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原水禁運動の本流を形成
原水爆禁止運動総括会議
           米国美化の共犯潮流と一線  2004年9月7日付

 原水爆禁止全国実行委員会は、今年の8・6集会まできた原水禁運動の総括会議を五日午後一時から、下関市のからと会館で開いた。会議では広島と全国を代表する運動として世界に響かせた今年の大きな成果と到達を浮き彫りにし、それをもたらした路線上の教訓を活発に討議。日本をも戦場としたアメリカの原水爆戦争の策動が強まり、これとたたかい対米従属の打開を求める大衆世論が発展するなかで、客観情勢に対応した運動への飛躍と新しい平和勢力を結集する方向を確認、隊列を整え奮斗する決意を固めあった。

 内外の斬新な平和の力
 はじめに全国実行委員会の倉崎繁・実行委員長(九州国際大学教授)があいさつに立ち、沖縄国際大での米軍ヘリ墜落事件をとりあげ、「沖縄の現状は、日本に主権はなくアメリカの植民地になっていることを示した。これを許してはならない。原水爆を禁止し、戦争をさせない運動を起こし、アメリカに謝罪をさせなければならない」と訴え、いまにつながるアメリカの広島、長崎への原爆投下の目的をあばいた。
 平野照美事務局長が今年の運動の総括報告をおこなった。
 平野氏は「今年の8・6集会の参加者が広島の被爆者の“原水爆戦争は絶対に許さない”という強い思い、外国人の国際連帯に満ちた発言、小中高生平和の旅の報告などに深く感動し、6カ国の外国人の参加もふくめて集会・デモへの飛び入り参加があり、広島と全国の斬新な平和勢力を代表したものとなった」こと、その後の広島、全国、世界からの参加者の確信に満ちた発言と行動を紹介。「運動を担う実行委員会が、今年の原水禁運動の到達段階にしっかり立って、大飛躍していくことが求められている。広範な大衆の側に身をおいて、堂堂と大衆を代表して行くならかならず、原水爆の廃絶をめざす全国、世界の新鮮な勢力を大結集できる」展望を開いたことを強調した。同時に、この到達が「敵の許容する運動の枠内で原爆展に充足して八・六をとりくまない日和見主義の運動路線をうち破って勝ちとられた」ことを明らかにした。
 平野氏はそのうえで、今年の全国実行委員会の活動を原水爆をめぐる内外情勢の進展のなかでたどり、朝日新聞などが「反核を反米にするな」という論調を強めて体制の許容する枠内での運動に押しこめようとするようななかで、七月末から「アメリカの原爆投下の犯罪性を暴露し、インチキ平和勢力を正面から批判し、原水禁運動の原点に立ち返った運動を起こすために平和勢力の結集を呼びかけた」集会アピールを広島全市で大宣伝し、被爆市民の深い共感と支持が寄せられたことを強調。「広島集会の成功は、広島市民をふくめて広範な人人がなんとかして原水爆戦争をおしとどめようと思っており、アメリカと正面からたたかうことを望んでおり、アメリカ擁護の立場にいるインチキ反対派を嫌って、平和勢力が団結することを望んでいることをはっきりと証明した」とのべた。
 報告ではさらに、全国実行委員会の課題として、「日本人民の真底の思いを代表できるように、大飛躍すること」を提起。今後の方向として各県、地区で総括を深め、労働者を中心にそれぞれ戦線の基本的な要求と結びつけ、日本とアジアを戦場にする原水爆戦争に反対する運動をいちだんと強めること、八・六集会の基調報告を具体化し、広島集会アピールの宣伝、論議を強めて新しい平和勢力を結集していくことを提起した。

 広島市民の厚い信頼 体張り核戦争阻止へ
 討議でははじめに、広島での宣伝活動に参加した活動家から、「7月末の宣伝活動に参加して、これまでの中学校での被爆者の体験を語る活動や全国キャラバン、岡山大での原爆展の成果を八・六に結集させることが、明確でなかったことを反省した」(岡山)、「平和公園での原爆展のなかで集会の参加を訴えると大反響で、中心点がはっきりした」(山口)などの発言がつづいた。
 劇団はぐるま座の活動家は、「広島での宣伝活動にずっと参加したが、被爆市民は国を愛し、責任を持って運動を切り開こうとしている。だが、マスコミも取材に来るようになるなかで原爆展に自己充足する流れがあった」こと、「筑紫哲也らが広島で七時間もかけてシンポをやったが、これに参加した婦人が市民原爆展に来て、胸がスーッとしたといっていた」ことを報告。集会アピール宣伝をつうじて、市民から「わたしたちがやらなければならないことをあなたたちがやってくれている。平和の力を大結集してほしい」など、感謝をこめた言葉をかけられるなかで、「いたるところで市民の信頼、親近感を感じた」ことを感動的にのべた。
 また、8・6集会後も「体験を語った被爆者は、子どもたちの真剣な受けとめに感動して、これからもはりきってやるといっている。アメリカ人がアメリカの犯罪を受けとめて、原爆展パネルを使って同じ活動をやると誓いの手紙を被爆者に送ってきた。国際的にアメリカを動かしていることへの感動が語られている。こうした被爆国民としての思いの大きさ、きびしさに対応した活動の飛躍が求められている」と語った。
 長周新聞社からは、「運動の到達についての過小評価を正すことが重要になっている」ことが出された。これまで「語り部の解散」「被爆体験の風化」を宣伝していた「平和の敵」が「被爆体験の継承」をとなえはじめ、広島や長崎の市長が「体験の継承」を公式に強調するまでになったこと、これが昨年の広島の平和式典で小学生が峠三吉の詩を朗読したことを広島市民が喜び、「あんたたちがやったおかげよ」と感謝された流れのなかであるとのべた。また、朝日などの「反核はよいが、反米になってはいけない」というキャンペーンが、このような被爆市民を代表した運動の発展に対抗してやられたものであると指摘し、つぎのようにのべた。
 「原水協や原水禁は、年に一回広島に行って騒いで帰るだけで、年間つうじてやっているものはいないと広島市民にみなされている。活動規模からいっても圧倒的になっている。だが、このような客観的な実際からではなく、自分の側から見て小集団の世界でさみしい気持ちになっている状況も一部にある。いま米軍再編で沖縄や岩国など全土を核基地にしている。現実はミサイル戦争で原爆が飛んできて沖縄戦どころではない戦場になる方向にすすんでいる。戦争で殺されるなら殺されないたたかいを命をかけてやらねばならない。自分のところからではなく客観的な全政治関係から見ていく必要がある」
 これを受けて、岩国の活動家は「50年代から60年代にかけての斗争は岩国基地撤去のたたかいを体をはってたたかっていたが、その後、基地をとり囲んで、スローガンを叫んで充足して帰る運動が、ほんとうに基地への怒りを持つ地元の人人に嫌われるようになった。岩国での運動もよそものの運動と見られている。ここを変えて飛躍しなければならない」と、決意をのべた。
 宇部の活動家は、「デモに参加しましょうと呼びかけると、沿道にいた人がこころよく参加するのをまのあたりにして、この運動が市民と一体のものだということを実感した」と語った。
 集会アピールを宣伝したはぐるま座団員からは、「宣伝カーで、広島のじいちゃんが悪いことをしたから原爆が落とされたというインチキ平和教育や、既存の平和運動の瓦解が当然だというところにくると、歩いている市民が立ち止まって耳をそばだてて聞く、深深と頭を下げる人もいる。これは宣伝にかかわったメンバーがみんな感動している。集会参加工作でも“そのような集会なら参加しましょう”という人が多くいた。英語版の宣伝で外国人が飛び入りで参加したこともはじめてだ。この四年間の広島での活動は、考えていた以上に大きなものだ」と、運動への過小評価を正すことが重要なことを強調した。

 敵と正面からたたかう 自らの低い姿勢正し
 人民教育同盟の教師から活動の飛躍の方向とかかわって、発言があいついだ。
 中央本部の代表は、「被爆者の燃えるような気概と子どもたちとの熱い響きあいのなかで、教師がさみしい思いをして気分感情的に中に入れない状況がある。そこには敵と正面からたたかうという性根がなえている問題がある。50年当時、教師は戦争に教え子を送ってはならないと体をはってたたかってきた。それが、警職法反対、勤評斗争、60年“安保”へと発展した。修正主義と決別して民族民主教育の路線を確立したとき、子どもと日本の未来のために体をはってたたかい、各界各層の人民のたたかいを結びつける鎖の環の役割をはたした。山近実践の山近先生は地域の親をも指導していた。その後、この方向への攻撃が教師にかけられ、それに負けてきた。子どもは未来に生きる。独立、民主、平和、繁栄のために日本を建設することをめざす方向を示せずに教育はできない」と発言、「低い姿勢に甘んじる性根をたたきのめす」決意をのべた。
 大阪の教師は「青年学生交流会の青年が平和の旅に参加して、被爆者の思いを深いところでとらえている。教師は社民、新左翼の影響を根深く受けている」とのべ、最近の被爆体験に学ぶ企画でも、「被爆してよかった」という潮流もあらわれていること、「人民に奉仕するのではなく、自分のことばかり考えていては敵に投降する以外にないということを深刻に受けとめている」と自己変革の決意をのべた。
 北九州の教師からも、「日本の未来を考えるのではなく、自分のクラスをどうするかという世界にいる低さがある。かつての岩国での平和カリキュラムの斗争に学び、未来を見据えた教育運動を地域と多くの教師、父母とともに発展させたい」「平和教室を問題がある子どもを預ける託児所のように考えて、参加させて少しよくなるとホッとするという低いところにいた」などの意見がつづいた。
 平和の会を指導する教師は、「子どもたちは、被爆者が生活をかけて、生きがいとして体験を語りついでいる姿が輝いて見えたといっている。教師が子どもに輝いて見えたかどうか。父母の教師への期待は強いものがある。ともにたたかう仲間として全地域あげて原水爆戦争反対の力のある運動を起こしていく」と発言した。
 川崎市の医師は、ともに8・6集会に参加した青年や年輩者の深い感動を紹介し、「禁や協とたたかうことはみずからのなかにある禁と協とのたたかいでもあり、それが緒についたと実感している。50年8・6的なたたかいが本格的にはじまった。広島のたたかいの発展が全国のたたかいを励ましている。わたしたち医療の分野もふくめたたたかいの拠点として広島があることを感じた」とのべた。
 萩の活動家は、「原爆展が全市的なとりくみとなったことに充足して、広島アピール署名を持ちこまないでいた。反米をいえば運動の幅が狭くなると考えて、許容する枠内の運動に人人を抑えていた。萩からの8・6集会参加は過去最低であった」と誤りを明らかにした。
 これをめぐって、「人人は原爆展に昔話をしたいから集まっているのではない。アメリカを暴露するのは狭いイデオロギーではない。原爆を投下したものに謝罪を求めるのは当然のことで、世界の常識だ。“安保”斗争を見ても反米を鮮明にしたときにもっとも幅広い運動として発展した。反米をのけたときに狭くなったのが運動の教訓だ」「禁や協を批判するのは、大衆の意識を独自に代表して、独自の見解を持って、独自の運動をつくることだ」という意見も出された。
 また、「社民勢力の尻について原爆展での独自のとりくみがない。広範な人人のなかに存在している新しい意識はアメリカ評価をめぐって出ている。ここと結びついた運動へと発展させる」(愛知)、「第五回下関原爆展にかつてなく広範な支持が寄せられたが、マンネリ化で現実の要求によりよくこたえられなかった」「現役世代の参観者の深い共感、アメリカは絶対許せない、謝罪させなければならないという意見が出されていた。新しい認識の発展、新しい関心に対応した働きかけを強めなければならない」(下関)などの発言が出された。

  労働者中心の運動 全国で巻き起こす好機
 討議は、さらに今後の方針とかかわって発展した。
 長周新聞社から「原水爆の製造、貯蔵、使用をさせないという運動は、核基地撤去の課題でもある。上関原発は原爆製造工場を建設させるのかどうかの問題であり、広島、岩国、沖縄が結びつく。アメリカが労働者をはじめ日本を植民地として横柄に支配している根幹は原爆であり、在日米軍だ。大衆はこの抑圧支配に怒っている。労働者を中心にした迫力ある原水爆禁止、基地撤去、戦争反対の運動をまき起こすチャンスだ」と発言した。
 つづいて、神奈川県の医師が「反米をいわない勢力をアメリカは培養している。そうして、医療現場では殺されるまえに病死、孤独死、栄養失調で餓死する状況にさらされている。今度広島でやった活動をそれぞれの現場でやっていけばよい。反米は一体の問題で、アメリカをおおいかくしているものとたたかうことだ」と力説した。
 最後に、平野事務局長が、「運動の到達に立って、全国くまなく運動を飛躍させていく。原爆反対の運動は日本人民の全戦線の運動を発展させるうえでも大きい。これをやりとげていきたい」としめくくった。

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