展をやって回り、4、5月には東京を拠点として関東一円、6月から7月にかけて東北、北海道地方に東進していく計画。第2班は九州地方を中心に中国・四国地方を担当して、1年間の街頭原爆展へ本格的に乗り出す。

トップページへ戻る