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  『原爆展物語』舞台化始まる
劇団はぐるま座
              高い意気込みで集団創造   2009年10月5日付

 【はぐるま座通信】 新作『峠三吉・原爆展物語』の来春3月初演をめざして舞台化の準備が始まった。年内に舞台美術、音楽効果などを完成させ、年明けに演技面の集中稽古をおこなう計画で各ジャンルでのプラン化が開始されている。これまでに全体論議と2回のプラン会議をおこない、『動けば雷電の如く』のなかで打ち立てられた集団創造を基本として劇団内外の論議を活発化し、描くべきテーマ、舞台イメージを鮮明にしていこうとしている。
 福岡県で『雷電』の普及活動に携わっている音楽集団のメンバーはとりくみの一環として太宰府と筑紫野でおこなった『原爆と戦争展』で寄せられたアンケートを紹介。「皇国史観こそ最大の問題。これに切り込んだ展示会には感服した。いまだに先の大戦の最大の責任は誰にあったかが語られないのは残念。本当に責任を問われるのは天皇自身であると思う」
(無記名)
 「アメリカが憎い! 虫けらのように殺されて―そのアメリカに経済も安保も頼って生きていかざるを得ない日本。いつか真の独立国の日本になってアメリカに仕返ししたい! 日本よ立ち直れ! 1人1人が自覚して頑張ろう!」(五八歳)など、ほとばしるように記されている。また、失業中の労働者がパネルを見て「今日しか手持ちのお金がないからすぐ冊子がほしい」と連絡してきたことなど反響を紹介した。
 「深刻な戦争体験をくぐった人たちが時代を憂い、現代の世直しと独立を求めて原爆と戦争展に共感し、『雷電』に共感している」「全国のいうにいわれぬ切実な思いで暮らしてきた人人が新作の主人公であり、舞台に登場してくる。新作が人人にとって切実なテーマとして待ち望まれていることを実感している」と感動をこめて語った。
 劇団本部で地元中学生の職場体験指導をおこなった衣裳担当者は、『原爆と戦争展』全国キャラバン隊活動を紹介し、キャラバン実習として展示をおこない、峠三吉の「序」の群読と『原子雲の下より』の子どもの詩の朗読をそれぞれしたことを報告。「8人の子どもたちが身じろぎもせずパネルに見入り、びっくりするほど真剣な感想を書いて交流した。蚊の鳴くような声しか出せなかった子たちが2日間でみるみる大きな声で堂堂と発表するように変わった。子どもたちはすごい力をもっているし、それを引き出したパネルの力はすごい」と生き生きと語った。
 『峠三吉・原爆展物語』は峠三吉の詩をベースにした原爆展運動が1999年下関から始まり、広島、長崎、沖縄、全国に広がり、10年間で多くの被爆者、戦争体験者が主人公として立ち上がり、日本社会の様相を変えてきた現実の歩みと、なぜそのようなことができたのか、それを導いたものは何だったのかを描いている。
 9月30日には団内で読み合わせと内容論議をおこない、『雷電』の普及活動とあわせて、新作で描かれているテーマが深められた。
 
 描くべきテーマ深める
 舞台は峠の原爆展が初めて広島で開催されることになった2001年の広島から始まる。チラシを持って1軒1軒市民のところを訪ねた原爆展スタッフは、「おまえたちは禁か協か、出て行け」と怒鳴られる。「自分たちは一生懸命やっているのにとムッとなるのでなく、なぜそういっているのか、広島の被爆市民の声をよく聞き、市民の立場に立って考え、その願いに応えるために1つ1つ障害を取り除いて乗り越えていく立場、思想が劇団活動の転換にも不可欠だ」と論議された。
 『雷電』の普及に携わっているメンバーからは、「1軒1軒訪ねて意見を聞いていく組織の活動が原爆展運動であり、普及スタイルもこのようになってきて大転換になってきた」「このスタイルの活動がこれほど喜ばれるとは思っていなかったが、新作の台本通りにやればもっと大衆に応えられる」など口口に語られた。
 鹿児島事務所のメンバーは、鹿児島公演の中心を担った天文館協議会の男性が、公演後「雷電はみんなが主人公でみんなが頑張ったという舞台で自分たちのとりくみもピッタリだと思ったが、劇団がそこを束ねていった。自分たちが本当に見本にすべきは劇団活動の方だった」と語ったことに触れ、鹿児島公演の反響、総括とあわせて発言。
 今回の鹿児島公演は、「普及路線が長い間自分の思いだけを語り、“自己誇示”や“自己主張”で大衆不在という傾向が強くあるところからの大衆観の改造だった。演技も自己表現で“はぐるま型英雄像”だった。『雷電』の過程で演技も普及も大衆のなかから大衆のなかへの実践に転換してきたし、それが大衆にすごく歓迎された。基準をもっと鮮明にさせて、大衆との関係を強めていくことが直接新作を準備する力になる。リアリズムは実際を動かしていく演劇だ」と確信を語った。
 広島事務所のメンバーは「大衆が組織の力を切望しているというのを強く感じている。劇団も組織の力で1つ1つ勝利してきた。原爆展を支えている人たちに学ぶのが雷電公演だったし、新作をつくるうえでも重要なポイントだった。私心なく大衆のために動く勢力に絶大なる信頼があるということ」「劇団がだれのために活動するのかが一致してきた。大衆に対して、路線に対して責任を負う活動。組織で奮斗すること。大衆になにが喜ばれ、なにが嫌われるのかがわかるようになってきたし、大衆の求めているものと、普及路線が合致してきたという実感がある」と話された。
 また、「創造者1人1人がここで描かれている思想を自らのものにしていく努力を重ねなければ描けない」「舞台は舞台、それとは別に自分の世界があるというのではすぐ嘘だと見抜かれてしまう。本音と建前ではなく真実を描くために挑んでいこう」と話し合われた。
 ポスター、舞台装置、衣裳、音楽のメインテーマなど各担当者が、それぞれのイメージを絵や曲にしたプランも持ち寄り、原爆、全国空襲、戦地、全国に広がる原爆展など現実に起こった事実を鮮明に届けるための写真のスライド、迅速な舞台転換を保障していく道具幕のイメージ、その2つを融合させるための幕の工夫など活発に論議された。
 厳寒の満州の吹雪の戦場や熱帯のジャングルの臨場感をどう出すのか、戦中戦後の苦難を乗り越えてきた日本人民の誇り高い歩みをテーマ音楽に塗り込めたいと、全体が高い意気込みで創造に挑んでいる。
 今月中に広島、長崎、山口県下の人たちとの台本の感想交流会をおこない、被爆者や戦争体験者の思想・感情、雰囲気や物言いなども含めて真実を舞台で描いていくための役づくりを追求する。また、舞台装置の製作に着手し、音楽の骨格づくりなども具体的に展開しつつ、年内には装置、衣裳、音楽などすべての準備を完成させ、来年早早に集中稽古、2月には公開稽古をおこなっていく計画である。今を生きる多くの人たちの生活実感のところからテーマを深め、大衆に学び大衆とともにの路線で舞台を仕上げていきたい。

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