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原水爆禁止する力結集に確信
原水爆全国実行委員会座談会
                 アメリカ・共犯者を暴露      2004年8月31日付
 
      生命力ます50年斗争路線 新鮮な政治勢力結集が課題
 1950年8・6斗争の路線を継承し、全国民的な平和運動の再建をめざす今年の8・6集会は、日本をめぐる原水爆戦争の危険な動きが強まるなかで、アメリカの原爆投下の犯罪をあばき、その使用を阻止する運動の方向を鮮明にし、新しい平和勢力を結集する展望を大きく切り開いた。本紙は、この運動の先頭に立った原水爆禁止全国実行委員会の活動家に集まってもらい、運動の到達とそれを切り開いた路線、教訓などを語りあってもらった。
  
 全広島の熱烈な共感 100人が飛び入り参加
 司会 今年の8・6集会の到達と特徴、反響のところから出してほしい。
  8・6集会にむけて、7月末からアピール宣伝を全市的に展開したが、これに広島市民の圧倒的な支持と共感が集まり、これが広島市民原爆展の大盛況と結びあって、集会は大きく成功した。
 広島の人たちの参加がふえ、外国人もこれまでになく参加した。宣伝活動や市民原爆展で知った人の飛び入り参加が多かったし、広島市民と一体となった内容だった。参加者の感想では、「広島の被爆者の決意、思いが伝わってきた」というのが共通している。はじめて参加した人も「広島の被爆者がなぜ、語れなかったかがよくわかった。アメリカが抑えていたんだ」「外国の人たちも、原爆投下に反対して同じようにたたかっていくといっていた」と感動している。平和の旅の子どもたちの構成詩が共感を呼んだ。活動家は、運動の広がりに確信を強めている。
 8・6集会の到達は、今年のアピールに集約されていると思う。広島には、全国や世界から戦争への危機感を持ってなにかをつかみたいという意識で来る人が多かったが、そういう人人のなかでもこの宣伝がすごく共感を得た。この4年間原爆パネルを広島をはじめ全国数千カ所の地域で展示してきた。原爆投下を正当化するアメリカの投下目的を正面から暴露する、アメリカを擁護して自分たちの利益のために原爆を利用してきた、インチキ平和勢力を正面から批判する。そのことによって新しい平和勢力を大結集できるという確信と展望を切り開いた。
  広島の被爆者は「今年は大人の参加が多かった。現役の人たちを結集していける」と確信を語っている。アピールに「自分たちが思っていることをいわれてすっとした」と共感している。8・6集会から帰ってからの被爆者の原爆展会場での姿勢はさらに気合いが入ったように思えた。自分たちの思いを踏みにじっていま戦争にむかっているが、これを阻止する力を結集しなければならない、そこでの自分たちの役割はなにかという論議になっている。
  8・6集会が終わったあとの被爆者の確信に満ちた姿勢で、原爆展会場の雰囲気が一変したように思った。いっせいに会場に来た人たちとの話がはじまった。はりつめた感じでみんなと心がうちとけあっていた。
 集会にむけたアピールの宣伝カーで回ったが、その内容の説得力に感動した。「広島、長崎のじいちゃん、ばあちゃんは悪いことをしたから原爆を落とされたというインチキな平和教育」というところでは、みんな思わず見る。そこから、「それでは平和運動がつぶれるのはあたりまえのことです」というところは、とくに手ごたえがあった。
 平和公園ではじめると、傘をさしている人が止まる。ベンチでも聞いている。電停では、全員が並んでこっちをむいてほんとうに熱心に聞いている。マンションの上では身を乗り出して聞き入っている。耳をそばだてているという確信になった。市内の繁華街や各地区で街宣カーを止めて宣伝すると、チラシを受けとる反応がぜんぜん違った。あちこちで「ありがとうございます」と感謝された。手を合わせる人もいた。「自分たちがやらねばならないことをよくやってくれる」という気持ちが伝わってきた。
 デモのまえにコースを回り、「デモに参加しましょう」と訴えたが、これはすごく利いた。集会全体で一〇〇人の飛び入り参加があったと聞いて運動の蓄積を感じた。外人むけのテープもやったが、これを聞いたインド人が集会に参加してきた。市民の反響と会場の雰囲気とのあいだに垣根がない。集会に参加していない人も参加しているのと同じような広がりのなかで、集会が持たれた。
  平和の旅をつうじて、子どもたちと被爆者の距離がちぢまった。被爆者の熱意が、生き残った者として原爆で亡くなった人人の思いを代表して、いま子どもたちに語っておかなければならないという思いが、ストレートに子どもたちに響いてこれまでにない交流ができた。子どもたちの感想のなかにも自分の生きがいとして原水爆禁止の運動に立ち上がる、それを生涯にわたってやっていくという決意が輝いている。
 広島の被爆者が、ほんとうのおじいちゃん、おばあちゃんのような関係となった。旅そのものも、子どもたちが団結して一つになっていった。それがさまざまな行動のなかでもあらわれていった。それはデモにもあらわれた。学んだ被爆者の思いをアピールしたいという思いがあった。それで、「八月六日」を群読しながら歩こうとなり、それを達成したことで感慨ひとしおだったと思う。
  山口県の活動家は、8・6集会のデモに市民が飛び入りで参加する状況を見て感動している。全広島を代表した集会で、ほんとうの広島の思いがにじみ出たものになった。
  デモに参加して去年と比べて沿道の人たちが目が温かい、「ぜんぜん違っていた」と話になっている。
  子どもたちは平和公園で平和集会を原爆の子の像の前でやった。これには黒山の人だかりで注目を浴びた。他の集団は像を前に自分が誓うというやり方だが、子どもたちは像を背中にして人人に訴える。自分たちが誓いを立てて充足するのか、みんなに訴えるのかそこが違っており、共感を呼んだ。
   
 内容濃い市民原爆展 イラク戦等も重ね
 司会 原爆展の状況はどうだっただろうか。
  広島市民原爆展は2週間やったが、去年の福屋と比べて内容がひじょうに濃い。被爆者の人たちが毎日人を見つけては話をしていった。開会での代表世話人の重力さんの発言にもあったが、全国キャラバンとか原爆展をやって平和の力が広がっているのに、またアメリカが戦争をやろうとしているし、それに小泉が従っている、広島の被爆者が戦争をやらしてはいけない、若い世代に伝えていかねばという思いに迫力があった。戦争のない平和な社会をつくらないといけない、そのために原爆展をやるんだという思いが被爆者のなかでは一貫して貫かれていた。
 自衛隊のイラク派遣や憲法改正まできているなかで、全国や外国から来ている人の問題意識と要求は高いものがあった。20代、30代、40代の世代が行動を求めてきている。その人たちが「原爆投下は戦争終結には必要なかった」というパネルに釘づけになる。「現在と原爆投下がつながった」という意見も出されていた。原爆展のなかで新しく70人くらいの協力者が出てきている。帰国したアメリカの学生がさっそくパネルを購入している。全国、世界に影響を与えていっている。
  被爆者が「反米か、たんなる平和の祈りか」という思いをぶつけてくるのが特徴だった。「平和、平和といって過ちはくり返しませんというだけではダメだ」という。イラクまできて戦争をやる状態になった。そこにむかわなければダメだという問題意識は強かった。また、「平和公園に語り部はたくさんいるが、アメリカの文句をいったらいけないという決まりがある。なんで広島はなまぬるいのか。沖縄は基地がなくなったら経済的にたいへんだが、それでも反米といっている。日教組とか“禁”“協”が全部アメリカ好みのことをやるからおかしくなっている」と会場全体に聞こえるような感じでいう人もいた。平和を叫ぶだけか、平和の敵にむかってたたかうかということだと思う。
  被爆者はインチキ平和勢力にほんとうに怒っている。広島の西部2部隊にいたという被爆者が、3800人いたうち生き残ったのは1割だという。だが、市長は民間人の慰霊碑は建てさせるが、兵隊の慰霊碑は建てさせない。同じ被爆者なのに、それを許さないという。戦争で家族持ちの兵隊が多く死んで、残されたものは苦労した。いまでも兵隊は死んでも当然という風潮がある、イラクの自衛隊員などそうだと怒っていた。
  安佐北区から来ていた元女教師は、「マッカーサーが原爆投下は必要なかった」というところで、目から鱗が落ちたという。帰りぎわに「アメリカ反対でみんなが団結すればいいのよね」と大発見したように語っていった。その後子どもたちに体験を語る機会があるのでパネルを借りたいといってきたが、行動を求めている。ほかにも教師が多かった。修学旅行の下見に来ていた教師たちが、のきなみパネルを借りたいと申し出ていたのも特徴だった。
  子どもたちに体験を語った被爆者が「やっているのはお宅だけよ。広島のこれまでの運動は口ばかりでなにもやっていない。あんたたちの運動は全国にも広げている。広島のわたしらがやらないわけにはいかない」といってきた。
 編集部 昨年の8・6集会では全広島を代表する集会であることを確認したが、今年はそれがもっと発展した。原爆展やアピール宣伝をつうじて全広島を代表していることをみなが実感するような集会になった。全国キャラバンをやって全国的な基盤のもとでやっている。年間をとおして、これだけ原水禁運動をやって集会を開く勢力はほかにはない。広島市民から「ありがとう」といわれるし、全国から来た人も賛同する。外国人も歓迎する。小集団の運動ではない。圧倒的に強いという印象だ。他のデモ隊と遭遇したとき、警察が優先して道をあけていたことにも、そのことがあらわれている。「原水禁」や「原水協」の実態はもぬけの殻だということも、よりはっきりしたのではないか。「禁」、「協」の集会に参加している人たち自身が、原爆展に来て実感をこめて「自分たちの運動は力がなく、形骸化している。ここは元気がいい」といっている。
   
 正面からアメリカを暴く 共犯者の宣伝とたたかい
 司会 ここまで運動の発展をうながした原動力、路線について明確にしたい。教訓もふくめて出してもらいたい。
  8・6の前段、筑紫哲也らが東京から来て「反核を反米にするな」といってシンポジウムをやった。朝日新聞などが主催だ。そこに参加したという婦人がもやもやした気持ちで原爆展の会場に来て、「ここに来てほんとうにすっきりした」という。アピールを読んで、「そうなんです。アメリカとやらないでどうするんですか」という。むこうは「反核を反米にするな」と明確にやってきた。「アメリカは悪いけど…」というような段階ではなく、「アメリカを悪いといったらいけない」と真正面からやってきた。
 編集部 今年のむこう側の特徴は、「被爆体験を語りつぐ」ことを認めざるをえなくなったことと、それを反米にむかわせないということだった。広島の秋葉市長も長崎の伊藤市長も、被爆体験の継承をいっている。マスコミは数年まえまでは、語り部の会の解散などを持ち出して、「被爆体験は風化した」といってきた。それが「被爆者は体験を語りはじめた」となり、商業新聞もへばりつくようになっている。だが、同じ被爆体験を語るにしても恐怖心ばかりを植えつけるものもある。それはアメリカに逆らうものではないという効果を与えるものだ。
 もう一方で筑紫哲也らを使って、「反核を反米にするな」というシンポジウムを7時間かけてやった。「反核」というが、原爆が自然にできて、自分で広島に飛んできて自然に爆発したわけではない。原爆をつくるものがいて、それを広島に持ってきて爆発させたものがいる。原爆をなくそうと思えば、それをつくるもの、使うものをやっつけなければできるはずがない。包丁で人を殺して、殺した人を責めるのでなく包丁に反対しましょう、というようなバカげた主張を朝日新聞のようなものが平気でやる。原爆を使ったものに謝らせなければならない。これは子どもでもわかるようなことだ。
 これを「反米」ではなく「反核」でいかなければならないといって、進歩的なふりをして、屁理屈をこねて大宣伝する。筑紫らの論点は、広島の被爆市民を代表した運動と鋭く対立している。明らかに新しい運動の発展に注目した対抗的なキャンペーンだ。アメリカを暴露してたたかうことを鮮明にしたことで、外国人の飛び入り参加がふえたことも教訓的だった。栗原貞子らが以前、アメリカの国際会議に出ていって、「被害ばかりいうが、加害はどうなんだ」とやられ、「被害ばかりいっても国際的には通用しない」となって「加害」論をふりまいてきた。そうではなく、アメリカの犯罪を暴露することが、国際的に見たら常識であり、国際的な連帯を広げることを証明している。
 C 「原爆の被害をいってもパールハーバーをいわなかったら国際的に通用しない」といって、被爆体験を語るが、「加害」論で子どもに説教する。いまの被爆者たちが体験のなかからにじみ出る思いとはまったく違うものだ。
 編集部 その国際会議はアメリカの息のかかった会議であり、アメリカによく見られたいというものがある。世界中で、「日本人はアメリカにひどいことをされているのに、なぜアメリカが好きなのか」不思議がられている。だから「日本にもアメリカに反対する運動があったのか」と知って驚き、喜ぶ。反米を鮮明にすることで共同の敵にたいする国際的な統一戦線が形成され、国際的な連帯が生まれるということだ。
  海外経験を持っている人は、「原爆を落とされて、アメリカについて行っているのは、世界で日本だけですよ。恥ずかしい」という。多くの若い人たちはアメリカは悪いと思っている。「日本は独立すべきよ」と高校生がいう。あいまいな立場では相手にされない。

 人民代表して斗う立場が要 諦めを打破り
  われわれの運動の内部でも、原爆展はやるがアメリカとインチキ平和勢力をあばいて8・6集会に結集を呼びかける運動と切り離れる傾向があった。原爆展をやることが8・6につながるかと思ったりして、この状況を軽視していた。
 編集部 山口県内も全国も8・6集会への組織はへっていた。原爆展をやるがなぜ8・6にいかないのか。そこにメスを入れることが重要だ。敵は被爆体験の継承まではやらせるが、反米にいってはならないという。その枠内で充足しているということだ。教育委員会が原爆展を後援したり、市長がメッセージを寄せると気分がよくなり、敵が認める枠内にとどめて安泰を願う。これは日和見主義の問題だ。大衆の要求はそういう低いものではない。現在の戦争を止めるというのが大衆の願いだ。そのための原爆展だと考えている。パネルはそういう大衆の要求を束ねる立場からつくられており、「こういうことを忘れたらいけない」「思い起こさないといけない」と響いている。人人は原爆展に、昔話のためだけに来ているのではなく、現在の問題意識から、つまり平和の力にしないといけないという意識だ。
  平和の旅でも、たんに被爆体験を聞くというものではなく、それをとおして小・中・高生の隊列を強化するのかどうかが問われた。子どもの実際の姿そのものが人人の心を打つわけであって、この隊列が軟弱であれば広がらない。それが班活動を全員でやっていくということにもなり、デモへの参加姿勢となった。そうでないとマンネリ化して子どもが成長しない。
 編集部 全般的に日和見主義との斗争だ。戦争情勢が苛烈になっていくなかで、既存の運動は動きもしない。そのなかでまんえんしているのが、「しょうがない」とあきらめて、そこから逃げていくというものだ。そこを奮い起こさないといけない情勢だ。そのためには、50年8・6の路線を体現して大衆の力を信頼しなければ馬力は出ない。そのときに、商業新聞が寄ってくればうれしくてやれないという感情と、大衆がメディアにたいして抱いている感情はまったく違う。
  原爆展で、「禁」、「協」の指導路線が1950年8・6斗争の流れではなく、原爆投下を感謝する流れでやってきたというと、広島の市民からも「そうだったんだ」という意見が返ってくる。「資料館もそうだし、あまり近寄りたくなかった。“峠三吉の原爆展”ということだから来た」という。
 編集部 4、5年まえの広島での活動の突破口は、市民から「禁か協か」と怒られたとき、「あれはアメリカの手下だ」とやったときに歓迎されるということだった。はじめからその観点でやってきた。修正主義、社民の潮流はちょっとした偏向というものではない。敵の側に立った運動の破壊者だ。広島市民はそう思っている。「あいつらがいるから、いいたいことがいえなくされている」と思っている。
 C その立場に立ってたたかうことが重要だが、活動家のなかではたとえば、教組の中国ブロック会議でそれと斗争できない状況がある。実際に「禁」や「協」、日教組の指導路線を粉砕して、いまわれわれがすすんでいる方向を教師や親に明らかにすることが、広島の被爆者と教師を結びつけることになり大きな運動になっていく。そこをごまかして「あの人たちと離れたくない」「あんたたちのことをいっているわけではない」とすり寄っていくのではいけない。
 編集部 アメリカの手下をまだ、友だちと思っている。社会党、総評は朝鮮戦争のときにアメリカがつくった。最初からアメリカ賛美だ。「日共」修正主義も戦後、「アメリカ解放軍」と評価した流れだし、その後「解放軍」とはいえなくなったが、「アメリカ民主主義万歳」だ。だから大衆から嫌われている。人民はそれを敵と思っているから実感があわない。そんな裏切り潮流と一線を引いて、独自の見解を持ってなにもないところから運動をつくるときに支持される。
 D 上関斗争でも山戸氏を暴露するときに、「山戸をたたいたら、利敵行為になる」と自治労あたりから反発が出てくると、そちらに同調して「あんなことやっていていいのか」という流れも出てくる。「禁」「協」が被爆者を抑圧しており、その妨害要素をとり払えば、運動が急速に広がる。それが恐ろしくて動揺するというのは、敵と友とのあいだでどの立場かという論議になっている。
 編集部 自治労は、「市町村合併」問題を見ても、人民を抑える側に立っている。山口県庁のなかでも、部課長が職員を採点する能力給のような方向が出ると、「民主主義的にやるならいい」と認める。そのような方向を粉砕して自治労を県民の側にとりもどすという立場でないといけない。日教組の指導路線を批判するのは、日教組を子ども、父母の側にとりもどすための援助だ。8・6集会は圧倒的に広島市民に支持され温かく迎えられている。だが、広教組を見ると圧倒的に県民から孤立している。「日の丸」「君が代」で引っかけられ、手も足も出ない。「日の丸」反対だが、「被爆者は加害責任がある」といったアメリカ民主主義擁護では、市民と対立するのはあたりまえだ。「日の丸」をやる側もインチキで、その上には星条旗があるのだが、そんなものにも負ける。
  日教組の会合などで、「資料館は無表情だ」とか、「子どもは国の宝だ」というと親米の側から文句が出される。それと断固としてたたかって路線をハッキリさせることが援助だと考えず、この人たちに嫌われたくないと思う流れがある。
 編集部 「われらの日教組にケチをつけられた」というような立場にいたらダメなわけだ。敵にとられた日教組をとりもどさなければならないわけだ。既存の運動が総瓦解するなかで、どこかの勢力に幻想を持って、期待がはずれると人のせいだといって逃げていくのか、自分たちが大衆のなかからなにもないところから運動をつくっていくのか、そこが問われている。
 H 人民教育研究集会の分科会で、ある活動家から「上関斗争が発展すればするほど、うちの地区では活動家がへった。原水禁運動が発展しているが、足下では活動が衰退していく」という意見が出た。「堂堂と運動ができない」という問題も出された。感情の面から社会の片隅にいる日和見主義だから新しい運動が切り開けず、大衆の力を抑えているわけだ。
  
 統一戦線むけ飛躍 大衆と共に展望開く
 編集部 それがどの戦線でも共通の課題になっている。教育戦線でいえば人教集会はひじょうにいい集会だった。被爆者の熱意がみんなに響いた。それに響く子どもたちの姿があった。しかし教師の存在感が薄い。教師の指導性という印象が薄かったのは、重要な課題ではないか。教育者の使命とか路線、立場を鮮明にすることが重要になっている。
  被爆者と魂の鳴り方が違う。落差がある。燃えていないわけだ。
 編集部 被爆者と子どもが未来のために愛国精神で響きあってやっているのにたいして、教師の構えが「お世話になっています」「おかげさまでうちのクラスもよくなりました」という印象があり、ひじょうに狭い、目先の実用的な関心という低い位置にいる印象がある。教師にとって指導性は生命だが、それが弱い。教師から指導性を奪うというのは「個性重視」をかかげた敵の政策だ。教育者の使命とか誇りというものを失わせている。それに勝っていない。
  平和の旅の子どもたちの構成詩を練習するとき、「もっと声を出せ!」ときびしくやるわけだが、お父さんたちはいっしょになって本気で指導する。だが、端から見ている教師が「ひどすぎるんじゃないの」という状況もある。
 編集部 子どもは未来に生きるわけだが、そういう子どもたちを相手にして、日本社会の大きな発展方向、時代認識がなければ響くわけがない。社会の各階級階層の統一戦線の一翼を担って、日本社会をこう変革していくんだという方向で、子どもをどうするかというものがないと教育にならないと思う。
  教師だけの話ではない。全体に志がすごく低いものになっている。その日暮らしで運動の展望がなくチマチマしているわけだ。この社会構造にどうにもならないと打ちひしがれるなかで多少なりとも長生きしたいというのが思想の根底にある。
 F はぐるま座でも今年のとりくみは衝撃的だった。全国キャラバンを担ったり、8・6の前段の宣伝に参加したりするなかで、劇団の活動がなんのためにあるのか、目から鱗が落ちたようだった。ほんとうに大衆を発動して戦争を阻止するのかどうか。その立場を確固とさせるなかに劇団の発展方向があるのではないかと論議になっている。
  60年代なかばの山口県の反修決起のころ、教育戦線でも革命の話をよくやっている。統一戦線のなかで教師の使命とはなにかがすごく論議されていた。
 編集部 やはり反修斗争、つまり「斗私批修」(私心とたたかい修正主義を批判する)でないといけない。反修とはつまるところ、大衆のなかにいかに深く入りともにすすむかだ。そこが分かれ目だ。人民に奉仕する思想でなく私の満足だけを求めるものは、敵に投降するしかない。いまの活動家のなかでは、反修時期のことを知らない世代がほとんどになっている。反修時期の福田主幹の文献を学習し、骨格を学びとることが重要だ。
 今年の8・6まで来て、日本が動くという実感が広がっている。社会の主人公は人民大衆であるし、労働者、農漁民が社会を支えているという意識は広範囲に噴きはじめている。ガバッと打って出るときだ。そうすれば大衆を結集できるし、新しい活動家も生まれてくる。各組織、活動家集団がその側に立場を移しかえ、労働者を中心に共通の路線、立場で統一戦線を形成していく方向で飛躍することだ。時代がそれを求めている。

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