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原爆展運動を現代劇に
はぐるま座創作集団座談会
               戦争と戦後社会の真実描く     2008年7月18日付

 劇団はぐるま座は、長い間はびこったブルジョア演劇路線への追随を改め、人民劇団として再出発する声明を発表すると同時に、『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』を創作した。そして下関で初演をやり、現在山口県内公演をつづけ、非常に大きな反響を呼んでいる。はぐるま座は、この劇につづいて、下関からはじまった「原爆と峠三吉の詩」原爆展の運動を題材にして、平和と独立をテーマとした新作劇の創作にかかろうとしている。はぐるま座は、広島・長崎の原爆展はもちろん、全国キャラバン隊としてこの原爆と戦争展の運動を直接に担い、今年の長崎原爆展にも参加している。これらの体験をもとにして、劇団創作集団による新作の創作をめざす座談会を持った。

 使命感で燃えて行動へ 衝撃的な反響を呼ぶ原爆展
 司会 明治維新を描いた、『動けば雷電の如く』が大反響となっているが、長崎「原爆と戦争展」、広島原爆展キャラバン活動でも、大衆世論の大きな高揚をあらわした。この原爆展運動を現代劇として描ききったら、さらに大きな力になる。下関からはじまって広島、長崎を動かし、沖縄戦、空襲戦地体験をはじめ戦争全体での日本人民の体験をもとにさまざまな欺瞞を取っ払って、目から鱗が落ちるが如く大世論が動きはじめている。被爆、戦争体験者が積極的な行動をはじめ、若い層も動きはじめている。
 このような日本人民の実際の姿に即して、第2次大戦の真実、戦後の社会の基本構造、そして根底に流れてきた人民の本当の世論、それを先頭に立って導いていく勢力の役割、資質などが鮮明に描かれたら、非常に大きな力になると思う。まず、今年大きく発展している長崎や広島の原爆展の特徴から描いてみたい。
  3年前はまだ「祈りの長崎」という抑圧が覆うなかで、街頭パネル展示でも顔を伏せていく人や、さっと通り過ぎる人が多かった。それがこの3年、4回の原爆展の運動の発展のなかで、市民みずからが立ち上がって使命感に燃え、命のかぎり語り継ぐという思いで行動するようになった。
 パネルを通して、第2次大戦の本質と、現在のアメリカによる軍事支配のなかで、ここまで日本社会が破壊された原因をつかみ、日本を滅亡させるのではなく、根本的に変えていくというギリギリした使命感で燃えている。単に昔のことを語るのではなく、今の世の中を自分たちの手で変えていくし、変えていっているという迫力に満ちていて、その迫力が若い世代の心を無条件にうっている。
  長崎市内での街頭キャラバンに駆けつけた被爆婦人たちは、「もう家で寝ているときではない」といって3時間も4時間も帽子もかぶらずに炎天下で一緒に原爆展チラシをまいてくれた。その思いや行動力は私たちの想像を超えていた。
 道行く人だれでも声をかけて、肩を叩き、同じ兄弟というふうに、見知らぬ人でも信頼して体験を語る。横断歩道も渡って、向こう側までチラシを持って行く。まったく動揺がないし、その献身性は大きな衝撃だった。今まで語ってこなかった体験をほとばしるように語り、まだ表に出ていないが行動を起こしていきたいと願っている人人を代表してやっている。この人たちが「何のために原爆が投下されたのか」が明らかになると、ものすごい力を発揮するということを強烈に感じた。
 若い人たちも、「どうしてこんな社会になったのか」原因をつかみたいという欲求を持って意識的に会場に来ている。高校生たちが2時間近くの戦争体験者の話を微動だ
にせずに聞く姿勢がとても新鮮だった。

 国民的な運動を強く求める
  広島の平和公園でもパネルに吸い付けられるように人が集まり、朝の早くから黒山の人だかりになっている。それも圧倒的に若い世代だ。この1年の激動が、人人の意識を変えている。なぜこんな社会になったのか、理論的にも知りたいという要求が強い。
  全国から来る人たちは話の中身が多面的で、世界的な視野に立って話す。多民族国家構想についても、日本がズタズタにされたうえに他民族がどんどん入ってくればアメリカ並みになるぞ、という。看護師さんは、「民間施設ではフィリピン人が入ってくるが、言葉が通じないから心のケアもできない。心が通じ合わないとできない仕事なのだから成り立たない」といっていた。日本をこれからどうするのかという課題を持ってパネルを見ているからすごく問題意識が具体的だし、展望を求めている。
  「1銭5厘の赤紙で引っ張られた」というパネルを見て、若い人が「職場でも“お前らの代わりはいくらでもいるんだ”といういい方で、今も労働者をこき使って無茶をやらせ、その結果には責任をとらないという体質は戦争の時から変わっていない」と重ねていた。
 潤滑油を運搬している運転手が、「石油は高騰して小売りはバタバタ倒れているのに、元売り大手はビクともしていない」といっていた。「弱肉強食の社会で、階級社会だ」という29歳の事務員さんが「金持ちだけ生き残って、その他は人と思っていない。なにかやれることはないかと探していた」という。特攻隊で生き残った人は、周囲から「なんでお前だけ生き残ったのか」といわれながら生きてきたが、行かせた上の方はアメリカに守ってもらって自己保身していることにふるえるような怒りを語っていた。
  「マッカーサーに大和魂が骨抜きにされた」という青森から来た法人団体会長も、「青森も沖縄並みの貧乏県になり、若者が出ていってUターンもしない。どうにもならないといって核燃施設などをつくる羽目になっている。このままおいていたら大変なことになる」といい、「国民は一生懸命がんばったが、原水禁や原水協の人たちはそれをアメリカの側に立ってバカにしている。そうではない国民的な運動をしないといけない」と被爆体験を聞く取り組みをやろうといっていた。

 鋭さ増す問題意識 荒廃した原因は何か・社会の現状重ね
 編集部 現状の社会に対する問題意識が非常に鋭くなっている。このままの社会ではどうにもならない、なぜそうなっているのか、その根源を知りたいという関心が強い。それが第2次大戦がどんな戦争だったかにふれて、「そうだったのか。わかった」となっている。自分たちの現在の状況について、歴史的に社会的に見て、大きな認識の飛躍となっている。
  アメリカによって言論統制されて、だまされてきた、今もそうだと語っていく。原因が見えなければ無力感になるが、見えれば「わかった」と明るくなっていく。
  パネルを見る前と後では顔つきが変わるほど大きく変化している。天皇の問題や三菱が無傷だったというパネルに共通して釘付けになる。原爆問題ではじまったパネルだが、戦争全般への関心につながっているし、それが今の社会全体の変革の意識となってあらわれている。
  長崎の学生が、「これまでいろんな戦争問題とか環境問題とかやってきたが、そんな小手先のことをやってもどうにもならない。展望を失って無気力になっていたが、ここに来て元気になった。根本的なことをやらないといけない」といい、体験者や無名の人人のなかに真実があると感動していた。すごく道を求めている。小学校の教師も子どもたちに被爆者の話を聞かせたいと、教育者としての必死さが、体験者の命がけの思いと響き合う。
  若い母親たちも、原爆と戦争展に連れてくれば子どもなりにつかむのではないかという願いをもってくる。「学校では戦争について習ったことがない」「教科書でキノコ雲の写真を見たくらいだ」という親たちが多く、教育問題として「これからどうやって子どもを育てるか」という不安ももちつつ、一生懸命方向を模索している。
  年配者からは、戦前も「国のために」とだまして親兄弟を殺されたが、いまも後期高齢者医療制度で「早く死ね」という扱いに怒りがどこでも語られた。長崎での原爆展は4回目だが、「いまだからこそやらねばならない」という気迫が強く、宣伝もあっという間に市民の中で広がった。会場で若い人が即座に協力者になっていくなど、昨年と比べても行動意欲は様変わりしている。それも個個バラバラの自己主張ではなく団結を求めているし、パネルの方向で被爆者も戦争体験者も力をあわせる。そして参観者に「ともに運動を広げよう」と呼びかけている。社会を変えようという意欲が切実で、それが双方に響き合っている。

 広島と長崎も結束 分断や祈りの虚構突き破る・ほとばしる本音
  いままで歴史的に広島と断ち切られていた長崎でなにもないところからつくってきた運動がここまで発展したというのは歴史的に偉大なことではないか。
 編集部 50年代に広島で運動が切り開かれるとき、広島から合流を呼びかけるが長崎は参加しなかった。長崎はアメリカ占領軍の政策がかなり成功していたといわれていた。それ以降、広島と長崎は別別の道を歩んだ。広島もその後、原水禁運動はずいぶん破壊されて、運動側から加害者論などが振りまかれ、市民を抑えつける状況になっていた。
 そうしたなか、下関で峠三吉の原爆展パネルがつくられた。8年前に広島では旧日銀広島支店で峠三吉の原爆展がはじまって、広島市民の中に流れていた力が表面にあらわれた。この峠の原爆展が長崎で開催され、広島と長崎が60年ぶりに合流したことになる。これは非常に歴史的なことだし、広島、長崎から日本社会が変わるという程の内容があると思う。
  長崎では、「私たちは祈りの長崎などと1度も思ったことがない」という意見がかなりあった。寺も多く、長崎はカトリックばかりという印象は虚構だった。
 編集部 3年前には本紙号外で「祈りの教会は少数派」「沈黙を破る長崎の怒り」とやると、市民から「そうだ!」と大喜びされた。メディアや修学旅行のコースでつくられたイメージとは大違いだ。
  「祈り」どころか長崎は激しい。原爆展会場にアメリカ人のモルモン教徒が集団できて「アメリカが悪いのではない」と説教していたが被爆者のおばあちゃんたちがつかつかといって、「アメリカが原爆を落とさなければ私たちはこんな人生をおくっていない」「アメリカは謝るべきだ」とすごい迫力でしかりつけていた。
 編集部 長崎は水産の町だ。反中国政策をやっていた国とたたかい、日中民間漁業協定を結んで、以西漁業を守り、長崎の町をつくってきた。祈りばかりしてきた人人ではない。「祈り」のチャンピオンである本島元市長が、96年に広島にいって「広島よ、おごるなかれ」と峠三吉を名指しで攻撃する講演をやった。その長崎に峠三吉を持ち込んだら、長崎市民は圧倒的に歓迎したわけだ。「おごるなかれ」という勢力は影も形もなかった。本島氏は長崎では「原爆を平和教育に使ってはならない」とやったり、「汚れ政治」の評判もあるような過去の人だがそれを「平和運動のカリスマ」のように扱う全国の革新勢力はなにをやっているのかという関係だ。
  被爆体験を絵に描いてきた被爆者は、若い人を絵の前に連れて行き、「担架に乗せられているのが私で、あとはみんな真っ黒焦げで死んでいた」と説明する。必死で涙をこらえているが、そのときの語り口や目つきはすごい迫力だ。戦後は被爆したことで差別されて結婚も何度も断られ、自殺しようとしたことも繰り返し話している。そして、手を合わせて「聞いてくれてありがとう」といわれる。すごく謙虚だから、怒りの深さが切切と伝わってくる。こういう人たちが主人公だ。
  60年間、いかに長崎市民が語る場がなかったのかということだ。これまで表面では、「祈り」「赦す」「仕方がなかった」というのが「尊いもの」であるかのように扱われ、市民の本音はそれぞれの胸の中で押し殺されていた。だから峠のパネルを見たときに発動されるものは底深いし激しい。その婦人も被爆そのものの悲惨さもあるが、戦後、被爆者がいかに片隅に追いやられてきたか、原爆によって戦後の生活や将来がどれだけ破壊されてきたかという怒りが強烈にある。ずっとしゃべらせない力が働いてきたが、それが取っ払われて一気に発動された。
  峠への感動は新鮮だった。長崎では峠三吉についてどんな人物かは知らされていない。だが、パネルを前にしたときに男性の被爆者がボロボロと男泣きをしながらアンケートを書き、「言葉にならない」と泣きながら帰っていったり、「峠さんの詩はいいですね」と心からいっていく人が多かった。いうにいえない怒りや悲しみに立脚して、深く学んで典型化していく詩の力はすごいものがあった。リアリズム芸術の力だ。また、大村も佐世保も空襲でやられ、原爆を落とした後にも、機銃掃射や爆撃でやられたことへの怒りもあった。アメリカの残虐さについてはもっといってくれ! と激しくいう人もいた。
  米軍は原爆投下の予告ビラを落としたといって人道主義を装っているが、長崎では原爆投下の数日後にそのビラが撒かれたという。広島に原爆が落とされたことすら市民には知らされなかったのに、自分の行為を正当化するアリバイのために撒いたのだといっていた。
  原爆症で丸坊主になって母親から頭に墨をぬってもらって学校に行っていたという婦人が、米兵に写真を撮られて乞食のような自分の姿を見せものにされ、展示会など聞くのもいやだったといっていたが、パネルをすべて見て「なんとしてもいっていかないといけない」と向こうから語りかけてきて賛同人になった。
 3年前から関わっている男性の被爆者は、肉親を全員原爆で奪われ、12歳で母親の下の世話までやらざるを得なかったという心境を何度も話されるが、話す対象が違えばそのたびに涙を流して語る。中学生に、「じいさんになってこれほど涙を流すような人間をもうつくってはいけない」といわれていたが、私たちには発想できない言葉だと思った。その人自身、原爆展運動に参加するなかで顔つきが明るくなり、若返ったように溌剌として堂堂としている。この3年間の運動の発展が体現されていると思った。
  呉での「原爆と戦争展」でも、男性被爆者が「私は83歳だが、10年後は生きているか分からない。私には毎日が8月6日なんだ」と1日中立ちっぱなしで案内をしている。別の被爆者も、修道大学などで20人くらいの学生が「ともに行動しましょう」と応えてくれたことがなにものにも代え難い喜びだと毎日会場で体験を語る。そういう営みが現状を変えていくパワーをもって勢いよく進んでいる。それを激励するものをつくらないといけない。
  長崎「原爆と戦争展」そのものがドラマだった。桜馬場中の生徒たちが入り口に入るまでは騒いでいたのが、被爆者が話しだすとものすごく集中して聞いていた。先生たちにも新しい教育の道筋を与えたのではないかと思う。戦地体験者も被爆者と共通の思いで結びついたという喜びは大きい。長崎の元海軍の男性は、今年は原爆で家族4人を殺された奥さんを連れてきて共に体験を語る。他の被爆者とも共通の仲間という絆がある。
 編集部 原爆や戦争をくぐった日本人民の中にたたかう力がある。戦争終結のためには原爆を投下する必要はなかった、原爆や空襲、戦地での虐殺行為は、アメリカが単独で日本を占領し、侵略するためだった、という真実を明らかにすると、人民大衆の実体験にもとづく本当の声がほとばしるようにあらわれる。それが戦後63年たった日本社会の無惨な荒廃ぶりと重なって、平和と独立、よりよい社会への変革の意欲となって一気に行動になっている。広島で以前「広島の人間がほんとうのことを語りはじめたら日本は変わる」といっていたが、まさにそうなりはじめた。
  日中戦争であれだけ犠牲が出ているということも意識的に隠されてきた。戦地に行った人は知っているが、戦後世代はねじ曲がった歴史観が教えられている。遺族たちも、自分の父や兄たちがそんなふうに亡くなっていたのかということに衝撃を受けている。
  戦時中に1銭5厘の赤紙1枚で人間が買われていくのと、馬が800円もしたというのに中学生がショックを受けていた。それは自分たちの境遇の実感と重なる。
  20代、30代はいまの雇用情勢などが反映して、その過酷さが実感としてわかる。高度成長を経験した50代も、ひところは原爆展を見向きもしなかったが、この世代が動いているのも新しい現象だ。退職してもその先は暗い。子どもはロストジェネレーション(就職氷河期世代)だし、だまされたという世代でもある。
  広島では、外資系携帯会社の50代男性が来て、「国内シェアを維持するために全国各地を転転とさせられ、何カ月単位で転勤を繰り返す生活をしている。広島に来た以上はなにか新しいものに触れたいと思ってきた」と語っていた。岐阜県からきた父親たちも、1カ月の短期雇用で次から次に必死で新しい職を探さないといけないとか、季節雇用も短くて生活が不安定だと話していた。まるで一家離散状態で家族が成り立たないし、自分の事だけを考えていたら生きていけない。みんなの共通問題、社会的な問題として解決しなければならないというのはみんな共通している。個人努力で、自分だけいい大学出て、いい会社に勤めてという幻想が崩壊している。それがパネルと実感がすごくあう。「みんなが貧乏になって戦争になっていった」「また貧乏になって戦争になっていく」というのがぴったり合う。
 編集部 労働者の置かれている実態というのが戦時中とものすごく似てきている。細切れに現象を見るだけではなく、第2次大戦からつなげて歴史的社会的に見るからすごく認識が高まる。戦後社会は第2次大戦によってつくられたものであって、この基本矛盾は変わっていない。それが発展してここまで腐った社会になっている。これを変えるには第2次大戦でできあがった社会の基本的な矛盾を解決しなければならない。
  原爆展で、被爆者のところからはじまって沖縄戦、戦地、空襲とつながり、第2次大戦全体が描かれて、それが現代とつながってものすごいパワーが出てきている。
  体験者にすれば、もう何年もしたら自分たちはいなくなるし、何らかの形で世の中に貢献しなければならないという思いが「本当の事を語らねば」となっている。そういう場を、どんどんつくってそういう人たちが活躍していけば日本は変わる。
  こういうパネルを教科書にすれば、日本の教育は変わるし、世の中変わるという被爆2世もいた。これを連続ドラマにしてテレビで放映してくれという人もいた。
  戦地体験者もこれまで「戦争加害者だ」と悪者にされ、「この悪いじいちゃん、ばあちゃんのために原爆が投げつけられた」といわれ、抑圧もものすごく強かった。この戦地体験者の思いも激しい。通常ならアメリカが占領してきたら反乱が起こるが、日本は武装解除を一目散にやらせ、日本の支配層がそれを手伝っている。戦場で餓死させたり、焼き払ったのもアメリカが占領しやすくするためだし、日本の支配層が自分の地位を守るためにわざとやらせたとなる。それが小泉などの姿やいまの社会の現状とだぶる。
  なぜ日本政府がここまでアメリカに頭が上がらないのかと思っていたが、「国民はアメリカに殺されたのに、上層部は助けてもらった関係なのか」と納得していく。

 社会の変革を求める参観者
  どうしたらこの社会を変えられるかということ、をみんなが求めている。パネルを見ていたら、だんだんその話ができるという信頼関係になる。人人が求めているものと展示パネルが合致しているからだ。『雷電』の作品の内容と原爆展は同じだと思った。なにが、今一番必要なのか、展示して世に訴えて、行動によって変えていく。その原動力は市民1人1人の中にあるし、その人人が主人公になって社会を変えていくという確かな手応えを初めて感じた。
 編集部 パネルはリアリズムでつくられている。人民の体験を全局的な第2次大戦の性質に対する認識に立って、取捨選択して配置している。真実を見えなくさせる欺瞞をとっぱらって明らかにする。これは、すべて日本人民の体験にもとづいているから威力をもつ。
  米軍兵士も来て、「日米関係の歴史的な事実がここにはのべられている」と感想を書いたり、外国人までメモをしながら真剣に見ている。
 大衆はたたかう力を本来持っているのだから、欺瞞を取り払えば、どんどん行動していく。それには、その思想を体現して人民のために奮斗する新鮮な政治勢力の役割が必要だ。そういう透明な政治勢力ができれば人人を大きく団結させ、日本を変える力を結集できる。それを劇で描くならばすごい力になる。
  それは、はぐるま座がこれまでなぜ作品をつくれなかったかという問題と密接に絡んでいる。簡単にいえば、ウソとごまかしの支配に対してたたかわず、ウソを真実と思いこんでいたから作品はできなかったということだ。本当に私心なくすべてをかけてこれまで世の中に尽くして、自分の利益ではなく地域のため、人のために戦後社会を生きてきた人たちだから、今の我さえよければいいというアメリカ的なものの考え方に対する怒りはものすごく強い。
  私利私欲や党利党略、小集団の利益という既存勢力は受けつけられない。大衆とともにという私心のない勢力だ。つまり、峠に代表される広島で突破した1950年8・6路線だ。人民の手助けをして真の敵を明らかにして、共犯者などの欺瞞をとっぱらい、みんなを団結させていく、そのように人民に奉仕する勢力の姿を描けば、非常に歓迎される。
  広島では被爆死兵士の慰霊碑がほとんどないなど、意図的に語らせない雰囲気がつくられてきた。戦後生まれの息子たちも「父親たちはバカだから戦争に行ったのだ」と決めつけて、アメリカ民主主義万歳だからよけいに語らなかった。そういう人を現出させるのはこの運動だ。
  アメリカの日本支配というのは、アメリカ単独ではできない。天皇以下の支配機構全体が戦後アメリカの代理人になった。その「だまし」の上に成り立っている。これが崩壊したら成り立たない。天皇などは明治維新も裏切り、戦後も裏切ったのだ。
  『雷電』公演の感想のなかでも、年配者が「戦前の教育では教えてもらわなかった本当のことをいってくれた」という。明治維新では、天皇よりも山口県民の方が偉かったということは事実だし、だれも文句をいわない。
  原油高騰に対する漁民の全国ストは、国際連帯斗争であるし、海運やトラックなども一気に政治斗争に発展する機運だ。日本の産業がつぶれ、日本人の食料がなくなるというのに、政府は社会をつぶす側だ。パソコンをいじって投機マネーでボロもうけする連中のための政府だ。これを変えなければ社会は大変なことになるし、巨大な政治斗争になる様相だ。それに応える劇がいる。

 大衆が歴史動かす 抑圧取り払い・手助けをする側へ
  目先の経済利益だけではなく、この社会の出発点となった第2次大戦はどんな戦争だったか、その後のアメリカの単独占領と戦後社会はいったいどんな社会だったか。ここにある欺瞞を取っ払ってよりよい社会をつくるためにどうするかという問題意識だ。それを束ねて指導し、大衆を援助していく指導勢力の姿を描き出せば、世の中を変える芝居になる。たたかう力は大衆のなかにあり、その力に立脚して代表していく。その大衆観の転換が中心だ。
  『雷電』公演では必ず今日の社会体制をどう変えるかという論議になっていく。郡部でも「農村の惨たんたる状況を見てみろ。日本の食料生産はどうするのか」という怒りがある。そこに明治維新ではこのようにやったではないかということがものすごい激励になる。たんなる芝居に対する感動ではなく、現実に対する感動だ。
  芝居を見た漁師も「表面だけで底潮を見ないと漁もできない。わしらはいつも底潮を見て漁をやってきた」、「大衆のパワーこそ底潮だ」といっていた。
  明治維新でたたかったことは山口県民のなかでは、誇りとして代代語り継がれているが、世間にはあらわれていないというのは、原爆と同じだ。それが芝居になって舞台に上がると大きな世論を形成する。
  奇兵隊兵士や白石正一郎の功績なども、明治以後は裏切られて世間からは認められていない。それを取り払っていけば発動される。それは原爆展と同じで、表面に出ずに抑圧されたもの、そこにある誇りを典型化するのがリアリズムだ。そうすれば、この誇りをもっと知らせたいとなる。頭の中で操作した話ではなく、もともと大衆のなかに存在しているものだ。
 編集部 人民が歴史を発展させる主人公であるから、それを導く勢力は人民に奉仕する思想でなければいけない。その活動は、大衆の生活と斗争に学び、それを正しい社会の発展観に立って総合し、高めて返すという、大衆のなかから大衆のなかへということだ。つまりリアリズムだ。一人よがりの自己主張というものでは話にならない。
  大衆にないものを高みに立って教え込むというのが指導だと思ってきたがそうではない。歴史を動かすのは人民だし、その手助けをする役割だ。明治維新も遅れた農民たちが、どうしても食えないから立ち上がったと見ていた。それが根本的な違いだ。

 現実の中に斗う力 典型化する立場を鮮明に・未来を開く側に
 編集部 はぐるま座でいえば、創造は大衆の現実を典型化するものだ。その作品を大衆に普及し、観劇してもらって、芝居で大衆の意識を高め、世の中を変えていく。そのような大衆の点検を受けて作品を不断に発展させていく。創造と普及は大衆のなかから大衆のなかへということで統一している。
  人が演劇を見に行くのは、生身の人間が生きた感情をともなって演じてくれるという魅力があるからだ。そこに音楽、美術があり、真実を追求する真剣さが観客との精神的な響き合いをつくり出す。演劇は観客と一緒につくる総合芸術であり、それが映画のように形としては残らないが、観客の心の中に残っていく。だから一瞬一瞬が勝負だし、常に新鮮なものでなければいけない。
  原爆展にくる被爆者たちも毎回新鮮な怒りをもってやっている。その全人生をかけて命がけでやっていくという姿が若い人たちの胸を打っている。明治維新で独立を守って世直しを成し遂げたことへの誇りと同じように、原爆や戦争で苦しい目にあったがそれに負けずに戦後社会を生きてきたという誇りがある。それが原爆展などで前面に出てきて、みずから行動する中で「現実を変えていける」という確信になっている。
  大衆は、「被害者で暗い」というものではなく、「わしらが国をつくってきたし、これからもつくっていく」というものだ。未来を代表する側だ。いかにいじめられたかを自慢するものとはまったく違う。いじめに負けず、いかにたたかってきたかの側だ。
  被爆者たちもそれを若者に伝えたいのだ。長崎の被爆婦人は「自殺を何度も考えたが、必死で看病してくれた母親のことを考えて、それを乗り越えて生きてきた。そのように強く生きてくれ」と子どもたちにいう。戦争体験者も、「海軍では樫の棒でしこたま叩かれてきたが、それに負けない強い精神力を持て」という。ひがみ同盟では敗北するし、そんなものは大衆には響かない。人民は未来志向だ。
  『雷電』の芝居も未来志向で見ている。「あのように先祖がやったのだ」というのが現在の自分たちの生活の糧になる。生命を守る側から、生命を開く側へだ。明治維新の奇兵隊士たちは、食っていけないからしかたなくではなく、新しい四民平等の世の中をつくるなら命はいらないと未来を代表している。現代で労働者は「1銭5厘」で好きにされたのと同じような、まさに賃金奴隷状態にある。しかし同時に、この人人が生産を担い、社会を発展させている。資本家と違って私有財産はなく、人の役に立つものを生産している。生産は共同労働であり、そのなかで培われた公正無私、組織性、忍耐性、犠牲的精神などは新しい社会をつくる力だ。現実のなかの、その力を描かなければならない。
 編集部 労働者をはじめ人民の生活は、共同労働を基本としてみんなが協力することで成り立っているし、それは人をだまして自分だけ金儲けするのとは訳が違う。その資本主義社会はひどいところまできているが、この生産の社会化が次の社会の原動力だ。農業も漁業もつぶれるような社会は末期もいいところだし、人間まで破壊されている。表面では資本主義がつぶれているが、人民のなかでは発展的な力が充満している。その矛盾が激化しているから明治維新がビンビン響くし、さらに現在の矛盾を解決する力を描いていけばものすごい力になる。今や社会の真実、芸術らしい芸術を描けるのはプロレタリア芸術だけだ。
  医学部の学生のなかでも、「社会の役に立とうと思って医師の道を志したが、政府は医療費を削減し、年寄りを切り捨てることしか考えていない。リハビリなど資格をとっても生かすことができない。目の前で年寄りが苦しんでいるのにどうすることもできない」と矛盾を抱えて、発展方向を求めて戦争体験者の話を真剣に学んでいた。社会発展のために努力していることがことごとくつぶされることへの怒りは世代をこえている。
  教育分野でも、「社会のために」というものが破壊される。労働の喜びというのは社会の役に立つというものだが、その「社会のために」がどんどん破壊されるから働く喜びが奪われる。医者も給料をもらうだけが楽しみではやれない。病気を治して人が元気になる姿が仕事の活力になる。世のため、人のためという思いでやっているし、それを実現できる社会を願っている。労働者も、人に役に立つものをつくっているし、社会構造全体が搾取のためを取り除いて「社会のため」というふうになってほしいとみんな願っている。現実のなかにその力があるし、そこを代表してリアリズムで描けばすごい力になる。
 司会 原爆展の現実を典型化して、それを芝居にしていけば、現実に日本を変えていく力をつくっていける。日本人民の体験に立脚して、第2次大戦と戦後社会の真実を描き、この社会を発展させていく人民の力と、それを手助けして先頭に立って導いていく高杉晋作と奇兵隊のような勢力の姿を描き上げることが切望されている。

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