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現代に生命力発揮する礒永詩
高まる没30周年詩祭への期待
              力強く平和の力励ます   2006年9月18日付

 戦後日本人民の魂をうたった詩人・礒永秀雄は、学徒出陣で南方に送られ九死に一生を得て帰還した体験から詩人を志し、多くの詩や童話を書き残した。新しい時代意識に立って、社会と多くの人人に役立つ作品の創造を追求した礒永の作品は、没後30年をへた今日、戦争体験者から次代を担う子どもたちまで、世代をこえて新鮮な深い感動の渦を巻き起こしている。こうしたなかで、礒永秀雄詩祭が平和を願う大衆的な文化芸術祭典として10月8日、海峡メッセ下関で開催されることが各界の人人から歓迎されている。これを機に、礒永秀雄の詩・エッセイ、詩論から、そのいくつかを紹介したい。

 十年目の秋に
近道なら
あなただ
あなたの声だ
あなたの良識だ
あなたの人間としての訴えだ
さらに私たちの良心としてのあなたの登場だ
天皇―
あなたが富士よりも輝かしい方であるなら
あなたは誰憚らず言えるはずだ
あなたが誰よりも日本を愛する方であるなら
あなたはきつとこう言われるはずだ
―私の願う恒久の平和は
 戦争を放棄する固い約
 束の
上に立つています と

かつてあなたの願つた平和は
選んだいくさの火の中で燃え尽きたけれど
あなたがあの夏の日に願い
私たちもともに誓つた平和は
厚いケロイドとともに
胸を離れぬ金輪際崩れてはならぬ
大きな平和だ

私は覚えている
菊の紋章を削り落した銃を異邦人たちが海に捨てた八月
日本の山河に憧れながら
異国の土と消えた復員前の幾多戦友
広島駅頭で泣くようなさようならを言つて立ちつくしていた生き残つた戦友
屈辱と白い髪の霜だけをみやげに
外地から引揚げていた父と母
「殺された友を見殺しにするな」と
壕の内そとで誓い合つていてくれたという学友の便り
しかも久々に見る日本の山河は
切ないほど美しい青さで
私の眼にしみた 胸にこたえた

しかし
私は日本に残つた人々の苦労を知らない
その人たちは生きのびていてくれたから
私は自分たちの苦労を言わない
そうして更に私は不幸にしてあの日のあなたの声を耳にしていない
一億の人々がこうべを垂れ
狂おしい感動の中で聞き入つたという
あのしめやかな声を耳にしてはいない
その日から南の風は草の香をはこび
その夜から虫の音は静かな秋を告げはじめたという
あのあなたの声を耳にしていない

私の耳にあるあなたの声は
部隊長があなたに代つて伝えた
あなたの心にもなかつたという
〈玉砕命令〉
呪いのように耳もとに灼きついている
そのはじめのことば
おわりのことば
〈朕 汝 股肱ノ臣ニ告グ〉
〈チン ナンジ ココウノシンニツグ………〉
私たちは片唾をのんで聞いた
真暗な思いで聞きとどけた
そのおわりのことばを
私は今 あなたにかえす
〈スイサイニオイテ
テキヲヨウゲキシ〉
〈水際ニオイテ
敵ヲ邀撃シ……〉
〈テキヲヨウゲキシ〉
〈スイサイニオイテ……〉
〈ギヨクサイセヨ〉
〈玉砕セヨ!〉
ああ いまわしいその声とはきつとちがう
あなたのほんとうの声を
私は聞きたい
生きた声を にんげんの声を

―私の願う恒久の平和は
 戦争を放棄する固い約束の
上に立つています と
せめてこれだけでもよい言つていただきたい あなたに
あの奢つた選良たちの眠りをさまし
まつとうな人間の世にかえすために
十円紙幣の鎖の中
ユダヤ十字にしばられた
賭博場にもまがうあの建物の奥の
いまだ隅々までその声は 水を打つという席に立 つて
あなたがこうはつきりとおつしやることを
万に一つの夢に 思う
派閥もない私たちと同じように
党派を越えたあなた
平和を願うあなた
そして誰よりも日本人であるはずのあなたに
汚された富士のかなしみをこめ
かえらぬ人々の願いをもこめて
私は希う 私は求める
この声があなたに届くかどうかを
私は知らない
しかし私は知つている
平和の願いが必ずいくさを退けうることを
真実の道を掩う雑草をたんねんに
抜きつづけることが
私たちの永遠の仕事でなければならぬことを
「右 近道」と新しい矢印のある
立札の立つあたり
私は 今
一つの願いを
衣を脱ぎ捨てるように
しかしきちんと畳んだものを
あなたへの悔いない切札として
置いてゆきます
捨ててゆきます
                            (1955年8月22日朝)

             ゲンシュク
ゲンシュクって何ですって聞いたの
襟を正すことだってさ
わかんないからもう一度聞いたの
おごそかなことって答えてくれたけど
ぴんとこないのよ
なんだろうゲンシュクって
天皇様だの神さまだのっての
あんなものに関係あるのかしら
それは人間の状態ですかって聞いたの
私でもなりますかって聞いたの
それあなるさって先生言ったわ
君のウチで一番好きなのは誰かい
それあケンカもするけど兄さんよ
じゃあその兄さんがだね
君のそばでいつのまにかバッタリ倒れたとするよ
なぜ
なぜだかわからないが倒れて起きぬ時
君はケラケラ笑えるかい
なんぼ私だってすぐ介抱するわよ
その介抱もむなしく亡くなるんだ
いやあね そんなの
そしてその時兄さんがいうんだ
兄さんみたいに何にもしないで死ぬんじゃないよ
しあわせに暮らすんだよって
シュンとするなあ
その時君はどう思うだろう
なぜ死んだのだろう たった一人のお兄さんが
いいわ 仕方がないことだもの
だけど約束するわよ
きっと兄さんの死をむだにしませんって
いやにシュンとして考えこんじゃうんだなあ
それだよってその時先生が言ったわ
ゲンシュクって一つの死を前にして何かを心に誓う状態だって
この世の中ってあんまりゲンシュクでないのね
                                  (1960年1月1日)


             虎
暗い暮らしの谷を這い
腹ばいながらこの草かげまで来た
月ばかりが冷たく明るく
夜風ばかりがやさしいという時
俺は吼えることを忘れ
つつましくとかげや蛙を食って
飢えをしのいで来た
俺はさらに地べたを這い
かけられた罠をかぎ分けながら
水を求めて歩きだすと
遠くの籔のざわめくのを聞いた
あちら そしてこちら
俺とおんなじ疲れた虎が
獲物を待ってひそんでいるのだ
その低いうめきを聞くと
俺はむしょうに腹が立って来た
あいつらも俺と同じように
まだ死なぬまだ死なぬと思いながら
しだいに見さかいのつかぬ
人食い虎に変貌していくのだ
疲れがおのれを罠に追いこみ
狩人たちのかっこうの餌になるのだ
俺はぞっと身ぶるいする
俺は飢えの果てでめざめる
俺はいきなり草むらを躍り出
こうべをあげて吼える
起きろ 虎
吼えろ 虎
人を食い家畜を襲う
あのうらぶれた虎になるな
俺たちの腕の一撃
俺たちの牙の力は
獅子を打ち倒すために備えられた
俺たちの歯は強く
噛みつけば奴の力によって
奴がもがけばもがくほど
奴の首をねじる
俺たちは虎
俺たちの祖先は
龍が天に昇るのさえ阻んだというではないか
俺たちは虎
しかり まさしく俺たちは虎
友よ
君のその黒い縞も
黄色い皮にあてられた焼ごての跡ではなかったか
白い天の とてつもない白い天が
焼きつけた屈辱の印ではなかったか
                               (1962年1月1日)

              こがらしの中で
こがらしの中で鳴っているのは
洗われた心の琴 張りのある弦
寒さと冷たさの中で引き緊ってくる
太鼓の胴 太鼓の皮 そしてふぐり

こがらしの中でいなないているのは
ぐっすり眠った悍馬 そのめざめの一声
槍ぶすまのように迫る黎明の静けさの底で
天へ吐く息 動く耳 ふるうたてがみ

こがらしの中で吹き落ちていくのは
夜の幻想 昨日の星 古い兜
こがらしの中で蘇ってくるのは
死者たちの叱咤 怠惰への鞭

こがらしの中へ駆け出していくのは
夜明けを待ちきれぬ少年と 悍馬
こがらしの中で眠っているのは
自称革命の戦士たち
                                   (1964年1月1日)

 
          一かつぎの水

                  ー浩然さんにかわってー
まだ肌寒い春の夜明けに
井戸水を汲む音がする
水桶にそそぐ音がする
客のわたしは主人(あるじ)にたずねる
――誰です 朝早くから水汲みに来たのは?
――馬新さんです いや今朝はその息子さん
――馬新さん? おお 馬新さん!

わたしは彼を知っている
十七年前この村で
農業合作社を組織した時
わたしたちは話し合った
――身よりのいなくなった韓爺さんの
  毎日の飲み水はいったいどうする?
井戸から遠くて水汲みはきびしい
――輪番で汲んであげたら?
その時 一人が立ち上がった
――わたしが運ぼう 一かつぎの水だから
  わたしが毎朝運んであげよう と
それが青年馬新さんだった

あれからかれこれ十七年
六千余日を風雪もいとわず
馬新さんは毎朝毎朝
部落のはずれの韓爺さんのところまで
一かつぎの水を運びつづけた

およそ行動の持続とは
言うは易くして行うのは難い
馬新青年は結婚の後も
暗いうちから起きあがって
無償の行為をつづけていたのだ
今は息子も大きくなって
親子二代でその水運びを
欠かさず毎日つづけているという

馬新さん 馬新さん その息子さん
わたしは眼がしらが熱くなった
ただ黙々とかげひなたなしに
きびしい奉仕に生きている
あなたたちこそ人民の中の人民
すばらしい人民だということを
ニクソン訪中の随行記者たちに
話してやったが理解しない
感動の色も浮かべなかったが……

馬新さん すばらしい馬新さん
わたしはあなたたち父子を誇りたい
どこまでもあなたたちに学びたい
あなたの謙虚さと
黙々とした実践の持続が
わたしたちを支え
中国を支え
かならず世界の未来を支える と

            ちょっと待て
豊かさは ブタの腹
あの腹は
抗生物質まじりの飼料で育った
食われるための肥満
食わすための飼育
食わされるための日常
三百六十五日
にせの豊かさの悪循環の中で
複合汚染の柵の中で
華麗なる泥に鼻つっこんで
こんな自由な国はないなどと
うそぶき あえぎ
てのひらほどの青空を仰いで
ためいきをもらし
健康っていいなあなどと
税金だらけの臭い息を吐いて
しあわせを満喫している
諸君!
クルッテル将軍ならびに
その忠誠なる輩下は
仕掛花火のショウに
君たちを招待しはじめた
お迎えの車付き晩餐会
座席は正面ロイヤルボックス
しかし ちょっと待て
帰りの車の保証はないのだ
帰りはそれこそ君たちの好きな
自由!
いえいえ貸切りバスがピストン往復しますから
というので列を作って待っていたら
もう一とまわり大きな
豚小屋に叩きこまれる仕組みなのだ
マージャン パチンコ 
 ゴルフ ボート e・t・c
経済大国の自由
やがてサンセット通りに花火があがり
にこやかに笑うブタの大群は
一気に断崖めがけて鼻をならして疾走するのだ
                                   (1975年10月1日)

               八月の審判
 夏の夜空に花火があがる。大小のスポンサーの名が花火の名とともに賑々しく拡声器で伝えられ、菊が牡丹が柳が龍がヒュルヒュルと笛までついて打ち上げられ、中空で大きな音を立てて花を開く。轟音は水に拡がり山をゆるがす。浴衣がけの、ポロシャツの、海水着のままの人の波に浜辺は埋めつくされ、海に面した家々の二階や縁先では客を迎えて景気よくビールの栓が抜かれる。十五年目の原爆記念日の夜である。妻は子供達と花火の写生をしている。僕は打ち上げられた花火の煙が、きのこのように、くらげのように、にぎりこぶしのように、あるいは幽霊のように、東から西へ、拡がっては溶けてゆく姿を眺めている。世の中は僕の小学生の頃のような、いやそれ以上の平和な姿に帰ったようだけれど、僕の心はいつまでたっても慰まない。花火の音を聞けば銃砲声を思い、その煙を見れば戦場を思うという、この古めかしい不幸な気分はいったい何時の間に培われてしまったのだろう。人並に花火の美しささえ楽しめないというふさぎの虫はいつから僕に巣喰いはじめたのだろう。こんな陰気な性格ではなかったのに、いつもこんなでもないのに。僕は夏が好きだ。ギラギラ照りつける太陽が好きだ。汗ばんだ人々の顔が好きだ。家々の壁板が柱が天井がまだ生きている木の香りを漂わせる夏が好きだ。だのにこんな暗い気持が起りがちなのもきまって夏だ。八月が僕をいら立たせるのだ。八月が審判にやってくる。
 僕は昭和十八年の冬学徒臨時徴集で南の島に追いやられた。たくさんの学友達が死んだ。海は一瞬にして三千人の兵を船もろとも呑んだ。強制使役が死ななくてすむ人々を次々と殺した。三百人が三十人になることはそう手間のかかることではなかった。「死にとうナカ」「茶椀で米のメシが喰いたい」「帰りたい、帰りたい、日本へ帰りたい」そういいながらジャングルの中で兵士たちは死んだ。沖縄出身の兵士は故郷の悲報にあるいは発狂しあるいは逃亡し、見つけられては銃殺された。命令を受けた戦友の手で……。連日の無差別爆撃と銃撃の下でついに斬込部隊が編成され、トカゲの鳴き声を空っぽの腹の底から出さなければならなかった。戦友の遺骸を焼くのも片腕から片肱に、はては手首から指一本にかわっていった。煙が上がるときまって翌朝爆撃を受けるならわしだったから、火を焚くのは夕もやから朝もやにかけてつまりもやに擬装されたあがり方でなければならなかった。野戦病院の戦友の遺骸を受取りに行けば軍医はメスで無造作に友の手首からさきを切り取り、セロファンにつつんで、それを彼の飯ごうにぶちこんで黙って渡してくれた。まだある。まだまだある。数え切れぬほどいまわしい思い出は残る。
 しかし、とにかく僕は帰って来た。ニューギニアの果てから。生き残って。かすり傷一つしないで。元気に、少くとも元気に、もう殺されることのないことを信じて、生き長らえて帰って来た。
 僕の眼を射たものはすばらしい日本の野山の美しさだった。すがすがしい緑だった。さわやかな水の色だった。帰っていく家もない僕はこの野山の美しさのある限り残されたいのちを詩人に賭けようと思った。奪われた幾多の夢を取り戻すために。永遠に青春を生きるために。僕自身何よりも先ず人間であり日本人であるあかしをするために。
 名ばかりの故郷に引揚げた両親の許に帰って僕は知った。日本に残っていた学友たちは僕を死んだものと思い「礒永の死を無駄にするな」と誓い合ってくれていたという。「俺達はもう騙されぬ。この投げ与えられた自由はたくさんだ。自由は俺達の手でかちとるんだ」友人は復員したての僕をそういって手紙で励ましてくれた。その友ももういない。しかし僕は生き残っている。臆面もなく生き残っている。亡くなった友人達の言葉に取り巻かれ、八月に鞭打たれながら。ヒロシマの光を見たという妻とともに。元気な二人の男の子とともに。母とともに。
                                        (1960年8月10日)

              現代詩の根本問題
 詩に「現代」と銘うつことは、詩人の責任問題でなければなりません。それほど複雑怪奇な発展をとげたものが、世に罷り通る「現代詩」なのです。ここでは現代詩の定義として、「現代詩とは現代人の内外の生活を知性と感性で高度に圧縮して、新しい世界の意味を伝える短文芸である」とでも申しておきましょう。
 「詩」という時、一般の人々に浮んでくるのは藤村であり、白秋であり、またカアルブッセの「山のあなたの空遠く」などでありましょう。これらの詩は、いわゆる気分的な抒情を美しい七五や五七の調子で流していった、つまり五七とか七五とかの枠の中で操作された、職人芸の高度なものではありますが、それだけに一気に感動を押し流した単調なものや、必要以上の詠嘆にみちたかりもののことばのつなぎ合わせともいえます。古いものへのあこがれの中で、意味をやや近代的に組み直してあるだけのものに過ぎない。現代詩はこうしたものと訣別します。大げさな身振りや生活をはるかに離れた言葉や気分本位な内容は、私たちの心の生活の糧にはならないからです。
 またいたずらに言葉の調子だけに終始して、その内容の状景がぼんやりと霧につつまれたようなものも嫌い、それよりはもっと輪廓の鮮明なもの、映像のはっきりしたもの、各行、各連の変化による感動の統一といったものをめざします。
 それから個人的なあまりにも個人的な、社会とは無縁な人の溜息まじりの独白めいたものも嫌い、個人というものの底で社会につながるために、自分を可愛がることを拒み、人も甘やかすことを拒む、いわゆる非情の精神に貫かれたものを大事とします。
 しかしこれらは別に現代詩といわなくても近代詩にも通用するわけで、ここから現代詩の現代という言葉を見きわめていかねばなりますまい。
 私たちは、戦争というもののおそろしさを今日ほどひどく見せつけられたことはありません。しかも、戦後世の中は表向き明るさを増しながら、生活は愈々暗い根を張りはじめています。こうした歴史的な社会の中で、少くとも現代詩を口にする場合、この社会情勢と無縁な詩を書く事は、どの良心もが許さないことです。詩を作るよりも田を作れといわれた時代の詩人が書いていたものと、現代において私たちの書く詩は、まったく質を変えているのです。だいたい「詩人」という名は、本当に多数の人の魂をゆり起してくれた詩を書いた人にたいして、人々の側からつける言葉であって、私たちは詩人であるより前に、まず人間であり、社会人であり、誰彼と変らない存在なのです。ただ自分の生き方を示す一つの方法として詩を書いているのであり、己の正しい生き方、社会の正しいあり方に鞭打たれて、より納得のいく正しい生き方を生むために詩精神という濾過器を持ち歩いているのです。
 現代詩はいままでは一部の文学青年たちのなぐさみに似ていました。ところが最近になってやっと、一時的な青春感動で処理できるような甘ちょろいものではないことがわかってきたのです。人間と社会と歴史と。その組合せの中で詩人は何よりも意志的で行動的で冷静かつ鋭敏に新しい世界の創造に参与しなければならぬ倫理的な命題を持ち、その線に沿って作品活動をつづけなければならないのです。そうした場合、私はやはり何らかの意味で役に立つ詩を、と願います。そしてそれは少数よりも多数の人々に役立つ詩をと希います。
 現代詩はこうしたことを考える時、まだまだいい詩となるためには六ケしすぎると思います。上手に六ケしいのならわかりますが、下手に六ケしいのが多すぎます。平明でしかも密度が深く、身近かな物象で新しく組み立てられて、今日と明日の正しい生活の意味を伝える詩、しかもそれが繰返し繰返し読まれるような音楽性に支えられている作品。そうした現代詩こそ、万人が渇仰してやまぬものだと思います。私はそうした詩を「正統詩」と呼び、この制作を一生かかってやり遂げたいと考えています。
                                 (1955年6月25日)

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