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広島市民原爆展主催者会議
核廃絶の運動を全世界へ
                  市民の大結集に確信       2005年9月1日付

  広島・長崎・下関が力をあわせ
 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会は8月28日、同月に開催した広島市民原爆展を総括する主催者会議を広島市東区二葉公民館でおこなった。会合には広島の会の被爆者や会員、下関原爆被害者の会の被爆者、下関原爆展事務局をはじめ、広島に学ぶ平和の旅ではじめて体験を語った被爆者や市民原爆展のなかで協力を申し出た被爆者や現役世代など、運動の広がりを反映するように35人が参加した。
 
 熱気に満ちた交流に 35人が参加
 会合にはじめて参加した人も多いなかで市民原爆展の成功を喜び、原爆を投下したアメリカの犯罪への怒りを語りあい、全国、世界でもっと知らせること、日本の若い世代に真実の歴史を継承し、戦争を押しとどめる運動を広島と長崎、下関が力をあわせて精力的にやっていこうと熱気に満ちた交流がくり広げられた。
 冒頭あいさつした広島の会の代表世話人の重力敬三氏は、原爆展の成功を会員のみなさん、賛同協力者の人たちと喜びあいたいとのべ、「60年目で今年は盛り上がったが来年からは風化していくことが心配される。しかし原爆を知らせるには、この峠三吉の原爆展が一番効果があると思う。また来年にむけてやっていこう」と訴えた。
 主催団体である下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長は、「原爆展の成功は広島の会の方方、スタッフの献身的な活動の成果であると思う。話される体験が広島市民の思いを代表したものだった。核廃絶までがんばりたい」とのべた。
 つづいて広島市民原爆展の概況報告がおこなわれ、7日間で5000人が入場、期間中に343人が賛同者となり賛同者総数が557人になったことを報告。「いまの戦争情勢に強い問題意識を持った20代から40代の現役世代、若者の参加がめだった。若い世代は“原爆は戦争終結には必要なかった”“沖縄戦の真実”パネルに釘付けとなり、被爆者の体験を真剣に涙を流しながら聞き、“人生観が変わった”と賛同者に名をつらねている」とのべた。
 交流では原爆展会場で連日体験を語った広島の会の被爆者が口火を切った。74歳の被爆男性は、「60年で人人の関心も高かったが、問題はこれからだ」といい、80歳の被爆婦人も「昨年よりも平和をつなごうとする動きが出てきたように思う。もっと若い70代の人にも広げたい」と語った。
 広島の会の60代婦人は、被爆者が控え室で薬を飲んだり、サロンパスをはる姿を見、「会場ではそのことは一つも見せず、全国から来た若い人人に声をかけ、話される被爆者のがんばりに圧倒された」とのべ、「もっと多くの被爆者に出てきてほしい」と訴えた。
 他の被爆者も「会場に来た学校の先生も、平和教育のむつかしさを語り、“いま話を聞かなかったら、子どもたちに空白の部分が出てしまう。どうしても伝えたい”といっていた。真実を知ってもらうためにいまのうちに語りたい」(80歳男性)と語った。
 可部在住の被爆者は、「口であの悲惨な状況を語ることはできないと思っていた。子どもたちは真剣で涙を流さんばかりの表情で聞いてくれた」と語り、今後語っていく決意をあらわした。別の可部の被爆者も「もう一年早く終戦になっていれば全部の人が助かったはずだった」と絶句。今回はじめて旅で語り参加させてもらい元気をもらっていると話した。
 当時軍人として被爆した87歳の男性は、鉄道の女子寮で下敷きになった女学生らを必死に助けた体験を語り、「原爆でどれだけの人が犠牲になったか普通は戦場整理班が調べるはずだった。しかしアメリカは“原爆は調べたらいけない”といった。助ける一方でどんどん死んだ。広島、長崎で受けただけの原爆をアメリカに落としてやれと思ってきた。長崎で“妻は召されて天国へ”というが、身内を殺されてそんなバカなことはない。広島も長崎も長周新聞のおかげで語れるようになり、ほんとうにありがたい」と語った。

  売国政治も重ね米国に怒り
 下関原爆被害者の会の男性被爆者は、「“アメリカ政府に謝罪を求める”ことを強くいったらいい。アメリカはイラクで戦争し、反米が強まっているが、日本にも広島、長崎があることを知らしめるべきだ。反核運動をもっと派手にやろう」と訴えた。呉の被爆男性も、「いまの政治家はアメリカに媚(こび)を売るものばかりで、戦犯の二世、三世のボンボンばかりだ。広島、長崎から全国に広げて国会にデモで押しかけたらいい」といった。
 長崎原爆展に参加した広島の会の八四歳婦人は、「会場に家系図を持ってきて“三一人が原爆で死んだ”“28人も殺された”と怒りをこめて話される姿に度肝をぬかれ、“祈りの長崎”はうそだったことを感じた」とのべた。また今年の広島でも長いアンケートを書いていたり、浸透してきたことを感じ、「命あるかぎり会場受付などでがんばっていきたい」とのべた。


 市民原爆展会場に二度も足を運び会員になった北広島町在住の30代男性は、「これまで原爆は戦争終結のために必要だと思ってきたが、必要なかったと知り、大勢の人が知らないといけないと思った」と語った。会場で広島と沖縄、長崎の書籍を購入してすぐに読み、「広島も沖縄も長崎も同じ」と衝撃を受け、ふたたび会場を訪れ、書籍を購入し、「まわりの人に読んでもらっている。今後も協力したい」とのべた。
 「60年間、子どもにも孫にも体験を話したことはなかった」という皆実町の婦人被爆者2人は、「子どもが死に母が死に、82歳で体験を話すとは思わなかった。皆実小学校で子どもさんにはじめて話し、よく理解してくれた。平和の旅が3回目でした。元気でおいてもらえる以上、話しつづけていきたい」とのべ、会場からも温かい拍手が送られた。
 廿日市の元高校教師は、「学校で平和教育ができなくなっている。子どもたちが日本とアメリカが戦争したことを知らない。少しでも伝えていきたい。峠三吉さんの詩と写真のパネルが心にしみる内容でよかった」と発言すると、参加した婦人が峠三吉の詩「序」を朗読した。さらに若い世代にどう伝えていくか、今後どのような運動をやっていくかなどに論議は発展した。

  現役世代の運動発展へ熱意
 87歳の男性は、「被爆したものは気持ちは持っているが、原爆展で抑えてきた思いを話せるようになった。アメリカは自分の都合のいいように日本人を悪いようにしている。毒ガスが国際法違反といって戦争をやったが、原爆は何十倍悪か」と悔しさをぶつけた。
 被爆男性は、原爆展会場で体験を語った青年たちから感想文集が届いたことを報告、「子どもたちに話すのとは違い、体験を受けついで行動してくれる思いが書いてあった。若い人たちに語っていきたい」とのべた。
 広島の会の40代男性は、「会計報告も黒字で原爆展が社会的に求められていることを証明した」とのべ、インターネットで市民原爆展を紹介し反響があったこと、「今年は被爆60周年もあるが、現在の戦争ともかかわって若い人が関心を持つ人が多くなっている。ほんとうに戦争を食い止めるためにどうするのかだと思う」と意見を出した。
 今年一年、学校で体験を語る活動をおこなってきた会員からは、「体験を語るとき父兄に話を聞いてもらうようにしたい」(60代婦人)、「江波小学校で10日間パネル展をやったが、最後の2日間は父兄に見てもらい、関心を持ってもらった。体験を話すときはパネル展示をやって聞いてもらうのが一番いい」(74歳男性)など、現役世代にどう語り伝えるかをめぐって活発に意見が出された。
 原爆のとき3年生で坂町で見たという60代婦人は、「父も兄も原爆で半身不随で60年間だれにもいえなかった」とはじめて語れる場に出会った喜びをあらわし、「少しでも平和をつづけるよう今後ともお願いしたい」とのべた。
 広島市民原爆展の会計報告で出た黒字を長崎原爆展に補てんする意見については、「異議なし」の声と大きな拍手で了承され、広島、長崎が団結して今後とも運動をやっていく参加者の思いがあらわされた。
 最後に下関の伊東会長が、下関でも10月に原爆展をやることにふれ、「人人のなかで原爆に関する考え方が変わり、小泉首相やアメリカのやり方への疑問と重ね関心が高まっている。今後も広島と連携して下関でもがんばってやっていきたい」としめくくった。

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