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軍事的従属と文化的従属 〈1〉
ーー氏名の英語表記からみる「日本の家畜化」
                国際教育総合文化研究所   寺 島 隆 吉  2017年1月6日付
 
    *1

 いま沖縄は米軍基地の辺野古移転問題をめぐって深刻な状況を迎えています。翁長知事が政府による移転工事に差し止めを命じたのにたいして、今度は国の一行政機関にすぎない沖縄防衛局が、自らを国民と同じ「私人」であると主張して、行政不服審査法にもとづいて審査請求をおこなうにいたっているからです。
 その後、いろいろな紆余曲折を経て、辺野古移転をめぐる問題は政府と沖縄県が争う裁判となり、つい最近(2016年12月20日)になって出された最高裁判決は「沖縄敗訴」となりました。
 しかし、このような日本政府の行動およびそれを後押ししているオバマ政権にたいして日本国内のみならず世界中から批判の声が寄せられてきています。その典型例が2015年8月22日に発表された「世界は見ている」と題する声明でした。この声明の末尾は次のように締めくくられています。
 「沖縄の人々は明白に、妥協や取引を全く伴わない無条件の埋め立て承認取り消しを、知事に求め期待している。我々は沖縄の人々のこの要望を支持する。世界は見ている。」
 この声明には、アメリカの映画監督オリバー・ストーン、言語学者のノーム・チョムスキー、元米政府高官モートン・ハルペリンら海外の著名人・文化人・運動家ら74人が名前を連ねていました。
 沖縄タイムス(2015年8月23日)には、その声明全文と署名者一覧が載せられているのですが、その署名者一覧の冒頭部一二名を、新聞に載せられているとおりに紹介すると下記のようになります。
 マシュー・アレン、ジェームズ・クック大学(オーストラリア)ケアンズ研究会外部教授▽ハーバート・ビックス、ニューヨーク州立大ビンガムトン校歴史学・社会学名誉教授▽アダム・ブロイノウスキ、オーストラリア国立大学日本歴史文化学研究員▽ダニエル・ブロウディ、沖縄キリスト教学院大学大学院異文化間コミュニケーション学研究科教授▽アレクサンダー・ブラウン、ウーロンゴン大学(オーストラリア)人文社会学部博士課程▽マイケル・K・ボーダッシュ、シカゴ大学▽アキコ・ウトゥ・カカジ、「平和のための退役軍人会」ワシントンDC支部▽ジェニー・チャン、オックスフォード大学学際地域研究学部、中国学と社会学講師▽ブルース・カミングス、シカゴ大学歴史学部教授▽チェ・ソンヒ、韓国済州島カンジョン村国際チームコーディネーター▽ノーム・チョムスキー、マサチューセッツ工科大学言語学名誉教授▽マーク・ドリスコル、ノースキャロライナ大学チャペルヒル校東アジア学准教授
 しかし、この人名は、どのような基準にしたがって並べられているのでしょうか。このままではわかりにくいので、箇条書きに縦一列に並べ直してみると次のようになります。
 マシュー・アレン(ジェームズ・クック大学外部教授)
 ハーバート・ビックス(ニューヨーク州立大学歴史学・社会学名誉教授)
 アダム・ブロイノウスキ(オーストラリア国立大学研究員)
 ダニエル・ブロウディ(沖縄キリスト教学院大学教授)
 アレクサンダー・ブラウン(ウーロンゴン大学博士課程)
 マイケル・K・ボーダッシュ(シカゴ大学)
 アキコ・ウトゥ・カカジ(「平和のための退役軍人会」)
 ジェニー・チャン(オックスフォード大学講師)
 ブルース・カミングス(シカゴ大学歴史学部教授)
 チェ・ソンヒ(韓国済州島カンジョン村国際チームコーディネーター)
 ノーム・チョムスキー(マサチューセッツ工科大学言語学名誉教授)
 マーク・ドリスコル(ノースキャロライナ大学准教授)
 このように並べ直してみても、一見しただけでは、この氏名がどのような基準にしたがって並べられているのかよく分かりません。
 日本語で氏名を並べるばあい50音(あいうえお順)で並べるのが普通ですから、このカタカナ名で表記されている氏名も50音順で並んでいるのでしょうか。
 しかし上記のばあい、最初の3人だけを取り出してみても、次のように並んでいくので、50音順で並んでいるのでないことは明らかです。
 マシュー・アレン
 ハーバート・ビックス
 アダム・ブロイノウスキ
 では、署名者にはアメリカ人が多いようですから、アルファベット順(ABC順)に並べられているのでしょうか。
 しかし上記3名のファースト・ネームは、次のように並んでいくので、このファースト・ネームを見ているかぎり、ABC順に並べられているのでもなさそうです。
 マシュー↓ハーバート↓アダム
 このように、ファースト・ネームを見ただけでは、どんな順序で並べられているのか分からなくなって、頭が混乱してしまいます。
 そこで、この署名者一覧の順序がどんな基準にしたがって並べられているのか、もういちど改めて検討し直さねばならなくなってきます。
 以下、節を改めてそれを論じ、それを通じて、私たち日本人の意識構造が英語学習によっていかに「家畜化」されてしまっているのかを検証してみたいと思います。

   *2

 さて前節では、海外の著名人74人が翁長知事にたいして迅速に行動する重要性を強調し、「沖縄の人々は、妥協や取引を全く伴わない無条件の埋め立て承認取り消しを、知事に求め期待している」と、沖縄への支援を表明していることを紹介しました。
 そして、沖縄タイムスに載せられた署名者一覧の冒頭12名の並べ方が、ファースト・ネームを見るかぎり、それが50音順でもABC順でもないことをみてきました。
 では何を基準にこの名簿は並べられているのでしょうか。
 それを調べるために、今度はファースト・ネームではなくフルネームで、先の12名を縦列にして改めて列挙してみることにします。
 マシュー・アレン
 ハーバート・ビックス
 アダム・ブロイノウスキ
 ダニエル・ブロウディ
 アレクサンダー・ブラウン
 マイケル・K・ボーダッシュ
 アキコ・ウトゥ・カカジ
 ジェニー・チャン
 ブルース・カミングス
 チェ・ソンヒ
 ノーム・チョムスキー
 マーク・ドリスコル
 縦列に並べられた署名者一覧を見て何か気づくことはないでしょうか。
 前節ではファースト・ネームを見ているかぎり、この名簿順序の規則性は発見できませんでした。
 だとすると残された道は、ファミリー・ネーム(日本語で言う「姓」)で調べる以外にありません。
 そこで上記のファミリー・ネームを調べてみると、次のような順になっています。
 アレン→ビックス→ブロイノウスキ→ブロウディ→ブラウン→ボーダッシュ→カカジ→ チャン→カミングス→ソンヒ→チョムスキー→ドリスコル
 すると、最初の6名は次のような順になっているので、ABC順になっているのではないかという予測がたちます。
 アレン→ビックス→ブロイノウスキ→ブロウディ→ブラウン→ボーダッシュ
 というのは最初の「アレン」は「A列」であり、次の5名は「B列」ではないかと想像されるからです。
 ビックス→ブロイノウスキ→ブロウディ→ブラウン→ボーダッシュ
 しかし、さらに次の六名の並び順は、少なくとも私の頭では、ABC順では理解できません。
 カカジ→ チャン→ カミングス→ ソンヒ→ チョムスキー→ ドリスコル
 というのは「チャン」は多分「Chan」であろうと推測できますし、「カミングス」「チョムスキー」はそれぞれ朝鮮史および言語学で有名な学者ですから、私には「Cumings」「Chomsky」と名前がすぐ頭に浮かびますが、「カカジ」という名でまず思い浮かぶのは「K列」だからです。
 最初の6名が「A→B」という順に並んでいると予測していたのに、次の列で、いきなり「K」が現れたのでは、予測が狂ってしまいます。
 しかし「come」という単語は「カム」と発音するのですから、「カカジ」という人物も「C」という頭文字をもつ姓なのかもしれません。
 もしそうなら、「カカジ→チャン→カミングス」は「C列」となり、ABC順に並んでいるという仮説は正しいことになります。
 しかし、もう一つ問題が出てきます。それは「ソンヒ」という姓で思い浮かぶのは「S」という頭文字だからです。せっかく、ここまでABC順に名前が並んでいたのに、ここで突然「S列」が現れたのでは、ここまでの考察が総崩れになってしまいます。
 他方、「チェ・ソンヒ」という人物が「C列」であれば、その次に「チョムスキーChomsky」がいて、その直後に「ドリスコル」という「D」を頭文字とする人物がいるのですから、ここまでがABCDという順になって申し分ありません。
 では、この「翁長知事を励ます署名者一覧はファミリー・ネーム(姓)をABC順に並べたものだ」とする仮説が正しいものだと証明するにはどうすればよいのでしょうか。
 そのためには、声明「世界は見ている」とその署名者一覧の英語原文を手に入れればよいことになります。
 そう思ってインターネットで検索してみると、Peace Philosophy Centre(カナダ・バンクーバー 2007年設立)という団体のサイトに、それが載っていることが分かりました。
 しかも、この検索の副産物として、賛同者はその後、平和学の創始者として名高いヨハン・ガルトゥング(ノルウェー)、ベトナム戦争時にいわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露して有名になったダニエル・エルズバーグ(アメリカ)、北アイルランド問題で1976年のノーベル平和賞を受賞したマイレッド・マグワイア(イギリス)などの諸氏が加わり、8月31日の時点で、総勢109人に達していることも分かりました。まさに沖縄の動向を「世界は固唾をのんで見ていた」のです。

 しかし、ここでは氏名の掲載順序が問題なので、元の74名の名簿から冒頭部12名の部分のみを次に載せることにします。
マシュー・アレン Matthew Allen
ハーバート・ビックス Herbert Bix
アダム・ブロイノウスキ Adam Broinowski
ダニエル・ブロウディ Daniel Broudy
アレクサンダー・ブラウンAlexander Brown
マイケル・ボーダッシュ Michael Bourdagh
アキコ・ウトゥ・カカジ Akiko Utu Cacaji
ジェニー・チャン Jenny Chan
ブルース・カミングス Bruce Cumings
チェ・ソンヒ Choi Sung-Hee
ノーム・チョムスキー Noam Chomsky
マーク・ドリスコル Mark Driscoll
 これを見れば、声明「世界は見ている」の署名者一覧がファミリー・ネーム(姓)をABC順に並べたものであることが分かります。
 しかし、この名簿で順序がおかしいのではないかと思われる人物がひとりだけいます。それは10番目の「チェ・ソンヒ Choi Sung-Hee」です。
 この人物の名前は英語名では「Choi Sung-Hee」になっていますから、一見すると姓は「ソンヒ Sung-Hee」だと思われるのに、なぜ「S列」ではなく「C列」の項に入っているのでしょうか。
 そこで、この人物の肩書きを見てみると、「韓国済州島カンジョン村国際チームコーディネーター」となっています。それでやっと謎が解けました。
 かつて私が岐阜大学教育学部で院生を指導していたとき、韓国人も中国人もベトナム人も、英語で自分の名前を書くとき、姓↓名(苗字↓名前)の順で書き、英語流に「名↓姓」(名前↓苗字)と書くことは絶対になかったからです。
 ですから、「チェ・ソンヒ Choi Sung-Hee」の「チェ Choi」 は 「姓」であり、「ソンヒ Sung-Hee」は「名」だったのです。だからこそ、「チェ・ソンヒ」は「C列」に入れられていたわけです。
 (ただし、「Choi Sung-Hee」という英語名が、なぜ「チョイ・スンヒー」というカナ表記になっていないのか、理解に苦しみます。)

   *3

 しかし、ここでひとつの疑問が湧いてきます。
 一見しただけでは意味の分からない配列順序だった署名者一覧が、実は「姓」をアルファベット順に並べたものだとすれば、初めから「姓↓名」のように氏名を表記しておけばよかったのではないかという疑問です。
 ためしに上記で検討した12名を、英語の「姓」を最初に出して並べてみると次のようになります。
Allen, Matthew アレン、マシュー
Bix, Herbert ビックス、ハーバート
Broinowski, Adam ブロイノウスキ、アダム
Broudy, Daniel ブロウディ、ダニエル
Brown, Alexander ブラウン、アレクサンダー
Bourdagh, Michael ボーダッシュ、マイケル
Cacaji, Akiko Utu カカジ、アキコ・ウトゥ
Chan, Jenny チャン、ジェニー
Cumings, Bruce カミングス、ブルース
Choi, Sung-Hee ソンヒ、チェ
Chomsky, Noam チョムスキー、ノーム
Driscoll, Mark ドリスコル、マーク
 このように並べ直してみると、名前がABC順に並んでいることは一目瞭然です。
 しかしこれを見ていて気になる点が二つあることに気づきました。
 そのひとつは先に述べたように、「Choi, Sung-Hee」という人物名を「ソンヒ、チェ」とカナ表記している点で、もう一つは「Cumings, Bruce」という人物名が「Choi, Sung- Hee」の前に来ていることです。
 アルファベット順に並べるのであれば、Chan→Choi→Chomsky→Cumingsであるべきだからです。
 そこで念のために署名者が109人に達したことを報じた新しい氏名一覧を、Peace Philosophy Centreのサイトで確認したところ、74人の氏名を間違った順序で列挙してあったものが、次のように正しい順序に訂正されていました。
Chan, Jenny
Choi, Sung-Hee
Chomsky, Noam
Cumings, Bruce
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2015/ 0 8 /the-world-is- watching- 1 0 9 -including.html
 しかし、このような間違いは、「姓→名」のように最初から「姓」を先にもってきて、それをアルファベット順で並べていれば、起きようのない間違いであったとも言えるでしょう。
 ですから、「姓↓名」の順に名前を書き、それをアルファベット順で並べるやりかたは、見る人にとっても理解しやすいし、お目当ての人物が署名しているかを調べたい場合も非常に便利です。
 事実、学術書の参考文献一覧はすべて「姓↓名」にしたうえでABC順に配列されています。
 たとえば、次の文献一覧(図表)は、『Writing from the Inner Self』という本の182頁に載っていた参考文献の一部ですが、このように「姓↓名」の順で氏名が記載され、この著者による文献名がその次に載せられています。
 このようにすると本文のなかで引用されていたり紹介されていた文献を容易に検索できるからです。
 つまり、「名→姓」の順で氏名が書かれている場合でも、公式の場で人物を列挙するとき、「姓」を基準にして、それをABC順で並べるのが正しい並べ方であり、さらにもっと学術的にしたいときは、氏名を「姓↓名」にしたうえでABC順とするのが正式なやり方であることが分かります。
 沖縄タイムスで声明「世界は見ている」の署名者一覧が、一見しただけでは日本人にとって非常にわかりにくい配列になっていたのは、このような事情によるものでした。
 これは単に形式的な問題ではなく、そのほうが学問・研究にとっても便利だからです。
 だとすれば、日本語は最初から「姓→名」の順に氏名を表記することになっているのですからこれを英語名で表記するとき、わざわざ「名→姓」に変える必要はないということになります。
 英米人が公式の場で使う表記法を私たちはすでに持っていて、それを公式の場だけでなく日常的にも活用しているのですから、名刺などに英語で氏名を表記するとき、それをわざわざ不便な「名→姓」に変えるのは、無用かつ無駄ということになります。
 先にも述べたように、かつて私が岐阜大学教育学部で院生を指導していたとき、韓国人も中国人もベトナム人も、英語で自分の名前を書くとき、姓↓名(苗字→名前)の順で書き、英語流に「名↓姓」(名前→苗字)と書くことは絶対にありませんでした。
 私が修士論文を指導したベトナム人の女性は、ベトナムに帰国するとき学位証明書を大学の事務に請求したのですが、そのとき日本語の証明書ではベトナムで就職活動で使うとき役に立たないので英語での証明書も作ってくれるよう要求しました。
 ところが英語で書かれた学位証明書の氏名欄には、「名→姓」の順で氏名が記載されていたのです。
 事務の方では気を利かしてそのように表記したのでしょうが、彼女はこれを見て、「これではベトナムで通用しない」「これは私の氏名ではない」と、泣かんばかりに憤って、事務につくり直しを要求していました。
 この姿を見ていて、その怒りに驚くと同時に、英語力が抜群だったにもかかわらず英語式に氏名を表記しようとはせず、あくまでベトナム式の「姓→名」という氏名表記にこだわる彼女の姿勢に、何か心打たれるものがありました。
 ところが、何の疑問ももたず、いまだに氏名の英語表記を「名→姓」に変えた名刺を使用している日本人が少なからず存在しているのです。
 これは、私のところにインタビューに来る新聞社や雑誌社のひとも、例外ではありません。
 これは書籍についても言えます。ときどき自分が書いた本の著者名の下に英語で氏名を併記しているものを見受けるのですが、そのときも漢字では「姓→名」なのに英語では「名→姓」にしているものが少なくないのです。
 先に紹介したベトナム人の院生は、修士論文のテーマを「平和教育はいかにして可能か」にしぼり、日本の平和教育とアメリカの平和教育を比較研究するという方法をとったのですが、そのとき彼女がこぼしていたのは、論文の末尾に参考文献一覧を載せる際、著者名の日本語表記と英語表記がしばしば逆転しているので混乱してしまうということでした。
 たとえば、著者名「山田太助」の下に、 Tasuke Yamada と書いてあるので、「山田」を Tasuke、そして「太助」を Yamadaと読むのだと思い込んでしまうというのです。
 また、これではせっかく憶え始めた漢字の「読み」や「意味」の習得にとっても有害だと彼女は言うのでした。
 このように日本人の氏名を英語で書くとき「名↓姓」の順に書く方法は、日本人にとって無用・無駄であるだけでなく、留学生の日本語習得にとっても有害・無益なのです。
 ところが先述のように、私のところへ取材に来る新聞記者も、名刺の英語表記を「Tasuke Yamada」のような書き方にしているひとが珍しくないのです。
 では、このような不合理なことがなぜ続いているのでしょうか。
 それは英米人の考え方や生活様式が合理的であり、日本人の考え方や生活様式は非合理的だという思い込みが、日本人の脳に定着していて、いまだにそこから脱却できていないからではないでしょうか。また悪くすると、英語教育・英語学習がこのような姿勢を助長してきた側面も否定できないと思うのです。
 以下では、節を改めて、その点をもう少し詳しく検討してみたいと思います。

   *4

 明治維新で日本が新しい社会をつくろうとしたときオランダ語を勉強していた福沢諭吉が英語に切り替えたことからも分かるように、明治の日本でも英語が大流行しました。しかし英語一辺倒だったわけではありませんでした。
 二葉亭四迷によってロシア文学が翻訳されたのも明治時代でしたし、文学者としても有名だった森鴎外も実は本名は森林太郎と言い、本職は陸軍軍医(軍医総監)でした。そのため東大医学部卒業後に、陸軍省派遣留学生としてドイツに留学もしています。
 イギリス留学後に東京帝国大学で英文学を講じた夏目漱石も、長男の純一にはフランス語やドイツ語を学ばせ、英語を学ばせていません。次男の伸六が学んだ外国語もドイツ語で、慶應義塾大学文学部予科に進み、同独文科を中退しています。
 つまり「文明開化」に明け暮れた明治でさえ、英語一辺倒ではなかったのです。
 ところが日本では、アジア太平洋戦争に敗北しアメリカ軍が占領者として入り込んでくるようになってからは英語の全盛時代を迎えるようになりました。
 アメリカとしても占領期間が終わった後も日本を当時のソ連や社会主義中国にたいする防波堤として利用するために英語教育を重視しました。
 そのためにトルーマン大統領は、講和条約(1951年9月8日)が結ばれる8か月以上も前の1月22日に、ジョン・フォスター・ダレス(ロックフェラー財団理事長)を特使とする「講和使節団」を日本に派遣しました。
 このとき文化顧問として同行したロックフェラー3世は、帰国してから2か月後に(1951年4月16日)、80頁にもおよぶ日米文化関係の「機密」報告書を提出しています。
 ここで注目されるのは、この報告書が「英語教育プログラムのもつ潜在的な可能性」を強調して次のように述べていることです。
 「英語教育プログラムは表向きは英語教育法の改善を手助けすることであるが、実際には健全なアメリカの理念を日本社会に浸透させる道がこのプログラムによって約束される。」
 「資格のある英語教育専門家が日本に滞在していれば、教科書の執筆ならびにアメリカ合衆国の選定教材を日本に紹介する際に、折ある度に彼らは影響力を行使することができ、しかも長期にわたって影響を及ぼしつづけることができる。」
 「日本人は生活のあらゆる部分において英語の学習を受け入れる傾向があるので、英語教育の分野には潜在的に大きな可能性が認められる。」(以上、拙著『英語で大学が亡びるとき』明石書店、176―178頁)

 そもそもロックフェラー3世がダレス特使の文化問題顧問として日本に派遣されたのは、トルーマン大統領が1951年に 「心理戦略本部」(PSB:Psychological Strategy Board)を創設したことに由来しています。
 ですからロックフェラーの機密報告書「英語教育プログラム」も、日本にたいする心理戦すなわち「いかにして日本を『半永久的な米国依存の国』にするか」という戦略の一部として提案されたものでした。
 松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー、半永久的依存の起源』(岩波書店)は、1951年1月に日本政府と対日講和条件を協議するために東京を訪問した時のダレス国務長官を次のように描写しています。
 「ダレスは公衆の面前では、日本のことを『戦勝国によって指図される国』ではなく『相談される当事国』と表現し、雅量のある調子で語った。しかし私的な場所では、解決すべき主たる重要な問題は『我々の好きな場所に我々の好きなだけの期間、我々の好きなだけの軍隊を駐留させる権利を手に入れることではないのかね』と側近に語った。…そして実際にアメリカ政府は、日本の領土内に合衆国の基地システムを保持することに成功した。」(126頁)
 こうして日本は、沖縄の基地問題に象徴されるように、アメリカ兵が犯罪を犯しても、垂直離着陸機オスプレイが事故を起こしても、政府が独自に調査し処罰できない軍事的従属国になっています。そして軍事的に従属しているだけでなく文化的にも従属するようになり、「アメリカのものは優れているが日本のものは劣っている」と思考形態をいつのまにか身につけてしまいました。
 というよりも軍事的従属は、英語教育などを通じた文化工作の結果として生まれた文化的従属の結果でもありました。あるいは軍事的従属は文化的従属と手を携えながら進行したと言うべきでしょう。
 その典型例がカタカナ語の氾濫です。明治の知識人は外来語を何とか日本語に移し替えようとして悪戦苦闘しながら新しい語彙・新しい日本語を創造する努力を積み重ねて来ましたが最近はそのような努力を放棄して、英語教師でさえ意味のとりづらい「コンプライアンス」などという語を、NHKでさえ平気で使うようになってきました。
 これは老人や子どもにとって生活上の障害になるだけでなく、明治の知識人が外国語と格闘するなかで日本語を磨き、それを土台にして創造力を鍛えてきた先達の遺産を放棄するという意味で、知的退廃につながっていきます。
 日本のノーベル賞受賞者の多さも、このような先達の知的努力が生み出したものの成果だとも考えられるからです。
 このような知的努力を放棄しているかぎり、小学校から英語を導入しても、そのような世代からはノーベル賞受賞者は決して生まれないでしょう。
 それどころか、日本の進路を大きく左右しかねないTPP(環太平洋経済連携協定)という協定文書は、正式な交換文書であるにもかかわらず、政府はその日本語版を要求しなかったばかりか、全文の翻訳すらもおこなおうとしませんでした。
 こうして、国会議員は内容もよく分からないままTPPへの賛成を強いられることになりました。
 カナダが、英語国であるにもかかわらず、ケベック州の公用語が仏語であるという理由だけで、協定文書の仏語版をも要求したのと、なんという大きな違いでしょう。
 これはまさに知的退廃の極みです。これでどうして国益を守ることができるのでしょうか。これでどうして安倍首相の言う「美しい国」を築くことができるのでしょうか。
                                            
   *5

 ところが事態はこれだけで収まりませんでした。というのは、文科省は指導要領で「高校の英語授業は日本語を使わずに、英語だけでおこなうことを原則とする」としただけでなく、それを中学校にまで拡大することを決めたからです。
 そもそも外国語を母語・国語を介さずに、その言語だけで教えるのが効果的なら、NHKの外国語講座は、ずっと以前からそうしていたでしょう。しかし実際は、どの言語も日本人が講師となりその言語を母(国)語とするひとを助手として運営されています。そのほうが教育効果が高いからです。
 NHKのロシア語講座を、ロシア人がロシア語だけで教えていたなら、ほとんど誰も受講しないのではないでしょうか。
 ところが文科省は、英語だけは「日本語を使わずに英語だけでおこなうことを原則とする」としたのです。
 これは1981年にウガンダのマケレレで開かれたブリテン連邦会議で、次のような「信条」が確認され、イングランド語を「英語の帝国」として拡大していく際の原則としたことを、文科省がそのまま踏襲していることになります。
「英語は英語で教えるのがもっともよい」
「理想的な英語教師は英語を母語とする話者である」
「英語学習の開始は早いにこしたことはない」
 かつてイギリスが植民地を大英帝国の属国として維持するためにまとめられた諸原則が、いま日本で小学校から大学にいたるまで大手を振ってまかりとおっているのです。
 アジア太平洋戦争で敗北するまでは、植民地である台湾や朝鮮に日本語学習を強制したとき日本も大英帝国と同じ姿勢で臨みました。ところが現在の政府、強制されもしないのに、自ら望んで被植民地と同じ姿勢の英語学習を生徒・学生に強制し始めたのです。
 これは悲劇の極致です。あるいは喜劇と言うべきでしょうか。
 すでに述べたように、文科省は中学も高校も「英語授業は日本語を使わずに英語だけでおこなうことを原則とする」としただけでなく、小学校でも、5・6年生で英語の授業を教科化することに踏み切りました。学習の開始時期も3年生から始めることになりました。まさにマケレレ会議の原則どおりです。
 他方、大学ではどうでしょうか。京都大学が「共通教育・教養科目の半数は英語でおこなう」「外国人教員を百人規模で採用する」と発表して大きな話題を呼びましたが、その後まもなく金沢大学も共通教育どころか「大学院や専門科目までも英語でおこなう」という政策を発表して、文科省から巨額の補助金を手にしました。
 このように、一方で大学への交付金を毎年のように削りながら、他方で補助金を通じて大学の教育研究を政府の意向に沿ったものに誘導していくという政策は、地方自治体を札束でたたきながら原発を導入させていったものと瓜二つです。
 しかし現在の京都大学が、「大学の国際化」という名目で、「共通教育・教養科目の半数は英語でおこなう」「外国人教員を大量に採用する」といった政策を打ち出す以前に、京都大学には似たような過去・前科がありました。
 というのは、私は前節で「軍事的従属は文化的従属と手を携えながら進行したと言うべきでしょう」と書きましたが、1950年代の京都大学はそのような文化工作の格好の舞台として選ばれていたからです。その事情を愛媛新聞(2007年10月22日)は共同通信の配信記事として次のように報じています。
 「1950年代に日本の左傾化を恐れたアメリカ広報文化交流局(USIS)が日本で行った世論工作を詳述した報告書が21日までに米国立公文書館で見つかった。」
 「京大への工作は、52年に左派教授陣や全日本学生自治会総連合(全学連)などの影響力拡大に危機感を抱いた服部峻治郎総長とUSIS神戸支部が協議を開始。古川幸次郎文学部教授、高坂正顕教育学部教授ら保守派とされる若手教授陣を米国に順次派遣するなどして反共派に育て、帰国後はこれら反共派がUSISと接触を続けるとともに、各学部の主導権を握り、左派封じ込めに成功したとしている。」
 「報告書によると、USISは、①日本を西側世界と一体化させる、②ソ連・中国の脅威を強調する、③日米関係の強化で日本の経済発展が可能になることを理解させる―などの目的で、50の世論工作関連事業を実施。このうち23計画が米政府の関与を伏せる秘密事業だった。」

   *6

 この京都大学における裏工作については、拙著『英語で大学が亡びるとき』第2章第3節「“対日文化工作”としての英語教育」で詳述したので、そちらを見ていただきたいのですが、上記の目的①~③は「ソ連」を「ロシア」に置き換え、「北朝鮮」を付けくわえれば、現在の日本にそのまま通用するように見えます。
 ところが最近の京都大学は、このような過去をもっているにもかかわらず、「大学の国際化」という名目で今度もまた同じ過ちを繰りかえそうとしているように私には見えました。しかも皮肉なことに今度はアメリカによる裏工作ではなく、自らの意思でそれをおこなおうとしているのです。私が『英語で大学が亡びるとき』をどうしても書かなくてはという焦燥感に駆られたのは、このような事情がありました。
 幸いにも今の京都大学は、新しく選挙で選ばれた総長が若干の軌道修正をしようと試みているようですが、文科省から巨額の補助金をもらっているのですから、うまくいくかどうか分かりません。
 その一方で、先述の金沢大学のように、文科省からの補助金ほしさに英語一極化をめざす大学は後を絶ちません。
 このままでは、軍事的だけでなく、経済的にも文化的にも従属国になっていく坂道を、勢いよく転がり落ちていくことは、間違いようがありません。
 というよりも、先述したように、日本を文化的従属国にしていく政策が、日本をさらなる経済的従属と軍事的従属へと押しやっていると思われてなりません。
 その象徴的事例が、日本人が名刺などに英語で自分の名前を書くとき、「姓↓名」ではなく「名↓姓」の順にすることではないでしょうか。だからこそ私は、それを冒頭事例として、この小論を書き始めたのでした。
 このような文化的従属の事例は他にいくつもあげることができます。以下に幾つかそのような事例をあげ、本論を閉じることにしたいと思います。
 というのは英語教育を通じてアメリカによる文化工作がおこなわれ、それを政権転覆につなげようとする動きが、いまだに世界のあちこちに存在するにもかかわらず、日本はそのような動きに全く無自覚・無防備であるように私には見えるからです。
 たとえば、ブログ「マスコミに載らない海外記事」の「フェトフッラー・ギュレンとは、一体何か?」という翻訳記事(2016年9月5日)には次のような事実が紹介されていました。
 「MIT、すなわち『トルコのCIA』の元外国諜報部長で、1990年代中期に、タンス・チルレル首相の首席諜報顧問をつとめたオスマン・ヌリ・ギュンデシが、2011年、トルコ語のみで本を刊行した。
 そのときギュンデシは85歳で、すでに引退していたが、その本で、1990年代にユーラシア中に広がっていたギュレン学校が何百人ものCIA工作員の基地になっていたことを暴露した。彼ら工作員は『母語として英語を話す、英語教師』を装っていた。
 ギュンデシによれば、キルギスタンとウズベキスタンの学校だけでも、ギュレン運動は『130人のCIA工作員を匿(かくま)っていた』。
 アメリカ人の『英語教師』全員が、普通の英語教師にとって到底標準の扱いとは言えない、アメリカ外交官のパスポートを持っていたのは実に示唆的だ。」(和訳は寺島が一部、改訳した)
 上記で「ギュレン学校」「ギュレン運動」と言われているのは、「アメリカ在住の亡命トルコ人フェトフッラー・ギュレン」というイスラム教指導者が世界的に展開している運動で、今度のトルコにおけるクーデターも、この人物が陰の立役者だったと、原文のウィリアム・イングドールは主張しています。
"What is Fethullah Gulen?"
http://journal-neo.org/2016/0 7/2 5/what-is-fethullah-gulen/
 ことの真偽は別にして、いずれにしても、CIA工作員が「英語を母語とする英語教師」を売り物にして(しかも外交官のパスポートを持って)ユーラシア大陸で暗躍していたという事実だけは間違いないようです。

   *7

 私は前節で「名刺の英語表記だけでなく、似たような文化的従属の事例は他にいくつもあげることができます。以下に幾つかそのような事例をあげ、本論を閉じることにしたいと思います」と書きました。先述したとおり、カタカナ語の氾濫もそのひとつです。
 私が大学に在職していたとき、文科省へ申請する文書でも「~アクション・プラン」などといったカタカナ語が氾濫していました。このようにすると文科省の審査に通りやすいから、というのがその理由だったようです。カタカナ語にすると急に高尚な文書になったようで、格好良く見えるらしいのです。外車に乗ると急に偉くなったように感じるのと似ているのかも知れません。
 かつて私がアメリカの大学で教えていたとき、そこの教授陣は日本車に乗ることを理想としていました。それも地位や裕福さによって順位が決まっていて、私が日本語教師をしていたノースカロライナ州立農工大学の経済学部長は韓国系アメリカ人でしたが、トヨタに乗っていることが自慢でした。奥さんもスーパーマーケットを経営しているビジネス・ウーマンだったから、トヨタを買う経済的ゆとりがあったからでしょう。
 他方、私がカリフォルニア州立大学に異動して日本語を教えていたとき、スペイン語教授として同僚だったエルサ女史が乗っている車はミツビシ(三菱)でした。「トヨタは値段が高いから手が出ない」というのが彼女の言い分でした。
 私の感触では、トヨタ→ホンダ→ニッサン→ミツビシの順で、所有者の地位・裕福さの序列が決まっていくような印象を受けました。日本では医者になると外車に乗るひとが目立って多いのと似ています。
 「燃費が良い、故障が少ない」という理由で、アメリカで日本の車が選ばれるのは当然とも言えるのですが、しかし日本人が、地位が上がったり豊かになったりすると外車に乗るのは、「英語を話す人は頭が良い、格好いい」という認識と大同小異で、「外国のものは優れている」「日本のものはダサイ、劣っている」という意識の表れではないかと私には思えます。
 私が同僚のアメリカ人教授に「おまえは日本でどんな車に乗っていたか」と尋ねられ、トヨタと答えると目を丸くされるのに、日本人は医者になると、どういうわけか外車になるのです。
 私の近所にも医者が何人か住んでいますが、少数の例外を除き、ほとんどが外車です。医者と言えば、金銭的に裕福なだけでなく受験競争を勝ち抜いた知的エリートでもあるはずですが、その彼らが未だに文化的従属観のなかでいきていることを、この外車の事例がマザマザと示しているように見えます。

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 これは食事についても言えます。裕福になればなるほど洋食の高級レストランに行き、ナイフとフォークを使って高級の牛肉を食べるのが、一般的です。それが地位と豊かさの象徴になっているのです。
 ところが裕福なアメリカ人にとって、和食は地位と豊かさの象徴です。貧乏な黒人や褐色人(ラティーノ)には、和食は値段が高すぎて手が出ません。貧乏人は肉を食べて病気になり、白人で裕福な階級のひとはユネスコ無形文化遺産に登録された和食を食べて長生きするというのが、今やアメリカ社会の大きな流れになってきているとも言えます。しかし、このようなアメリカの現実が見えないので、いまだに多くの日本人は洋食・肉食に走っています。
 というよりも本当は、「アメリカの占領政策によって日本人は洋食化・肉食化された」というのが正しいと言うべきでしょう。というのは、国際自然医学会会長・お茶の水クリニック院長である森下敬一氏は、『人生が変わる食べ方』(ビジネス社)の「あとがき」で、この事情を次のように述べているからです。少し引用が長くなりますがお許しください。

 日本が戦後の復興に向かって歩み始めていた昭和30年代、戦勝国であったアメリカは、戦時中に増産し倉庫に山積みになっていた小麦や大豆、トウモロコシなどの余剰農産物を、日本に売りつけるため、官民挙げて綴密な戦略を練り、従来の日本型食生活の「破壊」に乗り出しました。
 当時、私は、大学の研究室で「食と血液とガン」の関係について論文をまとめ、昭和30年に博士号を取得。仲間とともに講演や研究会、著述活動と、いまの自然食運動の原点と言っていい活動を開始していました。ちょうどその時期、「国民栄養改善運動」と称する大がかりな国策的キャンペーンが日本中で展開されはじめたのです。
 奇妙に思い調べていくと、この運動のバックにはアメリカ政府がついていて、国立の研究機関や教育機関、大手の食品メーカーなどに多額の資金援助をしていることがわかりました。
 彼らが主張していたのが肉食の奨励であり、「従来の日本型食生活では十分な栄養がとれない、欧米型の食生活に切り替えましょう」というものでした。給食にパンや牛乳が導入され、全国にキッチンカーが巡回することで、油をつかった肉料理の講習などがさかんに行われたのもこの頃です。
 こうした運動が広まれば、アメリカの余剰農産物は、人畜飼料(?)として日本で効率よく消費されることになり、食文化として根づけば、半永久的に“いいお得意さん”になります。そして事実、日本の戦後はその思惑どおりの形で推移してきました。
 148頁でもお話ししたように、こうした欧米型の食生活は、1977年にアメリカの上院に提出された「マクガバン・レポート」によって、健康を害する要因として否定されています。
 しかし、すでに自国の農業を切り捨て、世界的な経済大国になっていた日本は肉や乳製品、小麦などの輸入品によって成り立つ食生活を変えることができませんでした。その結果として、いまの私たちの現実があるのです。病人が増え、医療費は年間30兆円超にまでふくれあがってしまいました。
 これは、きちんと記録の残っているアメリカの経済戦略です。戦後になって広まった栄養学にしても、基本的にはこうしたアメリカの戦略のなかに組み込まれたものだと言うことができます。
 少々過激な言い方になりますが、日本の栄養学者、栄養士、そして医師の多くは、結果としてアメリカに「してやられた!」のです。もちろん、消費者であるあなたもです。心身ともに豊かな生き方を組み立て直していくためには、そのことに気づかなければなりません。まずは自分たちの置かれた現実を知ることです。(引用おわり。前掲書173―176頁)
 つまり、森下流の「少々過激な言い方」を使わせていただくとすれば、今の日本は、アメリカによる戦後の文化工作=「洗脳政策」、アメリカによる戦後の経済政策=「洗舌政策」の延長上で喘(あえ)いでいるということができます。
 そしてアメリカの新大統領が反対を表明しているにもかかわらず、安倍内閣が強引に推進しようとしてきたTPPは、その総仕上げになることでしょう。
 というのは、このTPPによって、アメリカ産の遺伝子組み換え食品を否応なしに食わされても、アメリカ産の狂牛病におかされた牛肉を食わされても、文句を言えないことになるからです。もし政府や自治体がそれをくい止めようと思って法律や条令をつくっても、それは「企業の利益を損なった」という理由で告訴され、カナダの先例が示すように巨額の賠償金を支払わされることになるからです。

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 今まで述べてきたことによって、現在の日本はアメリカによる戦後の占領政策がそのまま継続しているのと余り変わらないことに気づかれたことと思います。
 そして「洗脳工作」の結果、今や小学校から大学院博士課程まで「英語漬け」にするという被植民地まがいのことがほとんど何の抵抗もなく進行しています。むしろ政府がこれを推進しているのです。
 他方で「洗舌政策」の結果、1975年(昭和50年)の医師数・ガンによる死者数が共に約13万人だったのに、2015年のガンによる死者数は37万人を超えました。
 そして40年後の現在、医師数は約31万人へと増加したにもかかわらず、この結果なのです。
 日本人が基本的には草食動物だったのに、今や肉食動物と化した結果です。
 私は拙著『英語で大学が亡びるとき』で、日本の大学の滅亡が心配される事態を詳述しました。
 しかし日本の状況はもっと深刻なのです。大げさに言えば、不妊や病死による人口減少と医療費高騰による財政破綻で日本そのものが滅亡することすら考えないといけない事態なのです。
 というのはガンによる死者数が激増しているだけでなく、55歳以下でガン死するひとが急増しているからです(石原結實『日本人はもう55歳まで生きられない』ビジネス社)。
 この深刻な事態をみずから体験し実証しているのがアメリカ軍基地によって島の大半を占領状態におかれている沖縄でしょう。
 この実状を、先述の森下敬一氏は『腸から体がよみがえる「胚酵食」』(青春出版社)で、次のように述べています。

 かつて、沖縄は日本一の長寿県でした。しかし、それも昔の話。
 都道府県別平均寿命を見てみると、男性は1990年に5位に滑り落ちてから1位に返り咲くことはなく、どんどん順位を落としています。2013年には30位、長らく1位の座を守っていた女性も3位に転落してしまいました。
 沖縄が長寿の県とマスコミでもてはやされ、伝統的な食生活や生活環境などが注目されているときから、私は「沖縄が長寿県としていられる寿命(期間)は短い」と指摘していました。
 沖縄の食生活は「高齢者」と「若い世代」とでまったく正反対だったのです。その生活から鑑みるに、沖縄の「若い世代」は健康長寿にはなり得ないという予測通り、2010年には65歳未満の死亡率が全国ワースト1位となってしまいました。
 沖縄が長寿県でいられたのは、粗食菜食を旨とする高齢者が平均寿命を押し上げていたからです。高齢者はイモ、野菜、豆腐、海藻などが中心の食生活ですが、若い世代は肉を食する傾向があります。
 戦後すぐからアメリカ風の食生活が押し寄せてきた沖縄では、いまや肉食やファストフード、こってりしたデザート類がすっかり定着してしまいました。腸内環境を悪化させ、血液を汚し万病を招く食生活に移行してしまったのです。(引用おわり。前掲書83頁)

 こうして沖縄は、基地によって土地を奪われただけでなく、健康までも奪われてしまったのです。
 今その沖縄では、土地を取り戻す闘い、自治権を取り戻す闘いが、県民総ぐるみで取り組まれています。
 しかし私は、その闘いが、沖縄に根づいてきた生活と文化、沖縄の命と健康を取り戻す闘いとも結合され、さらなる新しい闘いが展開されることを願っています。
 沖縄の現状は、日本全体の軍事的文化的従属だけでなく、広大な米軍基地がもたらす「英語文化」「肉食文化」と深くからみあっているのではないかと考えられるからです。
 だとすれば、沖縄の闘いの勝利は同時に、日本全体を軍事的従属だけでなく文化的従属から解放することに、必然的につながっていくでしょう。
 本土に住む私のこの小論が、そのためにささやかなりとも貢献できれば、こんなに幸せなことはありません。

[註]
 いま日本では、数字を書くとき3桁ごとにカンマで区切っていく不便きわまりない表記法を強いられています。
 英語では数字の数え方が3桁ごと(thousand, million, billion)ですから、3桁ごとの表記は便利かも知れませんが、日本では4桁ごとの数え方(万、億、兆)ですから、そのような表記法は日本人の思考・数計算を混乱させるだけです。
 また英会話の授業でも「相手の目を見て話す」ということが正しい作法として当然のごとく生徒に押しつけられています。
 当のアメリカでさえ黒人の若者が警官の目を見据えたという理由だけで、逃げているにもかかわらず背後から射殺されたという事件があったことを知らないのでしょうか。
 このような事例を挙げ出すと切りがないので割愛させていただきますが、このように英米文化が無批判に取り入れられ押しつけられている事実については、いずれ機会があれば改めて詳述し分析したいと思っています。


 

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