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全国で圧倒的な共感広げる
座談会 原爆展キャラバンの特徴論議
            大衆代表した平和勢力に期待 2004年4月10日付
 出席者
  富田浩史   劇団はぐるま座        福島久嘉  劇団はぐるま座
  福原真紀子  劇団はぐるま座        松友洋子  下関原爆展事務局
  平野照美   原水禁全国実行委員会   谷村律弘  原水禁山口地区実行委員会
  高野 毅    長周新聞社          司会   本紙編集部          

 長周新聞社が後援する原爆展全国キャラバン隊が2月上旬に結成されて、2カ月で九州地方や東海地方、近畿地方、中国地方の39カ所で精力的に街頭原爆展を開催してきた。原爆と峠三吉の詩パネル冊子はのべ779冊が普及され、キャラバン行動を全国へ展開していくことへの期待として48万2688円のカンパが寄せられた。今回、この2カ月間のキャラバン行動を担ってきた第1班、第2班のメンバーに集まってもらい、この間の活動を総括する座談会を持った。全国各地の人人の受けとめはどうだったか、現在の情勢のなかで共通してどんな世論が動いているのかを明らかにするとともに、とくに平和運動をめぐってどんな路線が対立しているのか、どういう立場、態度、路線でいくことが真に力のある平和擁護の力を結集できるかが論議となった。

 空襲重ね共通の怒り 中国・近畿・東海等での展示
 司会 まずはじめに各班の概況報告からお願いします。
 富田 劇団はぐるま座が主体に編成した第1班では、2月に岡山県から行動を開始して大阪府、京都府、兵庫県、愛知県、静岡県、三重県、岐阜県と東へすすんでいった。それにつれて、「広島・長崎の原爆というのはこんなにひどかったのか」とか、「原爆投下の目的をはじめて知って驚いた」とか、衝撃の声が日増しに強くなっていった。戦争体験者はとりわけ、広島、長崎の惨状とあわせて各地の空襲の経験だとか、これまで語ってこなかったみずからの凄惨な戦争体験を思い起こして語った。日本がイラクに自衛隊を派遣するところまできて、「なんとかしないといけない」という思いがあふれていたし、そこでパネルにふれて、これまで語られなかった重圧を払いのけて「やっぱり語らなければいけない」「アメリカは謝罪するべきだ」となっていくことが共通していた。
 東海地方は軍需工場が多かったこともあると思うが、浜松市などは米軍から艦砲射撃までやられていた。聞いてみると空襲はどこでも東京空襲と同じやり方だった。静岡でも「はじめにまわりから雨のように油をザーザーまいて、そこから爆弾や焼夷弾を落としていったから、アッという間に火の海になって殺された」と話されていた。そして、そのうえに機銃掃射までやっていた。
 豊川でも「20分間で2700人が殺された」といっていた。ほとんどが女学生とか動員学徒だった。ボコボコ爆弾を落として逃げ惑うなかを機銃掃射で狙い撃ちにして殺していったという。そういう考えられないような残虐なことがやられていたんだというのが表面に出てきた。それがいまでも世界で戦争をふっかけて人殺ししているアメリカへの怒りとして出てくるし、アメリカにくっついていく日本という国について国民世論が大きく動いていることを感じた。そういう力を引き出すパネルの力を感じた。
  
 油まき爆弾を投下 熊本・佐賀・宮崎でも
 平野 原水禁全国実行委員会を主体に編成された2班は九州を担当した。1班と同じようにどこでも人人が密集する地域はアメリカから空襲を受けていた。その残虐なやり方がパネルを見ながら語られた。こちらでも、油をまいて爆弾を落として逃げられないようにして、さらに狙い撃ちにして殺していったといわれた。熊本では熊本城を除いて人人が密集する地域が朝方にやられ、「このパネルと同じように血だらけだった、アメリカが憎い」と語られた。佐賀県ではそんなに大きな空襲ではないが、県庁を除いて住宅の集まる場所が夜中にやられたといわれた。宮崎にも行ったが同じだった。行く先先でパネルを見た人から、兄弟を殺されたとか、両親を失ったことが語られた。われわれも、アメリカが日本中くまなく火の海にして老若男女を殺りくしていったことを知っていった。
 佐賀では商店街を少しぬけるところで雛祭りがやられていた。1年で一番人が多い日だった。「日ごろは人が2、3人しかとおらないくらいさびれている」と商店街の人はいっていた。郊外に横文字の大きい大型店が進出して以後さびれてしまったといわれ、中小零細商店のなぎ倒しがアメリカに乗っとられていくなかで進行していることについて、現在の問題として怒っていた。商店街の人たちはゆっくりは見る時間はないのだけど、商売の合間にやってきてカンパを入れていったり、このパネルにたいする支持や共感を寄せて、行動を支持していた。
 また原爆展では、「アメリカに謝罪を求めるアピール署名」というのをパネルにはっているから、じっくり見るまえから「署名はどこだ」といってくる人たちがいた。「原爆のようなものを投げつけられているのに、どうして日本がアメリカについていかないといけないのか」といういたたまれない思いが出されていた。「アメリカというのは武器でもって乗りこんで、キリストでごまかして支配していくんだ。日本人の魂を捨てたらいけない」という男性がいた。アメリカがイラクでいまやっている戦争にたいする怒りと、それに日本が利用されていることにたいする怒りだった。
   
 表面には出ない長崎 既存の運動に強い批判
 松友 長崎と佐世保で合計5日間。大分にも行った。長崎では、広島と比べて原爆投下者への怒りがストレートに出てこないのを感じた。被爆者の思いは表面になかなか出てこず、すごく抑圧されている感じだった。全国から訪れている観光客の衝撃的な反響との違いが大きかった。地元の人は涙を流したり、「わたしも被爆者です」とか「被災者です」という言葉でいわれるが、なかなか思いを語られない。何回か街頭原爆展を重ねてきて、「長崎はほんとうにひどかったんだ」「骨がないくらいひどかった」といったことが少しずつ語られてきた。そして「中央橋でやっていましたよね」など声をかけられはじめた。はじめは何者だろうかというのもあったのかもしれないが、ずっとつづけていくのが重要だと思った。
 一番はじめに行ったときに、「自分は原爆にはあっていないが、母親が親せきを捜しに市内に入って被爆した」という女性が、自分の兄がニューギニアで死んだことなどいろいろ話しているうちに、イラクの戦争についてどう思うか聞くと、9・11のテロについて「こんなことは大きな声でいえないけれど、アメリカはあんなことしていつかバチがあたると思っていた」といわれた。原爆投下者であるアメリカにたいする怒りや思いがすごくあるが、抑圧されていることを感じた。
 また、長崎での既存の運動にたいする批判的な意見も出される。ものすごい剣幕で「こういう運動は嫌いだ」という被爆者の男性は、「アメリカが悪い悪いといってもつまらん。戦争というのは原因があるんだ。根源をはっきりさせないで、やれ平和だとかいっているのは嫌いだ」といっていた。しかしイラク戦争などいまアメリカがやっていることに話がおよぶと、「わしは個人的にはアメリカに恨みがあるんだ」という。自分の母親と姉が原爆で殺され、家ごと吹き飛んで骨もなかったことを話していた。
 長崎にあるこれまでの運動の弊害というのを感じた。広島と長崎はなぜ違うのか、「祈りの長崎といわれることにすごく腹立たしい思いがする」とか、「長崎は三菱造船があるから反対といえないのだ」とか、「長崎の人たちはこれを見てどんな反応ですか。みんなどんなふうに反応しますか。長崎の人は冷めている。わたしもずっとおかしいと思っているのだけど、外から来られてどう思われるか」といわれた。広島との違いがある。
 それと若い人たちがほとんどパネルを見ていかないのが特徴で、中・高校生や20代の青年たちが流し目にしてとおり過ぎていく。大分県も似たような感じだった。比較するとパネルを見ているのは年配者が多い。いままでの東京でやったときのような、若い人たちが涙涙で見ていたような反応とは違った。
 このまえは峠三吉の「原子雲の下より」の序文を2000枚配ったが結構よく受けとられた。いまから長崎は峠の内容や50年8・6でたたかわれていった内容を宣伝していって反応をつかんでいくことが重要だと思う。これまでそういう行動はなかっただけに。
   
 米国の謝罪を要求 広島の展示全国から青年参観
 高野 広島には若い人が全国から訪れているのが特徴だ。去年あたりから自衛隊が出るか出ないか緊張するなかで、切実な思いや怒りが渦巻いていた。石川県から来た若い高校教師が、「自分たちはアウシュヴィッツとかばかりやっていたけど、日本でこんなことがあったことすら知らなかった。知らされていないんですね」といっていた。青森の大学教官は「日本がアメリカの核の傘のもとでやられすぎたんじゃないか。結局戦前は大本営で戦争動員してやっていったが、戦後は大本営はつぶれたがペンタゴンになっただけじゃないか。このままいけば日本はつぶれるのではないか。国をどうするのか考えていくのが必要だ」といっていた。
 先週元安川河畔で原爆展をやったときは地元の被爆者たちが多かった。反応で見るとアメリカに謝罪を求めるという訴えへの共鳴が、今年さらに広がっている。禁・協など既存の運動体が、被爆者手帳取得をあっせんして票取りに利用したり、さまざまに被爆者を利用することへの嫌悪感、純粋に原爆の事実を語りついでいくことが重要だと語りあわれている。
 富田 東海地方で「原爆投下の目的」などのパネルを見ていて語られるのは、駅が空襲で狙われなかったことだ。めちゃくちゃに空襲をやって、生きている人間を見つけたら撃ちまくってみな殺しにしたアメリカが、名古屋市でも一宮市でも駅だけは狙わなかった。「空襲のときも名鉄と国鉄は動いていた」といっていた。機銃掃射をやるときに白い歯を見せて笑っていた連中が、駅だけ残していったのを思い起こしていた。
 岐阜でも岐阜駅から長良川にかけての一番密集した商店街が空襲でやられたと聞いたが、長良川ぞいの老舗旅館だけはやられなかったという。そして進駐軍がやってきて将校クラブに使った。古くから鵜飼いなどでにぎわった老舗旅館にペンキを塗りたくったり、便所を洋式に変えたりしたといっていた。自分たちの受けてきた屈辱がなんだったのかということがありありとよみがえるし、その意味がいまのイラク戦争とダブらせて怒りになっていた。
 谷村 佐世保でも、人が住んでいるところはまわりから燃やして爆弾を落としていったが、米軍がその後乗りこんだ造船所には2発しか落とさなかったといっていた。「あとで使うためだったんだ」と。ほかの人に「造船所には2発しか落とさなかったんですね」というと、「いやそんなに落としていないよ」といわれた。やっぱり共通しているなと思う。
 福島 若い人の反応でみると、大学生は原爆投下について立ち止まって見る人が多かった。「これだけ見るとまったく印象が違う」と大きな衝撃を受けて真実を知る。そして、アメリカの占領下で峠三吉らが原爆の犯罪性を真向から暴露した詩を書いたこと、第1回の平和大会が米軍占領の弾圧下でたたかわれたことへの共感があった。占領下で原爆投下を絶対に許さない姿勢で広島の人たちを代表してたたかっていったことに、とりわけ若い世代が現代と重ねて共感を寄せていた。生き方とあわせて考えようとする。
 福原 礒永秀雄のコーナーにある学徒出陣の写真を見て、愛知県では小牧基地から自衛隊が出ていくのとダブらせて、「今度はぼくたちが行くんじゃないかと思って見た」と大学生がいっていた。礒永の詩にたいする共感も多かった。「安保」斗争に話がおよぶと、かつてたたかった60代、70代の世代からは、「いまこそこういう斗争がいるんだ。若い人に受けついでもらいたい」と教えられた。
   
 米国支配の突破が要 広島と長崎の相違点はなにか
 編集部 何年間か広島でやってきて、今度長崎でやってみた。広島と長崎の違いを感じたわけだがそれを掘り下げてみたらどうか。市民のなかの雰囲気からして、共通しているものと違うものはなにか。
 谷村 長崎では「わたしも被爆者よ」とはいうが、パネルを見ないで行ってしまう人が多かった。「もう知っている」とか、若い人たちは「怖い」といって避けてとおり過ぎていく。それに比べて米軍がいる佐世保ではかなり先鋭な意見が出されていた。「補償も日本政府に求めていくのではなくて、アメリカ政府に要求しないといけない」とか、「長崎の原爆資料館は小頭症の赤ちゃんのホルマリン漬けをのけてしまったり、近年は戦争をやれといわんばかりの展示になってきている」と被爆者の人がいわれていた。
 松友 長崎の場合は怒りというより、ものすごく悲惨でつらい、悲しくて見ておられないという印象が強かった。「峠の詩はきつい」という意見をいう人がいた。アピール署名についてもアメリカに謝罪を要求するという内容にたいして、「あっ、それはむりですよ。謝罪なんてむりですよ」というように、あきらめがあって、「とてもそんなことできるわけがない」という感じがあった。
 編集部 両方の市民のなかの空気というもので、広島では峠三吉のパネルで原爆展をやると、「いいことをやってくれた」「語れる場ができた」といってかき立てられるように体験を語りはじめる。つい惨状だけでなく、子どもの詩や峠の詩を見て、このまま死なれないという思いや反米の怒りが表面に出てくる。パネルを見る長崎市民の、原爆投下の目的のところへの反応はどうか。
 松友 終盤までじっくり見ても感想として思いが出てこない。なにか違うものが自分のなかにはあるという感じだ。惨状については語られるが、礒永とか原爆投下の目的にはあまり反応がないというのが多かった。1950年のたたかいに論議がすすまない。九州は全般的にそういう特徴があるようだ。いろんなところでは、「落とす必要がなかった」という部分にふれる人が多いが、印象に残ったところが苦しみの部分が多い。
 編集部 長崎では本島市長がいた。天皇の戦争責任発言で有名になったが、同時に加害者論のチャンピオン的人物だ。クリスチャンで、バチカンに何回も行くような親米の人物だ。何年まえか、広島の平和グループに呼ばれて広島に来たときに、「広島よおごるなかれ」という講演をやって峠を名指しで批判していた。「広島は軍都でみんな万歳といって送り出した加害責任があるではないか、だから原爆を投げつけられたのはしょうがないのだ」と、それを文句ばかりいう峠三吉はけしからんとやっていた。本島市長時代の長崎市教委は平和教育禁止。原爆遺跡もバンバン壊していった。
 これは同じクリスチャンでGHQにかかえられて「召されて妻は天国へ」と、あきらめと慰めをふりまいていた永井隆からつながる一つの流れだ。長崎を見る場合、永井隆から本島元市長につながる流れの問題が大きな重圧をつくっている。
 松友 そういう意見が出てくる。「日本が悪いことをしたから落とされたんだ」という構図。恨むのならアメリカではなく天皇を恨めというのが本島発言の内容だった。天皇には文句をいうがアメリカにはいわない。アメリカのおかげで多くのものの命が助かったようにごまかしている。
 編集部 GHQの政策が長崎では成功した! という内容がここにある。現在でもまだ尾を引いている。長崎ではGHQの影響力が突破されないままできている。広島の場合、市民のなかでの峠の権威、峠への親近感はすごい。つまり、一九五〇年のあの時期の運動にみんなの心の原点がある。「原子雲の下より」の原爆詩の運動とか、原爆の子の像の大衆的な運動とかがあるが、「あの当時が広島市民の運動だった」という思いがある。「その後の禁や協の運動は全部だめだ」ということと、その当時の運動は別のものとしてすごい権威が生きている。
 長崎では米軍占領下を突き破ったたたかいがない。あの時期で見れば永井隆がいて、天皇のおかげで原爆が落とされた、無謀な戦争をやったからこらしめられたんだと、こらしめてくれたのはアメリカで、あれだけ死んだのはかわいそうだが、そのかわり多くのものが助かった。「召されて妻は天国へ」というわけだが、原爆を投下したアメリカは神様というわけで、殺された人は無謀な軍部から数百万の生命を救った殉教者なのだ、というものだ。アメリカはいまでも原爆投下について、何百万人の命を救った英雄行為だといっている。それがずっと流れている。長崎は、そのキリストの欺まん的な流れがあり、対米従属の強い三菱がいる。長崎ではアメリカの原爆投下の目的がじゅうぶん暴露されていない。
 松友 実態として広島は斗争で突破した。しかし長崎は突破していないから歴史的な課題だ。たんにパネルを持っていったら同じようにワイワイなるという単純な話ではないと思う。しかし原爆展をやってみて、みんなが共感する。中央橋と浜市の繁華街は一番どまんなかだ。そこで原爆展をやらせてくれるというのは、その基盤があるということだ。GHQ占領からつながる影響と、一方で反発とがすごくぶつかっているのだと思う。長崎市内でも最近では平和教育もやられるようになって、高校生の署名運動とか、爆心地あたりの被爆建物の保存運動とかが起きている。そういう歴史をたいせつにするんだと。
 編集部 以前、長崎に核兵器搭載の米艦が入港したことがあったが、慰霊碑に花輪を献花したとき、被爆者の会が怒って花を踏みつけたことがあった。ああいうものが底流にはある。昨年八月にテレビでも、被爆者がアメリカが憎いというのをやっていた。市長発言もアメリカ批判が入りはじめた。そういう基盤があるし、もう一方では抑圧がじゅうぶんとり払われていない。
 4〜5年まえ広島に入りはじめたころの広島市民の反響は、「おまえたちは禁か協か」とどこへ行っても怒鳴られていた。長崎はそのときより楽ではないか。的を定めて原爆投下の目的を暴露し、この抑圧をはぎとっていけば長崎の被爆市民の声も表面に出てくる。この間の行動で波紋は広げている。長崎にもういちだん立ち入った問題意識で市民世論と切り結んでいくことが重要だ。全国的にもそのへんは接点ではないか。
 平野 50年8・6斗争路線と原爆投下にたいする認識、そこからつながる戦後日本と現代をどうとらえるか。そしてアメリカの戦後日本支配とたたかってきた力はなにかということだ。長崎に支配的なGHQ型が禁・協とも野合して原爆投下の犯罪性をかくし、戦後支配の軸になってきた。そこを突き破りながら原爆展は発展している。
 
 求められる反米愛国 存在感ない「日共」、社民
 編集部 そのへんの全国状況はどうだろうか。かなり「日共」修正主義潮流が幅を利かせてきたところなどはどうだろうか。大阪、京都、名古屋などは。
 富田 ほとんどそういった勢力の存在感がなかった。岐阜でやったときに30代の女性が、「アメリカに謝罪を」というのを見て「なんですか、これは。いまの時期にアメリカに謝罪をというべきではない。日本は本気でアジアに謝っていないでしょう」といってきた。だから「まずパネルを見てください」といって見てもらった。その人がいいたかったことは要するに、「共産党も社会党も本気で政府とたたかっていない。ほんとうに日本がかつての戦争を反省するのなら、アメリカといっしょにくっついて戦争するべきではない」ということだった。パネルを見て「やっぱりアメリカに謝罪を求めるのが筋だ」と態度をガラっと変えた。修正主義や社会党がインチキだということへの批判だったと思う。そして「わたしはこんな署名をやったことがなかった。これだったらやらしてもらう」といって署名簿を持って帰った。
 浜松と豊橋ではパネルから離れない子どもが多かった。小学校を卒業して中学生になる子どもたちが来る。豊橋は30万、浜松は人口は70万だが、一番パネル冊子が普及されたのは豊橋だった。「おじいちゃん、おばあちゃんが悪いことをしたから原爆を落とされた」というような戦後民主主義型の平和教育を受けていないのではないかなと感じた。目をまん丸くして質問してくる。
 松友 大分が子どもの反応が悪かった。大分は行くまえから社会党で裏切った村山元首相がおり、100%教組だからどうかなと感じていた。案の定だった。
 福島 体験者から出ていたのは「こういう展示は絶対に必要だ。しかしこの惨状のなかからここまで日本を復興したのも日本国民なんだということを知ってもらいたい」という。「若い者は“年寄りは戦争をやった愚か者だ”という人もいるが、そんなものではない」という。「いまの若者は礼節がない、信義がない、重用の序がない」「新憲法九条はいいが、その実態がないじゃないか」という。「多くの国民に見せてほしい。ここから新しいものが生まれる」という期待が、あった。
 編集部 アメリカ感謝の流れに対置して求められているのは反米愛国だ。1950年斗争路線、礒永路線にふれて解放されている。原爆展の場では「はじめて語った」とか「本音が語れる」という。反米愛国の路線がその場を支配しているからだ。各地で空襲の経験が多く語られているのも特徴だ。あまり出版もされておらず、公に語られずに埋もれてきたということだ。原爆も風呂屋では話されるが外に出れば語られなかったが、空襲も同じだったということだ。
 沖縄の少女暴行事件のときに連合婦人会が「鬼畜米兵」といったら、それは軍国主義用語だという空気が流れた。原爆や空襲の体験は、逃げられないようにして殺していったとか、ニタニタして撃ち殺していったというような、アメリカのやり口の残虐さだ。「いまのイラクの比ではない」、そういうことを「いまこそいわないといけないのだ」となっている。これが日本人民の圧倒的な思いだということが証明できた。
  
 大衆を代表し堂堂と 小集団克服し全国で平和の力結集
 編集部 街頭原爆展がやられてきたが、どこでもできた。人が多いところほどできる。みんなが支持する。妨害するものはだれもいない。古ぼけた活動家が信じられないという表情で見ている。力関係を正確に見てみないといけない。
 福島 とてもできまいと考えていたのが全部できた。最初のころはわからず、やるなかで自信もついた。
 平野 現地の活動家の案内でパネル展示をやることがあるが、一個の共通性がある。許可をもらった公園でパネルを広げたが人がいない。「人がいる場所に行こう」というと「あそこは交番があってすぐに出てきます」という。現場でも「全部は立てられんよ」というが、全部立てたくさんの人が見ていった。若い人たちもすごく見る。それで活動家がびっくりする。終わってから話をすると「ビックリした。ここではとてもできないと思っていた。ここだからできるのだろうか」というから、「いや全国どこでもできるんだ」と話になった。
 谷村 キャラバン隊で原爆展をやって回るのに比べたら見ている人は少ないのだけど、「たくさんの人が見ている」と活動家がいわれるのでビックリした。原爆展を人が一番少ないところでやっている。
 福原 1班の行動でも、地元活動家のおすすめスポットに行ったが人がほとんどとおらないところだったりした。すごく人が来るということでやったが、すごく人が来ないので、最終的には「撤去!」ということになり、人のいる場所に移動した。
 編集部 片隅でこそこそやるようでは平和の力にならない。原爆展は圧倒的に支持されるし、大衆が支持を寄せている。見に来ている人もこのように堂堂とやっている平和運動に魅力を感じているし、激励されている。人が多いところは敵も多いだろうが、敵が少ないところを選んだら人も少ない。大衆がいないところを選んでいるのでは、なにをしにいったかわからない。このあたりを理性化してどんな平和運動をやっていくのか鮮明にすることが重要ではないか。
 平野 大衆は毎日でもやってほしいと願っている。しかし主体の側にはじめからできないという認識がある。
 編集部 情勢観がぜんぜん違う。こそこそしているくせに、文句いわれたらけんかだけはするというのもある。別にけんかしなくてもいいし、堂堂とやったらいい。全国キャラバンは全部許可をとって回るわけにはいかない。「しばらくやらせてくれ」とか折り合いのつくところでやらしてもらったらいい。ほとんどのところが協力してくれる。いまは大企業のサラリーマンにしてもすごく共鳴する内容だと思う。アメリカにやられっぱなしで、官僚や大企業のサラリーマンが多い東京の日比谷公園でもあれだけの関心だ。金融機関でも外資に乗っとられていくなかで、原爆となると心が動くのは当然だ。
 富田 名古屋・三越の前でやったときに露天商風の人がうろうろしていて、その人が署名してカンパしていった。つぎに三越に行ったときにその人が露天を開いていた。ぼくらがかれの場所を占拠していたわけだけど、そのときも「どうぞ」といって気持ちよく譲ってくれた。豊橋駅でやったとき、警備員が青い顔で来て「あんた許可をとったのか」と管理室に呼ばれた。しかしパネルのまわりは黒山の人だかりだった。これを見た管理者が「これはいいことだな、イラクでも戦争をやっているしいいことだよ、きょうだけはいいですよ」となった。
 松友 大分でも長崎でも商店街の人がいいに来た。商店街の人が「先月もやられていましたね、組合員から意見が出ているんです」という。届け出もないのにイベントをやっているということで。そして「出したものを撤去しろとはいえないし…」といって、「どうぞ」となった。
 編集部 小集団の側の独善的なことをいって嫌われるのか、大多数の人人の要求を代表して売国反動派とたたかうのか立場の問題だ。50年8・6がそうだ。それが態度にあらわれる。原爆展パネルは五〇年路線を体現したものだ。その思想を体現した工作者の姿勢、思想があらわれる。同じパネルでも小集団主義者がやれば人は寄りつかない。大衆の利益を代表すること、大衆の敵を真正面から暴露することの統一だ。
 松友 全国キャラバンで北海道まで行くのだという行動が共感を受けている。いまの時期にそういう行動を全国的にやっていく元気な平和運動勢力への期待だ。この運動が体現する路線、立場、思想を鮮明にしていけば、斬新な平和勢力を結集できると思う。そしたらもっと成果も上がるし意識的な活動者も出てくるだろうし、50年当時のたたかいへ接近できると思う。
 編集部 戦後の流れは自分の損得、自己充足、自己主張がたいていの流れで、そういう潮流が寂しい気分になっている。そうではなくて全大衆の利益を代表していく。人民に奉仕する思想で、大衆の敵とは真正面から遠慮会釈なしにたたかう。大衆にたいする態度が決定的だ。大衆には信頼してあたるし、当局の場所規制屋さんも信頼してあたると協力してもらえるわけだ。戦後民主主義の自分中心派や組合主義は自分のとこの組合員の利益だけしか考えない。自分の組合のために他の組合や他の階級人民の利益を踏みにじるというのが組合主義だ。自分の損得のために人を犠牲にするのが嫌われるのは当然だ。
 松友 経済主義というとき自分の経済利益を優先して人の経済利益を踏みにじる。理屈ばっかりいうものも自己主張ばっかりやって、唯我独尊で相手にされない。それらすべてがアメリカ個人主義だ。戦後アメリカによって解放されたという意識だ。
 編集部 この行動を元気で1年間やりとおしたらすごく大きな影響を与えるだろう。とくに分かれ目はパネルを使ってこういう全国キャラバンをやる路線、思想、立場だ。それで新しい運動を起こしていくことだ。また各地域の共通性と違いがある。その地域の階級構成もある。長崎と広島。大分、佐賀との違い。西日本と東日本の違いなど、歴史的な経過を持っている。戦争、空襲の経験、戦後の経験、どんな政治勢力が影響しあって、いまはどうなっているのか、どのように思っているのか、現状を歴史的社会的にとらえて、より深いところでかかわっていくことが必要だ。
 富田 1班は今週末から第3次の行動で関東に出かける。
 松友 2班は九州で残る鹿児島、福岡県内の各都市、そして四国へすすみたい。
 司会 当面8月の広島原爆展と8・6広島集会にむけて、新鮮な平和擁護運動を結集するために、確信を持って奮斗しましょう。

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