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国民的規模の原水禁運動を
8・6原水禁運動の飛躍のために

 この一年、下関原爆展事務局が昨年作成した「原爆と峠三吉の詩 すべての声は訴える」のパネルを使った原爆展が、下関からはじまって、被爆地の広島、長崎、米軍基地をかかえる沖縄、岩国、そして東京、大阪をはじめ全国の地域、街頭、学校、職場などで数百回をこえて展示され、数十万人が参観し、まさに年間をつうじた大運動となって、衝撃的な反響を呼び起こしてきた。被爆者、戦争体験者と園児、小・中・高生、学生、青年、母親たち、労働者、サラリーマン、文化人、宗教者、知識人など職業をこえ、年代をこえ、地域をこえて共通の思いで結びついた。英訳をつけたこのパネル展示は海外にも広がった。フィリピン、台湾、アメリカ、ウクライナ、ニュージーランドをはじめ二十数カ国で展示され、世界中で、原爆を受けた広島、長崎の市民の苦しみをわがこととして共有した。それは「原水爆の製造も貯蔵も使用も禁止せよ」の運動が広大な基盤をもって発展しはじめていることを示している。それは今年の八・六原水禁運動が飛躍発展することへの大きな期待となっている。今年の原水禁集会の課題について考えてみた。
 この原爆展運動のなかで、各地で被爆者が名のりをあげ、若い世代にその被爆による苦しみ、悲しみ、怒りを熱情をこめて語りはじめた。多数の人人が、「原爆を忘れてはならない」と思いを新たにし、原水爆戦争を二度と起こしてはならないという決意を新たにした。
多くの人人が、おりからのアメリカの「テロ事件」とそれを契機にしたアフガンへの一方的な戦争、さらに小泉政府がアメリカの下請軍隊として自衛艦を派遣したこと、そしてブッシュ政府が核兵器の先制使用を公然といい、安倍晋三、福田康夫などの小泉政府中枢が日本の核武装を発言し、有事法制化をはかるなかで、原水爆戦争を押しとどめるために行動しなければならないという思いが強く語られた。
 また、原爆投下こそ戦後のアメリカの日本支配のはじまりであったという問題が、戦後五七年をふり返って、政治も経済も文化も教育も植民地のようになって荒廃し、苦難の根源をなしており、アメリカのための戦争で命を捨てるような羽目になった現実と結んで、「平和、自由、繁栄」などといってきたインチキをふりはらいつつ、深い思いで語られた。
原水爆の製造も貯蔵も使用も禁止せよというのは大多数の日本人民の願いである。その世論にふさわしい国民的な規模の原水禁運動が起こらないのがおかしいのである。今年の八・六、八・九を原水爆戦争を押しとどめる力のある運動を起こす契機とすることが緊急かつ重要な課題となっている。
 そのためには、戦後広島ではじめて原爆反対の火ぶたを切り、全国的、全世界的な原水禁運動をつくりだした、峠三吉たちが身を犠牲にして活動した時期の運動、すなわち大多数の広島市民の怒りを代表した一九五〇年八・六平和斗争の原点に返って、そのような運動を再現することが必要である。

  被爆者が受けた苦しみ怒りが出発点
 当時アメリカ占領軍が朝鮮戦争をひき起こし、原爆について抗議することは厳重な弾圧下におかれていた。原爆写真を公表することも禁止されていた。このなかの六月、アカハタ中国総局が発行する「平和戦線」が、日本ではじめて原爆の惨状を伝える写真特集をくんだ。それは約五万部が印刷され、広島をはじめ全中国地方に配布し、街頭にもはり出された。その新聞には、峠三吉の有名な原爆詩「八月六日」が組みこまれた。峠はこの詩をかいてのち、広島の苦しみ悲しみと、怒りを爆発させたすぐれた原爆詩をかき、翌年の八・六平和大会にガリ版刷りの原爆詩集を発表した。
 力のある原水爆戦争を許さぬ力を結集するには、峠のような原爆詩によって、さらに写真家が体をはって残した被爆写真によって、そして被爆者自身が語ることによって、人類の名において許すことのできない原爆被爆の惨状と、そこで市民が受けた苦しみ、怒りを語り伝えることが第一の出発点である。それは未来を担う若い世代に、全世界に伝えなければならない。
 高齢となった被爆者自身が語る時間はいまやあまり残されていない。それをできるだけ記録にし、文化、芸術にたずさわるものは詩や小説や絵にし、恒久的に伝えなければならない。

  戦争終結の為ではなかった原爆投下
 第二に、被爆者がその怒りを公然と語ることをふくめて、原水爆に反対することにはさまざまな障害がつくられてきた。それは原爆を投下したアメリカの側からつくられてきたものである。
 ここでは、アメリカの原爆投下は、「日本の軍閥をして戦争を終結させるためであった」「無謀な戦争をひき起こした日本人は反省しなければならない」「戦争に協力した広島、長崎市民が原爆を受けたのはやむをえなかった」という原爆投下者側からの宣伝が周到に仕組まれ、日本の政府も商業マスコミも口裏をあわせてそのように宣伝してきた。アメリカの原爆投下の目的について事実に即して、あいまいさなく明らかにすることが必要である。
 原爆で無惨に殺されたのは女、子ども、老人、勤め人など無辜(こ)の非戦斗員である。だれが見ても、いったいなんの罪があるというのであろう。広島だけは空襲をさけて一発の原爆の威力を誇示できるようにして、しかも出勤時間でもっとも人人が屋外に出ている時間を選んで、軍事施設でなく市の中心を狙って原爆を投下する。そのようなことができるものはナチスも天皇もおよばぬ殺人狂といわなければならない。
 太平洋戦争における日本の敗戦は、真珠湾攻撃から一年もたたぬうちに明らかとなっていた。一九四三、四年には日本海軍は壊滅し、輸送船は沈められ、多数の兵隊は南の島にチリヂリとなってとり残され、飢えと病気で死んでいった。一九四五年の五月にはナチスドイツが降伏し、ソ連の三カ月後の対日参戦が決定して、日本の敗戦は既定事実となっていた。
 原爆投下は戦争を終結させるためにはまったく必要のないものであった。それはソ連の参戦のまえに、日本を降伏させて単独占領するために、連合国と天皇を頭とする日本の支配階級を脅し、また敗戦後に天皇制打倒に立ち上がるであろう日本人民を脅しつけるために、まったくアメリカの利己的な動機のために投下したものであった。
 日本を単独占領したアメリカが平和や民主主義の旗手などでないことは、日本を基地にしてただちに中国革命への干渉をやり、朝鮮戦争をひき起こし、その後も、サンフランシスコ単独講和で日本を隷属のもとにおき、ベトナム戦争、中東、湾岸戦争、アフガン戦争と、たえるまもなく戦争をくり返してきたことにあらわれている。
 アメリカの原爆投下に反対することを歴史的に積極的なものと確信することを妨げた要因としてまた、戦後の日本共産党中央指導部がアメリカ占領軍を解放軍と規定した問題があった。一九五〇年にはアメリカを日本人民の敵と見るか友と見るかをめぐって分裂し、峠三吉ら八・六平和斗争を切り開いた側は共産党中国地方委員会であり、原爆投下は犯罪でありアメリカは人民の敵だとみなす側であった。当時、共産党中央部の一派はこの八・六斗争に反対し、平和大会を破壊するために多数を送りこんだ。
 アメリカを友とみなす見解は、第二次世界大戦で「米英仏は日独伊ファシズムとたたかった友」とみなしたソ連指導部の見解でもあった。

  日本を盾に再び原水爆戦争企む米国
 第三に、原水爆戦争を阻止する力を結集することが切実に求められるのは、原水爆戦争の危険が迫っているからである。米ソ二極構造の崩壊は世界の緊張を緩和するものではなかった。アメリカに対抗する力をもっていたソ連が崩壊すると、逆にアメリカの原水爆使用の危険性が強まった。
 クリントン政府は一九九七年、核兵器の先制使用を容認し、生物、化学兵器にたいして核報復する、中国にたいして核攻撃の対象を拡大するとの命令を下した。ブッシュ政府はそれに輪をかけて、イラク、イラン、リビア、シリア、朝鮮、中国、ロシアを名指しで核攻撃対象国とし、新型原水爆開発のための核実験の再開をやり、核兵器の先制使用を叫んで回っている。
 日本に居座る米軍基地は原水爆の配備が根幹であることは明らかであり、そのうえ日本にアメリカのミサイル防衛構想の片棒を担がせようとしている。それはアジア諸国へ一方的な核攻撃をやり、日本をアメリカ本土への核報復攻撃のツイタテにし、ふたたび原水爆の火の海に投げこむというものである。
 かつての侵略戦争で筆舌に尽くせぬ苦難を強いたこれらの近隣アジア諸国との友好関係を結ぶことが、日本民族の利益であり誇りである。だが小泉政府は、アメリカの意向にそって自衛隊の参戦と有事法制をはかり、これらの近隣諸国と敵対する道をしゃにむにすすんでいる。日本をふたたび廃虚にすることを代償にして、ひとにぎりの売国独占資本集団だけがアメリカの核の傘のもとでもうけをはかり、生きのびようというのである。

  運動破壊する流れと明確に一線を
 第四は、原水禁運動の旗を振って、原水禁運動を破壊する流れと明確に一線を引くことが不可欠である。昨年来の広島における原爆展活動は、今日の「日共」集団、旧社会党が主導権をもつ「原水協」「原水禁」が、被爆した広島市民にまったく支持基盤がない、まるでぬけ殻のように弱体化、瓦解しているという実際を浮き彫りにした。いずれも「党利党略のため、自分たちの損得のために被爆者を利用してきた」というのが一致した評価となっていた。
 いずれにしても、原水爆の禁止を願う圧倒的大多数の日本人民の要求から比べれば、あまりにも運動として貧弱すぎるし、それではアメリカは喜ぶが、人民は困るのである。なぜ被爆者をはじめ、大多数の日本人民の原水爆禁止の要求を結集できずに、逆に嫌われているのか。
 その基本は、「原爆投下は悪いこと」とはいうが、アメリカが支配する戦後社会を平和で自由で繁栄したとみなしており、原爆投下にほんとうのところでは怒りがないというものである。そして被爆した人人にたいして、「かつての戦争で悪いことをしたから原爆を投げつけられた」とまで攻撃する、まさに戦後アメリカが正当化するためにふりまいた主張まではびこっている。
 峠の原爆パネルを見た多くの外国人が共通していったことは、「日本人は原爆を投げつけられてひどい目にあっているのに、どうしてアメリカが好きなのか」という点であった。世界の目から見ると原爆を投げつけたアメリカを嫌うのがあたりまえであり、それを好きに思うのはきわめて異常としか映らないのである。
 世界では各国が原水爆を保有しているが、実際に人類の頭上に投げつけたのはアメリカだけである。そして今日、もっとも核兵器の先制使用を叫び、実際に原水爆戦争の危険性をひき寄せているのはアメリカである。このアメリカの原爆投下の犯罪を抗議し謝罪させるのはあたりまえであり、アメリカに率先して核兵器を廃絶させることなしに世界中の原水爆をなくすことはできない。

  労働者軸に大世論を実体ある運動へ
第五に、原水爆戦争を阻止し、原水爆の製造も貯蔵も使用も禁止する力のある運動を、すべての日本人民の世論として流れる力を、実体のある運動として結集することが重大な課題である。
現在、被爆者がいまこそ語らなければならないという意欲を強めている。それは下関からはじまって、広島に広がり、全国に広がっている。被爆者が原水爆の禁止のために、その体験と深い思いを大多数の人人に語りはじめているのは、運動の発展のうえできわめて大きな力である。
そして青少年がこの被爆者の思いをもっとも真剣に受けとめている。子どもらの家庭で父母、祖父母がその重要さを語っている。また子どもたちにかかわって教師集団が全国的に役割をはたしはじめている。
 そして圧倒的多数の勤労者が、現在まできた戦後社会のありようとあわさって、深い共感を寄せている。ここでもっとも重要なことは、もっとも決定的な政治的な力をもっている労働者の運動を起こすことである。
原水爆は、アメリカが日本の労働者をはじめ世界支配のための最大の武器である。今日労働者が倒産、首切り、殺人的な労働強化、低賃金で苦しんでいるうえに、有事法で労働者を戦地に徴用し殺すというたくらみが動く根源は、アメリカのグローバル化戦略を日本の独占資本集団とその代理人である小泉政府が忠実に実行しているからである。そのようにいいなりにさせる力は、アメリカの軍事力であり、なかでも中心は原水爆である。
 したがって労働者は、アメリカの原水爆を禁止するたたかいをすることなしには、身を起こすこともできない。
 一九五〇年の平和斗争は中国地方の労働者が中心になって、犠牲を恐れぬたたかいで突破した。そこで白熱的に論議された点は、日常斗争主義と称する経済主義は誤りであり、反帝反戦斗争が第一義の任務である、階級宣伝と国際連帯であるという点であった。
 今日の労働運動の停滞は、六〇年「安保」斗争まで高まった労働者の反米愛国の政治斗争を、その後さまざまに弾圧し、また労働組合内部から労働貴族どもをつうじて、全人民の平和や独立、民主の政治要求を代表することを否定し、自分たちの賃金や権利だけを追求して各層人民と対立する経済主義、企業主義をはびこらせた。その結果、労働運動は瓦解し、いまや攻撃される一方となってきた。
労働運動が、アメリカの原爆投下に抗議し、アメリカの植民地支配に反対し、アジア、世界の人民に敵対してふたたび原水爆戦争をひき起こそうとすることに反対して、全人民を団結させその先頭に立ってたたかうことが、原水爆禁止の最大の力である。
原水禁全国実行委員会の二〇〇二年八・六広島集会は以上のような期待のなかで準備されている。広島の被爆者をはじめ、政党政派、思想信条、職業などの相違をこえ、アメリカの原爆投下の犯罪をあばき、アメリカを中心にした原水爆の製造も、貯蔵も、使用も禁止する、大衆的な集会を勝利させ、全国的全世界的に運動が広がることが期待される。

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